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Chapter 10

虚偽 ②

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「なんで、あなたまでここにいるんですか?……大橋さん」

   青山は顳顬こめかみを押さえた。ずきずきとうずく。

「稍、この人は社長の奥様だ。結婚する前はTOMITAの秘書室にいたんだ」

   創立記念パーティで息子と一緒に社長に寄り添っていた人だった。「大橋」は彼女の旧姓である。

「だって、あの『青山くん』が電撃結婚したって聞いたら、お相手がどんな人か見たいじゃん」

   今日はそのためにわざわざ会社に来たのだ。

「あ……この度はご結婚おめでとうございます。葛城 誓子ちかこです。これから、よろしくね」

   丁寧に頭を下げられて、稍もあわててお辞儀する。相手は社長の奥様だ。

「こ、こちらこそ……妻の稍です。奥様、これからよろしくお願いいたします」

   そして、誓子は青山の方を向いた。

「そんな堅苦しくなくったっていいのよ?誓子って呼んでちょうだい。あっ、あとで写真撮るからね。それとも、動画ムービーにしようかな?LAロス将吾しょうごさんに送るよう言われてんのよ。彩乃もすっごく見たがってるの」

   彼女はかなり砕けた口調だ。稍は目を白黒させていた。


   将吾とはTOMITAの副社長の富多 将吾で、富多 彩乃はその妻である。
   婚約が決まったと同時に彩乃は富多副社長の専属秘書になったため、青山とも彼女とも一緒に働いていた同僚だった。

   青山はTOMITAにいたとき、富多副社長の総指揮のもと、システム関連の改革にあたる社外取締役の直属だったため、重役室に出入りすることが多かった。

   改革が一段落したあと、青山が辞表を出したとき、富多副社長は全力で止めた。

   その富多がアメリカ支社の技術開発部門をてこ入れするためにロサンゼルスに赴任することも、青山がTOMITAを去ろうと思った理由の一つだ。

   そこで、転職先のステーショナリーネットの葛城社長が富多副社長に直接会って、
『青山君を譲ってほしい』
と頼み込んだ。二人には面識があった。

『……葛城社長のとこなら仕方ないな』

   そう言って、富多副社長は渋々、青山を手放した。


「……どこまで、話が広がってるんですか?僕が連絡したのは、社長と人事部長と魚住課長だけのはずですが。なぜ、TOMITAの副社長と朝比奈あさひなさんがご存知なんですか?」

   青山の顳顬こめかみのずきずきが、さらにひどくなる。朝比奈は彩乃の旧姓だ。

「主人からその話を聞いたわたしが彩乃に伝えたから、彩乃が幼稚園からの親友の華絵さんに伝えたんじゃないかなぁ」

   青山のずきずきが、アクセル全開だ。

「なるほど……確か華絵さんは石井の奥さんだったな」

——ああっ、渡る世間が狭すぎるうえに袋小路っ!

「ふふっ、ごめんなさいねぇ。……どうぞ中に入って。主人もとってもあなたに会いたがってるのよ」

   華やかな笑顔で、彼女が大きくドアを開けた。


   入ってきた青山と稍の顔を見るなり、社長の葛城は満面の笑みで言った。

「あぁ、青山君、待ちかねたよ。この度は、結婚おめでとう。同時に奥さんまで、我が社のために働いてくれるなんて、本当にうれしいよ」

   「社長」といっても、ようやく四十代に入ったばかりである。
   若くして立ち上げた、今や文具ステーショナリーだけでなく生活用品までも提供するようになった通販会社を率いるその姿は、堂々としていて精悍そのものだ。経済誌やテレビの経済番組のオファーが絶えない。

   彼に北欧家具と思われる、オシャレでありながら実用性もしっかり伴ったソファを勧められる。
   しかしその前に、青山が稍を隣に立つよう促した。

「社長、私ごとにお気遣いいただき、ありがとうございます。この度、突然ではありますが結婚しました。……これが、妻の稍です」

「妻の稍と申します。この度は夫ともども、わたくしまでこの会社にお世話になることになり、ありがとうございます。どうぞ、よろしくお願い申し上げます」

   そして、二人同時にお辞儀する。

   稍はずいぶん慣れてきたもんだなぁ、と自分自身に感心していた。入籍する予定もない「偽装結婚」だということを、なんだか忘れてしまいそうだ。

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