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三段目
玉ノ緒の場〈漆〉
しおりを挟む「わっちは吉原に売られてこの方、今日まで身を粉にして精進を続けてきなんした。さような姿は、必ずやお天道さんが見てておくんなんしはず……」
皮肉にも、落ち込む玉ノ緒を慰めるために舞ひつるが云った言葉だ。背を押してしまったのであろうか。
「なのに……若さまと逢えのうなりなんしは…… あまりにも……殺生にてありんす……」
しばらく、おなごの啜り泣く声だけが聞こえてくる。
「お武家の若さまと、吉原の妓のわっちとでは、生まれが違いすぎるのは重々心得ていんす。……きっと、この世では果たせぬ、業の深い因果な御縁でなんしょう。わっちは、お武家である若さまと夫婦になりたいなんて烏滸がましき夢は、つゆほども願わでなんし。ただ……」
玉ノ緒が息を調える気配がした。
「若さま、後生でありんす。もし、わっちが心を定めて淡路屋へ嫁かず、このまま見世に居続けることができなんしたら……」
さようなことをすれば、身請金と面目を失った見世は「見せしめ」のために玉ノ緒を容赦なく「振袖新造」から一気に「廻し部屋の女郎」まで堕とすであろう。
「呼出」への道は完膚なきまでに閉ざされる。
それどころか、見世が撰び抜いた限られた上客を相手にする遊女から、一晩で何人もの相手に身体を開かねばならぬ女郎にされてしまうのだ。
それでも——
「わっちを……若さまのお妾にしておくんなんし……」
「玉ノ緒……待て、早まるな」
兵馬は玉ノ緒を制した。
「なにゆえ……いきなり若さまは、わっちを見世の名で呼びなんしかえ……」
玉ノ緒は震える声で咎めた。
「玉ノ緒……それは……」
「わっちが……淡路屋さんに落籍かれなんしたゆえかえ……」
「玉ノ緒……落ち着け」
次の刹那、玉ノ緒は心を振り絞るようなせつない声をあげた。
「あんまりでありんす……若さまは、もう……わっちのことを……『おゆふ』とは呼んでおくれでないのかえ……」
——若さまは……玉ノ緒とも逢うていなんして…… しかも「真名」で呼んでいなんしたか……
見世から禁じられているにもかかわらず、おのれの真名を教えた玉ノ緒の、兵馬への直向きな想いが痛いほど伝わってきた。
先日、玉ノ緒が涙に濡れた目で、
『もし……淡路屋さんのお相手がわっちらではのうて、羽衣姐さんらでいなんしたら……』
『若旦那は……舞ひつるを身請けしていなんしたかもしれなんし』
と云っていたのは——
淡路屋にはおのれではなく、舞ひつるが落籍かれればよかったのに、という意味であったのだ。
大店の若内儀の座を蹴ってでも……
陽の当たらぬ妾という立場であってでも……
兵馬の傍を希うがゆえである。
それに引きかえ、かような場にしゃがみ込んで、こそこそと他人の話に聞き耳を立てている我が身が——うす汚く思えてきて、次第に情けなくなり、遣りきれない思いに包まれた。
心の臓の早鐘が鳴り止まない。
舞ひつるはよろけつつも、なんとか音を立てずに立ち上がった。
小堂の二人に気づかれないように用心を重ねながら、そーっと地道を通って鳥居の外に出る。
そして、明石稲荷をあとにした。
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