上 下
11 / 44

二章

しおりを挟む
 二章

 アデリナが屋敷に来てもうひと月が過ぎたが、結局、ふたりが身体を重ねたのは最初の夜だけだった。顔を合わせれば普通に会話はするが、カイがアデリナの部屋を訪れることはなくなった。

 アデリナは厨房でジャガイモを手に、考え込む。

(怒らせた、もしくはあきれられた?)

 悪態をついたり、泣いて拒んでみたりと、良妻とは言いがたいアデリナの態度にうんざりしたのかもしれない。カイの本心が気になりつつも、アデリナははっきりと聞けないでいた。  

 聞いた結果、万が一にもまた彼と夜をともにすることになったらと思うと怖いのだ。行為そのものがではない。自分の心がどうなってしまうかわからないのが恐怖だった。彼を憎んでいるはずなのに……彼の腕に抱かれていると、なにも考えられなくなってしまう。アデリナはそれが怖かった。かといって、このままなにもなく日々が過ぎていくのも、自分の存在価値がわからず不安になる。

「はぁ」
「なにをしている?」

 耳元にかかる吐息に驚き、アデリナはイモを落としてしまった。床に転がったそれをカイが拾う。

「カイ、戻っていたの?」

 彼は出かけるときに着ていた訓練用の軍服からラフなシャツに着替えを済ませていた。シャワーを浴びてきたところなのか、清潔な香りがアデリナの鼻をふわりとくすぐる。

「あぁ。今日は予定より早く帰れた。で、お前はこんなところでなにをしてるんだ?」

 カイに差し出されたイモを受け取りながらアデリナは答える。

「実家でよく食べていたジャガイモのパイを作ろうと思って」

 この屋敷で出される料理はどれもこれも絶品なのだが、贅沢な味に慣れると不思議なほどに実家の素朴な味が恋しくなった。それにたまには料理をしないと腕が鈍る。

(ずっとここで優雅な暮らしを続けるわけじゃないんだから)

 アデリナの答えを聞いたカイは途端に怪訝な顔になる。まぁ、彼がそう思うのは仕方がないことだ。貴族社会では料理は使用人の仕事だからだ。

「お前が作るのか?」
「そうよ。料理も掃除も自分でやってみると案外楽しいのよ」

 アデリナは家事の素晴らしさを語ったが、カイはまったくピンとこないようだった。
 だが、『ダメだ』とは言われなかったので、アデリナはカイを気にせずジャガイモの下ごしらえを始める。彼があまりに真剣な眼差しで見ているので、少し緊張する。

「そんなにジロジロ見ないでよ」

 ナイフで皮をむきながらアデリナは口をとがらせた。

「器用だな。だが、材料はイモだけか? 貧乏くさい」
「これはイモだけで十分においしいの!」

 カイはあれこれと口出しをしながら、結局完成するまでアデリナのそばにいた。

「よかったら、ひと口くらい食べてみる?」

 オーブンから出したばかりの焼きたてのパイを切り分けて、アデリナはカイにもすすめた。
 カイはダイニングルームに行儀よく座り、フォークを口に運ぶ。

「どう?」

 我ながら上手に焼けたと、アデリナは自信を持っていた。食材もオーブンも実家よりずっと上等なので味も悪くないはずだ。だが、カイの反応は微妙なものだった。

「不思議な味だな」

 アデリナは小さく息を吐いた。でもまぁ、考えてみれば高級食材に慣れ親しんだ彼の口に合わないのは当然のことかもしれない。アデリナ自身だって、エバンス家の令嬢のままだったら決して口にすることのなかった料理だろうから。
 カイは黙々とフォークを口に運び続けている。

