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Chapter 10
心機 ⑤
しおりを挟む「はあっ?……『よめ』?『よめ』って……」
放心状態になった山口の手を振り払って、稍は青山の後ろに隠れた。
MD課のほかのチームの人たちが、ようやく「異変」に気づいて、こちらを見始めた。「あれ、あんな綺麗な子、うちの課にいたっけ?」と口々に言っている。
「おまえは大学も出てるのに『嫁』の意味も知らないのか?」
そう言って青山は稍の左手を取り、自分の左手と並べた。中央がきゅっと細くなったデザインの、どう見ても結婚指輪にしか思えないシンプルなプラチナのペアリングが、二人とも薬指に収まっていた。
「えっ……うそっ……いつの間にっ⁉︎」
山口がようやく意味を「理解」できたのか、情けないほど悲痛な声をあげた。
「稍、大丈夫か?」
青山が稍の顔を覗き込む。稍はこくっ、と肯いた。
「魚住課長に挨拶しに行くぞ」
そして、青山は「妻」をミーティングルームに誘った。去っていく後ろ姿は、まさに「お似合いの夫婦」に見えた。
山口はその場で、ずるずるずる…と崩れ落ちた。
MD課の他チームのメンバーたちには、GW明けで気合の入らない心と身体に「おもしろいものが見られたなー」と一気にパワーが漲った。
隣を歩く稍に聞こえないように、青山がぼそり、とつぶやいた。
「結婚指輪しといて……助かった」
関西弁だった。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
ミーティングルームのドアを三回ノックして、中に入る。上座であるテーブルの奥に座っていた魚住課長が、タブレットから顔を上げた。
「おう、ややちゃん、よう来たな」
満面の笑みで迎える。彼とは「麻生 稍」の姿で、先月のステーショナリーネットの創立記念パーティで会っていた。
「……『ややちゃん』?」
青山の片眉がぴくり、と上がる。
「怒るなよー、嫉妬深いヤツやなー。彼女が、おまえが神戸から一時期おれの奈良の実家に越してきたときにいつも会いたがっとった、あの『ややちゃん』やろ?……智史、違うんか?」
魚住がさもおかしげに笑う。関西弁だ。
「それに、ややちゃんは美咲の高校と大学時代の後輩なんや。世の中、狭いなぁ」
魚住の言葉に青山が驚いて稍を見る。稍はこくっ、と肯いた。美咲とは魚住の妻のことだ。
そういえば、創立記念パーティのとき、遠くで稍が魚住夫妻と話をしていたことを、青山は思い出した。
「和哉さん、改めまして妻の稍です。本日より、ここで働かせていただくことになりました。同じ部署で同姓は紛らわしいので旧姓で働かせます」
青山は従弟として、上司でもある魚住に「妻」を紹介した。
「妻の稍です。よろしくお願いします」
稍は丁寧に頭を下げた。さすがに少し慣れてきた。
「あぁ、よろしく、ややちゃん。……やっぱり、綺麗なお辞儀をするなぁ」
魚住は、にやり、と笑った。
もしかしてこの人には、初めからなにもかもぜーんぶバレてるのではないか、と稍は空恐ろしくなった。
「おれも美咲をここで嘱託として働かせたいねんけどさ。でも、おれは旧姓の『岡嶋』では働かせやんと『魚住』で働かせるけどな。ヘンなのが勘違いして寄って来よったら、かなんからな」
稍にはすでに「山口」という勘違い野郎が寄ってきて、早速青山が「撃退」したところだ。
「せやけど、まず大和を幼稚園から保育園に入れ直さなあかんからなぁ。小学校に入って学童が利用できるようになるまでは無理かなぁー」
魚住はテーブルの上で頬杖をついて嘆息した。
だけど、きっとこの人には自分の妻以外のことなど、どうだっていいことに違いない、と稍は思った。
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