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しおりを挟む声が詰まる。シンプルで簡単な理由。今まで何度もキスをしてきた。だけど、こんな風に言われたことはない。
「キスは彼女とも出来るだろ」
本当は嬉しくて堪らないくせに、口に出たのはそんな言葉だ。さっきは駄目な理由を探していたけど、今は良い理由を探している。香苗の心理は分からなくても、香苗が次に言う言葉は分かってる。
「律じゃなきゃ嫌だ」
「……」
自分で言わせたくせに、その言葉の衝撃に受けた。表情が少ないと言われがちだが、今の俺の顔は真っ赤で情けない顔をしているはずだ。爆発的な喜びの中、それでもやはりと予防線を張る。
「何言ってんだよ。よっぽど人寂しいのか?俺なんかとしてもいいことないぞ」
今すぐ頷いてキスをしたい欲を抑えて、この期待を裏切られる怖さから誤魔化すような言葉ばかりが滑りだす。それでもとごねて欲しいのか、それならいいとさっぱり諦めて欲しいのか。自分でもわからなくなってきた。
香苗は愛を知らない。知ろうともしない。だから俺も期待を胸に秘めながら諦めてきたんだ。
でも、ここでそれでも俺とキスがしたいと言ってくれるのなら、香苗の中で愛に近い何かが育ってきたんじゃないか。俺が香苗に抱く恋とは違くとも、今までと違う香苗の態度から何か新しい感情が芽生えたのかもしれない。自分の中で必死に押し込めていた期待がむくむくと膨れ上がるのを感じた。
「律がいい。律じゃなきゃ嫌だ」
「なんで?」
俺の手を握って、駄々を繰り返す香苗に問いかける。
「一番大切だから」
「大切なだけなら普通キスはしない。……どうして俺とキスをしたいの?」
続けて聞くと香苗は少し考えるように黙って、握った俺の手をじっと眺めている。聡明な香苗にしては珍しく、なかなか答えが出せずにいる。香苗の沈黙の間、俺も考えていた。もし香苗に新しい感情が芽生えたのだとしたら、俺はまだ諦めるには早計ではないか。愛なんてくだらない。付き合うなんてただの遊びだ。香苗はそう言っていた。でも、香苗の変化でそれも変わるんじゃないか。
「俺は正直、キスもセックスも誰とでも出来る」
香苗は静かに言った。そうだ。だからこそ、面白半分で色んな女の子と付き合っていた。
「だけど、俺がしたいと思うのは律だけ。……そう、多分俺は律に執着している」
執着。何にも縛られず生きてきた香苗から一番遠い言葉だ。でも、そんな香苗の中に生まれた感情が執着と言うものなら。なんだか愛に近づきそうな気がした。だって愛の中に執着だって含まれているから。
香苗に一番親しい友人と言われたことはあっても、こんな仄暗い言葉を貰ったことはない。これっぽちも特徴のない平凡な俺が香苗みたいな男に執着されてるなんて。こんな滑稽な話だれも信じはしないだろう。
「律は俺ので、律の一番は俺のはずでしょ」
香苗は自信満々に俺の方を見て言った。まるで俺が否定するなんて思ってもみないんだろう。そして、俺もそんな不遜な態度の香苗を見て愛おしくなってしまうんだから答えなんて決まりきってる。
「俺の一番は香苗だよ」
「……だったら言いたいことがある」
香苗はやっぱり俺の答えを当たり前みたいに扱って、でも少し微笑んでから今度は俺を責めるように睨んだ。
「そのいかがわしいアプリを消して。あと健とも会うな。ゲイ仲間に会う時は俺も同行すること」
なんでアプリを知っているのか。俺の呆然とした表情を見た香苗が「律が風呂に入っている間にたまたま見えた」と不機嫌に答えた。
「いやいや、確かに香苗が一番だよ。でも、それは違うだろ。アプリは分からないけど健とも会うし、二丁目は普通に遊びにいく」
「ダメ」
今まで香苗が俺に行動を制限させることなどなかった。これも執着のうちか。……俺は香苗の執着に愛情的な物を期待していたが、もしかして親友を独占したいとかそっちに目覚めたのか?
