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 シンプルな薄手のカーテンから、柔らかな朝日が指す。一日のリズムを大切にするこの部屋の持ち主は、日の光で起きることを朝のルーティンとしている。高層マンションであるからこそ、外の視線など関係なく、あっても無くても変わらないほど薄い布でもプライバシーの問題はないのだ。

「おはよう。律」

 目が覚めたら、横に美しさを体現した香苗がいる。こんなこと慣れっこのはずなのに、鼓動が高鳴って下手したら顔が赤く染まりそうになった。
 この部屋に泊まるときは香苗に合わせて朝日で起きるのだが、光に照らされた香苗の美しさは何か神がかったように見えてならない。

「……おはよ」

 香苗はいつもの微笑をそのままにかかっていた布団を退け、上半身を起こした。香苗は昨日の情事のまま一糸まとわぬ姿で、それは去年、世界中のファンから惜しまれてモデルを引退した時と変わらない。

「今日の朝食は何がいい?和食?洋食?」
「洋食。トロトロのオムレツが食べたい」

 香苗の問いに朝はガッツリ食べたいと即答する。香苗の料理の腕は家庭のレベルを超えていて。前に俺が作ろうとした時もあったが、二人の料理のクオリティの差があまりに大きくて悔しかったため、それ以来作っていない。

 香苗がリビングに向かったのを見てから、俺は床に散らばっている大きめの服、香苗の服だが、それを被り続いてリビング向かった。

 この高層マンションは階ごとに一人ずつ居住者がいる。つまり、エレベーターに乗って出たらすぐ玄関でその階が全てその住人の部屋となっていた。
 一般家庭よりそこそこ裕福だと言える俺だって、この歳でこんな家を香苗にみたいに買ったりなど出来ない。そもそも香苗は同じ男として降参してしまうほどにパーフェクトな男だ。

 家柄良し、頭良し、顔抜群に良し、外面良し。それが香苗。勿論、香苗が全てにおいて幸福なわけではない。だが、一般的に言えば香苗は恵まれている。
 特に香苗の顔とスタイルは世界を魅了させた。きり長の垂れ目と、通った高い鼻筋、ダブルだから彫りも深く、この前出ていた雑誌には香苗の顔のパーツは黄金比なのだとデカデカと掲載されていて、世界的なモデルを引退した今も実業家として数多くのメディアに出ている。

 リビングに向かい、香苗がキッチンで料理しているのを横目に、ふかふかのソファに座る。俺には香苗にはない毎日のルーティンがある。

『獅子座の今日の恋愛運は、………残念!十二位です!あなたの意地っ張りが悪い方向に向いてしまうかも!?』

 残念、十二位か。

 ワイドショーの恋愛占いを見る。これが俺のルーティン。香苗にはその前の全体運占いを見てると言っているからきっとバレていないはずだ。
 残念と言ったって、この恋愛運占いが当たったことなんてない。たまに獅子座が一位の時だって、俺の恋愛はうまくいったりしないのだから。

 恋愛運占いが終われば、ジョニーズのアイドル達が色んな企画に挑戦するという内容が映る。四十代以降の主婦に人気なコーナーだが、俺は興味ない。ただ、十二位にすっかり気落ちした俺はチャンネルを変えるでも無く、それを何となく見ていた。

「出来たよ」
「うん」

 少しして、香苗が俺を呼んだ。テーブルにつけば、オーダーした通りのぷるぷるのオムレツ。見ただけで分かる。これは、中身がトロトロのやつだ。
 オムレツだけではない。栄養を考えられ、サラダ、ヨーグルト、ウインナーも添えられてあって、香苗がパン一枚のところ、俺は二枚。俺が170センチ細身体型に対して、香苗が195センチ筋肉を帯びた細マッチョなわけだが、別に俺が食べ過ぎなわけではない。香苗の常備しているパンは小さいのだ。

「ごちそうさまでした」

 食べ終わればちょうど腹八分目。俺のお腹の容量を分かっているあたり二十年来の幼なじみだけあるだろう。

 (もういいじゃん。こんなことまで分かっているなら。俺の気持ちが分からなくたって屈してくれよ)

 朝食を済ませ、次は皿を洗い始めた香苗を不満たらたらで眺める。普通なら何の文句もないはずだ。こんな完璧な香苗と一緒にいられて。一緒にいれば当たり前のように尽くされる。
 だけど、それは俺が求めているものとは違った。

「そう言えば、さっきメールが来てさ、付き合うことになったから」
「へぇー」

 香苗は俺の親友であっても恋人でない。肉体関係を持っていようが俺と香苗の関係はずっとこのまま。俺がどれだけ香苗が好きでも香苗が俺を好きになることはない。それは悲しいことだけど、もう諦めてさえいた。

 香苗は人を愛さない。
 正確に言えば愛せないのだと思う。何もかも持っているのに、愛することだけが出来ないなんて歪だ。だが、その歪みの原因も香苗の場合ははっきりとしていた。
 その理由は幼少期にある。

 香苗が世界で一番愛していた母親に捨てられた。

 父親の浮気の末に両親が離婚。そんな聞いたことのあるような事件は、当事者にとって一生心の傷になるもので。香苗はそれ以来、人を愛することが理解できないのだと言う。

 俺だって彼女がいる香苗と寝るなんて不毛なことはやめた方が良いと分かっている。だけど、香苗は言うのだ。俺が唯一心の底から信用できるのはお前なんだって。笑いながら、冗談っぽくお前は俺のものなんだ、とさえ宣う。
 そんなこと言われたら、期待してしまう。いつかそれが愛になるんじゃないかって。

「どんな子?」

 聞きたくなんてない。でも、つい気になって聞いてしまう。そんな時に、俺の動かない表情は便利だ。普段は冷たい、何を考えているか分からない、と不評な表情筋も今ばかりは、悲しみを抑えてくれる大切な武器。
 何度もついてきた嘘と虚勢のおかげで、無様に声が震えることもない。

「可愛い子。ほら、昔のモデル仲間だよ」
「ふーん……俺、ここに来るの控えたほうがいい?」

 なんとなく言った言葉。だけど、それは俺の心が限界に近いことを表しているのかもしれない。香苗といると愛しさが溢れる。だけど、絶対に自分のものにならないから辛い。苦しい。
 いっそ離れたほうがいいと思うほどに。

 来るな、と言われてもショックだ。ポーカーフェイスで了承して次の日は泣き明かすくらい苦しい。
 でも、突き放して貰いたい自分がいて。そろそろ、俺も前に進まないといけないから。

「は?なんで?律はそのままでいいんだよ。いつも通り、合鍵で好きな時に来てよ」
「次の彼女も家に入れないの?」
「入れるわけないじゃん。ここは俺のテリトリーだし、誰も入れたくない」

 香苗のテリトリーに、唯一入れるのは俺だけ。いや、家政婦の名取さんを入れれば二人だけ。その事実に、嬉しくなりそうになるけど、騙されちゃいけない。香苗には彼女がいて、俺は浮気相手で、セックスフレンドで、幼なじみ以上にはなれない。

「俺たち、もうすぐ三十路だよ?  結婚とか考えないの?」
「えー、結婚とかめんどい。縛られたくない。無理無理。それにさ、結婚と言われるとあいつのイメージしか湧かなくてげんなりすんだよね」

 香苗の言うあいつは、香苗の母親のこと。香苗の結婚しない理由は、俺の予想していた理由と同じで。それで俺は香苗が結婚しないことに喜んで、その後哀しくなる。

 複雑な思いでソファに座りテレビを眺めていたら携帯が鳴った。なんの捻りもない機械音は、俺の電話の着信音。
 チラッと携帯の画面を見て、げんなりした俺は、その着信を聞きたくもなくて音量ボタンを一番下まで引っ張りマナーモードに設定した。

「出なくていいの?」
「別にいい。急な用事じゃないし」
「……ふーん。その割には、嫌そうな顔してるけど」
「そう?」

 俺のわかりづらい表情を香苗だけ分かるらしく、香苗は時々自分の気付かなかった感情を知らせてくれる。勿論、固い表情筋は意識して動かさないようにすれば、香苗さえも騙せるからそれはいいのだけれど、今は隠す気が無かったから。

「誰?」
「誰でもいいじゃん」
「気になる」
「母親」

 母親と言えば香苗は黙る。それなら嫌がるのも頷けると。俺の母親はいわゆる継母で、小さい会社の社長であった父を貧しい頃から支えてきた実母は、秘書であったこの継母にあっさり乗り換えられて捨てられた。俺は実母について行きたかったが、俺の顔は父に似ているらしく、拒否されて、1人父と継母の中に残された。
 父は俺に無関心だし、継母は俺を邪魔でしかたない。俺には2人の妹がいるが、その2人の妹も継母に洗脳されて俺を憎んでいる。

 この完璧な香苗と、俺が仲良くなったきっかけは同じ実の母親に捨てられたという事実からだ。だけど俺は香苗のように実母を憎んではいない。元々、父が酷いことをしたのだから仕方ないという諦めと、数年後、父にバレないように母が謝ってきたからというのもある。

 その時、一緒に暮らそうと誘われた。母には新しい家庭があった。優しそうな義理の父と、無邪気な弟。魅力的な誘いだったが、俺は断る。その時には俺の隣に香苗がいたから。香苗を1人に出来なかった。その頃から俺は香苗が好きだったのかもしれない。

 結局、実母と和解したことを香苗は知らず、今に至るわけだが。

「今日、昼どうする?」
「お昼は用事があるから」
「ふーん。じゃあ、俺は早速出来た彼女とフレンチでも食べるか」

 香苗の家に数着置いている俺の服を身につけて、家を出る。俺の冷たい面持ちに派手な色合いは似合わないからいつだって俺の服はクールなシンプル系。世界的元モデルの幼馴染のくせにファッションセンスはゼロだ。
 母から電話があったということにしたから、香苗は継母と会っているのだと勘違いしているのだと思う。

 香苗はあの継母と俺が関わるのを良しとしていないから。もう何回も家と絶縁しろ、と迫られている。俺が支援してやるから、家を出ろと。
 別にそうしてもいいのだが、実母は俺の家族仲は良いと思っている。万が一、絶縁でもしたら実母は罪悪感で泣き崩れてしまいそうで、俺はそれを実行できないでいた。

 香苗はそれが面白くないから、俺の好きなフレンチを引き合いに出したのだ。




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