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一章3

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「いらっしゃい、先生!」

 シャロット・ブラウは十一歳になる女の子だ。きりりとした意思の強そうな瞳が印象的で、ブルネットのショートヘアがとてもよく似合っている。

「進級試験まであと半年。頑張ろうね」

 シャロットはアデリナの後輩でもある。というのも、この国では貴族の子弟はみな『帝国貴族学院』と呼ばれる学校に通うことが義務づけられている。学院の目的は皇帝に忠実で優秀な臣下を育成することだ。貴族といえども国民はすべて皇帝の管理下に置かれているのだ。学院の成績は将来に直結する。よい成績で卒業できれば、男は官僚か軍人としてエリートコースを歩むことができる。女はよりよい相手と結婚できる。
 十二歳で迎える進級試験で生徒たちは細かくクラス分けされる。この最初の一歩でつまずくと、もう巻き返すのは不可能になってしまう。

 シャロットはその大事な進級試験を控えていた。

「うん、絶対金バッジをもらうわ」

 上位十名に与えられる金バッジはこれ以上ない栄誉で、将来を約束する手形とも言われている。といっても、もちろん例外はある。アデリナがその例だ。金バッジを持っているが、彼女の将来はちっとも安泰ではない。明日の食料にも困窮しているくらいなのだから。

 だが、アデリナの例はシャロットには当てはまらないだろう。ブラウ伯爵は栄華を誇るオーギュスト家の派閥に入っており、その未来は明るい。それに、シャロットは優秀な生徒だった。頭の回転がよく、努力家で、なにより彼女には野心がある。

「金バッジをもらって、五年婚のリストから外れるの。進級テストが楽しみ!」

 五年婚のリストから外れる。それは、この国では皇族の結婚相手候補になったことを意味する。貴族の女性としては最高の誉れだ。

「そうね。シャロットならきっと大丈夫」

 アデリナはそう言ってほほ笑んだが、本心ではシャロットに皇宮へなんて嫁いでほしくはなかった。皇族は神と崇められ、神秘のベールに包まれている。よく実態を知らない平民たちは彼らを聖人だと信じているようだが、そんなに綺麗な存在ではない。皇宮なんて、何年、何十年と醜い争いの舞台となっている血なまぐさい場所なのだ。

 もっとも、現在の皇族男子の数はとても少ない。傍系には数名いるのだろうが、シャロットの望む玉の輿といえる相手は皇太子レインくらいのものだ。彼はもう十九歳だから、正妃候補の目星はとっくについているだろう。皇帝カールはまだ三十代だからこれから子が産まれることもあるかもしれないが、シャロットと似合いの年頃かと問われれば疑問の残るところだ。だが、せっかくの彼女のやる気をそぐ必要はないだろうとアデリナは口をつぐんだ。

 シャロットははたと気づいたように、アデリナの顔をのぞき込む。

「そういえば、先生はもう二十歳になるのよね?」
「うん、あと数か月でね」

 今は七月、アデリナの誕生日は十月だ。

「そろそろ結婚が決まる頃ではないの?」

 シャロットの疑問はもっともだが、その答えはアデリナ自身にもわからない。知っている人間がいるのならば、教えてほしいくらいだ。

「そのはず……なんだけどね」

 アデリナは苦笑するしかなかった。

 帝国には通称、『五年婚』と呼ばれる婚姻制度がある。結婚相手を神の意思に基づき決めるという仕組みだ。もっとも、実態はそうロマンチックなものではない。血統、頭脳、身体能力、容姿、性格、様々な要素を複合的に判断し、国が最適な結婚相手を選び出しそれを勅命とするのだ。

 国民が幸せな結婚生活を送るためという大義名分のもとに運用されているが、実際には優秀な臣下を多く産み出すという軍事国家らしい目的があった。つまり、優秀な遺伝子を最大限に生かすためという意味合いがある。それに、かつて主流であった家同士の政略結婚は皇帝にとってはあまり都合がよくない。それを禁止する目的も大きかったのだろう。

 ちなみに、五年婚という通称は五年を経ても子を成すことができないと、その婚姻は解消され別の相手をあてがわれるというルールからきている。

 ともかく、貴族の子弟は十二歳になると五年婚リストに名前がのる。ここから外れるのは皇族男子の結婚相手候補と認められた一部の女性だけだ。逆に皇族女子は降嫁するのが慣例のため同じく十二歳でこのリストにくわわることになっている。

 貴族男子は二十歳になるとこのリストから妻が選出され結婚することになる。相手は十八歳から二十歳くらいの女性だ。つまり、二十歳になれば必ず相手が決まる男子と違い、女子はいつ結婚が決まるかわからないのだ。いつまでたっても選出されないという最悪のケースもある。アデリナはどうもこのコースに乗りかけているような気がしていた。

 あと数年を経ても結婚が決まらないと、平民の五年婚リストに名を連ねることになるかもしれない。

(暮らしぶりはそう変わらないし、別にそれでもいいのだけどね)

 いっそ、そのほうが幸せになれるかもしれない。貴族の家に嫁いでも、逆賊エバンス家の娘だと腫れ物のような扱いを受けることになるだろうから。

 浮かない顔をしているアデリナを見かねたのか、シャロットはぽんと手を打った。

「お父さまの友人に五年婚制度の担当者がいるわ。私が先生をアピールしておいてあげる!」
「うん。ありがとう、シャロット」

 十歳近くも年の離れた教え子にまで気を使われてしまい、アデリナの口からは乾いた笑いがこぼれた。婚姻は神の導く運命の相手……ということになってはいるが、実際には賄賂や口利きがそれなりに有効であることは貴族なら誰でも知っている。

 シャロットの家からの帰り道、アデリナは貴族学院時代の同級生の顔を思い出していた。女子はすでに結婚した者のほうが多い。幾人ものお披露目パーティーにアデリナも出席していた。男子はみな二十歳を迎える今年、結婚することになるのだ。

 彼らのなかにアデリナの夫となる相手がいたりしないだろうか。わりと真剣に考えてみたが、思い当たる相手はいなかった。自慢ではないが、アデリナの成績はかなりよかった。容姿も身体能力も平均より劣るわけではない。だが、やはり元エバンス家というのは大きなマイナスポイントになるだろう。エリートぞろいだった同級生たちの相手に選出されることはきっとない。

(エリートか……)

 ふいに思い出したくない相手の顔が浮かんでしまい、アデリナはブンブンと勢いよく頭を振った。

「あんな奴……」

 カイ・オーギュスト。彼に最後に会ったのはいつだったか、学院の卒業パーティーだっただろうか。

 現在の彼は帝国騎士団の団長を務めている。騎士団は東西南北そして中央の五つの団に別れており、カイはもっとも重要な中央の団長。次期総司令官の座は間違いないだろうとのうわさだった。
 その彼の誕生日がたしか今月だ。素晴らしい女性が妻に選出され、きっと華々しいお披露目パーティーを開くのだろう。
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