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Chapter 6
同居 ③
しおりを挟む「あ、忘れてたっ! 冷蔵庫貸してっ」
稍はあわてて玄関へ向かった。智史も何事かと後ろをついてくる。
「一週間も家を空けるから、うちの冷蔵庫の中のものを持ってきてん」
稍は玄関先に置いていたオレンジのキャリーバッグを持ち上げた。智史は傍らの大きな銀白色のスーツケースを手にする。二つともハ◯ズプラスのものだ。
「おまえが使ってもええ部屋に置いとくぞ」
一部屋余っていると言っていた部屋である。その部屋は玄関脇にあった。
智史が、木目が美しいダークブラウンのドアを開ける。
「あ、サンキュ!……ねぇ、どんな部屋か見てもええ?」
稍はいそいそと、智史の背中越しに中を覗いた。
——なんじゃ、こりゃ⁉︎
「さ~と~ふ~みぃ……っ⁉︎」
稍は知らず識らずのうちに、敬称をすっ飛ばして唸り声を上げていた。
稍の記憶が正しければ、つい先刻『おまえが使ってもええ部屋』だと智史は言ったはずだ。
目の前には、引っ越してそのままかと思われるダンボールが、うず高く積まれていた。
——物置にしてる部屋やないかっ!どこが「一部屋空いて」んねんっ⁉︎ ここで寝ろって言うんかぁーっ⁉︎
「なんや?」と智史が稍の顔を見る。
「あたしっ、寝る場所だけは、周りになんにもないとこがいいねんけどっ!」
ちょっと、それだけは、絶対に、譲れないのだ。
天沼の1Kのマンションには、造り付けのクローゼットに備え付けのシングルベッド、そして折りたたみの軽量なローテーブル、あとはぶつかっても大丈夫な無◯のクッションソファしか置いていない。テレビがないから、テレビボードもない。
「あぁ、おれも一緒や。せやから、なんやかやと、ごちゃごちゃ物を置いとる女の部屋でなんか、安心して寝てられへん」
——智くんもそうやったんか……
実は、稍もまったく同じ理由で、つき合った男の部屋に泊まれなかった。
「心配すな。おれの寝室にはベッドしか置いてへんから。しかも、キングサイズやぞ、喜べ」
稍のスーツケースを部屋の端に置いた智史が、平然と答えた。
——もしかして、一緒に寝るっていうこと⁉︎ まだ、あたしを麻琴さんの代わりのセフレにするつもり⁉︎
「おまえ、なかなかおれ好みのキスするしな。神経質なおれが、おまえやったら隣で朝まで寝てもええ、って言うてやってんねん。喜べ」
——先刻から「喜べ」「喜べ」って言うてはるけど、いったいどこを「喜べ」っちゅうねん⁉︎
「……ところで、おまえ、冷蔵庫はええんか?」
怪訝な顔で、智史が訊く。先刻までの稍がかなり急いでいたように見えたからだ。
「あああぁっ、忘れてたっ!」
稍は「物置部屋」から、あわてて飛び出した。
今度こそ、リビングの端にあるキッチンの冷蔵庫の中に、持ってきた食材などを入れる。両開きできる扉の大きな冷蔵庫には、ビールなどの酒類と、手早く酒の肴にできるようなチーズくらいしか入ってなかった。
あとから智史がキッチンにやってきた。
「あの部屋は、おまえも『物置』として使ったらええからな」
さも親切ヅラをして言う。
「そしたら、普段あたしはどこにおったらええんよ?」
稍は片眉を上げて訊く。
「リビングでおったらええやないか」
智史がさも当然のように答える。
「そしたら、その間、智くんはベッドルームで仕事してるとか?」
ここは2LDKの間取りである。たぶん、ベッドルームを「書斎」として使っているのだろう、と稍は考えた。
「おれはいつもリビングで仕事しとる。せやから、こないに散らかってるんや。……あぁ、安心しろ。ベッドルームには、なぁんにも置いてへんから、散らかってないぞ」
——えっ、もしかして、リビングでもベッドルームでも一緒、ってことなん⁉︎
稍はくらり、と目眩がした。
——まるで「夫婦」やんかぁ。いや、ほんまもんの夫婦でも、そないに一緒にはいぃひんで。
「おい、早よ片付けろや。日ぃ暮れるぞ」
いつの間にかリビングに移動した智史が、ゴミ袋を片手にローテーブルの郵便物を選別していた。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
冷蔵庫の中にしまい終えた稍は、ふうっ、と息を吐いて、肩を竦めた。
たとえ「個室」がなくても、「無職」の「居候」の身では、ワガママは言えない。
世知辛い東京のど真ん中で、働かずとも自活できるほどの蓄えなんてない。
これから、生活費のすべてを負担してくれるなんて話はほかにはないのだ。
稍は智史のいるリビングへと足を向けた。
——「貞操」だけは、しっかりと守らへんと。セフレにだけには、絶対ならへんえ。
稍と智史の「偽装結婚」が始まった。
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