「えっと、無理しなくていいよ。私が食べたくて作っただけだし」
「あぁ」

 そう言いながらも、パイを食べる彼のペースは少しも落ちない。アデリナは小首をかしげる。

「もしかして……おいしいの?」

 カイは決まりの悪そうな顔でアデリナから目をそらす。アデリナはぷっと吹き出すように笑った。

「貧乏くさいって言ったくせに」
「食べてやってるのに文句を言うな」
「別に頼んでないですけど」

 ちょうど夕食の準備の時間になったのか、数名の使用人たちがダイニングルームへと入ってきた。彼女たちはアデリナのパイに目を留めると、クスクスとさげすむような笑い声を響かせた。
 アデリナは肩をすくめて聞こえないふりをしていたが、カイは音を立てて椅子から立ちあがると、彼女たちに冷ややかな視線を送る。

「教えてくれ。今の笑い声にはどんな意味があるんだ?」

 カイににらまれた彼女たちは萎縮し、うつむくばかりで言葉はない。

「この屋敷で働き続けたければ、オーギュスト家の人間である俺の妻に敬意を払え」
「も、申し訳ありませんでした!」

 バタバタと逃げるように厨房へと駆けこんでいく彼女たちの背中を見送ってから、カイはアデリナへ視線を移した。

「昔の威勢はどこへいったんだ?」

 アデリナは苦笑して首を横に振る。

「ここで嫌われるのは仕方のないことだもの。彼女たちを責めないであげて」

 アデリナはオーギュスト家にとっては仇だ。むしろ彼女たちの忠誠心は褒められるべきことだろう。

「堂々としていろ。誰がどう思っていようが、お前はカイ・オーギュストの妻だ」

 アデリナは礼の代わりにカイにほほ笑んでみせた。

「そうだ。伝え忘れていたが、明後日の夜は空けておいてくれ」

 カイはさらりと話題を変える。

「なにかあるの?」

 アデリナにはなんの予定もないのだが、一応そう聞いてみた。

「総司令官の屋敷で夜会がある。それに招待されているんだ。結婚した以上、パートナーの同伴は必要だ」

 総司令官はカイにとって唯一の上官に当たる人物だ。だが、カイの表情から察するに彼自身も特段楽しみにしているイベントではなさそうだった。

「や、夜会……」

 アデリナの顔がひきつる。

「嫌いか?」
「好き嫌いじゃなく、もう何年も参加していないもの、作法も忘れたし、ワルツだって踊れない」

 ミュラーに名を変えてからは、夜会に招待されることなど一度もなかった。この状態で参加しても恥をかくだけだろう。カイは「そんなことか」とほっとしたような顔を見せる。

「作法もワルツも不要だ。お前は俺の隣にいればそれでいい」

 彼は頬を緩めてそう言ったが、アデリナは困り果てた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】赤い瞳の英雄は引き際を心得た男装騎士の駆け落ちを許さない〜好きだと言えない二人の事情〜

たまりん
恋愛
登場人物紹介 ◇ライシス・クラディッシュ 26歳《国境の騎士団長、やがて救国の英雄となる》 ◇ミシェル・フランシス   21歳《男装した女性騎士、戦時中の性欲処理も…》 ◇キクルス・クラディッシュ 30歳《ライシスの兄 クラディッシュ伯爵家当主》 ◇レオン・ミステリア    22歳《ミシェルと同期の騎士 ミシェルは命の恩人》 あらすじ  幼い頃、老女と共に隣国との国境で行き倒れていたミシェルは、武門として名高いクラディッシュ伯爵家で育てられて年の離れたライシスを兄とも慕い、恋心を持つようになるが、そんな彼女にライシスは徐々に冷たくなっていく。  剣の才能を見出された彼女は頭角を現し、やがて戦地で戦うライシスの元に騎士団の一員として駆けつけたいと申し出る。  念願が叶い、過酷な状況の元、男装騎士として活躍するミシェルはやがて、隊長であるライシスの性欲処理として扱われるようになり、終戦を迎えるが…… 王道・ハッピーエンドのフィクションです。 ◇ムーンライトノベルズさまでも投稿しています(別作者名ですが同一作者です) 2023年6月23日完結しました。 ありがとうごさいます。

