2 / 28
お元気で
しおりを挟む
龍神。それは今や伝説や伝承、お伽噺の世界の存在とさえ考えられているものだ。
かつてこの大陸にも精霊や獣人、妖などが存在していたらしい。ただそれはずいぶんと大昔のことで、最早そういう類の神秘はすっかりと失われ、この時代においては神様の存在さえ曖昧になってきていた。
しかしそのなかでも、この小国が恵まれているのは龍神の加護があるからだと言われていた。かつての時代、龍神信仰は様々な宗教の始まりとなったものであり、龍はその土地の豊穣を司る神として崇められていたものだ。
とある書によれば、龍神信仰が生活の基盤となっていた頃には龍神への捧げものとして若く美しい女が龍へ献上されていたという。
「それは、生贄ってことじゃないのか」
ジンユェはひとり呟く。フェイのあの発言から数日、ジンユェは部屋に篭りで書を読んで頭を抱えていた。
(フェイが龍神のものになる? それは、そんなことを言い訳に兄様を追放するってことなんじゃないのか……)
そんなことがあってはならない。そう思うのに、フェイは全てを受け入れたように笑っていた。
「明日、ここともお別れになるのか」
フェイはひとりぼっちの広い部屋でつぶやいた。
「なんだか、変な気分だな」
物心ついた頃から、記憶のなかの景色はいつもここだった。ここはひとりぼっちで過ごすには広すぎて寂しかったけれど、寂しいばかりではなかった。
異形として産まれた自分をまっすぐに愛してくれたジンユェがいつもそばにいてくれたし、身のまわりの世話をしてくれたミンシャも優しくていつも元気を貰えた。
特に弟のジンユェには苦労をかけたとフェイは思っている。『つのつき』の自分を産んだことに苦しみ続けた母は双子がまだ幼い頃に心身を病んだ末に亡くなった。フェイの心には、自分のせいで弟から母を奪ってしまったという後ろめたさがある。父も愛した人を失った。
父王は政務や外交で忙しくなかなか会える人ではなかったから、今回の嫁入りの件を命じられたのが久しぶりの再会だった。
「……怖くは、ありませぬ」
いつか、こうなるやもしれぬと思っていた。愛する人と別れなければならない日が来ると。
龍神への嫁入りが何を意味しているのかは知っている。ついに来たかと、ただそう思った。むしろここまで大切にしてくれたことへの感謝のほうが強い。
フェイとジンユェは明日、二十歳になる。
「父様、フェイが参りました」
「……フェイよ、よく受け入れてくれたな」
「いいえ。この身で果たせる務めとあらば、お与えいただけるのはこの上ない幸せにございます」
フェイは数年ぶりに王宮の外へ出る。正門ではなく裏山への抜け道を通ることは初めてだった。まだ少し冷たい早朝の陽の光が、木々の間から降り注ぐ。青々とした葉が眩しい。
「ミンシャ、ここまでで良いですよ。帰り道に気をつけて」
「……はい。フェイ様」
ここまでついてきてくれたミンシャはいつも通りの笑顔を上手く作れずにいる。
「……泣かないで。どうか私のことを悲しまないでください」
「……っ、フェイ様……」
「これまでたくさん、支えてくれてありがとう。私はあなたのことが大好きです、ミンシャ」
フェイは最後に小さなミンシャの身体を優しく抱き締めると、彼女に背を向け歩き出した。ミンシャは、言葉を返すことができなかった。
ミンシャと父王に見送られ、護衛兵とふたり山道を歩く。
山中は少し険しかったが、想像していたよりも道らしい道が出来ていた。しかし進むそこは、山を登るというよりも上がったり下がったりを繰り返す変な道だった。
「この道を抜けると、深い谷へ出ます。そこに龍神様の祠があるのです」
「そうなんですね、初めて知りました」
護衛兵は、父の側近であるはずの者だった。彼は無口だったが、フェイのことを恐れたり嫌ったりはしていないようだ。
「私が共に行けるのは谷の入り口までの決まりです。そこから先はおひとりでお進みください」
「わかりました」
山道を歩くのに、着せられた綺麗な衣装が少し重かった。いつもは広い部屋で過ごしていたから、慣れない狭い道では伸びた角が木の枝に引っ掛かる。
「……っ、いた……」
「大丈夫ですか。木々に気をつけて」
「すみません、ありがとうございます」
普通の人間にはない角をぶつけて痛がっているのを少し不思議そうに見つめはするものの、気味悪がっている様子ではない。この人も、自分を嫌わない人なのだとフェイは思った。
「もうすぐです。まだ歩けますか」
「はい、大丈夫です」
護衛兵の男は部屋に篭りきりで体力のないフェイを気遣う。そして何か考えたような間を置いて、話し始める。
「……王を、恨んでおられますか」
「父を?」
「あなたは、ずっと幽閉されていたのでしょう。そして今はこうして、城の外へと出されてしまった」
「……そうですね。今にして思えば、あれは幽閉と言うのでしょう。そして私は今、追い出されたのかもしれません」
