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想いを告げること
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俺がどうにもできないうちに日々は過ぎていく。俺は特に何のアクションも起こせないまま、ばたばたと忙しない毎日でもやもやを募らせていた。
文化祭当日。生徒たちが行事に前のめりな校風だったから、校内はかなり盛り上がっていた。普段とは違う校舎に見えるほどに飾り付けされたり音楽が流れていたり、まさにお祭りムードだった。
始めはあまりノリ気ではなかったクラスも、準備をしていくうちにどんどんと夢中になっていっていた。セットリストを練り演出や照明を駆使してかなり本格的なステージが完成して、ダンスステージは大好評のようだった。
しかしながら、ステージでの出し物をやるクラスはそれが終わってしまえば気楽なものだった。準備が大変だったり緊張していて出番までの間文化祭を楽しむ余裕がなかった分、終わってからは自由な時間だった。
クラスメイトと模擬店やライブなどを回って、もう少しで自由時間も終わってしまう頃、なんとか適当に言い訳をして抜け出して向かうのは、もちろん先生に誘ってもらった場所だった。
文化部の展示などがある校舎の一角はお祭りムードとは言い難く、ひっそりとしていた。校舎に流れている音楽さえもどこか遠くに感じる。その中でもより一層静かな一室が、書道部の展示教室だった。
「花崎。来てくれたんだ」
「先生。先生がスタッフやってたんだ?」
「ああ、ずっと生徒が交代でやってたんだけどね。最後の時間くらいはみんなで楽しんでおいでってことで、この時間は僕が」
「……そうだったんだ」
そんなことは知らなかった。先生に会えるとは思っていなかったのに、まるで待っていてくれたみたいに会えた先生の姿に、胸がどきどきと高鳴った。
教室の中には、様々な作品が飾られていた。生徒たちの思い思いの作品と、喧騒から離れた静かな空間と、微かに残る墨のにおい。
「……なんか、いいね」
一見すると何と書いてあるのかわからないものもある。ほとんど真っ黒な力強いものもあるし、薄墨で書かれた繊細なものもある。ぴっちりと几帳面に並ぶ字もあれば、のびのびと自由に書かれたものもある。それらが静かにただ存在している。
そのことが、何故だか心に沁みた。
「いいよね。今回の展示もみんないい作品が出揃ったんだ」
「俺は書道の良し悪しはわかんないけど……でもなんか、めっちゃいいなって思った」
「うん。それでいいんだよ」
きっと優れているとか劣っているとかではないんだ。ただそう在るだけなんだ。
そんな気持ちにさせられた。そしてその気持ちを、先生がそれでいいんだと言ってくれた。そのことが、俺にとってすごく特別なことに思えた。
「花崎くん」
時間が止まったようなその空間に、俺と先生以外の声がふいに飛び込んできた。
振り向くと、ひとりの女子生徒が入り口の扉のところで俺のことを呼んでいた。確か隣のクラスの子だということはわかるけれど、よく知らない子だった。
「ちょっと、いいかな」
何の用かと思ったが、頬を真っ赤に染めて恥ずかしそうに緊張した面持ちでそう呼び出されて、何を言われるかわからないというほど鈍感でもなかった。
「花崎、行ってあげな」
「……っ、先生」
引き止めてほしかったわけじゃない。だって、今先生には俺を引き止める理由なんてひとつもないから。
それから俺はその女子に言われるまま、校舎の隅の普段あまり使われないため人気のない階段に連れて行かれた。
「あの、私前からずっと花崎くんのことが気になってて」
切り出された話は予想していたものと変わりはなくて、驚くこともなくて。
「……今日、すっごくかっこよかった。周りの子も花崎くんのことかっこいいって騒いでて……それで、花崎くんが他の子と付き合ったりしたら、絶対後悔するって思ったから、どうしても伝えたくて。急に呼び出してごめんなさい」
ああ、女子たちの中でそんなことになってたんだ。まるで他人事のように思いながら、俺の心はずきずきと痛んだ。
