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四章

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 四章

 カイの屋敷に戻り数日が経ったころ、アデリナの実家であるミュラー家から手紙が届いた。そこには大切な相談があるから一度帰ってきてほしいと記されていた。

「そういうわけだから、一度帰ってもいいかしら?」

 カイに拉致されるように家を出て以来、まだ一度も帰ってはいなかった。

「わかった。だが、必ず戻ってくると約束してくれ」

 念を押すように強く言い含められ、アデリナはこくりとうなずいた。カイはほっと安堵の表情を浮かべると、アデリナを抱き締め彼女の肩に顔を埋めた。

「そう簡単ではないことはわかっている。それでも、俺はお前を失いたくない」

 薄氷の上のような幸せを不安に思っているのは彼も同じだった。アデリナはほほ笑む。

「よかった。私もまったく同じ気持ち」

 実家に帰るアデリナにカイはいろいろと土産を持たせてくれた。

「お前の実家に必要なものを届けたいとずっと思っていた。だが、俺からの贈り物は嫌がらせにしかならないだろうから……お前からだと言って渡してくれ」

 彼の心遣いをアデリナは素直に受け取った。レガッタとオルコットは受け取りを拒否するかもしれないが、カイの心が少しでも伝わるといいと思った。

 久しぶりに訪れたミュラー邸は相変わらずのボロ家だったが、ここはアデリナにとってなにより大切な場所だ。レガッタとオルコットはアデリナを温かく出迎えてくれた。

「おかえり、アデリナ」
「元気そうでなによりだわ」

 応接間のソファに座ると、レガッタがお茶を出してくれる。風味の薄いアイスティーの味わいがひどく懐かしく感じられた。アデリナはカイから預かったものをレガッタに差し出す。

「その……カイが、お母さまにって」

 カイは自分の名を出すなと言っていたが、アデリナはおそるおそる彼の名を告げてみた。突き返されるのを覚悟しての行為だったが、レガッタはにっこりとほほ笑んでそれを受け取った。

「まぁ、うれしい! 保存できる食料は一番ありがたい贈り物だわ」
「嫌じゃない? 嫌なら無理しなくていいから」

 アデリナがそう言うと、レガッタはけろりとこう返した。

「あら。食材に罪はないもの」

 ウキウキした様子でもらった食材を検分している彼女に、アデリナはすっかり拍子抜けしてしまった。

「お母さまってば……すっかりたくましくなって」

 レガッタはくすりといたずらっぽく笑う。

「……夫を殺したオーギュスト家の息子は憎いけど、あなたの夫であるカイ・オーギュストは憎くないわ」
「全然わからない」

 小首をかしげてアデリナがぼやくと、レガッタは手を伸ばしてアデリナの頬を優しく撫でた。くすぐったさにアデリナは軽く身をよじる。

「だって、大切にしてもらっているのでしょう」
「え?」

 アデリナが顔をあげると、そこには慈愛に満ちたレガッタの笑みがあった。

「肌艶もいいし、目も輝いている。愛する娘を大切にしてくれている人を憎めるはずがないわ」

 レガッタはアデリナを優しく抱き締めた。

「あなたが幸せそうで、本当によかった」

 その言葉はアデリナの胸に優しく染みいった。幼い子どもに戻ったように、レガッタの背中にしがみつきアデリナは小さく嗚咽を漏らした。

「ごめんなさい……ごめんなさい。私だけ……クリスティア姉さまはあんなことになったのに」

 アデリナの涙を拭いながら、静かな声でレガッタは言う。

「クリスティアはあなたにとってどんな姉だった?」
「優しくて、強くて、私の憧れだった。今でもずっと、それは変わらない」

 カイはクリスティアを負け犬だと言った。そのことだけはきっと一生許せないだろう。
 レガッタは笑う。

「でしょう? そのクリスティアがあなたの幸せを呪うはずがない。きっと今頃、天国で憤慨していると思うわ」

 アデリナは思わず天井を見あげた。クリスティアがそこにいるような気がしたのだ。そこにいて、レガッタの言うように『失礼ねぇ』とあきれているような気がした。

 そう思うのはアデリナのエゴだろうか。

「私、あの屋敷で幸せになっていいのかな? 許されるかな」
「もちろんよ」

 レガッタの言葉に、ずっと黙っていたオルコットも口を開いた。

「お前の不幸を望む者などどこにもいない。それに、俺たちは彼の不幸も望んではいない」

 オルコットの言葉にアデリナはまたポロポロと涙をこぼした。長い間、澱のようにたまっていたものがサラサラと流れて消えていくのを感じた。

「ありがとう、欲しかった言葉をくれて」

 落ち着きを取り戻したアデリナはようやく本題を思い出した。

「そういえば、大切な相談って?」

 ふたりは困りきった顔で打ち明ける。

「実はね……皇宮から使いがきて、うちが伯爵位を賜ることになったと言うのよ」
「伯爵位?」

 どう考えてもおかしな話だった。爵位はなにかの功績に対して与えられるものだ。すっかり政権から遠ざかっているミュラー家に功績などあるはずがない。

「それは、確かに妙な話ね」

 アデリナは言いながら、カイもしくはオーギュスト家がなにか手を回したのだろうかと考えた。でも、それならカイからなにか説明があるはずだ。

「私もそう思って使いの方に聞いてみたのよ。親切な人でね、うわさだけどと、前置きして少し内情を教えてくれたの」

 レガッタは親切な人と信じているようだが、実情はレガッタの美貌に目がくらみ口を滑らせたといったところだろう。とはいえ、皇宮内部の情報なら信憑性はあるかもしれない。アデリナはレガッタの言葉の続きを待った。

「どうもね、レイン殿下の進言らしいの。現皇帝のカール陛下は……なんというか敵も多いでしょう」

 アデリナはうなずく。表立っては誰も口にしないが、彼には『簒奪王』という不名誉なあだ名がある。エバンス家を擁護するわけではないが、やはり六年前のあの皇位継承争いはマクシミリアンが継ぐのが正統だったと思っている人間は多い。隠れ反皇帝派といわれる勢力だ。ミュラー家は今さらそこに加わる気もないが、彼らはミュラー家に同情的だった。

「うちの名誉を回復することで、反皇帝派のガス抜きをしようとレイン殿下は考えたらしいのよ」

 アデリナは納得いかない表情で腕を組み、考え込んだ。

「う~ん、そんなことしたら反皇帝派を勢いづけるだけじゃないかしら。よくわからない話だわ」

 先日見たレインのつかみどころのない笑顔をアデリナは思い出していた。

(あの言葉といい、彼はなにを考えているのかしら)

「カイがなにか知っているかもしれない。戻ったら聞いてみるわ」
「えぇ。なにかわかったら教えてね」

 数日だけの滞在で、アデリナはすぐにカイの待つ屋敷に戻った。伯爵位の話をなにか知らないか聞きたかったし、もうひとつ彼に大切な話をしたかった。

(もしカイがどこか遠くに行くなら自分も一緒に行きたい。そう正直に話してみよう)

 過去を消すことはできないけれど、アデリナはこの先の人生をカイとともに歩んでいきたいと思っている。

(だって、一度もきちんと伝えていないもの。私はカイのことが――)

 幸せになるつもりだった、なれると信じていた。それなのに、数日ぶりに戻ってきたこの場所は、もうアデリナを受け入れてはくれなかった。
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