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 集合時間の15分前。有名な時計台前で、スマホを取り出す。豪くんは直前までバイトと言っていたし、早くは来ないはずだ。

 夏に差し掛かり、太陽の陽がさんさんと降り注ぐ。俺以外の待ち人は皆、日傘を指していた。そろそろ俺も変な意地張らずに日傘を買おうか。

 映画を見てから豪くんが予約していた居酒屋に行く予定だが、今のところ俺は何もしていない。映画のチケットも夕食の予約も豪くんが手配してくれたから、年上としてせめてお金は出すつもりだ。

「あつ……」

 パタパタと着ていたTシャツを仰ぐと胸に赤く鬱血した跡が見えた。じんと心が疼く。おそらく金森がつけたキスマークだ。これを見つけた時、あの時のチクリとした痛みはこれだったのかと納得したが、それ以上に意外だなと感じた。
 一般的にキスマークは執着の証のはずだ。好いた相手が自分のものだと主張するためにつける所有印。
 こんなもの金森から一番遠い。望めば全てを得ることが出来る金森がわざわざ自分を刻む理由がない。金森は俺のことなんて全くこれっぽっちも好きじゃない。そんな金森が何故キスマークを付けるのか。
 考えても仕方ないし、そもそも金森にとってキスマークにそんな意味もないのだろう。
 ただ、この跡は生々しく俺と金森の接触を示していた。金森に関わることのない日常で、このキスマークを見ると好きな人との非日常を思い出す。つまり、俺はこのキスマークを結構気に入っていた。

「小林さん!」

 まだ待つだろうと踏んでいた中、豪くんは思ったより早く到着していて、都会の華やかな街でも豪くんはアルファらしさ全開で一目を引いていた。

「暑いですね」
「もう夏だよ。俺も日傘買おうかなぁ」
「割と日傘持ってる人多いですよね。俺は傘とか面倒くさくてダメです。そういえば、今回の映画の評判良いらしいですよ。期待値上がりません?」
「まじ?今回はなんの情報も入れずに来たよ」
「それも良いと思いますよ」

 映画館に着くとちょうど10分前で、すぐにシアタールームに入ることが出来た。

「何か買う?」

 売店はそこそこ混んでいたが、10分もかからない列だ。豪くんはチラッとメニューを見て、考えてから買わないと答えた。

「俺もいいかな。映画館高いし」

 言ってからケチくさいかなと少し後悔したが、返ってきたのは大きな肯定だった。

「そうですよね!俺、家が貧乏だから割高なメニュー見ると引いちゃって」
「分かる。スーパーで150円の飲み物を300円で買うのなんか嫌だよな」
「分かります!小林さんが同じ感覚で良かった。大学の友達は値段とか気にしないので」
「確かに。基本的に金持ち多いし」

 大学に友達がいないから実際の所は分からないが、食堂のメニューがお高めな辺りからなんとなく察していた事実だ。金森ほどの富豪はいなくてもバースの割合がおかしいくらいには、一般離れしている純院生は結構いるし、授業料の高い私立だから外部生も懐に余裕の多い生徒が多いはずだ。

「豪くんは純院生の友人はいるの?」

 基本的に純院生は純院生と外部生は外部生と固まっていることが多いが、豪くんのコミュ力ならどうなのだろう。

「いますよ。意外と良い奴らでした」
「凄いなぁ」

 外部生からしたら純院生はお高く止まっている人が多いのだが、豪くんのアルファオーラの前にはそんな態度とも取れないのかもしれない。いくら裕福でも本能には逆らえないのだ。






「良い内容でしたね」
「いや、流石だよね。ラストも良かった」

 久しぶりの良作に語りたい気持ちを抑えつつ、居酒屋に向かう。まだ見ていない人のネタバレをしてしまうのは本意じゃない。個室に入ってから感想大会だ。

 事前に地図アプリで確認したが、居酒屋は繁華街を通り過ぎて少し路地に入ったお洒落な店だった。イケメンは店選びのチョイスもイケメンなのだと感動すら覚える。

 話しながらデパートを横切ると、ふんわりと甘い香りがした。本能をくすぐられるような、でも嗅ぎ慣れた匂い。その香りを感じて、つい引き寄せられるように目線をそちらに向けたら言わずと知れた高級ブランドの店がある。

