26 / 44
四章5
しおりを挟む
ミュラー家に戻ったアデリナは抜け殻になってしまったように、ただぼんやりと日々を過ごしている。ジェインは輿入れの準備をと言っていたが、特にやるべきことも思いつかなかった。
朝食の席で、レガッタとオルコットは同時に大きなため息をつく。
「やだわ、お父さまったら。朝からため息なんてついちゃって」
「レガッタこそ」
顔を見合わせたふたりの間をしんみりとした空気が流れていく。
「かわいい孫が皇太子妃になるなんて、めでたいことだと思うんだが」
「そうよね、これ以上ない名誉よね。でも……」
レガッタは眉根を寄せて天井をにらんだ。
「やっぱり、少しおかしな話よね」
オルコットも同意する。
「あぁ。これまで散々冷遇しておいて、急に皇太子妃になんてなぁ。レイン殿下がアデリナに懸想してたんだろうか」
「思いつく理由はそのくらいよね。アデリナは帝国一の美人だから、それはありえる話かもしれないわね」
レガッタの娘贔屓はあいかわらずだ。アデリナはきっぱりした口調でそれを否定する。
「それは絶対にないわ。よくわからないけど、なにか政治的な理由だと思う」
自分を見るレインの瞳から愛情らしきものは一切感じられなかった、それははっきりと言いきれる。カイから注がれる眼差しがどれほど甘いか、カイを見つめるときにどれだけ胸が高鳴るか、恋をすると人はどう変わるか、アデリナは知っている。レインはきっと、誰にも恋などしていない。
この婚姻にはもっと別の目的があるのだろう。だが、アデリナはそこで思考を止めた。
(婚姻の理由も、レイン殿下の目論見も、そんなものはどうでもいい。考える必要もない)
アデリナはその心をカイのもとに置いてきたのだ。心は彼とともにある。抜け殻の身体は、なにも考えずにただ皇太子妃としての役目を果たせばいいのだ。
客の訪問を告げるノッカーの音が響いた。ミュラー家に使用人はいないので、アデリナが扉を開けて訪問者を出迎える。
扉の外にいた人物を見て、アデリナは目を丸くした。
「レ、レイン殿下!」
少数の側近だけをともなってレインが訪ねてきたのだ。アデリナは戸惑いを隠せなかったが、ひとまず彼を応接間に通した。
くつろいだ様子で出されたお茶を飲んでいる彼にオルコットが言葉をかけた。
「あの、レイン殿下。今日はどういったご用で」
「用というほどの用はないけど、妻になる女性にあいさつにね」
そう言ってアデリナに目配せをするレインにアデリナは曖昧な笑みを返す。やはり彼は自分に好意など持っていないことを確信する。レインの視線は無機質でぞっとするほど冷たく、アデリナは恐怖を覚えた。
だが、彼はアデリナのそんな感情を気にも留めず、にっこりとほほ笑んだ。
「僕の正妃に選ばれるなんて、君は本当に幸運だね」
「光栄なことでございます」
理由などどうでもいい。そう思っていたが、自分の存在がどう利用されるのかは知っておきたいとアデリナは思い直した。臆することなくレインに問う。
「ですが、男爵家ごときが殿下に輿入れなど恐れ多くて……どうして私なのでしょうか」
レインは「ははっ」と乾いた笑い声をあげる。
「だから伯爵位を与えてやっただろう。君が僕の子を身ごもったら侯爵位も贈ろうか」
「レイン殿下に似合いの侯爵令嬢は多くいたはずですが」
アデリナの言葉を遮るように、レインはガタンと音を立てて席を立った。アデリナを見おろし、冷笑を浮かべる。
「余計なことを考える必要はないよ。君はただ自身の幸運に感謝して輿入れの日を待っていればいいんだ」
アデリナは深々と頭をさげて、彼の背中を見送った。
(カイ。あなたは頭がいいけど、今回の予想は大外れね)
レインはアデリナを大切にする気など毛ほどもない。アデリナが皇家に嫁ぐ理由は、決して明るいものではなさそうだった。
朝食の席で、レガッタとオルコットは同時に大きなため息をつく。
「やだわ、お父さまったら。朝からため息なんてついちゃって」
「レガッタこそ」
顔を見合わせたふたりの間をしんみりとした空気が流れていく。
「かわいい孫が皇太子妃になるなんて、めでたいことだと思うんだが」
「そうよね、これ以上ない名誉よね。でも……」
レガッタは眉根を寄せて天井をにらんだ。
「やっぱり、少しおかしな話よね」
オルコットも同意する。
「あぁ。これまで散々冷遇しておいて、急に皇太子妃になんてなぁ。レイン殿下がアデリナに懸想してたんだろうか」
「思いつく理由はそのくらいよね。アデリナは帝国一の美人だから、それはありえる話かもしれないわね」
レガッタの娘贔屓はあいかわらずだ。アデリナはきっぱりした口調でそれを否定する。
「それは絶対にないわ。よくわからないけど、なにか政治的な理由だと思う」
自分を見るレインの瞳から愛情らしきものは一切感じられなかった、それははっきりと言いきれる。カイから注がれる眼差しがどれほど甘いか、カイを見つめるときにどれだけ胸が高鳴るか、恋をすると人はどう変わるか、アデリナは知っている。レインはきっと、誰にも恋などしていない。
この婚姻にはもっと別の目的があるのだろう。だが、アデリナはそこで思考を止めた。
(婚姻の理由も、レイン殿下の目論見も、そんなものはどうでもいい。考える必要もない)
アデリナはその心をカイのもとに置いてきたのだ。心は彼とともにある。抜け殻の身体は、なにも考えずにただ皇太子妃としての役目を果たせばいいのだ。
客の訪問を告げるノッカーの音が響いた。ミュラー家に使用人はいないので、アデリナが扉を開けて訪問者を出迎える。
扉の外にいた人物を見て、アデリナは目を丸くした。
「レ、レイン殿下!」
少数の側近だけをともなってレインが訪ねてきたのだ。アデリナは戸惑いを隠せなかったが、ひとまず彼を応接間に通した。
くつろいだ様子で出されたお茶を飲んでいる彼にオルコットが言葉をかけた。
「あの、レイン殿下。今日はどういったご用で」
「用というほどの用はないけど、妻になる女性にあいさつにね」
そう言ってアデリナに目配せをするレインにアデリナは曖昧な笑みを返す。やはり彼は自分に好意など持っていないことを確信する。レインの視線は無機質でぞっとするほど冷たく、アデリナは恐怖を覚えた。
だが、彼はアデリナのそんな感情を気にも留めず、にっこりとほほ笑んだ。
「僕の正妃に選ばれるなんて、君は本当に幸運だね」
「光栄なことでございます」
理由などどうでもいい。そう思っていたが、自分の存在がどう利用されるのかは知っておきたいとアデリナは思い直した。臆することなくレインに問う。
「ですが、男爵家ごときが殿下に輿入れなど恐れ多くて……どうして私なのでしょうか」
レインは「ははっ」と乾いた笑い声をあげる。
「だから伯爵位を与えてやっただろう。君が僕の子を身ごもったら侯爵位も贈ろうか」
「レイン殿下に似合いの侯爵令嬢は多くいたはずですが」
アデリナの言葉を遮るように、レインはガタンと音を立てて席を立った。アデリナを見おろし、冷笑を浮かべる。
「余計なことを考える必要はないよ。君はただ自身の幸運に感謝して輿入れの日を待っていればいいんだ」
アデリナは深々と頭をさげて、彼の背中を見送った。
(カイ。あなたは頭がいいけど、今回の予想は大外れね)
レインはアデリナを大切にする気など毛ほどもない。アデリナが皇家に嫁ぐ理由は、決して明るいものではなさそうだった。
0
お気に入りに追加
740
あなたにおすすめの小説
【完結】赤い瞳の英雄は引き際を心得た男装騎士の駆け落ちを許さない〜好きだと言えない二人の事情〜
たまりん
恋愛
登場人物紹介
◇ライシス・クラディッシュ 26歳《国境の騎士団長、やがて救国の英雄となる》
◇ミシェル・フランシス 21歳《男装した女性騎士、戦時中の性欲処理も…》
◇キクルス・クラディッシュ 30歳《ライシスの兄 クラディッシュ伯爵家当主》
◇レオン・ミステリア 22歳《ミシェルと同期の騎士 ミシェルは命の恩人》
あらすじ
幼い頃、老女と共に隣国との国境で行き倒れていたミシェルは、武門として名高いクラディッシュ伯爵家で育てられて年の離れたライシスを兄とも慕い、恋心を持つようになるが、そんな彼女にライシスは徐々に冷たくなっていく。
剣の才能を見出された彼女は頭角を現し、やがて戦地で戦うライシスの元に騎士団の一員として駆けつけたいと申し出る。
念願が叶い、過酷な状況の元、男装騎士として活躍するミシェルはやがて、隊長であるライシスの性欲処理として扱われるようになり、終戦を迎えるが……
王道・ハッピーエンドのフィクションです。
◇ムーンライトノベルズさまでも投稿しています(別作者名ですが同一作者です)
2023年6月23日完結しました。
ありがとうごさいます。
【R18】婚約破棄されたおかげで、幸せな結婚ができました
ほづみ
恋愛
内向的な性格なのに、年齢と家格から王太子ジョエルの婚約者に選ばれた侯爵令嬢のサラ。完璧な王子様であるジョエルに不満を持たれないよう妃教育を頑張っていたある日、ジョエルから「婚約を破棄しよう」と提案される。理由を聞くと「好きな人がいるから」と……。
すれ違いから婚約破棄に至った、不器用な二人の初恋が実るまでのお話。
他サイトにも掲載しています。
大きな騎士は小さな私を小鳥として可愛がる
月下 雪華
恋愛
大きな魔獣戦を終えたベアトリスの夫が所属している戦闘部隊は王都へと無事帰還した。そうして忙しない日々が終わった彼女は思い出す。夫であるウォルターは自分を小動物のように可愛がること、弱いものとして扱うことを。
小動物扱いをやめて欲しい商家出身で小柄な娘ベアトリス・マードックと恋愛が上手くない騎士で大柄な男のウォルター・マードックの愛の話。
大事な姫様の性教育のために、姫様の御前で殿方と実演することになってしまいました。
水鏡あかり
恋愛
姫様に「あの人との初夜で粗相をしてしまうのが不安だから、貴女のを見せて」とお願いされた、姫様至上主義の侍女・真砂《まさご》。自分の拙い閨の経験では参考にならないと思いつつ、大事な姫様に懇願されて、引き受けることに。
真砂には気になる相手・檜佐木《ひさぎ》がいたものの、過去に一度、檜佐木の誘いを断ってしまっていたため、いまさら言えず、姫様の提案で、相手役は姫の夫である若様に選んでいただくことになる。
しかし、実演の当夜に閨に現れたのは、檜佐木で。どうも怒っているようなのだがーー。
主君至上主義な従者同士の恋愛が大好きなので書いてみました! ちょっと言葉責めもあるかも。
すべて媚薬のせいにして
山吹花月
恋愛
下町で小さな薬屋を営むマリアベルは、ある日突然王妃から媚薬の調合を依頼される。
効き目を確かめるべく完成品を自身で服用するが、想像以上の効果で動くこともままならなくなる。
そこへ幼馴染でマリアベルが想いを寄せるジェイデンが、体調不良と勘違いをして看病に訪れる。
彼の指が軽く掠めるだけで身体が反応し、堪えきれず触れてほしいと口走ってしまう。
戸惑いながらも触れる彼の手に翻弄されていく。
◇ムーンライトノベルズ様にも掲載しております。
媚薬を飲まされたので、好きな人の部屋に行きました。
入海月子
恋愛
女騎士エリカは同僚のダンケルトのことが好きなのに素直になれない。あるとき、媚薬を飲まされて襲われそうになったエリカは返り討ちにして、ダンケルトの部屋に逃げ込んだ。二人は──。
【R18】悪女になって婚約破棄を目論みましたが、陛下にはお見通しだったようです
ほづみ
恋愛
侯爵令嬢のエレオノーラは国王アルトウィンの妃候補の一人。アルトウィンにはずっと片想い中だが、アルトウィンはどうやらもう一人の妃候補、コリンナと相思相愛らしい。それなのに、アルトウィンが妃として選んだのはエレオノーラだった。穏やかな性格のコリンナも大好きなエレオノーラは、自分に悪評を立てて婚約破棄してもらおうと行動を起こすが、そんなエレオノーラの思惑はアルトウィンには全部お見通しで……。
タイトル通り、いらぬお節介を焼こうとしたヒロインが年上の婚約者に「メッ」されるお話です。
いつも通りふわふわ設定です。
他サイトにも掲載しております。
【R18】王太子に婚約破棄された公爵令嬢は純潔を奪われる~何も知らない純真な乙女は元婚約者の前で淫らに啼かされた~
弓はあと
恋愛
タイトル通り、王太子に婚約破棄された公爵令嬢が純潔を散らされるお話です。
皆がそれぞれ切ない想いを抱えていますが、ハッピーエンドかもしれません。
※設定ゆるめ、ご都合主義です。
※本編は完結していますが、その後の話を投稿する可能性があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる