花冷えの風

白湯すい

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第二章

村での暮らし

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 西から帰ってきてからのシュナは誰の目にも明らかに疲弊しきっていた。だというのに、ぐるぐると何かを考え込んではいつも以上に仕事を抱え、そもそもあまり良くなかった体調を次第に崩していっていた。時折側仕えのアンミはシュナが部屋で仮眠をとっているところを覗き込んだが、ひどく魘されているようであまり眠れてはいないようだった。苦しそうにしているのを見ていられずに優しく起こすと、「ありがとう」と力無く言った。

 シュナ自身も、休まねばならないということはわかっていた。けれど、眠ろうとするたびにいつか聞いた声が聞こえる。自らの力で苦しめた兵たちの声が。その力を呪い、自分を責め立てる声が。その声が聞こえるたびに、今自分がどこにいるのかもわからなくなる。そこはひどく暗く湿った空気の漂う寂しいところだ。僅かに入り込む陽の光がより自分の居る場所の侘しさを思い知らせる。
 そんな息苦しい記憶に苛まれ、うまく眠ることができない日々が続いていた。目が覚めるといつもひどく汗をかいて、息を切らしている。それを忘れたくて、いけないと思いながらも仕事で自分を誤魔化していたのだった。

 見かねたアンミがクムラとムカイに相談し、シュナはしばし中央を離れ、新兵たちが田畑の開墾作業をしている南西の地に派遣されることとなった。派遣とはいえ、そこでの文官の仕事はあまりない。生真面目なシュナはただ城住まいのまま休みを与えたところで落ち着かないだろうというムカイの気遣いであり、別の仕事を任されたかたちの休暇である。
 その意図に気が付かないシュナでもない。心配をかけてしまったことに深く反省し、田舎の村で療養することとなった。


「シュナ殿、起きていて平気なのですか」
 ここへ送られていたのは、シュナだけではなかった。同じく先の戦の功労者であるコハクも同じ村で過ごしていた。おそらく、二人が同じところで過ごすことになったのはクムラの計らいだろう。
「コハク様、ええ。もうだいぶ良いです」
 そう微笑んで返すシュナは、しかしまだひどくやつれているようだった。骨が少し浮いている痩せた頬が痛々しい。
「隣に座っても?」
「ええ、もちろんです」

 兵たちが働く野原を遠くから眺められる場所にある離れの小屋でシュナは暮らしていた。そこの外へと降りられる庭先で日々のんびりと過ごしている。庭先と言っても特に何も植えられてはいない、野原と地続きになっている雑草が乱雑に生えた場所だが、その何もない、手の付けられていない様子が今のシュナには癒しだった。
「その……ずっとお礼が言いたかったんです、シュナ殿に」
「コハク様が、私にですか?」
 コハクが切り出した話に首を傾げるシュナ。
「ええ。先の戦では、異能に呑まれた私をシュナ殿が救ってくださった」
「いいえ、救うなどと……むしろ私の力が至らず、コハク様にも異能を使わせてしまいました」
「至らなかったなんてことはない。おかげで素早く策を遂行できて勝利を掴めた。結果的には、我々の判断は正しかったと言えましょう」
 事実、二人の活躍があればこそ勝てたのだと、エン軍の誰もがそう思っていた。
「……正しかったのでしょうね。けれど、どうにも、私たちだけがそう思えてはいないようです」
「おかしなものですね。私もあなたも、ひどく心を傷つけた」
 これで正しかったのだろうか。これが最善だったのだろうか。二人はずっとずっと悩んでいた。
「私は自分の心だけでなく、仲間までもを傷つけました……あの力を使うと自我を失ってしまうのに、不思議と手にかけた者たちを斬る感覚だけは覚えているのです。私の姿を見て逃げ出す者たちの怯えた顔も、声も、ずっと脳裏に焼き付いている」
 あたりには柔らかな風が吹き、雨の恵みを受けて咲いた夏の花の香りがする。明るい午後の日差しを受けて、遠くに人々が笑い合いながら畑を耕していて、この世に争いなどあるものかという気分にさせる。
 そんな中にあって、いまだ消えない争いの記憶が目の奥にこびりつき、コハクはその大きな手をかたかたと震わせていた。それに気付いたシュナは、その細い手をそっと重ねてやる。
「でも、私の声は届いたのでしょう?」
「……はい。あんなことは、初めてでした……これまでは何をしても止まることはなくて、目の前のすべてが動かなくなってもずっとずっと息が苦しくて、それに耐えられなくなって意識を失ってようやく人に戻ることができていました。だから私は……」
「力を使えなかったのですよね。……私も形は違えど、傷ついた兵たちを異能の力で無理に立ち上がらせるような、そんな危険な力です。無理をした代償は必ず兵たちの体に降り注ぎます。現に今も無理をしすぎて倒れた兵たちは療養にあたっているそうですから……」
 お互いに形は違えど、多くの味方に影響を及ぼしてしまう異能の力である。二人はこれまでに、幾度この力を呪ったかわからない。

 それでも今はそんな二人が共に居る。震える手を繋ぎ合える。そのことが心強かった。コハクは重ねられたシュナの手を、きゅっと握り返した。
「……私が、恐ろしいですか?」
「……いいえ。コハク様は心優しい御方だと、私は知っていますから」
 シュナは握り返された力のやさしさに思わず笑ってしまう。力の強い自分が細いシュナの手に傷をつけないようにと、ほんのささやかな力しか込められておらず、それがむしろくすぐったいくらいだったからだ。
 あの紫の獣は確かに恐ろしかった。けれどその戦う姿には、確かにコハク自身の強さを感じたのだ。

「……その、様と呼ぶのをやめていただきたい。私はそんな風に呼ばれるような男ではありませんから」
 そう照れたように言うコハクはやはり、恐ろしいとは思えなかった。シュナは柔らかに微笑む。いつも表情の少ないシュナは、コハクの前ではよく笑うようになった。それはシュナがコハクに心を許しているからに他ならないのだが、コハク自身は出会う前のシュナがわからぬのでそれが特別なことだとは知る由もない。
「では、コハク殿?」
「……はい」
 気付けば二人は肩を寄せ合って座っていた。ゆったりと時間が流れるこの村は、傷ついた心を癒すのにはぴったりの場所だった。この場所に来て、二人で過ごすことができて良かった。シュナもコハクも、言葉にはせずとも同じことを考えていた。
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