 香水の匂いだったのかと、内心首を捻っているとちょうど中から人が出てきた。

「あ……」

 金森だった。美しい男に腕を組まれて、なんの迷いもなく堂々と歩いてる姿は高級店に相応しい風格だ。豪くんは俺の視線を辿り、金森に辿り着くと苦笑いをした。

「金森さんだ。……やっぱりお金持ちは凄いですね。俺らとは生きてる世界が違う」
「……そうだね」

 金森の隣にいる男は確か見たことがある。セフレのうちの一人だ。この男に調子に乗るなよ、と脅されたこともある。男はショッピングバックを持ってやけにご機嫌に金森に話しかけていた。

 金森が他のセフレといても、仕方ないことだと諦めている。だって、そう言うものだから。オナホのくせに文句を言うほうが間違えている。でも世界が違うと言う言葉が妙に俺の心に刺さった。分かっていたことだけど、人に言われると急に重みが変わって辛い現実として立ちはだかる。

 分かっている。世界が違うのは。呼ばれる時はいつだって夢見こごちだ。これはいつか終わる関係。夢はいつか醒める。

「ま、金持ちより毎日立派に働いてる豪くんの方が凄いよ」
「いえ、貧乏なだけですよ」

 金森はセフレと、俺は友人と。これが現実だ。豪くんみたいな人気者と遊べるだけ俺は幸せだ。

 やるせない気持ちを見なかったことにして、もう一度金森を見ると金森がこちらを見ていた。

 俺に気付いたのか。一瞬、どきりと胸が高鳴ったがすぐに思い出す。金森は都合の良い時しか俺を見ない。例え俺が話しかけたとしても無視されるだろう。

 信号待ちで立ち止まって、思考を元に戻す。豪くんといるのに金森を見つけると頭が金森のことばかりになってしまう。こんなのは良くない。

 金森はこちらが進行方向らしく、どんどん俺に近づいて来た。スクランブル交差点で、金森はちょうど俺たちの真後ろで立ち止まった。全神経が後ろに集中するが、勿論声をかけられる気配はない。

 信号が青になる。離れたいような、認知されなくてもそばにいたい気持ちになりながら信号を渡りきると金森たちは俺と反対方向に曲がろうとしていた。

 金森は俺に気付いたのか。もしかしたら気づいてすらいないかもしれない。無意識に期待していた自分に馬鹿だと思いながら豪くんに話しかけようとしたら、後ろから声がした。

「デート?」
「え」

 金森の声だ。慌てて振り返っても金森はこちらを見てもいない。だけど確実に金森の声だった。どんなに小さい声でも俺はこれだけは間違えない。

「違う」

 咄嗟に出た言葉は届いたかは分からない。金森は一度もこちらを振り向かなかった。周りの人は急に何かを否定した俺をギョッとした顔で見ている。

 いつもなら慄く視線も今は気にならない。そんなことよりも少しでも誤解される方が嫌だった。

「小林さん?」

 豪くんの怪訝そうな声で振り返ると、豪くんは驚いたような顔をしていた。すぐにこの奇行の弁明をしなければならない。それなのにどうしても目が金森の背中を追った。

「どうしたんですか?」

 追いかけて、はっきり否定したい。グッと足に力を入れるがやめた。

 否定してなんになる。恋人とのでもないのに。俺が醜く金森に縋っても、金森が嫌になったら俺はすぐに切られるのだ。

「ごめん。なんでもない」
「そうですか?……目的地まであと5分くらいです」
「うん。ありがとう」

 後ろ髪引かれながらも歩き出す。隣にいた豪なんでも聞き取れなかった微かな声。でも、これは聞き間違いじゃない。



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