フェイは自分のこれまでを振り返り話す。
「けれども私は、これまでの生活を幽閉だと思ったことはありませんでした。私のそばにはいつもかわいい弟と、心を許せる側仕えの者たちがいてくれましたから。そしていつかこうなるかもしれないということは、覚悟しておりました」
「……覚悟ですか」
「ええ、心の準備があるのとないのとでは、やはり違いますね」
フェイはなんでもない風に穏やかに笑う。
「……弟君は、御立派な方です。少し危なっかしいところもありますが、必ずや父王の跡を継いで偉大な王となられるでしょう」
「ええ、私もそう信じています」
「……そして陛下もまた、フェイロン様を愛しておられた。それを忘れないでください」
「…………はい」
私は父に、愛されていたのだろうか。それは今となってはもうわからない。
「私はここまでです。フェイロン様、どうかお元気で」
「あなたも。ここまでありがとうございました」
深く暗い、けれど差し込む光が眩しく美しい谷へと出た。護衛兵は深々と頭を下げ、来た道を戻っていく。
「……さて、行きましょうか」
ここまで来て、もう戻ることは叶わない。フェイは先へと進む。
かつてこの大陸にも精霊や獣人、妖などが存在していたらしい。ただそれはずいぶんと大昔のことで、最早そういう類の神秘はすっかりと失われ、この時代においては神様の存在さえ曖昧になってきていた。
しかしそのなかでも、この小国が恵まれているのは龍神の加護があるからだと言われていた。かつての時代、龍神信仰は様々な宗教の始まりとなったものであり、龍はその土地の豊穣を司る神として崇められていたものだ。
とある書によれば、龍神信仰が生活の基盤となっていた頃には龍神への捧げものとして若く美しい女が龍へ献上されていたという。
「それは、生贄ってことじゃないのか」
ジンユェはひとり呟く。フェイのあの発言から数日、ジンユェは部屋に篭りで書を読んで頭を抱えていた。
(フェイが龍神のものになる? それは、そんなことを言い訳に兄様を追放するってことなんじゃないのか……)
そんなことがあってはならない。そう思うのに、フェイは全てを受け入れたように笑っていた。
「明日、ここともお別れになるのか」
フェイはひとりぼっちの広い部屋でつぶやいた。
「なんだか、変な気分だな」
物心ついた頃から、記憶のなかの景色はいつもここだった。ここはひとりぼっちで過ごすには広すぎて寂しかったけれど、寂しいばかりではなかった。
異形として産まれた自分をまっすぐに愛してくれたジンユェがいつもそばにいてくれたし、身のまわりの世話をしてくれたミンシャも優しくていつも元気を貰えた。
特に弟のジンユェには苦労をかけたとフェイは思っている。『つのつき』の自分を産んだことに苦しみ続けた母は双子がまだ幼い頃に心身を病んだ末に亡くなった。フェイの心には、自分のせいで弟から母を奪ってしまったという後ろめたさがある。父も愛した人を失った。
父王は政務や外交で忙しくなかなか会える人ではなかったから、今回の嫁入りの件を命じられたのが久しぶりの再会だった。
「……怖くは、ありませぬ」
いつか、こうなるやもしれぬと思っていた。愛する人と別れなければならない日が来ると。
龍神への嫁入りが何を意味しているのかは知っている。ついに来たかと、ただそう思った。むしろここまで大切にしてくれたことへの感謝のほうが強い。
フェイとジンユェは明日、二十歳になる。
「父様、フェイが参りました」
「……フェイよ、よく受け入れてくれたな」
「いいえ。この身で果たせる務めとあらば、お与えいただけるのはこの上ない幸せにございます」
フェイは数年ぶりに王宮の外へ出る。正門ではなく裏山への抜け道を通ることは初めてだった。まだ少し冷たい早朝の陽の光が、木々の間から降り注ぐ。青々とした葉が眩しい。
「ミンシャ、ここまでで良いですよ。帰り道に気をつけて」
「……はい。フェイ様」
ここまでついてきてくれたミンシャはいつも通りの笑顔を上手く作れずにいる。
「……泣かないで。どうか私のことを悲しまないでください」
「……っ、フェイ様……」
「これまでたくさん、支えてくれてありがとう。私はあなたのことが大好きです、ミンシャ」
フェイは最後に小さなミンシャの身体を優しく抱き締めると、彼女に背を向け歩き出した。ミンシャは、言葉を返すことができなかった。
ミンシャと父王に見送られ、護衛兵とふたり山道を歩く。
山中は少し険しかったが、想像していたよりも道らしい道が出来ていた。しかし進むそこは、山を登るというよりも上がったり下がったりを繰り返す変な道だった。
「この道を抜けると、深い谷へ出ます。そこに龍神様の祠があるのです」
「そうなんですね、初めて知りました」
護衛兵は、父の側近であるはずの者だった。彼は無口だったが、フェイのことを恐れたり嫌ったりはしていないようだ。
「私が共に行けるのは谷の入り口までの決まりです。そこから先はおひとりでお進みください」
