大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
42 / 129
五段目

敵の陣屋の場〈弐〉

しおりを挟む

   船頭が漕ぐ舞ひつるを乗せた猪牙舟が、すーっと河岸に寄っていく。
   どうやら、この辺りで舟から降ろされるようだ。

   月も雲で隠れ、周囲は真っ暗闇ゆえに夜目はまったく利かない。よって、舞ひつるには此処ここ何処どこだかさっぱりわからない。

   されども、やっぱりこの河岸で降ろされて、暗闇に足を取られぬよう気をつけつつ岸辺に上がれば、先刻さっきとはまた違う駕籠舁きが待っていた。

   ずしりと重い巾着は、とてもたもとの中には入れられないため、しっかりとかかえ直してから、舞ひつるは新たな駕籠の中へと身を収めた。


   そして、しばらく駕籠に揺られたあと、ある家屋の裏口に着いた。

   其処そこで降ろされ、建物の中へと促される。やはり辺りは真っ暗で、夜目はまったく利かない。

   建物から出てきた女中のような風情ふぜいおなご・・・の手引きで、舞ひつるはある部屋に通された。

   入った途端とたんかび臭さが鼻をつく。敷かれていた布団も、薄っぺらい煎餅布団なのは云うまでもなく、じめじめと湿っていた。
   とても寝られる代物ではなかったが、いかんせん身体からだは疲れ切っていた。

   舞ひつるは仕方なく横になり、目を閉じる。すると、瞬く間に眠気が襲ってきた。

   ただ、胸にある重い巾着をしっかりと抱きしめて離さないこと以外には……何物にも逆らえなくなってしまった。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   目を閉じてからいささかも経っておらぬというのに、ゆさゆさと揺さぶられたため、舞ひつるは薄目を開けた。

   目の前で正座をしたよわい四十ばかりの見知らぬ女が、舞ひつるの肩を揺すっていた。

   びっくりして、一気に目が覚めた。

   辺りがすっかり明るくなっている。いつの間にか、朝が訪れていた。
   あわてて布団から身を起こそうとすると、女が云った。

「参って早々、朝寝を貪るとは不届き千万」

   人の妻であろう。丸髷に結った髪に、眉がしっかりと剃り落とされていた。きっちりとお歯黒が塗られたその口の中は、昨夜見た漆黒の闇のようだ。

   糸のごとき細い一重の目に、顔の中央にずんぐりと居座った鼻、そしてえらが張って四角い輪郭のその女は、いっさい化粧けわいの手を加えていないためか、表情がなくのっぺり・・・としていた。

   見目麗しき吉原のおんなばかりを見て育った舞ひつるには、とんと見慣れぬかんばせであった。

   思わず、まじまじと見てしまう。

「……初めてうた者のおもてを、不躾に眺むるなどとは、重ね重ね不届き千万」

   言葉はきついが、表情はのっぺりとしたままだ。般若のごとき鬼面で云われるよりも、この泥眼でいがんのごとき能面の方が、なぜか肝が冷えた。

「そなた、聞いておるのか。……美鶴みつる

   いっさいの前触れもなく、いきなり女から呼ばれたその名は、舞ひつるの「真名まな」であった。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。 貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや…… 脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。 齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された—— ※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

湖水のかなた

優木悠
歴史・時代
6/7完結しました。 新選組を脱走した川井信十郎。傷ついた彼は、心を失った少女おゆいに助けられる。そして始まる彼と彼女の逃避行。 信十郎を追う藤堂平助。襲い来る刺客たち。 ふたりの道ゆきの果てに、安息は訪れるのか。 琵琶湖岸を舞台に繰り広げられる、男と幼女の逃亡劇。

富嶽を駆けよ

有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★ https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200  天保三年。  尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。  嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。  許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。  しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。  逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。  江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。

三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。 三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。 全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。 本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。 おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。 本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。 戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。 歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。 ※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。 ※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

とある令嬢の断罪劇

古堂 素央
ファンタジー
本当に裁かれるべきだったのは誰? 時を超え、役どころを変え、それぞれの因果は巡りゆく。 とある令嬢の断罪にまつわる、嘘と真実の物語。

紅花の煙

戸沢一平
歴史・時代
 江戸期、紅花の商いで大儲けした、実在の紅花商人の豪快な逸話を元にした物語である。  出羽尾花沢で「島田屋」の看板を掲げて紅花商をしている鈴木七右衛門は、地元で紅花を仕入れて江戸や京で売り利益を得ていた。七右衛門には心を寄せる女がいた。吉原の遊女で、高尾太夫を襲名したたかである。  花を仕入れて江戸に来た七右衛門は、競を行ったが問屋は一人も来なかった。  七右衛門が吉原で遊ぶことを快く思わない問屋達が嫌がらせをして、示し合わせて行かなかったのだ。  事情を知った七右衛門は怒り、持って来た紅花を品川の海岸で燃やすと宣言する。  

処理中です...