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Chapter 3
家族 ③
しおりを挟む石井 華絵は、隣に立つ息子の大翔を横目でちらりと見た。
大翔は「なんだよ⁉︎」と顔を歪めている。クラスの子とテーマパークへ行くという約束を反故にさせて、半ば無理矢理連れてきたのを、まだ怒っているのだ。
——あんなにこの日は空けとけ、って言ったのにっ!
幼いときは、あんなに「ママ、ママ」と泣きすがって、毎日保育園に預けるのに一苦労だった。
だが、小学校も高学年ともなれば、そろそろ反抗期にさしかかって、なんだか一人で大きくなったような顔をしている。ムカつく。
——女の子だったら、もっと育てやすかったかなぁー。
つい幼稚園からの親友を思い浮かべる。その親友の富多 彩乃は男女一人ずつ、子どもをもうけていた。今は夫の仕事の関係で家族でロサンゼルスに住んでいる。
——せめて、一人っ子じゃなかったら、もう少し扱いやすかったかなぁー。
とはいえ……あのタイミングで、結婚も出産もしていなければ、きっと今自分は「おひとりさま」だったと、華絵は思う。
強引に導いてくれた夫には感謝しかない。
夫から十年以上も前のプロポーズの際に贈られた、カルテ◯エのソリテール1895のアームがパヴェダイヤになったエンゲージリングを、今日久しぶりにつけてみた。いつもは、重ねられたマリッジリングだけだ。これも、同じソリテール1895のシリーズのハーフエタニティである。
エンゲージはこの歳になっても、全然大丈夫。むしろ、これからの年代の方がしっくりくるかも、と思えるダイヤの大きさだ。
これから、お出かけの際にはつけよう、と華絵は決意した。
夫はいくら実家が萬年堂の閨閥とは言っても、あのとき入社間もない「一年生」だった。無理をさせたと思う。
——ありがと、パパ。
こっ恥ずかしいから、華絵は心の中でつぶやいた。小生意気なバカ息子のことは、一旦、置いておこう。
一応、自分と愛する夫との間の一粒種だし。
それにしても……あんなに早くに結婚したのに、一人しか産めなかった。仕事をしすぎた。
夫は女の子もほしかったのではないか、と今でも華絵は悔やむ。
社長の妻の誓子は華絵よりも一歳上だが、二人目の子どもを身籠っている。えらいなぁと思う。
だが、華絵自身にはやはり無理だと思ってしまう。十歳になった大翔とは歳が離れすぎた。もう一度、イチから子育てするのは勘弁してほしい。
——ごめんね、大貴。
万里小路 華絵が、彼女の旧姓である。由緒正しそうなその名は、まさしくやんごとなき家系で、戦前は華族であった。
しかし、明治や大正や戦前の昭和の華やかな時代も今となっては昔の話で、今ではごく普通の家庭である。「おもうさま」「おたあさま」ではなく「パパ」「ママ」と呼び、冬にもなればあたりまえにホーム炬燵を出してきて、家族で寝っ転がっていた。
『喉が渇いたから、お茶を持ってきてくれないか』と言うパパに、『華絵、持ってきてやんなさいよっ』と言うママ、『なんであたしがコタツから出なきゃなんないのよっ。パパが自分で取ってくればいいじゃんっ』と言う華絵。
すっかり「庶民」を満喫していた。
ましてや、華絵は自分の力で人生を切り拓いていきたい派である。
学校の方は、物心がつかないうちに女子大の附属校に入れられてしまったので、就職だけは自分の力を試してみたかった。
でも、この派手なファミリーネームのせいで、面接で『もしかして、万里小路子爵の末裔ですか?』『お父様は(株)アディドバリューの専務取締役ですよね?』と尋ねられ、速攻で身バレした。
華絵はウィ◯ペディアを心底恨んだ。
広報に配属されているのも、実家の会社とのパイプを期待してのことだ。決して、華絵が実力で勝ち取ったわけではない。
夫の大貴は、今まで知り合った男の人の中で、そんな「万里小路」を意識しなかった、唯一の男である。
家名を告げても柳のように飄々と受け流され、『……だから、なに?』と真顔で言われたときは、心底びっくりした。
華絵の「正統派」な外見からは思いもかけない、ざっくばらんで男前な気性にもいっさい幻滅しなかった。華絵自身を見てくれて、華絵自身を受け入れてくれた。
家族と彩乃以外では、初めてだった。
そして、結婚して「万里小路」から離れて、大貴の「石井」になったとき、ようやく周りに、家柄でなく、華絵自身を見てくれるような人が少しずつ出てきた。
——ありがと、大貴。
だけど、やっぱりこっ恥ずかしいから、華絵は心の中でだけ、つぶやいた。
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