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「律! 」

 集合十五分前に待ち合わせ場所に着いて、五分。俺の名前を読んで走ってきた青年は、短い髪に整った顔立ちと、服装も落ち着いた好青年で、走った勢いそのままに俺に抱きついて来た。

「ちょっと、健」
「いいじゃん。これくらい。海外ではフツーだよ?」

 そう言って俺の腰に手を添える彼は、俺の彼氏……ではなく、義理の弟だ。数年前まで海外で母と暮らしていたから、帰国子女でスキンシップが濃い。
 初めて健と会った時、健は小柄の可愛らしい少年だったけど、今や女の子だけでなく男も侍らす軟派な男になっていた。
 義理の兄として、本当はそんなこと言える立場じゃないが注意してみたら「じゃあ、律が俺と付き合ってくれるの?」と返してきて。冗談だと思ってスルーしていたら、割と本気で寝込みを襲われそうになったから義弟でありながら少し警戒している。

「律はいつまで片想いしてるつもりなの? そろそろ諦めて俺にしなよ」
「うるさいな。片想いは俺の自由。健は俺の義弟。それ以上でもそれ以下でもないから」
「えー、……俺、律に結構本気なのにな」

 茶化していた言葉に急に真剣味が出て、前に向けていた視線を健に向ければ、健はいつもの面白がった顔ではなかった。慈しむような切ないような優しい顔。

「……ありがとう、でも俺」
「うん。分かってるよ。あの幼なじみが好きなんでしょ?律ってば、本当に趣味が悪いよね」
「そうよ。俺は趣味が悪い。だから、健は趣味じゃない」

 健に俺は釣り合わないよ、と暗に告げれば、健は俺の左手を握って笑った。

「じゃあ、振られた俺を可哀想と思うならこのまま手繋ご?」
「……甘えただな」

 こんな優しい子だから、父の連れ子で血の繋がっていない、あの香苗の三分の一も会っていない青年を弟として大切に扱えるのだと思う。俺自身ゲイだし、二丁目に仲間は沢山いる。人前で男同士手を繋ぐと視線を感じたりはするが、恥ずかしいことでもないと俺は手を離さなかった。
 握った左手は暖かい。手汗をちょっぴりかいても、健はきっと気にしない。だから、俺より大きな手をきゅっと握り返した。

「今日は、俺の好きな所に行っていい? 」
「いいよ」
「やった。じゃあ、最近できて評判のイタリアンの店なんだけど、予約不可の人気店でさ、早めに並んでそこ行こう!」

 そうして、向かったのは中町の裏通り。細い道に人だかりが出来ていたからすぐに分かった。こじんまりとしたお店だが、全体的に赤色でシックにまとまったお洒落な店構えだ。細い道には開店三十分前に来たにも関わらず既に三、四組女性客が並んでいて、確かに人気があるように思えた。
 時折、散歩している犬達を眺めながら、健と世間話をしていればあっという間に三十分。お待たせしましたと感じの良い笑顔でと迎えられながら席についた俺達は、運良くお店で二番目に良いだろう席に座った。少し薄暗くクラシックのかかったムーディな店内に、カップルで来たなら最高な雰囲気だと思う。

「ここ、料理も美味しいらしいから楽しみだね。お、Bランチ美味しそうじゃん」
「そうね。でも、前菜の多いCランチの方が良くない? 」
「うん。確かに、悩むなぁ」

 二人で食事に行く時は、俺がお金を出すことにしている。健は嫌がるが、ここは歳上の意地というもの。せめて割り勘と言う健を黙らせ、いつも俺が払っているから健は気を使って、俺の懐具合を気にしていないように一番安いのを避け、でも、俺の懐を気にして一番高いのを避ける。健は世わたり上手だ。

 結局、三つのコースがあるうち、真ん中の値段のBコースに決まった。

 注文を頼み終え、話を再開しようとすると、外が何やら騒がしい。外の女性達が黄色い声を上げていて、何処かで芸能人でもいるのかなと健と笑い合えば、その黄色い声を浴びる誰かがこのお店にやって来た。

「いらっしゃいませ」

 奥から出て来たオーナーと思しき人物が腰を低く出迎えている。並んでいる人達を通り抜け店に入って来たのだから、予約不可のお店で予約が出来てしまうよな人物。よっぽどの人なのかな、と。奥深く座った腰を少し上げて、店の扉を覗いてみればそこには香苗と香苗の彼女と思わしき女性がいた。

 俺は静かに動揺する。

 今日はフレンチの筈じゃなかったのか、なんて現実逃避しながら隣にある壁の凹凸で身を隠す。
 一人だったら問題ない。好きな香苗が彼女とランチしているのを独り身で眺めるだけ。だが、ここには健かいる。義弟と仲が良いなんて知れたら、香苗はどんな反応をするか。
 豪胆なようで、繊細な香苗は、俺に裏切られたと感じるかも知れない。

 香苗は彼女を連れて、スタスタとこの店で一番良い席へ。つまり、俺たちの隣の席へやって来る。咄嗟に逃げようにも逃げる場所なんてなく、せめて、思いっきり顔を背けた。

「律? どうしたの? 」

 そんな時、事情も知らない健がさっきからの俺の不審な行動を不審に思って俺の名前を読んだ。

「……律?」

 名前が同じと言うきっかけで、見たのだろうか。香苗の低く、けれど透き通るような声で問われる。
 ばれた。

 名前を呼ばれた以上、無視するわけにはいかない。

「……奇遇だな」

 観念して、でも、何も悪いことをしていないように無感情に言ってみる。香苗は俺を認識すると微笑みかけ、やめた。香苗の視線が健に移ったのだ。

「誰?」

 別段、普通に聞かれたから普通に返せばいい。それなのに、俺は静かにパニックになっていたらしい。

 健が香苗が有名人だと分かっても、騒がず落ち着いて会釈した。それほど察しの良い健に目配せすれば上手く収まりそうなものの俺は「友人の斉藤健君。俺達、友人なんだ。な、俺達、友人だよな」と友人同士ならまず言わない台詞を吐いてしまった。

 少し驚いた様子の健と、訝しげにする香苗。唯一、俺の失態に嬉しそうだったのが、香苗が俺の名前を読んだ時からずっと俺を睨んでいた香苗の彼女だ。香苗を狙っている女からしたら俺は香苗の金魚の糞と思われているらしい。それに俺はゲイなことをオープンにしているから、香苗と離れろとしょっちゅう嫌がらせされている。

 健は俺の焦りと言動、今まで俺が与えて来た情報から香苗が俺の言う幼なじみだと気付いたのだろう。意地の悪い笑みを浮かべる。

「まあ、友人にしては深すぎる仲だとけど、今は友人って事でいいよ」

 と余計なことを言い出した。ぎょっとした俺がきっと健を睨んでも健はどこ吹く風で笑うだけ。

 俺は香苗の反応を見るのが怖かった。香苗は何も言わないし、俺から見ないと香苗の反応は分からない。結局好奇心に負けて香苗を見ると、香苗はなんの反応もなく普段通りの笑みを浮かべている。

 その時、やっと俺は自分の自意識過剰に気付いた。

 (馬鹿だ。俺は)

 香苗は俺の男事情なんてどうだっていいのだ。急に馬鹿らしくなった俺は、健の発言を聞いて「お似合いです~」と牽制してくる彼女を他所に平静を取り戻す。
 まあ、香苗が俺を好きじゃないことくらい分かっていたことだ。

(今更傷つくことじゃない。うん、傷つくことじゃないから)

「どうせだし、一緒に食べる? ここのオーナーと知り合いでさ、特別コースだよ。どう? 」

 人見知りをしない香苗らしく、初対面の健がいても誘ってくるが、俺としては健を交えて食事なんてぼろが出そうで怖くてしたくない。

 香苗の隣では、彼女がギョッとした顔で香苗を見て、それから俺たちを睨んだ。勿論、断るだろうな?と言う顔だ。

「いや、お前らデートだろ。邪魔なんて出来ないって」
「気にすんなよ。デートなんてまたすればいいんだし」
「いいから。俺達は俺たちで食べるからこの話は終わり!」

 しつこい香苗を適当にかわしてからは、お互いに話しかけたりせず順調に食べ勧めた。最後のデザートを食べかかった時、健はまた、いや、今回はけろりとした顔で爆弾を投下する。

「今日は泊まってくよね?たまにはいいでしょ」

 その発言に、ちらりと香苗の方を見てみても、彼女と2人で楽しそうだ。それにほっとして、そもそも健が義弟とバレてないならなんの問題もないことに気づき、俺は隣に聞こえないように小声で答えた。

「そうだな。じゃあ、泊まろうかな」
「おっけー」
「でも、お父さん嫌がってない?大丈夫?」
「大丈夫だよ。俺の父さんゆるいもん。嬉しいなぁ、家族が集まるのって、って喜んでたから」
「そう、ならいいんだけど」

 その後、また他愛もないこのゆるキャラが可愛いだの話していたらデザートも食べ終えて、支払いの時、健がすっと財布を出した。

「今日は俺に払わせて。ライバルの手前、少しくらい格好つけたいな」
「……分かった。ありがとうな」

 健がどこまで本気なのかは知らないが、ここで断るのは野暮だろう。

 隣にいる香苗と彼女に、簡単な挨拶をして店を出る。その日は実母のいる家に泊まった。穏やかに笑う母は俺の父親と結婚している時は見れなかった。母さんは今本当に幸せなんだ。

「どうしたの?お風呂入ってらっしゃい」

 その輪に俺を入れてくれようとする義父と健の優しさは有難いことだ。こんな幸せなことが香苗にはない。自分だけが幸せなことが申し訳なく感じながらも、俺も香苗にこんな幸せを与えたかったと思う。恋愛関係としてが無理なら、せめて普通の幼馴染として安寧を与えてあげたい。香苗に少しでも幸福を感じさせてあげるなら、俺の恋愛感情はいらない。寧ろ、邪魔だ。

(諦めよう)

 ゲイの友人は失恋には新しい恋だとよく言っていた。告白もせずに失恋なんて笑っちゃうが、確かに俺に必要なのは他の相手を見つけることかもしれない。そして、香苗を純粋に友人として見られたならそれはきっと香苗の幸せに繋がる。健全な関係からしか、この家のような温かい気持ちは味わえない。

 香苗の恋人サイクルは短い。長くて半年で、大体3ヶ月で別れる。恋人がいる時は、俺に来る連絡が三日に一回から一週間に一回に変わる。香苗に相手への恋愛感情があるのか不明だが、付き合った相手の要求には基本答えるスタンスなので俺と会う頻度は減るのだ。

 香苗も付き合いたてだし、俺に連絡が来るのも早くて来週のはずだ。行動に早すぎることはない。俺は新しい恋をしようと二丁目のバーに向かうことにした。



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