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Chapter 3
家族 ⑤
しおりを挟む「はぁ⁉︎……わかった。パパとトイレに行こう。もうちょっと、ガマンできるか?」
魚住が息子に問いかける。
しかし、大和はぶんぶんぶん、と首を振った。
「…………もれる」
絶体絶命の三文字が発された。
「えええぇっ⁉︎」
魚住が絶叫した。ようやくトイレトレーニングの「努力」が実ってオムツが取れたと思ったが、やはりこういう場ではまだ必要だったか、と激しく後悔した。
「おまえ、もっと早くに言えよっ!」
しかし、幼い子どもの尿意は突然なのだ。父親から怒られたのだと思った大和は、そのぷっくりしたくちびるをぶるぶると震わせた。
——しまった、ヤバい。
そう魚住が思ったときは、もう遅かった。
大和がすぅーっと、息を吸った。ほんの一瞬、世界に静寂が訪れた。
だが、次の瞬間……
「ぅわあえぇーっ、ま…ままぁーあっ!……ままぁーあっ!……ぅぎゃあえぇーっ!」
耳をつんざくような大音声で、大和が泣き叫びだした。
「ま…ままぁーあっ!……っきぃいいいーっ!……もっ…もっ…もれるぅーっ!」
ウル◯ラ大怪獣たちを総動員させてしまった。怪鳥が超音波を最大出力しているような、不快極まりない金切り声も混じっている。
「ママのところに寄ってるヒマはないからなっ!」
魚住は、ひきつけを起こしそうなほど号泣する息子を米俵のように担ぎ直し、韋駄天か⁉︎走れメロスか⁉︎スーホの白い馬か⁉︎という勢いで、トイレを目指して広い会場を飛び出して行った。
招待客はもちろん、乾杯のためにドリンクを配るウェイターたちも、何事かと振り返っている。
しかし、そんなことには構っていられない。息子の「一大事」なのである。
学生時代サッカー部だった魚住は身体能力の高さを求められるGKで、当時はゴールを死守するポジションだった。
だが、今はただ、かわいい一人息子のために、わが身の持てる長い脚を最大限に駆使し、トイレという「ゴール」を目指して——ひたすら疾走した。
「取引先の前でも、ふてぶてしいくらい堂々とした課長が、自分の子どもにはあぁなるんだな」
青山の片方の口角が少し上がった。
魚住は「伝家の宝刀」と称される、相手に謝罪をするための最敬礼のお辞儀をしたときですら、一切卑屈さを感じさせない、むしろ威厳を漂わせる人だった。
「あーんなイクメンぶりを見せられちゃ、また社内で課長に告白る子が増えるわねぇ」
麻琴が愉しげに、ふふっ、と笑った。
すでに周りでは女子社員たちが、「魚住課長、ステキ~っ!あんなダンナさまがいい~っ!」と、きゃあきゃあ騒いで身を悶えさせていた。
だが、しかし……
「あぁーっ、上着着ちゃったよぉーっ⁉︎なんでだよぅ、あんな綺麗な『天使の羽』を隠すんじゃねえよぉっ!」
山口だけは明後日の方を向いていた。
その視線の先では……魚住の妻であり大和の母親である美咲が、ひさしぶりに会った高校と大学の後輩である稍と、乾杯前にもかかわらずシャンパングラスを合わせていた。
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