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追憶 1

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 この身が異形と成り果ててから、どれだけの月日が経っただろう。

 かつての私には『ともえ』という名があった。

 美しく、聡明で、心根も優しく……最良の花嫁だと、誰もが顔をほころばせた。

 あの男もそうだった。

『そなたを愛している』
『私はなんと幸運なのだろう。永遠に大切にする……私の命姫』

 彼は夜毎、私への愛を語った。

 愛されることの喜びを知り、私はとても幸せだった。

 自分以上に幸福な娘はいない、そう信じていた。

 だが、不幸なことに私は初音よりずっと賢かったのだ。

 彼の花嫁となって二年もすると、命姫のからくりに薄々気がついてしまった。

 でも……それでもいいと思った。

 彼は知らない。このままどうか気づかずに――。そう、願った。

 自分の身代わりに私が死んでいく残酷な事実を、愛する男には知らせたくなかった。

 今になって思えば、なんと滑稽なことか。おめでたいにもほどがある。

 嫁いで三年。

 腹心とボソボソと内緒話をする夫の声を、私は偶然にも聞いてしまったのだ。

『いいか。僧医によく言い含めておけよ。巴は治癒の難しい病にかかっている、みなの前でそう言えとな』
『かしこまりました。物の怪に憑かれていると言いましょう』

『あぁ、それがいい。巴本人には絶対に知られるなよ。逃げられでもしたら、面倒だ』

 冷たい手で心臓を握られたような心地がした。

 私の愛する男は、これほど残酷な声を発することができたのか。

『わかっております。命姫がいれば、より多くの客を視られる。それだけ先見家に利がありますからな』

――知って、いたのね……。

 そして、私とは真逆の理由から、この事実を私には悟られまいとしている。

 あの瞬間の衝動は、悲しみとも怒りとも少し違う。

『あぁ、私たちの真実はこんなものだったのか』

 命を懸けた恋だと信じていたものは、薄っぺらい偽物だった。

 そのことに私は深く絶望した。

 もう目の前の男への愛など、かけらも残ってはいない。男も、彼を愛した記憶も、綺麗さっぱり忘れてしまいたいのに……屋敷を逃げ出そうとした私を、彼はとらえて地下牢に閉じ込めた。

 生贄として過ごした人生最後の数年は、もう思い出したくもない。

 薄暗い地下牢で、美しかった私の肉体はゆっくりと朽ちていった。

 怨念めいた感情などはなかったと思うのに、身体が大地に返っても、私の魂はこの場所にとどまり続けた。

 いつしか異形となり、望んでもいない永遠を手に入れた。

  


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