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仕入れの日:木
第1話
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「――で、どうしろって言うの?」
「だから、しばらく預かってあげてくんねーかな」
昨日は夜遅くなってしまったこともあり、何より怯えて話ができるような状態じゃなかったので、取り敢えず空いている部屋に泊めてあげることになった。
そして、いつもの朝のようにサラが玄関前の掃除を終えて酒場ホールに戻ると、白のナイトドレス姿の女少女がポツンと佇んでいた。
さすがにあのボロボロのピンクのドレスをいつまでも着させておくわけにもいかなかったので、お風呂に入れた後サラが使っていたものを貸したのだ。
サラが少女に気がつくと、彼女もサラに気がついて抱きついてきた。
そこへマリリンがやってきて――。
はっきりと聞いてきたのだ。
もちろんサラの答えは決まっていたので正直に答えた。
少女は未だにサラの腕の中で肩を振るわせている。
「その話、レイナにもされたんだけど、ここは宿屋であって託児所じゃないのよ」
「あははっ、そりゃ言われねーでもわかるべ。わだすはここで働いてんだから」
「全然わかってないわよっ!」
「おはよう、マリリン」
「おはようございます。マリリンさん」
階段を降りてリータ先輩とレイナ先輩がやってきた。
「それにしても、何を朝から大声出してるのよ」
マリリンを相手に、リータ先輩は呆れたような表情をさせて言った。
「ちょうど良いわ、リータからも言ってやって頂戴。サラがこの子を預かれって言うのよ」
「なーんだ、別に良いじゃないそれくらい。宿屋には空き部屋がたくさんあるんだし。けちくさいわよ」
「まー。あのねえ、あたしはこの子のことを思って……」
「ところで、あんた名前はなんていうの?」
「ちょ……あたしの話を聞きなさいっ!」
さすがリータ先輩、普通の上司よりもよっぽど迫力のある上司であるマリリンを相手に適当にあしらっている。
後ろでマリリンがヒステリックに文句を言っているが、まるで耳に入っていないみたいだ。
「………………」
少女はリータ先輩に顔を覗き込まれると、身をすくめるようにしてサラの背に隠れてしまった。
「……ねえ、私は後ろのおばさんとは違って一応あんたの味方なのよ」
少しだけイラついているのが言葉の節々から感じられた。
「そういう言い方をしたら、余計に怯えてしまいますよ」
リータ先輩を制して、レイナ先輩が腰を降ろして少女と同じ目線になった。
「私の名前はレイナ=テレーズ。もしよろしければ、お名前を教えていただけませんか?」
少女は少しだけ目に力を込めてコクリとうなずいた。
そして、しがみついていたサラの腕を放し、ドレスの裾を持って足を一度ちょこんと折り曲げてからお辞儀をした。
その姿はまるで、レイナ先輩のお辞儀と同じで、気品に溢れていた。
サラやリータ先輩にはない、育ちの良さのようなものが感じられた。
「……私は、アンリエッタといいます……」
消え入りそうな声でそう言った。
昨日はぐちゃぐちゃでよくわからなかったが、アンリエッタは柔らかそうな茶色の髪を頭の両サイドでまとめていた。それでも長さは腰のところまであり、下ろしたらかなりの長さになるだろう。
たれ目のつぶらな瞳は、今にも泣き出してしまいそう。
吹けば折れてしまいそうなほど華奢で小柄な体だった。
「わだすはサラ=キャリーネ。十六歳。よろしぐね。ちなみに、こっちの目つきがわりーお姉さんは、リータ先輩って言ってなあ。こんなちっこいなりだけんど、わだすより年上なんだべ」
「あんたねえ、私に喧嘩売ってるの?」
今にも殺しそうな鋭い目つきでリータ先輩が睨んできた。
「ほら、目つき悪ーべ?」
サラはアンリエッタの肩を抱いて、チラリとリータ先輩を見た。
「あんたがくだらないことを言うからでしょ!」
「リータ先輩、アンリエッタが怯えっから、もう少し優しく話してくれねーかな」
「それなら私に対しても優しく話してくれる? だいいち、あんたの言葉遣いの方がよっぽど乱暴でしょうが」
「……クスッ……」
「あら?」
レイナ先輩が気付かなければ誰も気にも留めなかったかも知れない。
それくらい微妙な変化だった。
でも、今間違いなくアンリエッタは笑った。
サラもその表情を確かめようとしたら、アンリエッタはサラに抱きついてしまって見ることはできなかった。
「……ねえ、アンリエッタって言ったっけ? このままじゃ埒が明かないからはっきり聞かせてもらうけど、あなたはどうして一人で夜の街道を歩いていたの? 最近は魔物の行動も活発になってきているから、街道とはいえ森に囲まれた道は結構危ないのよ?」
マリリンはレイナ先輩のマネをして、膝を折ってアンリエッタと同じ目線になって優しく話しかけた。
それでも、顔に迫力があるから意味がある行動だとは思えないけど。
案の定、アンリエッタはマリリンの顔を見ようともしない。
「マリリンさん、私に話をさせてください」
「はぁ、わかったわ」
アンリエッタがいちいち隠れてしまうので、マリリンはすぐに引き下がった。
「……アンリエッタちゃん、年はいくつなんでしょうか?」
「……十四歳です」
「おんや。わだすとたいして変わらねーでねーの」
というか、サラはここに勤めて二年になるから、ここへ来た時の年齢と同じということになる。
だとしたら、まさか住んでいた場所が魔物にでも襲われて逃げてきたのだろうか。
「わだすはアンリエッタと同じ年の頃にな、魔物に襲わっちぇ住むとこがなぐなっちまったんよ。まさか、アンリエッタもそーなんか?」
「え……」
一瞬だけ驚いたような表情をさせてから、ブンブンと首を横に振った。
「そりゃよがっただや。帰る家はあんだね」
「…………はい……」
アンリエッタが小さく頷いたのを見て、レイナ先輩は少しだけ表情を曇らせた。
「ってことはあんた、まさか家出?」
リータ先輩の言葉に、びくんと体を硬直させてしまった。
それを見て、この場にいる誰もがアンリエッタの事情を察しただろう。
いや、レイナ先輩だけはその反応を見るよりも前に、気付いていたのかも知れない。
さっきとまるで表情が変わっていなかった。
「それじゃあ、お金も持ってないわよね」
マリリンはまるで感情のこもっていない声で言った。
うつむいてしまったアンリエッタを中心に、重たい空気が流れる。
「だとしたら、悪いけどここへ泊めてあげるわけにはいかないわ。ここは見ての通り宿屋なの。人を泊めることを商売としている以上、ただで泊めるわけにはいかないのよ。わかるわね?」
「ちょっと、マリリン。いくらなんでもそりゃねーべ」
あまりに厳しい仕打ち。たまらずサラは間に入ろうとしたが、マリリンの大きな腕に摑まれてアンリエッタと引き離されてしまった。
この時ばかりはマリリンが男の人なんだと実感させられる。
「もう十四歳にもなるなら、あたしの言っている言葉の意味くらいわかるはずよね。帰る家があるなら、あなたはそこへ帰るべきなのよ」
それは、ぐうの音も出ないほど正論だった。
一人でマリリンと向き合うことになったアンリエッタは何か言いたそうに口を開こうとしたが、パクパクさせるだけで言葉にはならなかった。
サラも何か助け船は出せないか考えた。
でも、そう簡単に良い案が浮かぶはずもない。
考えがまとまらないまま一歩踏み出そうとしたら、リータ先輩に肩を摑まれた。
「マリリンの言っていることは妥当よ。厳しいことを言っているように聞こえるかも知れないけど、あの子のためを思ったら最高に思いやりのある言葉だわ」
言われるまでもない。
マリリンは優しい女将さんだ。
サラを雇ってくれただけでも、それはすでに証明されている。
サラはただ、甘いだけなのかも知れない。
だけど……、あれほど服がボロボロになるような思いまでして家出してきたということは、相応の理由があるはず。
それを見向きもしないで家に帰すのは違うと思った。
じゃあ、家出した理由を聞くのか。
サラにはどうすることもできないかも知れないのに?
それじゃあただの興味本位になってしまう。
それも違うと思った。
「それで、あなたの家はどこにあるの? 馬車の手配ならあたしがしてあげるわ」
「……りたくない……」
それは初めてサラとレイナ先輩以外に対して発した言葉だった。
あまりにか細い声で、本当にしゃべったのかどうか忘れてしまうほど。
「ん? なーに?」
「私は、あの家には帰りたくありません」
マリリンが聞き返すと、アンリエッタは力のこもった声ではっきりと言った。
体は小刻みに震えていて、今にも泣き出しそうな瞳をしているが、アンリエッタはそれでもマリリンを見据えていた。
「サラ、よかったわね。あんたに後輩ができるわ」
「へ?」
リータ先輩はそれだけ言うとキッチンの方へ行ってしまった。
「そう、わかったわ。だったらどこへなりと行けばいいわ」
マリリンはさらに突き放すような言葉をかける。
「……嫌、です……」
「あのねえ、帰りたくもなければここから出ていきたくもないっていうの? あたしがあんたのワガママに付き合う理由はないのよ」
「あんの、マリリン。お金ならわだすが――」
もう見ているのも堪らず間に入ろうとしたら、今度はレイナ先輩がサラの口を塞いだ。
「……でしたら、どうしたらここにいさせてくれるのか、教えてください」
「決まってるわ。お金がないなら、その分働いてもらうしかないじゃない」
そう言ったマリリンの顔は晴れやかな表情をさせていた。
なんだか、こうなることがわかっていたかのよう。
……ううん、最初からわかっていたんだ。
だからリータ先輩もレイナ先輩も黙って見ていた。
アンリエッタの答えは聞くまでもない。
「わかりました。ここで働かせてください」
――斯くして、リータ先輩の言った通りサラには初めて後輩ができた。
アンリエッタの件で忘れていたが、今日は週に一度の仕入れの日である。
行商人のベローナさんがやってくる。
……驚くだろうな。サラに後輩ができたって知ったら。
メイドの部屋はさすがに四人だとかなり狭くなってしまうので、三階の空いていた部屋がメイドの部屋として使われることになった。
もちろん、部屋割りはリータ先輩とレイナ先輩が一緒で、サラとアンリエッタが一緒の部屋。
サラはかつて自分が着ていたルームメイドの服を取り出してアンリエッタに着せてあげた。
サラもそれほど体格のいい方ではないが、それに輪をかけて小柄なアンリエッタには、二年前のメイド服でも少し大きかった。
「こりゃ、今晩丈をつめねーとだんな」
「……あの、ありがとうございます……」
「ん? そんな礼を言われるよーなことはしてねーべ。結局、ここに置いておくことになったんはマリリンのお陰だなや」
着替えを終えたアンリエッタがモジモジとしていた。
なんだか後輩というよりは妹ができたみたい。
仕草が可愛らしい。
これだからサラは甘いのだろう。
「……いえあの、そうじゃなくて……。ううん、それもやっぱりあなたのお陰なんですけど……昨日、私を助けてくれたじゃありませんか。その、お礼です……」
「そがなこと? 人として当たり前でねーの。そーなことより――」
サラは手を腰に当てて苦笑いした。
「わだすの名前はサラ=キャリーネ。自己紹介はしたべ? まさか、もう忘れちまっちゃわけねーよな?」
「……あ、はい。すみません……えと、サラさん……」
「んだ。ほんじゃ、改めてよろしぐな」
笑顔で手を差し出す。
アンリエッタはサラの手を恐る恐る握った。
サラとアンリエッタの話が終わるのを見計らっていたかのように、扉がコンコンと叩かれた。
「誰だべ?」
「サラちゃん、レイナです。準備は終わりましたか? そろそろベローナさんが着く頃ですよ」
「ん、はい」
サラが返事をすると、レイナ先輩の足音が廊下の向こうに遠ざかっていった。
「さ、わだすだちも行くべ」
「は、はい」
緊張しているのがありありと伝わってくるほどの高い声だった。
扉に向かうアンリエッタは手と足が一緒に出ていて、歩くこともままならないような雰囲気。
サラは静かに背後に近づき、脇腹をつついた。
「きゃあ!」
アンリエッタは思わず声を上げて、その場に座り込んだ。
「……サラ、さん?」
「そーな緊張することはねーよ。ここの人だちはみんな優しーし。なんかあってもわだすや先輩だちが助けっから」
「……はい」
物分かりはかなりいいと思う。
素直な性格だからだけではない。
やっぱり、アンリエッタはどこか育ちの良さを感じさせるものがあった。
でも、それを探るつもりはない。
立ち上がったアンリエッタの表情はいくらか堅さが抜けていた。
サラはそんなアンリエッタの手を握り、一緒に一階まで降りる。
「あら? 中々似合うじゃない」
アンリエッタを見るなり、マリリンがほほ笑んだ。
レイナ先輩も、同じような表情をさせていた。
「だから、しばらく預かってあげてくんねーかな」
昨日は夜遅くなってしまったこともあり、何より怯えて話ができるような状態じゃなかったので、取り敢えず空いている部屋に泊めてあげることになった。
そして、いつもの朝のようにサラが玄関前の掃除を終えて酒場ホールに戻ると、白のナイトドレス姿の女少女がポツンと佇んでいた。
さすがにあのボロボロのピンクのドレスをいつまでも着させておくわけにもいかなかったので、お風呂に入れた後サラが使っていたものを貸したのだ。
サラが少女に気がつくと、彼女もサラに気がついて抱きついてきた。
そこへマリリンがやってきて――。
はっきりと聞いてきたのだ。
もちろんサラの答えは決まっていたので正直に答えた。
少女は未だにサラの腕の中で肩を振るわせている。
「その話、レイナにもされたんだけど、ここは宿屋であって託児所じゃないのよ」
「あははっ、そりゃ言われねーでもわかるべ。わだすはここで働いてんだから」
「全然わかってないわよっ!」
「おはよう、マリリン」
「おはようございます。マリリンさん」
階段を降りてリータ先輩とレイナ先輩がやってきた。
「それにしても、何を朝から大声出してるのよ」
マリリンを相手に、リータ先輩は呆れたような表情をさせて言った。
「ちょうど良いわ、リータからも言ってやって頂戴。サラがこの子を預かれって言うのよ」
「なーんだ、別に良いじゃないそれくらい。宿屋には空き部屋がたくさんあるんだし。けちくさいわよ」
「まー。あのねえ、あたしはこの子のことを思って……」
「ところで、あんた名前はなんていうの?」
「ちょ……あたしの話を聞きなさいっ!」
さすがリータ先輩、普通の上司よりもよっぽど迫力のある上司であるマリリンを相手に適当にあしらっている。
後ろでマリリンがヒステリックに文句を言っているが、まるで耳に入っていないみたいだ。
「………………」
少女はリータ先輩に顔を覗き込まれると、身をすくめるようにしてサラの背に隠れてしまった。
「……ねえ、私は後ろのおばさんとは違って一応あんたの味方なのよ」
少しだけイラついているのが言葉の節々から感じられた。
「そういう言い方をしたら、余計に怯えてしまいますよ」
リータ先輩を制して、レイナ先輩が腰を降ろして少女と同じ目線になった。
「私の名前はレイナ=テレーズ。もしよろしければ、お名前を教えていただけませんか?」
少女は少しだけ目に力を込めてコクリとうなずいた。
そして、しがみついていたサラの腕を放し、ドレスの裾を持って足を一度ちょこんと折り曲げてからお辞儀をした。
その姿はまるで、レイナ先輩のお辞儀と同じで、気品に溢れていた。
サラやリータ先輩にはない、育ちの良さのようなものが感じられた。
「……私は、アンリエッタといいます……」
消え入りそうな声でそう言った。
昨日はぐちゃぐちゃでよくわからなかったが、アンリエッタは柔らかそうな茶色の髪を頭の両サイドでまとめていた。それでも長さは腰のところまであり、下ろしたらかなりの長さになるだろう。
たれ目のつぶらな瞳は、今にも泣き出してしまいそう。
吹けば折れてしまいそうなほど華奢で小柄な体だった。
「わだすはサラ=キャリーネ。十六歳。よろしぐね。ちなみに、こっちの目つきがわりーお姉さんは、リータ先輩って言ってなあ。こんなちっこいなりだけんど、わだすより年上なんだべ」
「あんたねえ、私に喧嘩売ってるの?」
今にも殺しそうな鋭い目つきでリータ先輩が睨んできた。
「ほら、目つき悪ーべ?」
サラはアンリエッタの肩を抱いて、チラリとリータ先輩を見た。
