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「なに?恋活すんの?いいじゃん!!」

 常連で飲み仲間の荒井さんに、経緯を伝えると荒井さんはそう言って背中を押してくれた。

「最近はアプリ使ってる子多いよ」
「アプリかぁ。なんかヤリモク多いイメージで尻込みしてます」
「まあ、否定出来ない。でも、数打ちゃ当たる作戦は大切だね」

 今時はゲイ専門の出会い系アプリで付き合う人が多いらしく、早速荒井さんも使っているアプリを教えてもらった。

「迷うな」
「その幼馴染以外に経験ないんだっけ?」
「……そうですね」
「手っ取り早く違う男と寝てみてもいいんじゃない? 案外、それで盲目的な恋から目覚めるかもよ」

 ま、俺がタチだったら付き合う?って聞くところなんだけどバリネコなんだよね、と荒井さんは笑う。確かに俺が勝手に香苗に操を立ててるが、香苗からしたら知ったこっちゃないし、重いかもしれない。

 試しに知らない男に抱かれる想像をしてみる。俺はどう思うのか。そもそも想像したこともなくて、悶々と想像を巡らすが俺の身体を触る腕を辿ると行き着くのは香苗の顔だ。

「ちょっと考えてみます」
「まあ、あんま思い詰めないでね。あ、そういえばさ、田中にぃの話聞いた?」

 荒井さんのオーバー気味でくだらない話で盛り上がって、意気込み過ぎたかもしれないと思い直した。焦って探すよりも徐々に香苗以外の選択肢を探せばいい。そう思い、次の日からゆるくアプリを使おうとしたのだが。


「どうした?」
「いや、ちょうど予定が空いたから」

 仕事帰り香苗に急に呼び出された。香苗と外で食事する時は個室のある店で食事することが多く、今日もそうだ。香苗は車のためアルコールを飲まないが、遠慮せず飲んでくれと言われているので、俺はいつもビールを飲んでいる。

「彼女はいいのか?」

 香苗が今の彼女と付き合って一週間も経っていない。いつもなら彼女と行くはずなのに、何かあったのだろうか。

「ああ、別にいいんだ」
「そう」

 俺はいつだって香苗優先で、香苗の誘いを断ることは早々ない。それに対して香苗は忙しい身だから捕まらないことも多々あって、だからこそ少しの時間が取れたら彼女に時間を回していたはずだ。

 お通しをつまみながら、少し浮ついた気持ちを律する。彼女より自分を優先して貰ったなんて、とんだ勘違い野郎だ。諦めると決意したばかりなのに会えたら嬉しいなんて馬鹿すぎる。

 学習しない自分を罵りながら、勢いよくビールを飲む。やけにビールが喉を通る音が大きいと思ったら、香苗が黙りこくって俺を見ていた。美形の真顔は慣れても怖い。

「どうした?」
「…….いや」

 苦虫を噛み潰したような顔をした香苗はどう考えてもおかしい。何か言いたそうな、でも言えないような。全く持って香苗らしくない。

「なんかあったんだろ」
「……特にない」
「何もなかったらそんな顔しない。何年、お前といると思ってんだよ」
「20年くらいか……?」
「そう!20年だよ!なんかあるなら言えよ」

 俺が問い詰めても香苗はなかなか口を割らず、烏龍茶をちびちび飲み続けている。相当言い辛いことがあるのか。

「まさか……」

 思いつくことが一つだけある。普通、当人なら喜ばしいことだが、こいつならこんな反応をする。そんなことが。前にも同じことがあった。その時と同じ轍を踏んだから言い難いのか。

 俺が香苗の意図に気付き、納得したような態度を見せると香苗はほっとしたように表情を緩めた。香苗のことなどお見通しだ。まさかこんな気まずそうな顔をするとは意外だったが、そんな時もあるのだろう。俺は動揺した心を悟らせないように敢えて明るくそのことを切り出す。

「妊娠したのか?」

 前もあった彼女の妊娠騒ぎ。その時はただの嘘だったが今回はどうなのだろう。あれだけセーフティセックスを心がけてると豪語していれば言い難いはずだ。香苗とこんな関係を区切る決定的な一打に現実味を失う。心の柔らかい部分を守るように身体の外に膜を張るような感覚。遠くの足音がやけに響くような。ただの思いつきで、半分冗談くらいのつもりなのに口に出したら急にショックを受けてしまった。

 ちょっと気を緩めれば泣きそうなほど感傷的な気分だったが、香苗は裏切られたかのようにすぐに仏頂面をした。

「そんなわけないだろ」
「いや、避妊失敗したのかと」
「もうあんな面倒ごめんだよ……何が20年来の付き合いだ」

 香苗の否定にほっとしたが、その憎らしそうに添えられた言葉にドキッとする。

「悪かったよ、早とちりだった」

 香苗が明らかに不機嫌になっている。慌てて訂正するが、俺の話を聞くそぶりもない。他人の前だと好青年を演じるくせに俺の前だとこうやって素をだしてくる。こう言うところに弱いんだ俺は。

「ごめんて。なんか言い辛そうだったから。結局なんだよ。言えって」
「……今日、なんか予定あった?」

 少しの優越感を持って宥めれば、香苗は渋々口を開いたが、それはどう考えても今聞くことじゃない。

「え?いや、なかったから来たんだよ」
「律には律の付き合いがあるよね。俺にだってあるし」
「まあ、そうだな」

 なんだ酔っているのか。香苗のことはなんでも分かっているつもりだが、今ばかりは香苗の言いたいことが分からない。

「……俺は律が一番親しい友人だと思ってる」

 嬉しい言葉。そう、友人なら嬉しくなきゃいけない。恋人なんて高望みしなかったら、俺は香苗の一番を誇りに思える。俺もそうだよ、と答えなきゃいけないのに。諦める決心はついたけど、まだここまで割り切ることができない。

「……うん」
「だから」

 結局頷くことしか出来ない俺に香苗は言葉を続けようとしたが、すぐ口を閉じた。なんなんだ。珍しい。俺にはなんでもズバズバ言ってくるくせに。

「やっぱりなんでもない」
「えぇ、言えよ」
「うるさい。なんでもないんだよ」

 香苗が一回意地を張ったら、折れることは滅多にない。それを知っているから、気にはなりつつも何もなかったように話を続けた。仕事の愚痴やら、どこの飯が美味かったかなんてだらだら話していればあっという間に23時を回っている。

「じゃあ、帰るか」

 明日も仕事だ。いつも通り帰り支度をしていると、やたら香苗がこっちを見ていた。

「なに?」
「あー、うちに泊まってくか?」
「え」
「いや、俺の家なら律の物もあるし。ここからならうちの方が近いし」

 何度も香苗の家には泊まっているが、流石にこんなど平日に泊まったことはない。決まってお互い明日が休みの日だけだ。

 確かに俺の家はここから少し遠い。

「んー……や、今日は帰る」

 今までもこんな時間まで飲んだことはあるが、家に誘われるのは初めてだ。今日の香苗はどこかおかしいと違和感はありながらも、流石に泊まるのは気が引けた。香苗も明日仕事なのだ。迷惑はかけられない。

「そうか」
「気持ちだけ受け取っとく。はい」

 友人同士、会計はいつも割り勘だ。奢ると言われた事はあるが、対等でいたいと断ってからはいつもおおよその金額を香苗に渡している。財布から一万円札を取り出して、香苗に手渡そうとするが香苗は受け取ろうとしない。

「これ。受け取って」
「いらない」
「いやいや、いつも割り勘だろ」

 ずいと一万円札を押し付けようとするが香苗は頑として受け取らず、さっさと会計を済ませてしまった。

「悪いからいいって」
「なんだよ。俺が払うのはダメなの」
「そう言うわけじゃないけど。友人で奢りは駄目だろ」

 店を出て、香苗は車を停めているコインパーキングへ向かう。いつも香苗の車で家まで送って貰っているから俺もその後に続き、お金を受け取ってもらおうとするが、そうすればするほど香苗の機嫌が悪くなっていく。

「……だろ」
「え?」

 さっさと足早で歩く香苗がボソリと言う。何を言ったか聞き取れずにいると、香苗は急に立ち止まって俺の方を振り返った。

「あいつには奢られてただろ!」

 香苗が怒っていることは分かったが、何を言っているのか分からなかった。俺は友人と飲む時はいつも割り勘と決めている。だいたいあいつって誰だ。俺が困惑してると香苗は話は終わったとばかりに歩き出すから、俺も慌てて後を追う。

 唯一思いつくのは健と食事をした時だ。あの時は健が払ってくれた。だが、香苗は彼女と楽しく食事していたから知らないはず。もしかして、たまたま聞こえていたのだろうか。

「もしかして健のこと言ってる?」

 ピクリと香苗が肩を震わせた。

「あー、あれはたまたまだから。歳下だしいつもは俺が払ってるんだよ」

 香苗の反応からして健のことで間違っていないことは分かる。だけど、香苗の機嫌は一向に良くならず、反対に歩くスピードが上がった。

 結局、自分でも分からない言い訳じみた言葉を並べていたら車の前に着いた。香苗は俺を見ようともしない。

 そもそも健に奢られたことの何が悪いか全く分からないが、香苗の機嫌がよくなりそうにないことは分かった。

「あー……今日はタクシー捕まえるよ」

 別に香苗が本気で怖いわけではないが気まずいので、踵を返す。

「待って。俺が送ったほうが早い」
「いやいや、なんか疲れてるみたいだし」
「ダメ。俺が送る。乗って」

 有無を言わさず、香苗は運転席に座った。まるで断るなんてあり得ないと言わんばかりの態度だ。不機嫌なくせにこうやって送ろうとする不器用な優しさにほっとする。
 今日の香苗は変だけど、やっぱり香苗だ。

 車内で終始無言のまま、俺の家に着いた。

「またね」

 香苗はそれだけ言って、去っていく。まあ、こんな日もあるだろ。疲れていたのかもしれない。

(今日の香苗はレアだったな)

 香苗の違和感をそんな風に簡単に片付けていたが、その日から香苗のおかしな行動が続くようになった。


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