偽装結婚はおさない恋の復活⁉︎

Chapter 9

自覚 ②

   稍の心に、言い知れぬ不安が込み上げてきた。なんでも理詰めで考える智史のことだ。もし、稍と「偽装結婚」する必要がなくなれば、直ちに解消するだろう。

   現に「カラダの関係」だけでつき合っていた麻琴を、稍をその代わりにしようと決めたとたん、すっぱりと「切った」ではないか。
   ステーショナリーネットの「給湯室」であんなに甘い声だったのに、今では絶対零度の氷結した声だ。

   稍はぶるっ、と身震いした。

   智史が稍と「偽装結婚」しようと思ったのは、みどりと洋史への「復讐」のためだった。

   そして今日、智史は彼らに「復讐」した。

   それが成功したか失敗に終わったかは、智史しか知る由よしもない。
   だが、少なくとも稍の目から見る智史は、「曲がりなりにも果たせた」ように映るのだ。

——ということは……

   言いようのない不安が、いつの間にか、心細さに変わっていた。母親から置いていかれた「あのとき」の気持ちが甦るようだった。

——イヤや……智くんにだけは、置いていかれとうない。

   稍はかぶりを振った。ハーブティーをあわてて飲み干して、紙コップをくしゃっ、と握って、近くのゴミ箱へ捨てた。

   それから、すくっ、と立ち上がって、キャリーバッグのハンドルをしっかり持って、パウダールームを出た。
   早く行ってどうなるわけでもないのに、稍は速足で先を急いだ。

   一刻も早く、新神戸に行きたかった。一分でも早く、新神戸に着きたかった。

   ただ、早く、智史の顔が見たかった。今すぐにでも、智史に逢いたかった。


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   新神戸駅に着いて、沙知たちへのお土産を買っていなかったことに気づいた稍は、あわてて駅の構内で探すことになった。

   幸いなことに神戸フラ◯ツが入っていて、真っ赤な箱に黒い錨いかりのマークの入った、魔法の壷プリンを買うことにした。プリンとはいえ冷凍なので六十日間日持ちするという。

   「自宅」用に、もう一箱買った。甘いものがさほど好きではない、というわりに、稍が好んで食べるものはいつも横取りするから、智史はきっとこのプリンも食べたがるに違いない。

   稍の顔が、自然と綻ほころんだ。

——もうすぐ、智くんに逢える。


   新幹線ホームに着いて、稍は辺りをきょろきょろと見回した。智史の姿はなかった。

——海外の工場のライン、ちゃんと止められたかなぁ。

   稍は、不安と心細さで押し潰されそうな気持ちを紛らわせるように、キャリーバッグのハンドルを握る手にぎゅっ、と力を込めた。

   そうこうしているうちに、稍と智史が乗るべき「のぞみ」がやってきた。
   稍はホームに上がる階段の方を見遣る。

   智史の姿は、まだ、ない。


   新神戸に到着したのぞみのドアが開く。中から降りてくる人たちを待って、稍は中に入る。後ろを振り返りながらだったので、自分のキャリーバッグに危うく躓つまずきそうになる。

   帰りもグリーン車だった。行きは智史と一緒に乗り込んだのに、今は稍一人で所定の席に着く。その顔は大きな窓の外ばかり向けられていた。

   智史は、まだ、来ない。


   そして、のぞみがゆっくりと動き始めた。瞬またたく間に、のぞみは加速しだし、あっという間に車窓の景色を秒殺していく。

   稍は両手のひらで、その顔を覆った。

——さとくん、さとくん、さとくん……っ！

耳がぼおっとして、目は膜を張ったように霞む。鳥肌が立った身体からだの震えが止まらない。


——ややは、待ってたのに……

   ずっと、さとくんが迎えに来るのを、待ってたのに……