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卒業

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 夏休みが終わって受験勉強が本格化していくムードの中、コツコツと着実に成績を上げていっていた花崎はそう焦っている様子もなく、相変わらず生真面目にかつ穏やかに過ごしているようだった。
 そして告白の思い出もある文化祭が今年も行われて、その年は花崎の作品も書道部の展示室に飾られた。初めて人前に作品が飾られることに緊張していた花崎だったけれど、花崎らしく伸びやかで自由ながらどこか繊細さも感じさせる作品はとても素晴らしかったし、他の生徒たちからも好評みたいだった。
 それからまた冬が来て、クリスマスも年末年始ももちろんデートに出掛けるなんてできなかったけれど、こっそりと小さなプレゼントを贈り合ったり、夜中電話でたくさん話したりした。

 僕にとってはあっという間だった。自分にはもう何もないと思って生きていた頃よりはずっと充実していたし、世界は明るくなって以前よりは時間の流れをしっかりと感じ取ることはできたけれど、それでも若い花崎には長い長い一年半だっただろうと思う。

 恋人らしいことは何もしてやれなかった一年半が過ぎて、また春が来て。
 花崎は待ちわびた桜色のリボンを制服につけて、高校を卒業した。


 卒業式の日は、クラス担任を受け持っているわけでもない僕は少しの後片づけと事務仕事くらいしかやることはない。部活動の生徒たちを送り出した後はいつもみたいな残業はせずに帰宅できた。

『クラスの集まりが終わったら、先生の家行ってもいい?』

 僕はそんなメッセージを受け取り、複雑な気持ちになっていた。予想はしていたのだ。というか、当然のことのようにも思える。自分が男子高校生だったなら、自分だってそうしただろうという自信もある。そういう高校生ではなかったから、よくわからないけれど。
 問題は、どこまで準備をしておけばいいのかってことだった。こんなことで悩むなんて、十代や二十代じゃあるまいしとは思うのだけれど、いい歳して十代に手を出してしまった自分の責任だ。
 いや、手は出していないけれど。まだ。そして多分、おそらくだけれども、自分が手を出される側なのだろうとは思う。それも、わからないけれど。

 僕はもう考えることをやめて、何がどうなってもいいくらいに準備をした。何をとは言えないけれど、それはもうきっちりと準備をして、できることなら今日この準備が無駄に終わってくれたらいいなと思うし、でもせっかくしたのだからひと息に済ませてくれとも思う。
 初めてでもないのに何故こんなにも緊張しているんだろうと自分でも思うけれど、朝日の後に誰とも付き合ってないんだから仕方ないだろうとも思う。それに、こんなときに元恋人のことを考えてしまうなんて最低だと自分を責めてしまったりと、とにかく脳内が忙しい。
 そうして勝手にひとりでばたばたした後にようやく、『いいよ』とだけ返信した。

 クラスの集まりが終わるのは夕方過ぎになるだろうという話だった。だから全然まだ余裕がある。それまでになんとか気分を落ち着かせようと思っていた。
 けれど、僕が返信した後わずか十五分ほどで、玄関のチャイムが鳴る。

「はーい……?」
 花崎が来るにしては早すぎる。何か宅配か来客の予定があっただろうか?と思いながら僕は戸惑いつつ返事をして、そっとドアを開ける。

「先生……っ」
「……花崎?」

 そこには花崎が息を切らして立っていた。まるでここまで全力で走ってきたみたいに。いや、きっとそうしたのだろう。
「あれ、まだ…なんで、……っ!」
 戸惑う僕の言葉が終わらないうちに、なんと切り出すべきか言葉を探して、それからすぐに諦めた様子の花崎がずいっとドアの間に身を挟んで中へ入ってきて、思わず一歩後ろに下がった僕を勢いよく抱き締めた。

「……っ、先生……」
「はなさ、…………っ!」

 ほんの一瞬、ばちりと重なった視線は驚くほどに熱くて。それにたじろぐ時間すら、花崎は与えてくれなかった。

 ぐっと腕を掴む力は強いのに、触れた鼻の先をゆっくりと擦り合わせるようで、僕にはその時間が長かったのか短かったのかすらわからない。
 二人で朝日のところへ行った日、あの日はここで止まっていた。けれど今日という約束の日に、花崎はそのまま止まることはなく、唇を重ねた。

 優しく、甘くキスをして、身体をぎゅうっと抱き締められる。

「ん、ん………っ、ん、ふぅ……」
「……っ、せんせ……」

 これまで触れ合えなかった分を埋め合わせるみたいに、僕らは長く長いキスをした。
 一度触れ合えば、どうして今まで触れ合わずにいられたのかわからなくなるくらいにお互いのことが欲しくなる。僕はそのまま廊下に押し倒されて、ここがどこかなんて考える余裕もないくらいに夢中になって深く求め合った。

「先生……好き、大好き……」
「ん、うん……花崎、卒業おめでとう」

 ようやく少し落ち着いて唇を離すと、花崎は見たことのない顔をしていた。その余裕のない泣きそうな顔がたまらなく愛おしくて、僕はその頬を撫でながらそう言った。

「……孝文さん。俺の名前、呼んで」
「………薫。好きだよ」

 いつかの日以来、ちゃんと呼び合えなかったお互いの名前を呼んで、その紡がれる音の甘さに心が蕩けそうになる。じんわりと目が熱くなって、なんだか泣きそうだ。
 僕の言葉を聞いた花崎は何かを言おうとしたようだったけれど、何も言葉にはならずそのまま僕の胸に頭を預けるみたいにして抱き締めてきた。僕はなんだかそのつむじがかわいくてたまらなくて、つい頭を撫でてしまった。
 すると花崎は少しだけ顔を上げて、恨めしそうな顔をしてじとりと僕を睨んだ。……今のは、子ども扱いのつもりじゃなかったんだけどな。

「……するなら、ベッド行こうか」
 僕のシャツの裾から内側へ忍び込もうとした手をそっと握ってそう囁いた。それが、口下手な僕なりの受け入れ方だった。
「うん」
 少し事を急いていたと気付かされた花崎は恥ずかしそうに、けれど幸せそうに顔を綻ばせて頷いた。
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