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四段目
身請の場〈肆〉
しおりを挟むそのとき、舞ひつるは、はた、と気づいた。
——わっちは、あの日以来……お稲荷さんにお参りに行っておらでなんし。
神罰が下った、と思った。
あないに毎朝通っていたにもかかわらず、兵馬に会いたくないがゆえに、すっぱりと詣でるのをやめた罰が当たったのた。
とたんに、居ても立ってもおられなくなった舞ひつるは、黄八丈の褄をひょいとからげて帯に挟み込んだ。
それから、中庭に面した渡り廊下から見世の裏口にまわると、その場にあった下駄を適当に突っかけて、表に飛び出した。
あとは、一目散に明石稲荷へと向かう。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
今さらお参りしたところで、なにも変わらないことは、頭では判っていた。
それでも、急がずにはいられなかった。
往来を行く昼見世の品定めをしている客や、天秤棒を担いで商いをしている棒手振りたちが「何事か」と舞ひつるを振り返る。
されども、脇目も振らず、ひたすら駆けて行く。
明石稲荷の小堂の前に立った舞ひつるは、弾む息を整えたあと、いつものように手を合わせた。
そして、これもまたいつものように、
『今日もお天道様を拝めて、ありがたいことでありんす。唄も舞も精進して、わっちもいつか死んだ祖母さまやおっ母さんのように、吉原で一番綺麗で芸のある「呼出」になりなんし……』
と、云おうとしたが——
「……わっちはもう、呼出にはなれぬなんし」
思わず、つぶやいていた。
おのれ自身で発したその言葉が、まるでからからに乾いた地面に雨水が染み込むように、身の内じゅうに広がっていく。
小堂の木扉に遮られ、奥に祀られている御姿は見えないが、図らずも兵馬と中に入ったときに見てしまった御神体に、舞ひつるは思いを馳せる。
——神様のお導き、なんしかえ。
もとより、見世の云うことを拒める身分ではないのだ。
確かに、親に売られた身ではない舞ひつるは、玉ノ緒が背負うほどの負い目はあるまい。
だが、生まれてからこの日まで掛かった養い金は久喜萬字屋が出しているため、いずれ我が身ひとつで返さねばならぬ定めにあった。
特に見世から見込まれていた舞ひつるは、幼き頃より歌舞音曲・和漢籍などのその道で名の通ったお師匠たちに教えを請うている。その束脩だけでもかなりの額になるであろう。
その一切合切を、身請け先がぽんと出すのだ。
舞ひつるの口元には、知らず識らずのうちに観念したかのごとき薄い笑みが漂っていた。
それは、これより先は決して引き返せぬ道を、ようやく自らの意思で一歩踏み出した刹那でもあった。
「おめえ……かような刻に此処へ来てたのかよ」
舞ひつるは声のした方へ顔を向けた。
小堂の脇から、すーっと男が出てきた。
「……若さま」
松波 兵馬が、苦虫を噛み潰したような面持ちで舞ひつるの前に立った。
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