「私、花崎くんのことが好きです。もし、少しでもいいなって思ってもらえたら……私と、付き合ってくれませんか」
心が痛んだのは、このいかにもか弱そうで自分に自信がなさそうな女の子でさえ自分の気持ちを勇気を出して伝えることができるのに、お前はうじうじ悩んで足踏みしているだけなのかと責められているような気分になったからだ。
弱虫、意気地なし。告白されているっていうのに、そう言われているような気がしたんだ。
「……ごめん。俺、好きな人いるんだ」
好きな人がいる、ただそのことを言うだけでも声が震えるんだと、俺は自分を情けなく思った。
「…………そっか。じゃあ、仕方ないね」
その子は、一瞬悲しい顔をした後、すぐに無理にふにゃりと笑ってそう言った。強いな、この子は、と俺は思った。俺はこの気持ちが報われないことがわかったとき、こんな風に笑えるだろうか。
「花崎くんが好きになる人なら、きっと素敵な人なんだろうな」
「……うん。まあ、絶対片想いなんだけどね」
「そうなの? 花崎くんなら、絶対振り向いてもらえるよ。だって、花崎くんも素敵な人だもん」
「……そうかな。そうだといいな」
「私、応援してるね」
「ありがとう。その、好きだって言ってくれたことも、嬉しかったよ」
頑張って、応援してる。そんな言葉だって、告白できた人だからこそ言える言葉だ。
今の俺は、先生に何が言えるだろうか。
そろそろ文化祭が終わるアナウンスが校内放送で告げられる。閉会式と後夜祭が始まるから生徒は校庭に集まるように言われている。それでも俺は四の五の考える前に、足は走り出していた。
さっきまで先生が居た展示室に。何故だか、そこにまだ先生が居る気がしていた。
「……先生っ!」
「わ、花崎? 戻ってきたのか」
「は……っ、はあ……よかった、まだ居た……」
「クラスに戻らなくてもいいのか? もう時間だろ」
「いいんだよ、そんなの」
俺が息を切らして戻ってきたことに驚いているが、先生だってもう誰も来ないはずの展示室でひとり過ごすつもりだったんだ。閉会式には先生たちだって集合するものだって知っている。けれど、ここに居た。
もう、大人と子どもだとか、先生と生徒だとか、男同士だとか、どうだっていい。そんなことより大切な気持ちが、確かにあったんだ。
「俺、先生のことが好きだ」
その言葉は、自分でも驚くくらいに軽やかに口から零れ出た。口にしてしまえば、なんて簡単な言葉だろう。いくら言葉を尽くしても伝えられている気がしないし、でもこれ以上は言葉にできなかった。
先生は驚いて目を丸くしたまま、何も言えずにいた。好きって言っても色んな好きがあるから伝わらなかったらどうしようと思っていたけど、俺があんまりにも真剣な顔をしているから、先生のほうもはぐらかしたりできなかったみたいだった。
「……困らせてごめん。でも、伝えとかないとと思って」
「い、いや……困ってるというか、驚いてしまって」
「あー、いや、そうだよね。でも、別に勢いとかノリとかで言ってるんじゃなくて……」
「……うん、そこは、疑ってないけど」
俺がそういうことをふざけて言うやつじゃないって、先生は信用していてくれてる。きっと混乱しているだろうに、そうすぐに判断してくれることが、どうしようもなく嬉しい。
「……俺は、大切な人と明日もまた話せるのが、当たり前じゃないって知ってるから。だから、困らせるって……受け入れてなんかもらえないってわかってても、言いたかったんだ」
こんな言い方は卑怯かもしれない。でも何もしないまま終わるのは嫌だった。言いたいことも言えないまま、ある日突然やってくる終わりを俺は知っている。先生のことで、同じ思いをしたくないと、そう思ってしまった。
「……僕は……」
先生が何を言おうとしているのか、その先を知るのが怖かった。自分から告白したくせに、先生の声を聞くのをすごく怖がっていた。
でも、先生の声は震えていて、先生も怖がっているのがわかった。だから俺は、怖くないふりをしたんだ。
「…………僕はもう、誰かを好きにはなれないと思う」
やさしいけれど俺の気持ち自体を突き放すような言葉に、それでも驚かなかったのは、先生の中にある孤独に気付いていたからだろうか。
そう話す先生の瞳が薄っすらと涙で滲んだのを、俺はどこか他人事のように眺めていた。
文化祭当日。生徒たちが行事に前のめりな校風だったから、校内はかなり盛り上がっていた。普段とは違う校舎に見えるほどに飾り付けされたり音楽が流れていたり、まさにお祭りムードだった。
始めはあまりノリ気ではなかったクラスも、準備をしていくうちにどんどんと夢中になっていっていた。セットリストを練り演出や照明を駆使してかなり本格的なステージが完成して、ダンスステージは大好評のようだった。
しかしながら、ステージでの出し物をやるクラスはそれが終わってしまえば気楽なものだった。準備が大変だったり緊張していて出番までの間文化祭を楽しむ余裕がなかった分、終わってからは自由な時間だった。
クラスメイトと模擬店やライブなどを回って、もう少しで自由時間も終わってしまう頃、なんとか適当に言い訳をして抜け出して向かうのは、もちろん先生に誘ってもらった場所だった。
文化部の展示などがある校舎の一角はお祭りムードとは言い難く、ひっそりとしていた。校舎に流れている音楽さえもどこか遠くに感じる。その中でもより一層静かな一室が、書道部の展示教室だった。
「花崎。来てくれたんだ」
「先生。先生がスタッフやってたんだ?」
「ああ、ずっと生徒が交代でやってたんだけどね。最後の時間くらいはみんなで楽しんでおいでってことで、この時間は僕が」
「……そうだったんだ」
そんなことは知らなかった。先生に会えるとは思っていなかったのに、まるで待っていてくれたみたいに会えた先生の姿に、胸がどきどきと高鳴った。
教室の中には、様々な作品が飾られていた。生徒たちの思い思いの作品と、喧騒から離れた静かな空間と、微かに残る墨のにおい。
「……なんか、いいね」
一見すると何と書いてあるのかわからないものもある。ほとんど真っ黒な力強いものもあるし、薄墨で書かれた繊細なものもある。ぴっちりと几帳面に並ぶ字もあれば、のびのびと自由に書かれたものもある。それらが静かにただ存在している。
そのことが、何故だか心に沁みた。
「いいよね。今回の展示もみんないい作品が出揃ったんだ」
「俺は書道の良し悪しはわかんないけど……でもなんか、めっちゃいいなって思った」
「うん。それでいいんだよ」
きっと優れているとか劣っているとかではないんだ。ただそう在るだけなんだ。
そんな気持ちにさせられた。そしてその気持ちを、先生がそれでいいんだと言ってくれた。そのことが、俺にとってすごく特別なことに思えた。
「花崎くん」
時間が止まったようなその空間に、俺と先生以外の声がふいに飛び込んできた。
振り向くと、ひとりの女子生徒が入り口の扉のところで俺のことを呼んでいた。確か隣のクラスの子だということはわかるけれど、よく知らない子だった。
「ちょっと、いいかな」
何の用かと思ったが、頬を真っ赤に染めて恥ずかしそうに緊張した面持ちでそう呼び出されて、何を言われるかわからないというほど鈍感でもなかった。
「花崎、行ってあげな」
「……っ、先生」
引き止めてほしかったわけじゃない。だって、今先生には俺を引き止める理由なんてひとつもないから。
それから俺はその女子に言われるまま、校舎の隅の普段あまり使われないため人気のない階段に連れて行かれた。
「あの、私前からずっと花崎くんのことが気になってて」
切り出された話は予想していたものと変わりはなくて、驚くこともなくて。
「……今日、すっごくかっこよかった。周りの子も花崎くんのことかっこいいって騒いでて……それで、花崎くんが他の子と付き合ったりしたら、絶対後悔するって思ったから、どうしても伝えたくて。急に呼び出してごめんなさい」
ああ、女子たちの中でそんなことになってたんだ。まるで他人事のように思いながら、俺の心はずきずきと痛んだ。
「私、花崎くんのことが好きです。もし、少しでもいいなって思ってもらえたら……私と、付き合ってくれませんか」
心が痛んだのは、このいかにもか弱そうで自分に自信がなさそうな女の子でさえ自分の気持ちを勇気を出して伝えることができるのに、お前はうじうじ悩んで足踏みしているだけなのかと責められているような気分になったからだ。
弱虫、意気地なし。告白されているっていうのに、そう言われているような気がしたんだ。
「……ごめん。俺、好きな人いるんだ」
好きな人がいる、ただそのことを言うだけでも声が震えるんだと、俺は自分を情けなく思った。
「…………そっか。じゃあ、仕方ないね」
その子は、一瞬悲しい顔をした後、すぐに無理にふにゃりと笑ってそう言った。強いな、この子は、と俺は思った。俺はこの気持ちが報われないことがわかったとき、こんな風に笑えるだろうか。
「花崎くんが好きになる人なら、きっと素敵な人なんだろうな」
「……うん。まあ、絶対片想いなんだけどね」
「そうなの? 花崎くんなら、絶対振り向いてもらえるよ。だって、花崎くんも素敵な人だもん」
「……そうかな。そうだといいな」
「私、応援してるね」
「ありがとう。その、好きだって言ってくれたことも、嬉しかったよ」
頑張って、応援してる。そんな言葉だって、告白できた人だからこそ言える言葉だ。
今の俺は、先生に何が言えるだろうか。
そろそろ文化祭が終わるアナウンスが校内放送で告げられる。閉会式と後夜祭が始まるから生徒は校庭に集まるように言われている。それでも俺は四の五の考える前に、足は走り出していた。
さっきまで先生が居た展示室に。何故だか、そこにまだ先生が居る気がしていた。
「……先生っ!」
「わ、花崎? 戻ってきたのか」
「は……っ、はあ……よかった、まだ居た……」
「クラスに戻らなくてもいいのか? もう時間だろ」
「いいんだよ、そんなの」
俺が息を切らして戻ってきたことに驚いているが、先生だってもう誰も来ないはずの展示室でひとり過ごすつもりだったんだ。閉会式には先生たちだって集合するものだって知っている。けれど、ここに居た。
もう、大人と子どもだとか、先生と生徒だとか、男同士だとか、どうだっていい。そんなことより大切な気持ちが、確かにあったんだ。
「俺、先生のことが好きだ」
その言葉は、自分でも驚くくらいに軽やかに口から零れ出た。口にしてしまえば、なんて簡単な言葉だろう。いくら言葉を尽くしても伝えられている気がしないし、でもこれ以上は言葉にできなかった。
先生は驚いて目を丸くしたまま、何も言えずにいた。好きって言っても色んな好きがあるから伝わらなかったらどうしようと思っていたけど、俺があんまりにも真剣な顔をしているから、先生のほうもはぐらかしたりできなかったみたいだった。
「……困らせてごめん。でも、伝えとかないとと思って」
「い、いや……困ってるというか、驚いてしまって」
「あー、いや、そうだよね。でも、別に勢いとかノリとかで言ってるんじゃなくて……」
「……うん、そこは、疑ってないけど」
俺がそういうことをふざけて言うやつじゃないって、先生は信用していてくれてる。きっと混乱しているだろうに、そうすぐに判断してくれることが、どうしようもなく嬉しい。
「……俺は、大切な人と明日もまた話せるのが、当たり前じゃないって知ってるから。だから、困らせるって……受け入れてなんかもらえないってわかってても、言いたかったんだ」
こんな言い方は卑怯かもしれない。でも何もしないまま終わるのは嫌だった。言いたいことも言えないまま、ある日突然やってくる終わりを俺は知っている。先生のことで、同じ思いをしたくないと、そう思ってしまった。
「……僕は……」
先生が何を言おうとしているのか、その先を知るのが怖かった。自分から告白したくせに、先生の声を聞くのをすごく怖がっていた。
でも、先生の声は震えていて、先生も怖がっているのがわかった。だから俺は、怖くないふりをしたんだ。
「…………僕はもう、誰かを好きにはなれないと思う」
やさしいけれど俺の気持ち自体を突き放すような言葉に、それでも驚かなかったのは、先生の中にある孤独に気付いていたからだろうか。
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