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騎士 ⑥
しおりを挟む「じゃ…じゃあ、山口くんっ!」
麻琴は山口を引き連れて行くことにした。
「あなたこそ、松波先生にご迷惑かけたんだから、一緒に来てお詫びしなさいよ!」
案の定、松波は「えーっ!?」という顔をしているが、知ったこっちゃない。
「おれ……やっぱり、納得いかないっす」
山口は、まだぶつぶつ言っていた。
「……山口」
智史が声をかける。彼はベッドで座る稍の隣で、これ見よがしにがっちりと恋人つなぎをしていた。
「稍が会社で『麻生』を名乗るのは『特例』だ。通常『旧姓』というのは一つ前の姓のことだが『麻生』は二つ前の姓なんだよ。だから、名乗るためには社内規定で人事部長の決済をもらって、管理者IDを持つ人事課長にデータ処理してもらう必要があったんだ」
稍の嘱託社員としての初日に、智史が人事の小林に渡したクリアファイルには婚姻届受理証明書が入っていた。
だが、そのときまだ出社していなかった人事課長に宛てたものだから、小林は中を見られなかったのだ。
稍が社内で「麻生」を名乗ることができるのも、「青山 稍」の保険証が発行されているのも、智史との結婚の手続きが済んでいるからこそである。
「……こんなことなら、『青山』を名乗らせればよかった。課内のヤツからはなぜか『ややちゃん』とか『ややさん』としか呼ばれてないみたいだし」
智史はぼそり、とつぶやいた。
「あっ、そうか……ややちゃんの一つ前の名字が『八木』なのね?」
麻琴がやっと合点がいった、という顔をする。
「だからといって、稍はバツイチじゃないぞ。親が離婚して母方の姓の『八木』を選んだんだ」
智史が「なっ?」と稍を見て微笑む。
彼は「やぎやや」なんていう、へんてこりんな名前を社内でわが妻には絶対に名乗らせたくなかったから、こんなしちめんどくさいことをしたのだ。
「えっ……『八木』って……まさか……」
山口が呆然とした顔になる。
「やっと気づいたか、バカが。こいつは、四月にうちのチームに派遣で来てた『八木 梢』だよ」
「えええええぇーーーっ!?」
山口がムンクの顔になった。
「石井くんもとっくに気づいてるわよ。『稍』って漢字を見て『梢』と似てるなと思って、ピンときたそうよ」
麻琴が呆れた口調で言った。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
稍が静かだ。先刻から、一言も発していない。
邪魔者たちはこのホテルのバーへ呑みに行った。
だから、今夜山口が稍を連れ込もうとしてリザーブしていたこの部屋には今、智史と稍しかいなかった。
「稍、まだしんどいのか?」
智史が稍の顔を覗き込む。
稍は智史との「恋人つなぎ」を振り解き、ぷいっと横を向いた。
「上の服が窮屈かもしれへんな?脱がしたろか?」
——チュニックのどこが窮屈やねん!?
「それより窮屈なのは下着やな?ブラのホックを外したろか?」
——はあぁっ!?
「化粧を落とさなあかんな。風呂に入るか?せやけど、まだふらつくから一人では危ないぞ。おれも一緒に入るわ」
——なんでやねんっ!?
稍は思わず振り向いた。
「……稍」
智史はせつなげな瞳で稍を見つめると、きゅううぅっと抱きしめた。リムレスの眼鏡を外して、完全に「智くん」モードだった。
——せやけど……今こそ、流されたら、あかん。
稍は智史から身体を離し、彼を見上げた。
「智くん、いつ……あの婚姻届出したん?」
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