この秘密を花の名前で呼んだなら

白湯すい

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文化祭の準備

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 秋になって、学校は文化祭の準備で賑わっていた。
 あれから母はすっかり怪我も治り退院して、いつも通り生活している。職員室に行って、色々と心配や手間をかけさせてしまった先生方にそう報告すると、みんな口々に「よかったね」と笑ってくれた。志水先生もまた、安心したように微笑んでいた。

 病院に先生が付き添ってくれたあの日のことが、ずっとひっかかっている。看護士さんに言われた、俺の隣に並ぶ先生を見ての「旦那さん」という言葉。
 先生は今三十歳で、ちゃんと計算すれば高校生の息子がいるような年齢ではないにせよ、それでもやっぱり俺と並べばずっと大人で。隣に居て恋人や夫婦のように見えるのは、母さんのほうなんだと思い知らされた。

 それに加えて、俺は先生の前で大泣きしてしまったという事実もある。先生は優しくて、俺の気持ちに寄り添ってくれたけれど、それでも情けないところを見せてしまったという気持ちが拭えない。

 先生の過去のことを聞いてしまって、どう踏み込めばいいのかもわからなくなってしまった。自分が抱えている悲しい記憶を他人に掘り起こされたくない気持ちは誰よりわかっているつもりなのに、先生が亡くした人っていうのは誰のことなんだろうというのが気になって仕方がない。家族だったり、友達だったり、恋人だったり。長く生きていれば色んな可能性があるだろう。そう考えるほどに、俺は先生のことを何にも知らないんだということも思い知る。

 いろいろな面で前途多難な恋だと、俺は思わずため息出た。


「先生、今だいじょうぶ?」
「ああ、花崎。大丈夫だよ」

 先生がいつも過ごしている国語準備室に顔を出すのが久しぶりになってしまっても、変わらずのんびりとした返事がかえってくることに俺は安堵した。

「なんかここに来るの久々なんじゃないか?」
「そうだね。なんか結構文化祭準備忙しくてさ」
「そうなんだ。行事にしっかり取り組むのはいいことだよ」
 そんな普通の会話をしながら、俺もいつも通りにソファに座る。残暑が厳しい季節だが、この部屋はやっぱりからっとしていて過ごしやすい。そんな場所でいつも通り、先生は小テストの採点作業や教材準備をしている。

「志水先生ってなんかやることあるの?」
「部活のほうで展示があるからその準備くらいか。うちの学校は生徒たちがなんでもやるから、あんまり教師が出る幕はないんだよな」
「生徒会とか実行委員が結構張り切ってやっちゃう感じだよね」
「そうそう、だから教師側はそれにいいよって許可出したり出さなかったりするだけ」
 先生は相変わらずだ。やる気があるんだかないんだか、生徒に関心があるんだかないんだか。よくわからない、ふわふわと掴みどころのない人だ。
「花崎のクラスは何やるんだ?」
「なんかダンスやるんだって。いくつかグループ別れて、ステージで」
「へえ、すごいじゃない」
「すごいっていうかね。物作ったり模擬店やるより準備楽だし、劇だと脚本とかセットがいるけどダンスならそこまで大がかりじゃないし、持ち時間グループごとに割ればちょっとだしって感じで決まったから」
「あははっ、すごい合理的な理由」
「でしょ? でも結局振付考えようとかコンセプトごとに衣装そろえるのとか照明こうしたいとか、みんな楽しそうにやってるよ」
「うんうん、いいね。若者だねえ」
 微笑ましそうにそう笑う先生に、俺はほんの少し切ない気持ちになる。そうだ、俺は先生にとってはただの生徒で、先生とは違う若者だ。

「……先生ってさ、書道好きなの?」
「え、何、急に」
「なんか先生って結構いろいろ適当なのに、部活は割とちゃんと面倒見てる感じするからさ」
「失礼だなあ」
 先生はそう言うけれど、すぐにそれもそうだなって笑う。先生はもともと不愛想だったのに、だんだんと俺には笑ってくれるようになった。その分、俺は特別だって思いあがったっていいんだろうか。そんな風に考える俺の少し踏み込んだ質問にも、嫌な顔はせずに答えてくれる。