【R18】婚約破棄されたおかげで、幸せな結婚ができました

ほづみ
恋愛
内向的な性格なのに、年齢と家格から王太子ジョエルの婚約者に選ばれた侯爵令嬢のサラ。完璧な王子様であるジョエルに不満を持たれないよう妃教育を頑張っていたある日、ジョエルから「婚約を破棄しよう」と提案される。理由を聞くと「好きな人がいるから」と……。 すれ違いから婚約破棄に至った、不器用な二人の初恋が実るまでのお話。 他サイトにも掲載しています。

大きな騎士は小さな私を小鳥として可愛がる

月下 雪華
恋愛
大きな魔獣戦を終えたベアトリスの夫が所属している戦闘部隊は王都へと無事帰還した。そうして忙しない日々が終わった彼女は思い出す。夫であるウォルターは自分を小動物のように可愛がること、弱いものとして扱うことを。 小動物扱いをやめて欲しい商家出身で小柄な娘ベアトリス・マードックと恋愛が上手くない騎士で大柄な男のウォルター・マードックの愛の話。

大事な姫様の性教育のために、姫様の御前で殿方と実演することになってしまいました。

水鏡あかり
恋愛
 姫様に「あの人との初夜で粗相をしてしまうのが不安だから、貴女のを見せて」とお願いされた、姫様至上主義の侍女・真砂《まさご》。自分の拙い閨の経験では参考にならないと思いつつ、大事な姫様に懇願されて、引き受けることに。  真砂には気になる相手・檜佐木《ひさぎ》がいたものの、過去に一度、檜佐木の誘いを断ってしまっていたため、いまさら言えず、姫様の提案で、相手役は姫の夫である若様に選んでいただくことになる。  しかし、実演の当夜に閨に現れたのは、檜佐木で。どうも怒っているようなのだがーー。 主君至上主義な従者同士の恋愛が大好きなので書いてみました! ちょっと言葉責めもあるかも。

すべて媚薬のせいにして

山吹花月
恋愛
下町で小さな薬屋を営むマリアベルは、ある日突然王妃から媚薬の調合を依頼される。 効き目を確かめるべく完成品を自身で服用するが、想像以上の効果で動くこともままならなくなる。 そこへ幼馴染でマリアベルが想いを寄せるジェイデンが、体調不良と勘違いをして看病に訪れる。 彼の指が軽く掠めるだけで身体が反応し、堪えきれず触れてほしいと口走ってしまう。 戸惑いながらも触れる彼の手に翻弄されていく。 ◇ムーンライトノベルズ様にも掲載しております。

媚薬を飲まされたので、好きな人の部屋に行きました。

入海月子
恋愛
女騎士エリカは同僚のダンケルトのことが好きなのに素直になれない。あるとき、媚薬を飲まされて襲われそうになったエリカは返り討ちにして、ダンケルトの部屋に逃げ込んだ。二人は──。

【R18】悪女になって婚約破棄を目論みましたが、陛下にはお見通しだったようです

ほづみ
恋愛
侯爵令嬢のエレオノーラは国王アルトウィンの妃候補の一人。アルトウィンにはずっと片想い中だが、アルトウィンはどうやらもう一人の妃候補、コリンナと相思相愛らしい。それなのに、アルトウィンが妃として選んだのはエレオノーラだった。穏やかな性格のコリンナも大好きなエレオノーラは、自分に悪評を立てて婚約破棄してもらおうと行動を起こすが、そんなエレオノーラの思惑はアルトウィンには全部お見通しで……。 タイトル通り、いらぬお節介を焼こうとしたヒロインが年上の婚約者に「メッ」されるお話です。 いつも通りふわふわ設定です。 他サイトにも掲載しております。

【R18】王太子に婚約破棄された公爵令嬢は純潔を奪われる~何も知らない純真な乙女は元婚約者の前で淫らに啼かされた~

弓はあと
恋愛
タイトル通り、王太子に婚約破棄された公爵令嬢が純潔を散らされるお話です。 皆がそれぞれ切ない想いを抱えていますが、ハッピーエンドかもしれません。 ※設定ゆるめ、ご都合主義です。 ※本編は完結していますが、その後の話を投稿する可能性があります。

処理中です...