「なんで?」
「ダメだからだ」
全く答えになっていない。
「あのなぁ、さっきのも有耶無耶になってるから言うけど、いくら一番な友達でもセックスはもうしないし、俺の行動は制限出来ません。そんなことができるのは恋人だけ!!」
そうだ。あれもダメ、これもダメなんて健全な友人じゃない。もうこのまま流されてしまおうか、なんて思っていた気を引き締める。本当はセックスをして愛し合いたいが、そんなことしたらこの香苗の中で育った何かが掴めなくなってしまう。そんな気がして、強い言葉で香苗、いや自分自身にセーブをかけた。そうだ。今あやふやにしたらもう一生分からない。
今が勝負だ。
「じゃあ、付き合おう」
(は?)
「俺と律は恋人だ」
「恋人は好き同士がなるものだろ!」
一瞬喜びに溢れて、すぐに悲しみに変わる。仕方ないから付き合うみたいな。こんな義務的なものなんていらない。セックスするためのこじつけみたいなのも嫌だ。お互いに好きあって付き合いたい。せっかく好きな男が告白してくれてるのに、そんな我儘ままで首を縦に振れない。それでもいいじゃんと頭の片隅で欲望が呟くけど、心が本物の愛を求めている。
俺の様子を見て、香苗は心細そうに小さな声で言った。
「……俺は律が他の男と絡むと酷い気持ちになるんだ。俺のなのに勝手に触らせる律もむかつく。相手の男に至っては殺してやりたいぐらいだ。最近になって気づいたんだよ。これに。律が一番だ。誰よりも律に執着している。俺だけの律にしたいし、律も俺に執着して欲しいと思う」
完璧な男が自信なさげに項垂れている。こんな分かりきったことに、香苗自身でも困惑して情けなくなって。こんなの、普通なら分かる。
「……はは」
「とうした?」
「そう言うのを全部ひっくるめてなんて言うと思う?」
「分からない」
俺の泣き出しそうな笑いに香苗は怪訝そうにしながら、心配そうに俺の頬を覆った。その感情がどこから来てるかなんて明白なのに。大切なものを子供の頃に落としてきた香苗には分からないのだ。
「それを愛してるって言うんだよ」
これが愛じゃなきゃなんなんだ。想い想われたい。他の男に取られたくない。そんなのもう。香苗の愛は輪郭から現れて、ぼんやりと形作っている。まだあやふやなそれに香苗が気付くのはいつだろうか。
涙が流れた。
自分がどういう感情なのかも分からない。ただ、心があったかい。幸せな気持ちで溢れている。こんな幸せな想像する時、俺はきっと踊り出したいくらいに嬉しくって堪らなくなるだろうと思っていた。でも、今はなんだかただ香苗を抱きしめたい。
「愛?何を言ってるんだ」
「……俺は香苗を愛してるよ」
何を言っているか理解出来ない。香苗はそう訴えるがそんなの後で分かればいい。今までずっと言えなかった愛の言葉がぽつりと口に出た。
ああ、告白する時は盛大にと思っていたのに。実際にはこんな簡単に口についてしまう。
「俺には愛が分からない」
未知を見るように香苗は言った。俺だって、愛はどうだなんて高尚なことは言えない。だけど。わかりきったことがある。
「いいよ、今は分からなくてもいつか分かるから」
「……そうかな?」
「うん。分からなくても、取り敢えず俺に屈してくれればいい」
徐々に分かるから。きっと俺が教えてあげるから。だから今は俺を信じてくれ。香苗の手に頬を擦り付けながら言うと、香苗はぱちりと目を見開く。
「そうする」
一息置いて、香苗は仕方なさそうに、でも嬉しそうにそう答えた。
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