「そうだなあ。書道は子どもの頃からやってたから、もう好きとか嫌いとかそういうものですらない気がしてたけど。確かにずっと続けられるものって意味では好きなのかもしれないね」
「へえ。子どもの頃って、いつから?」
「小学校上がったころとかじゃなかったかな……ふふ、」
 先生は記憶をたどるようにどこか遠くを見ながら話して、そして何かを思い出したような顔をして笑った。
「なに? どしたの?」
「いや、なんで始めたのかを思い出してさ。さっき花崎が話してくれたようなことと、ちょっと似てる感じがして」
「さっき話したこと?」
「周りの子たちがみんな水泳とか野球とかサッカーとかやっててさ。親にあんたも何かやりなさいって言われたんだけど、僕は泳ぎも苦手だし球技は練習がやたらと厳しかったり怪我したりとかもあるだろ? かと言ってピアノとか楽器はできる気がしないし、発表会のステージにあがるのなんてごめんだと思って。書道なら書いたものが展示されるくらいで、僕がそこに居る必要はないし、なんか地味でいいなと思って選んだんだよ」
「そんな理由? 書道ってもっと真面目な人がやるもんかと思ってたよ」
 先生が話したことは、確かに俺たちのクラスがいろんなことを面倒くさがったり嫌がって、消極的な理由で何かを選ぶ怠惰な若者……ある種の子どもらしい理由だった。
「みんながみんなそうじゃないと思うけどな。でも部活の生徒でも目立ちたくないからとか、静かにひとりで取り組めるからって理由で始めた子も多いよ。そしてもちろん、ちゃんとやろうとするうちに楽しさも見出していけるんだよね」
「ふーん……確かに、ひとりでじっくりやれるのはいいかもね」
「そうだね。生徒同士みんな仲は良いんだけど、みんな作品と向き合うときは集中して自分の世界に入る。書は芸術の分野でもあるけど、字を書くっていうのはやっぱり誰かに何かを伝えようとすることだと思うんだ。ひとりだけど、孤独にはならない。孤独になってはいけない。それだと独りよがりになってしまうしね。……うん、僕はそういうところが好きなのかもしれない」

 俺は先生のことを何も知らない。不愛想で無関心に見えていた先生がこんな気持ちを持って好きなことに向き合い、書道部の生徒たちと接していたことを知らなかった。
 けれど俺は新しく見えた先生の一面を見て、やっぱりこの人のことが好きだと思ったし、もしかしたら部活動の生徒は先生のこの顔を見たことがあるのかと思うと、ほんの少し嫉妬した。

「……ふぅん。いいな、書道部」
「花崎は意外と文系だなあ。本に興味を持ってくれたときも思ったけどさ」
 本当は興味を持ったのは本ではなく先生になのだけど、それは今は言わなかった。もちろんきっかけは先生だし夜までの時間をつぶすのにちょうどよかったからという理由で始めたけれど、今はいろんなものを読む楽しさも知れた。
「興味あるなら今度来てみたら? 高校から始めた子も多いし、入部しててもバイトとか優先であんまり来ない子とかも普通に居るし、結構自由だよ。ああ、それこそ文化祭の展示見に来てみたら雰囲気わかるかもだし」
「……うん、考えとく」
「うん、いつでも。花崎みたいなキラキラした子が来たら、みんな驚くかも」
「そうなの? てか俺、キラキラしてんの?」
「え、自覚ないの? 相当してるけど」
「あるわけないじゃん」

 俺がひとりで勝手に少し落ち込んでいるだけで、先生との時間はいつもと変わらなかった。俺はそのことが嬉しかった。あの入院騒動で少し先生に踏み込み過ぎてしまったかと思っていたから、先生がいつもと変わらず接してくれることに安心する。部活に興味を示してみても、何も気にする様子もなく迎え入れてくれるのだろう。

 俺と先生はどうしようもなく、教師と生徒という関係で。それでも好きになってしまったのだから、どうにかしてそこから関係を進めたくて、でも進め方がわからない。この頃の俺は、もうお手上げという状態だった。
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