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余命 4

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 寝台に横たわった雪為は、熱に浮かされていた。

 浅く息を吐くその顔はちっとも苦しげではなく、むしろ幸せな夢のなかを生きているかのように、恍惚としていた。

 私は彼の枕元に座り、じっとその顔をのぞきこむ。

「……初音?」

 寝ぼけているようだ。

「あぁ。違う、ネコか。なんだ、その姿は」

 私は答える。もっとも、雪為の耳には届くだろうがほかの人間には聞こえない。

『私の……本来の姿よ。どう? 綺麗でしょう』

 私は彼の前でくるりと回ってみせた。

  今見れば、すっかり時代遅れの着物と髪型だろうが、私の美貌は時代に左右されることのない本物だ。

『巴は絶世の美女だな。千年経っても、そなたより美しい女子は生まれないぞ』

 あの男は嘘ばかりついていたけれど、その言葉だけは真実だった。

 雪為は弱々しく笑む。

「あぁ、美しいな。初音によく似ている」

 私はふんと鼻白んだ。死にかけで、目も脳もおかしくなっているのだろう。

『初音のために死ぬ自分に酔いしれているの?』

 かつての自分がそうだった。

 本当にあの男を愛していたのなら、本性を見たあとでも知らぬふりで彼のために死んだはずだ。

 私は逃げようとした。それがすべてだ。

 雪為はちょっと考え込むそぶりをしてから、静かに返した。

「いや、自分のためだな。俺は弱い。初音を失ったあとの時間が恐ろしいのだ。永遠の地獄に耐える自信がない」

 時間という概念は不思議なものだ。

 愛し合うふたりにとっての一年は残酷なほどに短いけれど、憎み合うふたりの一年はそら恐ろしくなるほどに長い。

『初音は弱くないの?』

「あぁ、初音は強い。強いものが生き残るのは、すべての生き物の宿命だ」

 雪為は誇らしげに笑む。

 なんと勝手な言い分か……そう思うものの、ある意味では雪為の主張は正しいのかもしれない。

 初音には成匡がいる。女はか弱い生き物だけれど、母親はしぶとく逞しい。

 我が子のためなら聖母にも修羅にもなれるのが母親という存在だ。

 だが、当の本人はまったく納得できなかったらしい。

 スパンと小気味よい音を立てて、障子が開かれた。

 怒りに全身を震わせた初音が、こぶしを握り締めて仁王立ちしている。

 なにがなんだかわからぬ顔で、成匡は母親と、もうすぐ死のうとしている自身の父親を交互に見比べている。

「……初音」

 驚きでかすれている雪為の声を遮って、初音は叫ぶ。

 今の会話で自分が追い出された本当の理由を知ったのだろう。

「雪為さまは……最低です! クズです、クズ! 成匡の父として恥ずかしいとは思わないのですか」

 あまりの勢いに、雪為はもちろん私まで気圧されてしまった。

 初音は顔を紅潮させて、ありとあらゆる罵詈雑言を彼にぶつけた。肩で息をする初音を見て、雪為は幸せそうに目を細めた。

「初音、こちらへ」

 雪為にはもう、初音のもとまで歩いていく体力さえ残っていないのだろう。

 その事実が初音の胸を痛めつける。苦しそうに顔をゆがめて、初音はよろよろと彼に近づく。

 枕元に初音が腰をおろすと、雪為はゆっくりと手を伸ばし彼女の頬に触れた。

「初音は……温かく、美しいな」
「雪為さま、雪為さまっ」

 初音は自身の頬に添えられた彼の手をぎゅっと握り、大粒の涙をこぼした。

「お前の言うとおり、俺は最低の男だ。苦しみをお前に押しつけて、自分だけ楽になろうとしている」

 初音はぬれた瞳でじっと雪為を見つめる。

 一瞬一瞬を決して見逃さないように、そんな気迫のこもった眼差しだ。

「だからな、最低な男のことはさっさと忘れて……これからもたくさんの〝好きなもの〟を探せ。お前と成匡の一生が〝好きなもの〟であふれることを、俺はあの世で願うから」

 雪為は言う。

「生きろ、初音」

 強い声だった。彼の魂を懸けた、祈り。

 だが、初音も負けてはいない。まっすぐに、射貫くような眼差しで雪為を見る。

「生きるってなんなのでしょう? 無為にときを過ごすことではないでしょう?」

 初音は全身全霊で訴えている。

 雪為に、ともに生きてほしいのだと。

「あなたなしの百年よりあなたと過ごす一日が、私にとっては生きるということです!」

 初音は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、なお訴える。

「私にそれを教えてくれたのは……雪為さまです」
「初――」

 雪為が彼女を呼ぶ声は、初音の唇で塞がれた。

 その甘やかな口づけが、雪為の決意を揺らがせたことに私は気がついた。

 ふふっと笑いながら、彼に告げる。

『これは勝負あったわね。たしかに、初音は強い』

 雪為が恨みがましい目で私をにらむ。

 ふたりの幸福がうつったのだろうか。私の心までポカポカと温かくなった。

 その瞬間、私は自身の身体が重い鎖から解き放たれたのを感じた。

 軽やかに、どこまででも飛んでいけるような気がした。
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