43 / 129
五段目
敵の陣屋の場〈参〉
しおりを挟む「なんという無礼な女子か。そなたは、返事一つもまともにできぬのか」
女は呆れ果てた口調で云った。
されども、すぐに思い出したかのように、
「あぁ、そうであった……そなた、国許の訛りが相当ひどいらしいな」
と、さも莫迦にした物云いをした。
どうやら、舞ひつるが吉原で培われた廓言葉は、「お故郷訛り」ということになっているようだ。
とは云え、知る者が聞けば、即座に遊女や女郎の語り口だと判る。用心に越したことはない。
久喜萬字屋のお内儀が、舞ひつるが吉原を出ても「一蓮托生」だと云っていた意味が、なんとなく見えてきた。
——確かに……命にも関わりなんしことでありんす。
目の前の女の言葉が、武家筋のものであったからだ。
もし、なによりも「体面」を重んじる御武家様を、吉原の妓ごときが欺いたと露わになろうものなら——
切り捨て御免、とばかりに、舞ひつるも久喜萬字屋の者も、それこそ我が身を一刀両断されるやもしれぬ。
舞ひつるの肝が、さらに冷えた。
「また、老中首座様のお取り計らいで、御公儀挙げての『質素・倹約』に励まねばならぬ折、そなたはなんとまぁ派手な身形をしておるのか。諸藩の下屋敷は、よほど箍が外れていると見えるな。……呆れてものも云えぬわ」
女は黄八丈の着物を見て、吐き捨てるように云った。
舞ひつるはおのれの着物を見た。昨夜はあまりの疲れに、ついそのまま横になってしまったゆえ、黄八丈には処々に皺が寄っていた。
品川沖より舟で出て、何日もかけて向かわねば辿り着けぬと云う離れ島・八丈島に住むおなごたちが織りなす黄八丈は、贅沢な絹地のため庶民にはなかなか手の出ない代物で、舞ひつるにとっても普段着とはいえ「一張羅」であった。
久喜萬字屋のお内儀から、
『粗末な着物を普段着にするとさ、日頃の所作が乱れちまって、それが御座敷のときにも出るんだよ』
と云われ、与えられていたものだった。
確かに、男女問わず灰地や紺地を着ることの多い江戸の者にとって、黄地に黒の格子柄の黄八丈は目を引く。
目の前の武家と思われる女は、男が着るような燻んで暗い消炭色の木綿の着物であった。うっすらと入った柄は、目を凝らさねばならぬほど小さい。
だが、今の舞ひつるにとっては着ているものをなんと云われようとも、どうでもよかった。
——もしかして、わっちは今まで『諸藩の下屋敷』にいたことになっているのかえ。
諸藩を束ねる藩主(大名)は、一年ごとに江戸と領地を往復する定め(参勤交代)となっているため、江戸に藩邸を設けねばならない。
藩主は千代田の城(江戸城)近くの上屋敷に滞在し、国許(領地)から付き従って江戸に赴任した家来たちは、御用も兼ねて城下より少し離れた下屋敷に住むことになっていた。
訳もわからず、ただいきなり見知らぬ土地に放り込まれた身としては、とにかく女の言葉から置かれている「身の上」を察するしかなく、そちらの方に気を取られた。
文字どおり——「命懸け」なのだ。
「なにを呆けておる。さっさとその派手な着物を脱がぬか」
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
異・雨月
筑前助広
歴史・時代
幕末。泰平の世を築いた江戸幕府の屋台骨が揺らぎだした頃、怡土藩中老の三男として生まれた谷原睦之介は、誰にも言えぬ恋に身を焦がしながら鬱屈した日々を過ごしていた。未来のない恋。先の見えた将来。何も変わらず、このまま世の中は当たり前のように続くと思っていたのだが――。
<本作は、小説家になろう・カクヨムに連載したものを、加筆修正し掲載しています>
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。
※この物語は、「巷説江戸演義」と題した筑前筑後オリジナル作品企画の作品群です。舞台は江戸時代ですが、オリジナル解釈の江戸時代ですので、史実とは違う部分も多数ございますので、どうぞご注意ください。また、作中には実際の地名が登場しますが、実在のものとは違いますので、併せてご注意ください。

葉桜よ、もう一度 【完結】
五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。
謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。
【完結】女神は推考する
仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。
直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。
強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。
まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。
今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。
これは、大王となる私の守る為の物語。
額田部姫(ヌカタベヒメ)
主人公。母が蘇我一族。皇女。
穴穂部皇子(アナホベノミコ)
主人公の従弟。
他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる