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第二章 時空間転生!?
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「……失礼します」
クルスさんはシンプルな木の扉を二回ノックしてから扉の取っ手を握って中へ押し込んだ。
その部屋は壁いっぱいに本棚が並べられていて、本棚が壁なのか壁が本棚なのかわからないくらいだった。
正面には机が一つ。艶が美しい木の机で、天音の世界だと校長室にあるような机に似ていた。そして、右側のスペースにベッドが一つ。
この部屋の家具はどれも装飾が施されていて、一つ一つに職人の技術を感じられる。
その中で、その木のベッドだけが簡単な作りで違和感を与える。
同じようにシンプルな白い毛布が膨らんでいた。
毛布がモゾモゾと動き、そこに寝ていた人がクルスと天音へ顔を向けた。
六十歳くらいだろうか。
髪は白と黒が半々くらいに混じっている男性。少しやつれて見えるのは病に罹っているからだと素人目にも伝わってきた。
「おお、君はクルス君か。ゲホッゲホッ」
声を発したことで刺激を与えてしまったのか、咳き込んだ。
慌ててクルスさんが近づく。
「フロードさん。無理はなさらないでください」
「ハハッ……そう心配するな。症状からしてまだ死ぬほどではない」
「一体、何がどうなっているんですか?」
「患者はもう見たか?」
「いえ、ベルン国王から話は伺っていますが」
「皆、今の私と同じ症状だ。鼻水が溢れ、息苦しくなり、次第に喉が痛くなる。そして高熱に冒され、咳き込むようになり――死に至る。まさか私までミイラ取りがミイラになってしまうとは思っていなかったがね」
「――それでは、フロードさんもすでに……!?」
「いやいや、私はなんとか体力を回復する魔法をかけ続けて症状を抑えている。そう簡単に死んだりはせんよ。しかし、研究を続けられる状況でもない」
「わかりました。後は任せてください。フロードさんの研究を引き継いでいる魔道士はどなたですか? 僕も手伝いたいと思います」
「……悪いが、このフロアはすでに隔離しておる。君には直接見てもらいたいと思ったから通させたのだ。すでに治療に当たっていたほとんどの魔法医が罹っている。実に感染力が強く、魔法で空気が清められている部屋でもそれを止めることは不可能だった」
「……そうなると、治癒魔法よりも先に原因を調べた方が良いのかも知れませんね」
「そうだ。だから君が適していると思い、ベルン国王に進言させてもらった」
「確か、疫病が広がり始めたのは街外れの貧民街辺りから。これから調べに行ってきます」
「頼む。私が言うのもなんだか、くれぐれも気をつけなさい」
「はい」
そう言って、クルスさんは早々に部屋を出た。
天音も黙って後に続くが、実際に症状を見たことで確信のようなものを抱いていた。
魔法研究所の前で待たせていた馬車に再び乗り込み、今度は街外れに向かった。
そこは少しだけ見覚えのある場所だった。
まだ日中だというのに、日の光が建物の影になって辺り一帯が薄暗い。
「すみませんが、ここから先は馬車じゃ入れませんぜ」
馬車を操っていた御者がそう言った。
確かに、裏通りは道が細くなっていて道も悪い。
馬も馬車の車輪も悪くなってしまう。
「仕方ない。降りよう」
クルスさんと一緒に降りると、馬車は来た道を戻って行ってしまった。
「良いんですか? さっきみたいにここで待ってもらわなくて」
「この辺りは物騒だから。彼を一人で待たせるのはさすがに可哀想だろうね」
言われてみれば街外れの貧民街とあって、今にもそこの裏通りの影から強盗でも飛び出してきそうだった。
日本は比較的安全だからどこへ行ってもそういうことに意識をすることは無かったが、海外旅行するときは気をつけるようによく言われる。
ここは地球によくあるスラム街のような雰囲気を漂わせていたので、警戒するのは当然だった。
気を引き締めなければいけない。
今はクルスさんが一緒だから安全だろうけど、天音には売り飛ばされそうになった前科があった。
「それじゃ、行こうか」
そう言ってクルスさんが歩き出したので、天音は呼び止めた。
「あの、その前に何か……口と鼻を塞ぐ布のようなものはありませんか?」
「……何に必要なんだい? まさか、口と鼻を塞ぐつもり? だとしたら息ができなくなるよ」
「あ、えと……もちろん、呼吸ができるくらいの薄めの布で構いません」
クルスさんは懐から白いハンカチを取り出した。
それを見て天音も制服のスカートのポケットにハンカチが入っていることを思いだした。
天音はハンカチを折って口と鼻を塞ぐように首の後ろで縛る。
本当はちゃんとしたマスクがあれば良いんだろうけど、贅沢は言えない。
「クルスさんも同じようにした方が良いです」
「……それは、一体何の意味が?」
「多分、疫病の予防になるはずです」
「……その言い方だと、まるで君はこの疫病について何か知っているようだが?」
「まだはっきりとはしてませんが、私の世界の病気に症状が似ているんです」
「…………わかった」
クルスさんは少し考えてから同じようにハンカチをマスク代わりにした。
「取り敢えず、この辺りに住んでいる人たちに状況を聞いて回ろう」
貧民街と呼ばれるだけあって、その辺りの家はどれもボロい家ばかりだった。
クルスさんは最初の数件こそ家の者を呼んで状況を確認したが、わざわざ家の者を呼ぶ必要すらない。
開けっぱなしの窓から家の中を見るだけで、状況は把握できた。
どの家も中で人が寝ている。
木のベッドだったり床にそのまま布団を敷いていたり、寝具はまちまちだったが、病に冒されて倒れている。
すでにこの街外れの一角は疫病に倒れている人で溢れている。
それなのに、どうして彼らは家で寝ているだけなのか。病院に行けば良いのに。
「あの、一つ聞いておきたいんですけど」
「なんだい?」
「ここの病人は、病院へ連れて行ってあげないんですか?」
「……また妙な言葉を言うね。ビョウインというのは何のことかな?」
病院を知らない? 病気が存在するならそれを治すための機関はあるはず。日本語と同じく言葉が違うのだろうか。
「えーと、病気に罹ってしまった人を診たり治したりするところです」
「それは魔法医の仕事だ。君もさっき魔法研究所で見ただろう。病気に罹った人がいたらそれを治すための魔法を開発する。治癒魔法さえ完成すれば、魔法医が患者を治しに行けば良い。新たな治癒魔法の研究目的以外で、いたずらに病気に罹っている者を移動させたりはしないよ」
そうか。この世界では医療の概念がない。魔法が発達した文明では天音の世界のように科学は進んでいない。
「それじゃ、薬も存在しないんですか?」
「薬? 体力を回復する薬とか魔力を回復する薬はあるが、それがどうかしたのかい?」
薬という言葉は同じでも意味が違いすぎた。
それでは、天音の予想が確かでもこの疫病を治す手段がなかった。
なぜなら――この疫病は間違いなく風邪の症状だったから。
天音の世界においても風邪は万病の元と呼ばれているし、医療が発達していても死に至ることだってある。
薬もまともな医療機関もないこの世界ではどうすることもできない。
でも、今までだって病気が一つもなかったわけじゃないだろう。
それらが魔法で治せたなら、なぜ風邪くらいを治す魔法はないのだろう。
「どうして、今回の疫病は治す魔法がないんですか?」
「……君は魔法が使えないんだったよね」
クルスさんは少しだけ表情を曇らせた。
「はい。そういうものが存在しない世界で生きてきたので」
「それも不思議な話だけど今は置いておこう。僕らが使う魔法はイメージを言葉で具現化する。今回のように症状が複雑だとイメージが一つに絞れない。だから原因を探っているんだ。それを知ることで原因を取り除くイメージがしやすくなる」
魔法と聞くと万能で何でもできるような感じで考えていたけど、実際には人間のできることを大きく逸脱してはいないのかも。
人間がイメージすることにはきっと限界があると思うから。
「あれ……?」
ふと、天音は周辺の様子に見覚えがあることに気がついた。
そこはあのゲルハルトに連れてこられた家の辺り。
「あの、ここゲルハルトの家の近くです」
「何だって? ってことはこの辺りに奴は住んでいたのか? うーん。疫病の調査も優先したいが、せっかくだ。案内してもらえるかな」
「はい」
あの時ほど暗くはないから若干雰囲気は変わって見える。
それでも、監禁された恐怖と共に天音の記憶にはゲルハルトのボロい家が脳裏に焼きついていた。
そして、裏通りの奥まったところ。この辺りは空き家ばかりで人の気配は全くなかった。
そんな中、一つだけ木の扉が付けられている家がある。それがゲルハルトの家であり監禁場所でもあった。
ただ、天音は家よりもその扉の前に倒れている人に目が行った。
遠目でも何となくわかる。小太りのシルエットと、身なりの良さ。
あれは、ゲルハルトなのでは……。
クルスさんは天音よりも判断が早かった。
「貴様! 人身売買の犯人として――」
それ以上は何も言わなかった。ゲルハルトも逃げるそぶりすら見せない。
天音が近づいてやっとゲルハルトが倒れている理由がわかった。
「ゲホッゲホッ……」
大量の汗をかき、咳をするたびに痰に混じって血を吐いた。手足は震えていて、すでに重病化している。
この症状では薬を持っていても助けることは不可能だろう。
「皮肉なものだな。貴様も疫病に罹っているとは。悪いがその病気を治す魔法はまだ存在しない。助けてきちんと裁いてやりたいところだが、そうもいかないな」
「クククッ……ゴホッゲホッ」
クルスさんは言葉を選んではいるが、言っていることは見殺しにすると言っているのと同じだった。
それなのに、なぜかゲルハルトは薄笑いを浮かべた。
「お、おめでたい連中だ……ゲホッ」
「何? どういう意味だ?」
「ヒューヒュー。この疫病はな、この俺が隣国から仕事で持ち込んだものだ……ゲホッゲホッ」
「何? どうやって持ち込んだんだ!」
クルスさんが乱暴にゲルハルトの服を掴んで揺さぶる。
「へへへっ……それが、俺にもよくわからん。ゲホッ。何も入っていないガラスの小瓶を渡されて、それを街のどこかで割ればいいって言われただけだ」
「何も入っていない? 魔法か何かが施されていたというわけか? それならむしろ、治す方法はありそうだが……」
「治癒魔法は存在しないって話だぜ……ゲホッゴホッ。ち、ちきしょう。俺まで罹っちまうなんて……グハッ。ま、まあでも……疫病で弱ったこの国に隣国は戦争を仕掛ける気だ。いずれ、お、お前らもみんな死んじまう運命なんだ。ハハハハハハッ、ガハッ!」
一際大きな咳をして、血を吐きながらゲルハルトは息を引き取った。
クルスさんはシンプルな木の扉を二回ノックしてから扉の取っ手を握って中へ押し込んだ。
その部屋は壁いっぱいに本棚が並べられていて、本棚が壁なのか壁が本棚なのかわからないくらいだった。
正面には机が一つ。艶が美しい木の机で、天音の世界だと校長室にあるような机に似ていた。そして、右側のスペースにベッドが一つ。
この部屋の家具はどれも装飾が施されていて、一つ一つに職人の技術を感じられる。
その中で、その木のベッドだけが簡単な作りで違和感を与える。
同じようにシンプルな白い毛布が膨らんでいた。
毛布がモゾモゾと動き、そこに寝ていた人がクルスと天音へ顔を向けた。
六十歳くらいだろうか。
髪は白と黒が半々くらいに混じっている男性。少しやつれて見えるのは病に罹っているからだと素人目にも伝わってきた。
「おお、君はクルス君か。ゲホッゲホッ」
声を発したことで刺激を与えてしまったのか、咳き込んだ。
慌ててクルスさんが近づく。
「フロードさん。無理はなさらないでください」
「ハハッ……そう心配するな。症状からしてまだ死ぬほどではない」
「一体、何がどうなっているんですか?」
「患者はもう見たか?」
「いえ、ベルン国王から話は伺っていますが」
「皆、今の私と同じ症状だ。鼻水が溢れ、息苦しくなり、次第に喉が痛くなる。そして高熱に冒され、咳き込むようになり――死に至る。まさか私までミイラ取りがミイラになってしまうとは思っていなかったがね」
「――それでは、フロードさんもすでに……!?」
「いやいや、私はなんとか体力を回復する魔法をかけ続けて症状を抑えている。そう簡単に死んだりはせんよ。しかし、研究を続けられる状況でもない」
「わかりました。後は任せてください。フロードさんの研究を引き継いでいる魔道士はどなたですか? 僕も手伝いたいと思います」
「……悪いが、このフロアはすでに隔離しておる。君には直接見てもらいたいと思ったから通させたのだ。すでに治療に当たっていたほとんどの魔法医が罹っている。実に感染力が強く、魔法で空気が清められている部屋でもそれを止めることは不可能だった」
「……そうなると、治癒魔法よりも先に原因を調べた方が良いのかも知れませんね」
「そうだ。だから君が適していると思い、ベルン国王に進言させてもらった」
「確か、疫病が広がり始めたのは街外れの貧民街辺りから。これから調べに行ってきます」
「頼む。私が言うのもなんだか、くれぐれも気をつけなさい」
「はい」
そう言って、クルスさんは早々に部屋を出た。
天音も黙って後に続くが、実際に症状を見たことで確信のようなものを抱いていた。
魔法研究所の前で待たせていた馬車に再び乗り込み、今度は街外れに向かった。
そこは少しだけ見覚えのある場所だった。
まだ日中だというのに、日の光が建物の影になって辺り一帯が薄暗い。
「すみませんが、ここから先は馬車じゃ入れませんぜ」
馬車を操っていた御者がそう言った。
確かに、裏通りは道が細くなっていて道も悪い。
馬も馬車の車輪も悪くなってしまう。
「仕方ない。降りよう」
クルスさんと一緒に降りると、馬車は来た道を戻って行ってしまった。
「良いんですか? さっきみたいにここで待ってもらわなくて」
「この辺りは物騒だから。彼を一人で待たせるのはさすがに可哀想だろうね」
言われてみれば街外れの貧民街とあって、今にもそこの裏通りの影から強盗でも飛び出してきそうだった。
日本は比較的安全だからどこへ行ってもそういうことに意識をすることは無かったが、海外旅行するときは気をつけるようによく言われる。
ここは地球によくあるスラム街のような雰囲気を漂わせていたので、警戒するのは当然だった。
気を引き締めなければいけない。
今はクルスさんが一緒だから安全だろうけど、天音には売り飛ばされそうになった前科があった。
「それじゃ、行こうか」
そう言ってクルスさんが歩き出したので、天音は呼び止めた。
「あの、その前に何か……口と鼻を塞ぐ布のようなものはありませんか?」
「……何に必要なんだい? まさか、口と鼻を塞ぐつもり? だとしたら息ができなくなるよ」
「あ、えと……もちろん、呼吸ができるくらいの薄めの布で構いません」
クルスさんは懐から白いハンカチを取り出した。
それを見て天音も制服のスカートのポケットにハンカチが入っていることを思いだした。
天音はハンカチを折って口と鼻を塞ぐように首の後ろで縛る。
本当はちゃんとしたマスクがあれば良いんだろうけど、贅沢は言えない。
「クルスさんも同じようにした方が良いです」
「……それは、一体何の意味が?」
「多分、疫病の予防になるはずです」
「……その言い方だと、まるで君はこの疫病について何か知っているようだが?」
「まだはっきりとはしてませんが、私の世界の病気に症状が似ているんです」
「…………わかった」
クルスさんは少し考えてから同じようにハンカチをマスク代わりにした。
「取り敢えず、この辺りに住んでいる人たちに状況を聞いて回ろう」
貧民街と呼ばれるだけあって、その辺りの家はどれもボロい家ばかりだった。
クルスさんは最初の数件こそ家の者を呼んで状況を確認したが、わざわざ家の者を呼ぶ必要すらない。
開けっぱなしの窓から家の中を見るだけで、状況は把握できた。
どの家も中で人が寝ている。
木のベッドだったり床にそのまま布団を敷いていたり、寝具はまちまちだったが、病に冒されて倒れている。
すでにこの街外れの一角は疫病に倒れている人で溢れている。
それなのに、どうして彼らは家で寝ているだけなのか。病院に行けば良いのに。
「あの、一つ聞いておきたいんですけど」
「なんだい?」
「ここの病人は、病院へ連れて行ってあげないんですか?」
「……また妙な言葉を言うね。ビョウインというのは何のことかな?」
病院を知らない? 病気が存在するならそれを治すための機関はあるはず。日本語と同じく言葉が違うのだろうか。
「えーと、病気に罹ってしまった人を診たり治したりするところです」
「それは魔法医の仕事だ。君もさっき魔法研究所で見ただろう。病気に罹った人がいたらそれを治すための魔法を開発する。治癒魔法さえ完成すれば、魔法医が患者を治しに行けば良い。新たな治癒魔法の研究目的以外で、いたずらに病気に罹っている者を移動させたりはしないよ」
そうか。この世界では医療の概念がない。魔法が発達した文明では天音の世界のように科学は進んでいない。
「それじゃ、薬も存在しないんですか?」
「薬? 体力を回復する薬とか魔力を回復する薬はあるが、それがどうかしたのかい?」
薬という言葉は同じでも意味が違いすぎた。
それでは、天音の予想が確かでもこの疫病を治す手段がなかった。
なぜなら――この疫病は間違いなく風邪の症状だったから。
天音の世界においても風邪は万病の元と呼ばれているし、医療が発達していても死に至ることだってある。
薬もまともな医療機関もないこの世界ではどうすることもできない。
でも、今までだって病気が一つもなかったわけじゃないだろう。
それらが魔法で治せたなら、なぜ風邪くらいを治す魔法はないのだろう。
「どうして、今回の疫病は治す魔法がないんですか?」
「……君は魔法が使えないんだったよね」
クルスさんは少しだけ表情を曇らせた。
「はい。そういうものが存在しない世界で生きてきたので」
「それも不思議な話だけど今は置いておこう。僕らが使う魔法はイメージを言葉で具現化する。今回のように症状が複雑だとイメージが一つに絞れない。だから原因を探っているんだ。それを知ることで原因を取り除くイメージがしやすくなる」
魔法と聞くと万能で何でもできるような感じで考えていたけど、実際には人間のできることを大きく逸脱してはいないのかも。
人間がイメージすることにはきっと限界があると思うから。
「あれ……?」
ふと、天音は周辺の様子に見覚えがあることに気がついた。
そこはあのゲルハルトに連れてこられた家の辺り。
「あの、ここゲルハルトの家の近くです」
「何だって? ってことはこの辺りに奴は住んでいたのか? うーん。疫病の調査も優先したいが、せっかくだ。案内してもらえるかな」
「はい」
あの時ほど暗くはないから若干雰囲気は変わって見える。
それでも、監禁された恐怖と共に天音の記憶にはゲルハルトのボロい家が脳裏に焼きついていた。
そして、裏通りの奥まったところ。この辺りは空き家ばかりで人の気配は全くなかった。
そんな中、一つだけ木の扉が付けられている家がある。それがゲルハルトの家であり監禁場所でもあった。
ただ、天音は家よりもその扉の前に倒れている人に目が行った。
遠目でも何となくわかる。小太りのシルエットと、身なりの良さ。
あれは、ゲルハルトなのでは……。
クルスさんは天音よりも判断が早かった。
「貴様! 人身売買の犯人として――」
それ以上は何も言わなかった。ゲルハルトも逃げるそぶりすら見せない。
天音が近づいてやっとゲルハルトが倒れている理由がわかった。
「ゲホッゲホッ……」
大量の汗をかき、咳をするたびに痰に混じって血を吐いた。手足は震えていて、すでに重病化している。
この症状では薬を持っていても助けることは不可能だろう。
「皮肉なものだな。貴様も疫病に罹っているとは。悪いがその病気を治す魔法はまだ存在しない。助けてきちんと裁いてやりたいところだが、そうもいかないな」
「クククッ……ゴホッゲホッ」
クルスさんは言葉を選んではいるが、言っていることは見殺しにすると言っているのと同じだった。
それなのに、なぜかゲルハルトは薄笑いを浮かべた。
「お、おめでたい連中だ……ゲホッ」
「何? どういう意味だ?」
「ヒューヒュー。この疫病はな、この俺が隣国から仕事で持ち込んだものだ……ゲホッゲホッ」
「何? どうやって持ち込んだんだ!」
クルスさんが乱暴にゲルハルトの服を掴んで揺さぶる。
「へへへっ……それが、俺にもよくわからん。ゲホッ。何も入っていないガラスの小瓶を渡されて、それを街のどこかで割ればいいって言われただけだ」
「何も入っていない? 魔法か何かが施されていたというわけか? それならむしろ、治す方法はありそうだが……」
「治癒魔法は存在しないって話だぜ……ゲホッゴホッ。ち、ちきしょう。俺まで罹っちまうなんて……グハッ。ま、まあでも……疫病で弱ったこの国に隣国は戦争を仕掛ける気だ。いずれ、お、お前らもみんな死んじまう運命なんだ。ハハハハハハッ、ガハッ!」
一際大きな咳をして、血を吐きながらゲルハルトは息を引き取った。
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