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四章4
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ともに過ごす最後の夜だというのに、ふたりは目を合わせることもなくそれぞれの部屋にこもっていた。アデリナはベッドの上で膝を抱え、ぼんやりと時が経つのを待っていた。
この部屋にもベッドにも、カイのぬくもりが残っているような気がして……途方もなく寂しさがつのる。
「カ、イ」
失うとわかって、ようやくはっきりと自覚する。こんなにも強い思いなのに、どうして今まで気づかぬふりを続けていたのだろう。
(カイが好き。誰よりもあなたを愛している)
アデリナは急き立てられるようにベッドを飛びおり、自室の扉に手をかけた。向かいの部屋には彼がいる。最後にもう一度顔を見たい、カイの声が聞きたい。
拒絶される恐怖を振り切るようにアデリナは勢いより扉を開けた。すると、まったく同じタイミングで向かいの部屋の扉も開いた。
「アデリナ」
「カイ、どうしたの?」
ふたりの視線が甘く、切なく、絡み合う。とろりと空気が濃密になり、世界にふたりきりになる。
「話がしたくてっ」
ふたりは同じ台詞を叫んだ。
「そっちから」
「カイからどうぞ」
カイがふっと頬を緩め、唇の端を持ちあげた。アデリナはこの笑顔がたまらなく好きだった。ずっと、いつまででも見ていたい。そう思うのに……。
カイは静かな声で話し出す。
「一生、口には出さないつもりだったが、六年前のあの政争、俺はマクシミリアン殿下に正義があったと思っている」
オーギュスト家をはじめとする皇弟派の主張する正義は『幼い皇帝では国が混乱する』だったが、カイはただの詭弁だと切り捨てた。
「マクシミリアン殿下が成長されるまで彼を支えるのが臣下として正しい道だった。実際、殿下は聡明だった。彼とアデリナが夫婦となり治める国はきっと素晴らしかっただろうと思う」
「でも、タラレバを言い出したらきりがないわ」
実現しなかったマクシミリアンの治世と現皇帝カールの治世を比べることはできない以上、どちらが正義だったのかは永遠に決められない題目だ。
「もちろんそれはわかっている。だが、俺は心のどこかでマクシミリアン殿下やお前に後ろめたさを感じていた。もしかすると、レイン殿下も同じなんじゃないだろうか」
アデリナは黙って彼の話を聞いていた。
「アデリナを皇太子妃の地位に戻すことがせめてもの罪滅ぼしになると思っているのかもしれない」
カイもそんなふうに考えているのだろうか。そうだとしたら、見当違いもいいところだとアデリナは思った。マクシミリアンの無念はそんなことで晴れやしないし、アデリナは皇太子妃の地位を望んだことなど一度もない。もしレインが罪滅ぼしにアデリナの望みを叶えてくれようとしているのなら、このまま放っておいてほしいと言いたかった。
(このままカイのそばにいさせて……)
アデリナの願いはそれだけなのだが、口にすることはできなかった。違うと訴えたところで、アデリナにもカイにもどうすることもできない。
カイは無理やり作ったような、今にも泣き出しそうな笑顔をアデリナに向ける。
「レイン殿下はきっとアデリナを大切にしてくれる。お前はこの国で誰よりも皇太子妃の地位にふさわしい女だ。なにも心配ない、幸せになれ」
もうこらえきれなかった。アデリナの瞳から大粒の涙がはらはらとこぼれ落ちる。
「私……カイが好き。記録に残らなくても、なかったことにされても、私はカイと夫婦だったことを絶対に忘れない。幸せだった……どうしようもないほどに幸せだったの」
「俺もだ」
カイは手を伸ばし、アデリナの柔らかな頬に触れた。流れる涙を優しく拭う。
「――もう拭ってやれないんじゃなかったの?」
アデリナが言うと、カイはくすりと笑った。熱っぽい瞳でアデリナを見つめる。
「なんの記録にも残らないらしいからな。これくらいは許されるだろう」
カイはアデリナの細い腰を引き寄せ、かみつくようなキスをした。アデリナの心も、なにもかもを奪っていくような情熱的な口づけだった。絡み合う舌は焦げつくほどに熱くなり、甘い唾液が混ざり合う。
(心は、カイのもとに残していこう。そうしたらきっと寂しくない)
名残を惜しむように、つぅと銀糸を引いてふたりの唇が離れる。彼のぬくもりが離れていく寂しさにアデリナの心は悲鳴をあげた。浅く息を吐くアデリナの肩をカイはとんと押して、距離を取った。
「ここまでにしておこう。これ以上触れていたら、俺はお前を手放せなくなる。いっそふたりでと……よからぬことを企ててしまいそうだ」
そうしてくれたら、どんなに幸せだろうか。ふたりきりで誰にも邪魔されない場所へ行けるのなら――。アデリナは初めてクリスティアの胸のうちを理解できた気がした。
(でも、クリスティア姉さまを責め続けた私が同じ道を選ぶわけにはいかない。苦しくても、私は……そしてカイも、生きていくんだ)
