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しおりを挟む彼女は後日、腫れた目で謝ってきた。
「ごめんなさい。私、あの時気が動転していて」
「いいんです」
「……私、あなたたちを応援するわ。あんな酷い男もう忘れてやるの」
「言っとくけど、俺は納得してないからな。優衣の彼氏は俺。夫も俺なの!……でも、まあ、真昼がこう言ってる手前、俺だけ許さないのもなんだからな。おい、暁!優衣を大事にしろよ。万が一にでも泣かせたら許さない。優衣は今までの女と違って安い女じゃない。天使なんだ。優衣を悲しませないか、俺がずっと見張っててやる」
「分かってる。優衣は特別だ。一生ずっと一緒」
「優衣も!暁が嫌になったら、さっさとお兄ちゃんの元に帰ってくるんだぞ!お兄ちゃんの胸はいつだって空いてるんだからな」
「そうだね。じゃ、そうなったら、お兄ちゃんが私を貰ってね」
「優衣!」
「そうはならないから大丈夫。言っただろ?俺たちは、一生ずっと一緒だって」
そうすれば、一生お兄ちゃんとも一緒だから。彼にとって私はお兄ちゃんをつなぎ留めるだけの道具に過ぎない。
「……うん。そうなればいいな」
初めて身体を重ねたのは、彼の部屋での事だった。ただの道具に過ぎない私のためにセフレ達を切ってまで抱いているのに、それは私に幸福を与えない。
「由樹、由樹」
お兄ちゃんの名前を呼びながら、私を抱くのは楽しいのだろうか。私は、所詮お兄ちゃんの代々品に過ぎない。私は、お兄ちゃんの名前を呼びながら私を愛撫する彼を見たくなくていつも彼に目隠しをして貰う。耳栓もして欲しいくらいだったけど、流石にそれは頼まなかった。
酷い苦しみと快感の後、彼は必ずこう言う。
「好きだよ。優衣のおかげだ」
「優衣、最近告白された?」
「なんで知ってるの?」
「由樹が言ってた。凄く怒ってた」
「お兄ちゃんが……本当にシスコンなんだから。だいたい、もう暁君と付き合ってるのに今更妬いたって」
「そう言う優衣もシスコンだな。嬉しそうな顔してる」
「えっ、うん。まあ、そりゃ、だって。自慢のお兄ちゃんに好かれて嫌な訳ないし?もう、お兄ちゃんだっていい加減、彼女……ってごめん。暁君はお兄ちゃんのこと」
「いいよ、別に」
「……うん。えっと、そうだ。最近ね」
「ほんと、邪魔なやつ」
「?、なんか言った?」
それから約2年が過ぎようとしていた。私達は、とうとう受験生になったのだ。その時には、彼からプロポーズを受けていた。結婚できる年になったから結婚しようと。
分かっている。
お兄ちゃんの義兄弟になるためだろう。
その時には、私の心はぐちゃぐちゃになっていた。彼を愛している心と彼にとって自分がただの道具に過ぎないことへの苦しみで一杯だった。それでも、彼を見るとどうしても愛しさが込み上げる。
私はどうすればいいのか分からなかった。
そしてその時は来た。
「おにいーー」
彼が寝ているお兄ちゃんにキスしているのを見た。
持っていた鞄が落ちて、ガタンと音がする。慌てて立ち去ろうとする私の目に移ったのは、私の見たことのない愛おしそうな笑みだった。
それが決定打。
私は遂に彼から逃げる決心をつけたのだ。
この時期、彼と離れるのは簡単なことだった。彼の進学先は決まっている。彼と遠く離れた大学に進学して、物理的な距離を置くことから開始することにした。勿論、皆んなには内緒だ。みんなと同じ大学に進学すると見せかけて、地方の国立に行くための勉強をする。国立は勉強する科目が多くて大変だったけど、忙しくないと、彼と別れる決心が鈍りそうで周囲には、合格が危ないかもしれないからと嘘をついてせっせと国立大学に受かるため勉強をした。
私はお兄ちゃんほどではないが、それなりに頭が良かった。まず、始めに私立の受験が決まって、高校の決まりでセンター試験も受けなければならなかったから、都合よくセンター試験も受けて。あとは、現地に行って受験するだけ。
両親には、お兄ちゃんには黙っててと、お願いしたけど今度ばかりはバレてしまう。
「あれ、優衣、どこか出かけるの?俺に内緒で?何処?誰と?まさか、また暁と?駄目だよ。これ以上お兄ちゃんを放っといたらお兄ちゃん嫉妬で狂うよ」
「違うよ、暁君とじゃない。受験で行くの」
「何言ってんの?優衣、もう受かってるじゃん?今更、受験?どう言うこと?」
「私、国立の大学行こうと思って」
「聞いてないよ!そんな、酷いよ!お兄ちゃんを騙してたの!?なんで、また、お兄ちゃんを一人にするの?どう言うことか説明してよ、優衣」
「絶対に怒らないでくれる?」
「それは、話次第によるけど。同じ大学に行く説得は続ける」
「暁君と別れるために距離を置きたいの」
「殺してやる」
即答だった。お兄ちゃんの激怒は久し振りに見る。
「怒らないって言ったじゃん!」
「駄目。優衣を悲しませたら殺すって暁には言ってあるし。あー、もうこれ絶交だわ。信じらんね。俺の妹に非があるわけねぇし、どうせ暁が悪いんだろっ。でも、俺の天使もちょっと、ちょっとちょっとだよ!もっと前に言ってくれたら俺もそこの国立受けたのに。いますぐにでもぶん殴りに行きたい。でもさ、暁と別れられればお兄ちゃんと違う大学に行く必要はないんだよね?じゃ、お兄ちゃん絶交ついでに優衣との引導も引き渡してやるから、ちょっと待ってて。全部お兄ちゃんに任せてくれればいいから」
私は変わってしまったんだ。お兄ちゃんは変わらないのに。お兄ちゃんはこんなにも私に信頼を置いてくれている。
「……お兄ちゃんは、親友と私だったら私をとるの?」
「当たり前だろ!優衣より大切なものはない!」
「……それが私にはネックだったんだけど、ふふふ、やっぱり嬉しい」
「優衣?」
「お兄ちゃん、大好き。血が繋がってなかったら結婚したいくらい」
「優衣!お兄ちゃんも優衣の事大好きだぞ!血が繋がってても結婚したいくらいに好きだ!」
「無理だから」
「俺の天使は手厳しいな」
久し振りに心の底から笑えた気がした。それから、お兄ちゃんとは沢山話し合って取り敢えず、殴り込みに行くのは止めて貰えた。これからも暁君と仲良くして欲しい、と言う言葉は頑として聞こうとしないから、泣き落とししかないかもしれない。
おお兄ちゃんちゃんは、私に甘いから。
ついでに、私も甘ちゃんだから。私はそばにいられないけど、彼の願い通りお兄ちゃんと彼はずっと一緒に言って欲しい。例え、どんな形であっても。
前に言ってみたことがある。
「お兄ちