大江戸シンデレラ

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
7 / 129
二段目

邂逅の場〈壱〉

しおりを挟む

「……おめぇら、なにしてやがる」

   いきなり飛んできた音声おんじょうに、
「なんだ、おまえっ、おれたちに向かって……」
   男たちの一人が声の主に向かって声を荒げたが——

「……うっ、兵馬ひょうま様……」

   そのかんばせが目に入ったとたん、急に勢いを失う。

「な、なにゆえ、かようなところ松波まつなみ様が……」

   ほかの者も、みるみるうちに血の気の失った顔に変わっていく。

   ぎゅーっと目をつむっていた舞ひつるも、ようやく目を開ける。

   着流しに袴姿なのは五人の男たちと同じであるゆえ、おそらく吉原に「修行」に来ているお武家の子息であろう。
   だが、かしらは粋な本多まげにその精悍な面立おもだちは、ちまたでは勝手に浮世絵にされるのではないかというほどの鯔背いなせな男ぶりだった。

「てめぇらが多勢に無勢で、見境なく見世の奴らに狼藉を働いてるってのはよ、吉原の方々で噂になっちまってるってのよ」

   さように告げて、ぐっと睨みをきかせたその眼力は、すくみ上がるほどの強さであった。

   舞ひつるは、はたと気づいた。

——あ……このお方が『若さま』なんし……


   御公儀幕府下知げじにより、江戸市中の治安を守るため、町家を管轄しているのが町奉行所だ。「北町奉行所」と「南町奉行所」があり、其々それぞれで仕える「与力よりき」たちを中心にして、月替りで交互に御役目にあたっていた。

   しかしながら、いざちまたで厄介ごとが起こった際には、与力が出向くことはほとんどなく、奉行所内で一番数の多い「同心」がいち早く現場に駆けつけ、御役目を果たすことになっている。
   かの五人は、その子弟だった。

   さような同心たちを組に分けて束ねるのが、数ある与力の御役目の中でも「同心支配役」と呼ばれる「筆頭与力」だった。
   『若さま』——松波 兵馬は、代々その筆頭与力の任を仰せつかる家で生まれた。

   与力には同心にはゆるされていない江戸市中での騎馬が赦されていたが、「差」はそれだけではない。

   実は、同心は町奉行所の役人ではあるが「士分」ではなかった。武家である「士分」と「町人」の間に属する身分なのだ。
   ゆえに、如何いかに手柄を立てようとも、決して同心が与力に取り立てられることはない。

   与力と同心の間には、かようなまでの「身分の差」があった。


「ま、松波様……め、面目めんぼくのうごさる」
「吉原に配されて浮き足立ち、つい羽目を外してしまったがゆえのことで……」
「我ら、悪気があってではこざらんゆえ……」
何卒なにとぞ……御目付役の同心には、御内密に……」
「もし、表沙汰にならば『御家おいえ』の一大事になるゆえ……」

   あわてふためく男たちは、知らず識らずのうちに物云いが改まった武家言葉になっていた。

「……起っきゃがれっ」

   兵馬が大音声だいおんじょうで制した。

「おめぇら、この期に及んで、まだ言い訳する気か。それでも御公儀から御役目を賜り、ろくをいただく身か。恥を知れ」

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。 貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや…… 脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。 齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された—— ※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

今宵は遣らずの雨

佐倉 蘭
歴史・時代
★第7回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 小夜里は代々、安芸広島藩で藩主に文書を管理する者として仕える「右筆」の御役目を担った武家に生まれた。 十七のときに、かなりの家柄へいったんは嫁いだが、二十二で子ができぬゆえに離縁されてしまう。 婚家から出戻ったばかりの小夜里は、急逝した父の遺した「手習所」の跡を継いだ。 ある雨の降る夜、小夜里は手習所の軒先で雨宿りをする一人の男と出逢う。 それは……「運命の出逢い」だった。 ※歴史上の人物が登場しますがすべてフィクションです。

潮騒の飯(しおさいのめし)

藤宮かすみ
歴史・時代
享保の江戸、深川。小さな飯屋「潮騒」を営む寡黙な佐吉のもとに、一人のみすぼらしい浪人が現れた。銭を持たぬその男・藤蔵に、佐吉は黙って握り飯を差し出す。翌日から毎日現れ、無言で飯を食らう藤蔵。周囲の嘲笑をよそに、佐吉はただ温かい飯を出し続ける。二人の間に言葉は少ない。しかし、佐吉の米に込められた真心と、藤蔵の内に秘めた過去が交錯する時、運命の刃がきらめく。これは、一杯の飯から始まる、熱き絆と義理人情の物語。

深川あやかし屋敷奇譚

笹目いく子
歴史・時代
第8回歴史·時代小説大賞特別賞受賞。コメディタッチのお江戸あやかしミステリー。連作短篇です。 大店の次男坊・仙一郎は怪異に目がない変人で、深川の屋敷にいわく因縁つきの「がらくた」を収集している。呪いも祟りも信じない女中のお凛は、仙一郎の酔狂にあきれながらも、あやしげな品々の謎の解明に今日も付き合わされ……。

桜の花弁が散る頃に

ユーリ(佐伯瑠璃)
歴史・時代
 少女は市村鉄之助という少年と入れ替わり、土方歳三の小姓として新選組に侵入した。国を離れ兄とも別れ、自分の力だけで疾走したいと望んだから。  次第に少女は副長である土方に惹かれていく。 (私がその背中を守りたい。貴方の唯一になりたい。もしも貴方が死を選ぶなら、私も連れて行ってください……)  京都から箱館までを駆け抜ける時代小説。信じた正義のために人を斬り、誠の旗の下に散華する仲間たち。果たして少女に土方の命は守れるのか。 ※史実に沿いながら物語は進みますが、捏造だらけでございます。 ※小説家になろうにも投稿しております。

無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた

中七七三
ファンタジー
■■アルファポリス 第1回歴史・時代小説大賞 読者賞受賞■■ 無職ニートで軍ヲタの俺が太平洋戦争時の聯合艦隊司令長官となっていた。 これは、別次元から来た女神のせいだった。 その次元では日本が勝利していたのだった。 女神は、神国日本が負けた歴史の世界が許せない。 なぜか、俺を真珠湾攻撃直前の時代に転移させ、聯合艦隊司令長官にした。 軍ヲタ知識で、歴史をどーにかできるのか? 日本勝たせるなんて、無理ゲーじゃねと思いつつ、このままでは自分が死ぬ。 ブーゲンビルで機上戦死か、戦争終わって、戦犯で死刑だ。 この運命を回避するため、必死の戦いが始まった。 参考文献は、各話の最後に掲載しています。完結後に纏めようかと思います。 使用している地図・画像は自作か、ライセンスで再利用可のものを検索し使用しています。 表紙イラストは、ヤングマガジンで賞をとった方が画いたものです。

処理中です...