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四段目
逢引の場〈壱〉
しおりを挟む「舞ひつる姐さん、今年の俄の出し物は、なにをお考えでなんしかえ」
禿の羽おりが尋ねてきた。
「俄」とは、年中行事に事欠かない吉原にあって、春の仲之町の桜並木(弥生の終わり、植木職人たちに移植された桜の木によって、仲之町の大通りが一夜にして桜並木に様変わりする)や梅雨明けの玉菊灯籠(享保年間、もうすぐ年季奉公が明ける二十五の若さで夭折した名妓・玉菊を悼んで、水無月の晦日と文月の中日に、各見世の前に灯籠を出して祀る)と並んで、三本の指に数えられるほどの風物詩だ。
仲之町の大通りに即席の屋台(舞台)が拵えられ、遊女・女郎・芸者そして太鼓持ちの幇間たちが身を変装して歌舞伎役者よろしく芝居したり舞ったりする姿を、見物客に見せるのだ。
いろんな見世に身を置く者たちが取っ替え引っ替え登場するため、陰暦葉月の朔日に始まり大川の川閉まいまで、およそ一月の間続く。
「昨年、羽衣姐さんと舞ひつる姐さんと玉ノ緒姐さんが舞いなんした『道行戀苧環』を、わっちは今でも忘れられのうなんし」
もう一人の禿である羽おとが、うっとりと云う。
昨年、久喜萬字屋はお抱えの妓たちに、浄瑠璃や歌舞伎の演目にある「妹背山婦女庭訓」の一場面を舞わせた。
その筋書きは……
お三輪は大和国の造り酒屋の娘。先達て隣に越してきた烏帽子折の美男子・求女に一目惚れをする。
お三輪は七夕飾りに赤い糸と白い糸の苧環(糸巻き)を供えて、毎日恋愛成就のために拝んでいたが、ある日求女に高貴な姫君が訪ねてきた。しかも、求女が姫君を追って駆け出して行ったゆえに、お三輪もまたそのあとを追ってゆく。
その後二人に追いついたお三輪は、嫉妬のあまり姫君と激しく争ってしまう。
暗い山道を逃げるように去って行く姫君。その袖に、求女が咄嗟に苧環の白い糸の端を付けて目印にする。すると、お三輪の方も求女に赤い糸をつけて目印にする。
そして、其々がその糸を頼りに暗い山道を追いかけてゆく……
舞ひつるが「お三輪」、羽衣が「求女」そして「姫君」を玉ノ緒が扮して舞った。
——まるで、わっちらのようでなんし。
その場合、「求女」は兵馬になるのだが……
求女を追ったお三輪は、次の場面である「三笠山御殿」に辿り着くが、官女(御殿女中)たちにいいようにこき使われた上にいじめ抜かれる。
しかも、お三輪の恋した求女は、一介の烏帽子折(烏帽子職人)などではなく、実は身を変装した藤原淡海で、藤原鎌足の子息という貴族の御曹司であった。
そして、淡海が相思の仲の姫君(こちらも実は蘇我入鹿の妹・橋姫)と祝言を挙げることを知ったお三輪は、嫉妬のあまり「疑着の相」をしてしまったことから、藤原氏と蘇我氏の政治的な争いに巻き込まれて利用され、とうとう殺されてしまう憂き目に遭うのだ。
——結局のところ……若さまは、玉ノ緒とは如何なる間柄でなんしたかえ。
先達ては、兵馬の武家言葉と気迫に押されて、つい首を縦に下ろしてしまった舞ひつるであったが……
すっかり頭の冷えた今となっては、兵馬が玉ノ緒とも「逢瀬」をしていたことが、やはり気にかかる。
あの日、明石稲荷の鳥居で目にした二人の姿と、小堂の壁を通して耳にした二人の声が、すでに玉ノ緒が淡路屋に身請けされて去って行ったにもかかわらず、どうしても舞ひつるの頭から離れないのだ。
やんごとなき御堂の境内で、卑しくも盗み聞きのごとき真似をした神罰が下ったのであろうが、今さら悔いたとて——もう遅い。
舞ひつるにとって「橋姫」よりも舞い応えのある「お三輪」の役なら、喜んで舞う。
されども、相思の仲に割り入った末に我が身一人が割りを喰う役回りを演ずるのだけは、御免被りたい。
すると、自ずとまた明石稲荷から——兵馬から足が遠のいていた。
二度と逢えなくなる日は、刻々と近づいているというのに。
——さて、どうしなんしたものか……
舞ひつるに、すっかり迷いが生じていた。
「お稽古がありんすが、俄は葉月なんしゆえ、まだ間がありんす。その前に……まずは此度の『川開き』なんし」
禿たちに向かってというより、おのれ自身につぶやいた。
落籍かれることが決まってからも、舞ひつるは相も変わらず——いや、今までにも増して稽古にそして御座敷にと励んでいた。
まさか、もうすぐ何処かに出されるであろう身などとは、客はもちろん見世で働く者も——だれが思うだろうか。
そして、川開きの日が来た。
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