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二段目
萌芽の場〈弐〉
しおりを挟む「……先刻、わっちは二階の御座敷の障子窓から、あの『若さま』がうちの見世の前を歩いてなんしたのを見なんした」
箸で昨夜の御膳のお菜の一つを摘み上げると、羽おりがうっとりと云った。
鹿子島田に結った髪が愛らしい、まだ十歳になったばかりの禿だ。
とたんに、舞ひつるの心の臓が、どきり、と音を立てる。おみおつけを食していた手が止まった。
——よもや、わっちが若さまと共にお稲荷さんから帰ってきなんしたとは、気づかれてはおらんしょう。
「えっ、さようなこと、なしてわっちに云うておくれでないかえ。『若さま』は、廓じゅうの姐さまが是っ非とも『娼方』にと願っとりんすお方と、もっぱらの評判なんし。わっちもお姿、見とうなんした」
もう一人の禿である羽おとが、やはり昨夜のお菜の一つを箸で摘み上げたまま、ぷうっと頬を膨らませる。
羽おりとは同い年で、しかも頭の天辺から足の爪先までまったく同じ出立ちゆえ、双子にしか見えない。
舞ひつるは、明石稲荷で武家の子息たちに襲われそうになったことも、見世の者にはおろか、だれにも云うつもりはなかった。
若さまに「供」をしてもらうことになったがゆえだ。
雲の上のような御身分の与力さまの御子息に、おのれのような下賤な者の「供」をさせるなど、まったく道理の外れたことだと思い、舞ひつるは何度も遠慮したのだが、若さまの方が頑として後に退かなかったのだ。
「羽おり、羽おと、はしたのうなんし。もうお飯は済んだのかえ」
番頭新造のおしげが、ぴしゃりと窘める。年端の行かぬ女子たちを躾けるのも、年増の遣り手の役目だ。
廻り部屋の女郎のまま、年季を終えたおしげであったが、つぶし島田の髪がまだまだ婀な女盛りだった。
叱られた羽おりと羽おとは、あわてて手にした茶碗の中の飯を掻き込みだす。
このあとは、姉女郎の羽衣による厳しい歌舞音曲の稽古が始まるためだ。
舞ひつるも、再びおみおつけを食し始めた。
このあと、その道の第一人者であるお師匠からの、羽衣から教わるよりも遥かに厳しい稽古が待っていた。
廓に身を寄せる遊女や女郎にとって、朝餉と昼餉を兼ねた今が、一日の中でも心を落ち着けられる数少ないひとときであった。
昨夜、娼方の中でも上客である御公儀のお偉方としっぽりと共寝し、今朝、泣く泣く後朝の別れをした羽衣は、なにも話をすることなく気だるそうに食後の一服をしていた。
そもそも、羽衣は食が細い。
羽衣は、手にした朱羅宇の吸い口をすうぅと吸って、真っ白な煙をふうぅと一息吐き出した。
そして、莨盆を傍らに引き寄せ、その灰落としに雁首をカンッと叩いて灰を落とした。
舞ひつるは、朝餉として見世から出された白飯とおみおつけの残りをなるべく早く食しながら、心に誓った。
——若さまは、思いのほか、人の目につくお方なんし。「お供」の折には、じゅうぶん用心せねばならぬなんし。
廓の連中の口に上ることがあらば、兵馬の御役目にも御家にも、大きな障りが出るやもしれぬ。
さようなことになるのだけは、避けたかった。
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