「あんたがくだらないことを言うからでしょ!」
「リータ先輩、アンリエッタが怯えっから、もう少し優しく話してくれねーかな」
「それなら私に対しても優しく話してくれる? だいいち、あんたの言葉遣いの方がよっぽど乱暴でしょうが」
「……クスッ……」
「あら?」
レイナ先輩が気付かなければ誰も気にも留めなかったかも知れない。
それくらい微妙な変化だった。
でも、今間違いなくアンリエッタは笑った。
サラもその表情を確かめようとしたら、アンリエッタはサラに抱きついてしまって見ることはできなかった。
「……ねえ、アンリエッタって言ったっけ? このままじゃ埒が明かないからはっきり聞かせてもらうけど、あなたはどうして一人で夜の街道を歩いていたの? 最近は魔物の行動も活発になってきているから、街道とはいえ森に囲まれた道は結構危ないのよ?」
マリリンはレイナ先輩のマネをして、膝を折ってアンリエッタと同じ目線になって優しく話しかけた。
それでも、顔に迫力があるから意味がある行動だとは思えないけど。
案の定、アンリエッタはマリリンの顔を見ようともしない。
「マリリンさん、私に話をさせてください」
「はぁ、わかったわ」
アンリエッタがいちいち隠れてしまうので、マリリンはすぐに引き下がった。
「……アンリエッタちゃん、年はいくつなんでしょうか?」
「……十四歳です」
「おんや。わだすとたいして変わらねーでねーの」
というか、サラはここに勤めて二年になるから、ここへ来た時の年齢と同じということになる。
だとしたら、まさか住んでいた場所が魔物にでも襲われて逃げてきたのだろうか。
「わだすはアンリエッタと同じ年の頃にな、魔物に襲わっちぇ住むとこがなぐなっちまったんよ。まさか、アンリエッタもそーなんか?」
「え……」
一瞬だけ驚いたような表情をさせてから、ブンブンと首を横に振った。
「そりゃよがっただや。帰る家はあんだね」
「…………はい……」
アンリエッタが小さく頷いたのを見て、レイナ先輩は少しだけ表情を曇らせた。
「ってことはあんた、まさか家出?」
リータ先輩の言葉に、びくんと体を硬直させてしまった。
それを見て、この場にいる誰もがアンリエッタの事情を察しただろう。
いや、レイナ先輩だけはその反応を見るよりも前に、気付いていたのかも知れない。
さっきとまるで表情が変わっていなかった。
「それじゃあ、お金も持ってないわよね」
マリリンはまるで感情のこもっていない声で言った。
うつむいてしまったアンリエッタを中心に、重たい空気が流れる。
「だとしたら、悪いけどここへ泊めてあげるわけにはいかないわ。ここは見ての通り宿屋なの。人を泊めることを商売としている以上、ただで泊めるわけにはいかないのよ。わかるわね?」
「ちょっと、マリリン。いくらなんでもそりゃねーべ」
あまりに厳しい仕打ち。たまらずサラは間に入ろうとしたが、マリリンの大きな腕に摑まれてアンリエッタと引き離されてしまった。
この時ばかりはマリリンが男の人なんだと実感させられる。
「もう十四歳にもなるなら、あたしの言っている言葉の意味くらいわかるはずよね。帰る家があるなら、あなたはそこへ帰るべきなのよ」
それは、ぐうの音も出ないほど正論だった。
一人でマリリンと向き合うことになったアンリエッタは何か言いたそうに口を開こうとしたが、パクパクさせるだけで言葉にはならなかった。
サラも何か助け船は出せないか考えた。
でも、そう簡単に良い案が浮かぶはずもない。
考えがまとまらないまま一歩踏み出そうとしたら、リータ先輩に肩を摑まれた。
「マリリンの言っていることは妥当よ。厳しいことを言っているように聞こえるかも知れないけど、あの子のためを思ったら最高に思いやりのある言葉だわ」
言われるまでもない。
マリリンは優しい女将さんだ。
サラを雇ってくれただけでも、それはすでに証明されている。
サラはただ、甘いだけなのかも知れない。
だけど……、あれほど服がボロボロになるような思いまでして家出してきたということは、相応の理由があるはず。
それを見向きもしないで家に帰すのは違うと思った。
じゃあ、家出した理由を聞くのか。
サラにはどうすることもできないかも知れないのに?
それじゃあただの興味本位になってしまう。
それも違うと思った。
「それで、あなたの家はどこにあるの? 馬車の手配ならあたしがしてあげるわ」
「……りたくない……」
それは初めてサラとレイナ先輩以外に対して発した言葉だった。
あまりにか細い声で、本当にしゃべったのかどうか忘れてしまうほど。
「ん? なーに?」
「私は、あの家には帰りたくありません」
マリリンが聞き返すと、アンリエッタは力のこもった声ではっきりと言った。
体は小刻みに震えていて、今にも泣き出しそうな瞳をしているが、アンリエッタはそれでもマリリンを見据えていた。
「サラ、よかったわね。あんたに後輩ができるわ」
「へ?」
リータ先輩はそれだけ言うとキッチンの方へ行ってしまった。
「そう、わかったわ。だったらどこへなりと行けばいいわ」
マリリンはさらに突き放すような言葉をかける。
「……嫌、です……」
「あのねえ、帰りたくもなければここから出ていきたくもないっていうの? あたしがあんたのワガママに付き合う理由はないのよ」
「あんの、マリリン。お金ならわだすが――」
もう見ているのも堪らず間に入ろうとしたら、今度はレイナ先輩がサラの口を塞いだ。
「……でしたら、どうしたらここにいさせてくれるのか、教えてください」
「決まってるわ。お金がないなら、その分働いてもらうしかないじゃない」
そう言ったマリリンの顔は晴れやかな表情をさせていた。
なんだか、こうなることがわかっていたかのよう。
……ううん、最初からわかっていたんだ。
だからリータ先輩もレイナ先輩も黙って見ていた。
アンリエッタの答えは聞くまでもない。
「わかりました。ここで働かせてください」
――斯くして、リータ先輩の言った通りサラには初めて後輩ができた。
アンリエッタの件で忘れていたが、今日は週に一度の仕入れの日である。
行商人のベローナさんがやってくる。
……驚くだろうな。サラに後輩ができたって知ったら。
メイドの部屋はさすがに四人だとかなり狭くなってしまうので、三階の空いていた部屋がメイドの部屋として使われることになった。
もちろん、部屋割りはリータ先輩とレイナ先輩が一緒で、サラとアンリエッタが一緒の部屋。
サラはかつて自分が着ていたルームメイドの服を取り出してアンリエッタに着せてあげた。
サラもそれほど体格のいい方ではないが、それに輪をかけて小柄なアンリエッタには、二年前のメイド服でも少し大きかった。
「こりゃ、今晩丈をつめねーとだんな」
「……あの、ありがとうございます……」
「ん? そんな礼を言われるよーなことはしてねーべ。結局、ここに置いておくことになったんはマリリンのお陰だなや」
着替えを終えたアンリエッタがモジモジとしていた。
なんだか後輩というよりは妹ができたみたい。
仕草が可愛らしい。
これだからサラは甘いのだろう。
「……いえあの、そうじゃなくて……。ううん、それもやっぱりあなたのお陰なんですけど……昨日、私を助けてくれたじゃありませんか。その、お礼です……」
「そがなこと? 人として当たり前でねーの。そーなことより――」
サラは手を腰に当てて苦笑いした。
「わだすの名前はサラ=キャリーネ。自己紹介はしたべ? まさか、もう忘れちまっちゃわけねーよな?」
「……あ、はい。すみません……えと、サラさん……」
「んだ。ほんじゃ、改めてよろしぐな」
笑顔で手を差し出す。
アンリエッタはサラの手を恐る恐る握った。
サラとアンリエッタの話が終わるのを見計らっていたかのように、扉がコンコンと叩かれた。
「誰だべ?」
「サラちゃん、レイナです。準備は終わりましたか? そろそろベローナさんが着く頃ですよ」
「ん、はい」
サラが返事をすると、レイナ先輩の足音が廊下の向こうに遠ざかっていった。
「さ、わだすだちも行くべ」
「は、はい」
緊張しているのがありありと伝わってくるほどの高い声だった。
扉に向かうアンリエッタは手と足が一緒に出ていて、歩くこともままならないような雰囲気。
サラは静かに背後に近づき、脇腹をつついた。
「きゃあ!」
アンリエッタは思わず声を上げて、その場に座り込んだ。
「……サラ、さん?」
「そーな緊張することはねーよ。ここの人だちはみんな優しーし。なんかあってもわだすや先輩だちが助けっから」
「……はい」
物分かりはかなりいいと思う。
素直な性格だからだけではない。
やっぱり、アンリエッタはどこか育ちの良さを感じさせるものがあった。
でも、それを探るつもりはない。
立ち上がったアンリエッタの表情はいくらか堅さが抜けていた。
サラはそんなアンリエッタの手を握り、一緒に一階まで降りる。
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フェリスは、王女のメイドだった。敗戦国となってしまい、王女を差し出さねばならなくなった国王は、娘可愛さのあまりフェリスを騙して王女の身代わりとし、戦勝国へ差し出すことを思いつき、フェリスは偽の王女として過ごさなければならなくなった。
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