「わかりました」
山道を歩くのに、着せられた綺麗な衣装が少し重かった。いつもは広い部屋で過ごしていたから、慣れない狭い道では伸びた角が木の枝に引っ掛かる。
「……っ、いた……」
「大丈夫ですか。木々に気をつけて」
「すみません、ありがとうございます」
普通の人間にはない角をぶつけて痛がっているのを少し不思議そうに見つめはするものの、気味悪がっている様子ではない。この人も、自分を嫌わない人なのだとフェイは思った。
「もうすぐです。まだ歩けますか」
「はい、大丈夫です」
護衛兵の男は部屋に篭りきりで体力のないフェイを気遣う。そして何か考えたような間を置いて、話し始める。
「……王を、恨んでおられますか」
「父を?」
「あなたは、ずっと幽閉されていたのでしょう。そして今はこうして、城の外へと出されてしまった」
「……そうですね。今にして思えば、あれは幽閉と言うのでしょう。そして私は今、追い出されたのかもしれません」
フェイは自分のこれまでを振り返り話す。
「けれども私は、これまでの生活を幽閉だと思ったことはありませんでした。私のそばにはいつもかわいい弟と、心を許せる側仕えの者たちがいてくれましたから。そしていつかこうなるかもしれないということは、覚悟しておりました」
「……覚悟ですか」
「ええ、心の準備があるのとないのとでは、やはり違いますね」
フェイはなんでもない風に穏やかに笑う。
「……弟君は、御立派な方です。少し危なっかしいところもありますが、必ずや父王の跡を継いで偉大な王となられるでしょう」
「ええ、私もそう信じています」
「……そして陛下もまた、フェイロン様を愛しておられた。それを忘れないでください」
「…………はい」
私は父に、愛されていたのだろうか。それは今となってはもうわからない。
「私はここまでです。フェイロン様、どうかお元気で」
「あなたも。ここまでありがとうございました」
深く暗い、けれど差し込む光が眩しく美しい谷へと出た。護衛兵は深々と頭を下げ、来た道を戻っていく。
「……さて、行きましょうか」
ここまで来て、もう戻ることは叶わない。フェイは先へと進む。
12
お気に入りに追加
70
あなたにおすすめの小説
貴族軍人と聖夜の再会~ただ君の幸せだけを~
倉くらの
BL
「こんな姿であの人に会えるわけがない…」
大陸を2つに分けた戦争は終結した。
終戦間際に重症を負った軍人のルーカスは心から慕う上官のスノービル少佐と離れ離れになり、帝都の片隅で路上生活を送ることになる。
一方、少佐は屋敷の者の策略によってルーカスが死んだと知らされて…。
互いを思う2人が戦勝パレードが開催された聖夜祭の日に再会を果たす。
純愛のお話です。
主人公は顔の右半分に火傷を負っていて、右手が無いという状態です。
全3話完結。
【完結】守護霊さん、それは余計なお世話です。
N2O
BL
番のことが好きすぎる第二王子(熊の獣人/実は割と可愛い)
×
期間限定で心の声が聞こえるようになった黒髪青年(人間/番/実は割と逞しい)
Special thanks
illustration by 白鯨堂こち
※ご都合主義です。
※素人作品です。温かな目で見ていただけると助かります。
【完結】雨降らしは、腕の中。
N2O
BL
獣人の竜騎士 × 特殊な力を持つ青年
Special thanks
illustration by meadow(@into_ml79)
※素人作品、ご都合主義です。温かな目でご覧ください。
出戻り聖女はもう泣かない
たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。
男だけど元聖女。
一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。
「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」
出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。
ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。
表紙絵:CK2さま
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
【完結】元魔王、今世では想い人を愛で倒したい!
N2O
BL
元魔王×元勇者一行の魔法使い
拗らせてる人と、猫かぶってる人のはなし。
Special thanks
illustration by ろ(x(旧Twitter) @OwfSHqfs9P56560)
※独自設定です。
※視点が変わる場合には、タイトルに◎を付けます。
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる