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一章8

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 十二歳で迎える進級試験でアデリナは金バッジを授与されることになった。それも全受験生のなかで一位という素晴らしい成績で。
 授与式を前にして、選ばれし十名が控室に集まっていた。この国では女性は謙虚であることが美徳とされる。そのせいなのかどうなのか、アデリナ以外は全員男子だった。

「女のくせに」
「ふん。エバンス家なら試験問題を入手するくらい、たやすいんじゃないか」

 世間では陰口は女の専売特許だと思われているようだが、そんなこともない。男女問わず人間という生き物は、集まれば他人の悪口を言いたくなるのが性らしい。
 彼らの卑屈な笑い声を、アデリナは黙って受け流していた。つまらない人間の妬みなど気に留めるほどのものでもない、本心からそう思っていた。アデリナが気にしているのは、自分と彼と、どちらの名が先に呼ばれるのかということだけだ。

 今回の進級試験、アデリナとカイは同点一位だったのだ。この場合、もっとも重要とされる外国語の点数がよかったほうが授与式では先に名前を呼ばれるというルールがあった。
 アデリナは外国語の結果にはかなりの自信を持っている。だが、外国語はカイの得意科目でもあるのだ。

 アデリナが完全無視しているのが気に食わないのか、彼らの陰口はしつこく続いていた。

「女はでしゃばらないほうがいいな」
「あぁ、目立ちたがりやの女は絶対に妻にしたくない」

 ガタンと大きな音を立てて、おもむろにカイが席を立った。ゆっくりとみんなのほうに顔を向ける。アデリナも少し驚いて、彼の行動を見守る。

「な、なんだよっ」

 陰口を叩いていたひとりが少しおびえたようにカイを見あげる。

「暇を持て余しているなら、ちょっと相談があるんだ。休暇中の課題についてなんだが――」

 カイの考えているテーマはとても高度な内容で、ほとんどの者は彼の話についてこられないようだった。知ったような顔で適当な相槌を打っている。

「悪くないんじゃないか。俺も似たようなテーマを考えていたところだ」

 アデリナは不自然さを感じながらも、口をつぐんでいた。余計な口出しをすれば、また『女のくせに』と言われるだけだからだ。だが、カイはアデリナにも話を振った。

「アデリナは、どう思う?」

 少し迷ったが、アデリナは自分の意見をはっきりと口にした。

「そのテーマなら帝国暦四百二年の戦争は除外すべきじゃないかな? あの戦争の本質は民族ではなく宗教にあると思う」

 自身の意見を否定されたというのに、カイは満足げににっこりとほほ笑んだ。

「やっぱりそう思うよな」

 その言葉でアデリナはこの茶番劇の意味をさとった。そもそも、この程度の問題に彼が気づかないはずはない。
 カイは声をあげて笑いながら、みんなに言う。

「ほら。この短い会話だけでも試験に不正がなかったことは明らかになっただろ」
「なっ」

 彼らの顔が屈辱にかっと赤くなる。カイは心底楽しそうな顔で続けた。

「心配するな。その程度の実力でアデリナ・エバンスの結婚相手に選ばれることは、天地がひっくり返っても絶対にないから」

 アデリナは戸惑っていた。礼を言うべきなのだろうか……別にかばってほしかったわけではない。だが、彼が自分の能力を認めてくれていることは素直にうれしかった。というより、カイが認めてくれるのならば、他の人間などどうでもいいのだ。アデリナのライバルはカイだけなのだから。

「あのっ」

 アデリナは勇気を振り絞って、カイに声をかける。ふたりの視線がまっすぐにぶつかると、カイはふっと柔らかな笑みを浮かべた。

「さぁ。先に名前を呼ばれるのは俺かお前か……楽しみだな」

***

 あのときのカイの笑顔は、アデリナの記憶のなかに今もずっと居座り続けている。少なくとも、十二歳のあの日のアデリナはカイを嫌いではなかった。

(どうして、こんなときに思い出してしまうんだろう)

 アデリナの目からはらりと涙がこぼれ、シーツをぬらした。それを見たカイは困惑した様子で目を瞬かせた。

「なぜ泣く?」
「泣いてない」

 アデリナはごしごしと乱暴に涙を拭ったが、カイにその手を取られ、止められてしまった。彼はアデリナの瞳を探るようにじっと見ている。

「どこか痛いか」

 アデリナはぶっきらぼうに吐き捨てる。

「気にしないで。続けて」

 アデリナの意向に反して、カイはアデリナに覆いかぶさっていた身体を起こす。アデリナの背中に手を添えて、ゆっくりと彼女の身体も起こした。ベッドに座った状態で、ふたり向かい合う。

「いいの、続けてよ。子を望むのは私も同じだから」

 子を授かりさえすれば、この生活を終わりにできるのだ。それに、ついていかないのは心だけで、身体はきちんとカイを受け入れる準備ができている。だが、カイは静かに首を横に振った。

「今夜はいい。だから……これ以上、泣くな」

 彼の口から発せられたとは思えぬほどに、その声は優しく響いた。彼の手がおずおずとアデリナの背中をさする。

「や、優しくしないでよ」

 涙腺が壊れてしまったかのように、わけもなく涙が流れた。カイはアデリナの頬に唇を寄せると、こぼれるしずくを優しく舐めとった。傷ついた動物が互いを慰め合うかのように、ふたりはじっと寄り添っていた。カイの体温は不思議なほどに心地よく、力強く打ちつける鼓動の音を聞いているとアデリナの心は静まっていった。
 そのまま抱き合ったままベッドに横たわり、アデリナはいつの間にか眠ってしまった。

 翌朝、先に目覚めたのはアデリナのほうだった。カイはまだ隣にいて、規則正しい寝息が聞こえてくる。

(自分の部屋に戻らなかったんだ……)

 アデリナはカイの寝顔をじっと見つめる。伏せられた長い睫毛にすっきりとした鼻梁、形のいい唇。こうして見てみれば、あの頃の面影が確かに残っていた。

「……なにを見ている?」

 カイの目が突然ぱちりと開き、唇は低くかすれた声を発した。アデリナは慌てて目をそらそうとしたが、少し遅かった。至近距離で視線が絡み合う。寝起きのカイは妙な色気があり、アデリナの胸はドキリと小さく鳴った。

「別に。なんでもない」

 カイはあくびをしながら、上半身を起こした。裸のままの背中を直視できなくて、アデリナはうつむいた。

「あの、ゆうべはごめんなさい」

 ブルーグレーのシーツを見つめたまま、アデリナは言う。

「夫がその気になったら黙って従えと、教育を受けたのに」

 貴族学院を卒業するとき、女性徒だけが集められ『妻の心得』という授業を受けた。そこで、行為を中断させることは決してしてはならないと教えを受けたのに、ゆうべはすっかり忘れてしまっていた。
 カイは振り向き、ややバツの悪そうな顔で答える。

「別に、怒ってなどいない」
「そもそも、なぜやめたりしたの? 私の感情はどうでもいいと言ったのに」

 ゆうべの彼の態度がアデリナには解せない。アデリナが首をかしげて彼を見ると、カイは苦虫をかみつぶしたような顔になる。

「いちいち蒸し返すな」
「だって……あなたが優しいとなんだか怖いんだもの」

 優しくされると、混乱する。どんな顔をしたらいいのかわからなくなる。いがみ合っているほうがずっと気楽だ。

「優しくした覚えはない。ただの気まぐれだ」

 この話は終わりだ、そう言いたげにカイはアデリナに背を向けた。
 








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