アデリナは涙をこらえてほほ笑んだ。
「明日は見送らなくていいわ。カイには笑顔を覚えていてほしいから」
この部屋にもベッドにも、カイのぬくもりが残っているような気がして……途方もなく寂しさがつのる。
「カ、イ」
失うとわかって、ようやくはっきりと自覚する。こんなにも強い思いなのに、どうして今まで気づかぬふりを続けていたのだろう。
(カイが好き。誰よりもあなたを愛している)
アデリナは急き立てられるようにベッドを飛びおり、自室の扉に手をかけた。向かいの部屋には彼がいる。最後にもう一度顔を見たい、カイの声が聞きたい。
拒絶される恐怖を振り切るようにアデリナは勢いより扉を開けた。すると、まったく同じタイミングで向かいの部屋の扉も開いた。
「アデリナ」
「カイ、どうしたの?」
ふたりの視線が甘く、切なく、絡み合う。とろりと空気が濃密になり、世界にふたりきりになる。
「話がしたくてっ」
ふたりは同じ台詞を叫んだ。
「そっちから」
「カイからどうぞ」
カイがふっと頬を緩め、唇の端を持ちあげた。アデリナはこの笑顔がたまらなく好きだった。ずっと、いつまででも見ていたい。そう思うのに……。
カイは静かな声で話し出す。
「一生、口には出さないつもりだったが、六年前のあの政争、俺はマクシミリアン殿下に正義があったと思っている」
オーギュスト家をはじめとする皇弟派の主張する正義は『幼い皇帝では国が混乱する』だったが、カイはただの詭弁だと切り捨てた。
「マクシミリアン殿下が成長されるまで彼を支えるのが臣下として正しい道だった。実際、殿下は聡明だった。彼とアデリナが夫婦となり治める国はきっと素晴らしかっただろうと思う」
「でも、タラレバを言い出したらきりがないわ」
実現しなかったマクシミリアンの治世と現皇帝カールの治世を比べることはできない以上、どちらが正義だったのかは永遠に決められない題目だ。
「もちろんそれはわかっている。だが、俺は心のどこかでマクシミリアン殿下やお前に後ろめたさを感じていた。もしかすると、レイン殿下も同じなんじゃないだろうか」
アデリナは黙って彼の話を聞いていた。
「アデリナを皇太子妃の地位に戻すことがせめてもの罪滅ぼしになると思っているのかもしれない」
カイもそんなふうに考えているのだろうか。そうだとしたら、見当違いもいいところだとアデリナは思った。マクシミリアンの無念はそんなことで晴れやしないし、アデリナは皇太子妃の地位を望んだことなど一度もない。もしレインが罪滅ぼしにアデリナの望みを叶えてくれようとしているのなら、このまま放っておいてほしいと言いたかった。
(このままカイのそばにいさせて……)
アデリナの願いはそれだけなのだが、口にすることはできなかった。違うと訴えたところで、アデリナにもカイにもどうすることもできない。
カイは無理やり作ったような、今にも泣き出しそうな笑顔をアデリナに向ける。
「レイン殿下はきっとアデリナを大切にしてくれる。お前はこの国で誰よりも皇太子妃の地位にふさわしい女だ。なにも心配ない、幸せになれ」
もうこらえきれなかった。アデリナの瞳から大粒の涙がはらはらとこぼれ落ちる。
「私……カイが好き。記録に残らなくても、なかったことにされても、私はカイと夫婦だったことを絶対に忘れない。幸せだった……どうしようもないほどに幸せだったの」
「俺もだ」
カイは手を伸ばし、アデリナの柔らかな頬に触れた。流れる涙を優しく拭う。
「――もう拭ってやれないんじゃなかったの?」
アデリナが言うと、カイはくすりと笑った。熱っぽい瞳でアデリナを見つめる。
「なんの記録にも残らないらしいからな。これくらいは許されるだろう」
カイはアデリナの細い腰を引き寄せ、かみつくようなキスをした。アデリナの心も、なにもかもを奪っていくような情熱的な口づけだった。絡み合う舌は焦げつくほどに熱くなり、甘い唾液が混ざり合う。
(心は、カイのもとに残していこう。そうしたらきっと寂しくない)
名残を惜しむように、つぅと銀糸を引いてふたりの唇が離れる。彼のぬくもりが離れていく寂しさにアデリナの心は悲鳴をあげた。浅く息を吐くアデリナの肩をカイはとんと押して、距離を取った。
「ここまでにしておこう。これ以上触れていたら、俺はお前を手放せなくなる。いっそふたりでと……よからぬことを企ててしまいそうだ」
そうしてくれたら、どんなに幸せだろうか。ふたりきりで誰にも邪魔されない場所へ行けるのなら――。アデリナは初めてクリスティアの胸のうちを理解できた気がした。
(でも、クリスティア姉さまを責め続けた私が同じ道を選ぶわけにはいかない。苦しくても、私は……そしてカイも、生きていくんだ)
アデリナは涙をこらえてほほ笑んだ。
「明日は見送らなくていいわ。カイには笑顔を覚えていてほしいから」
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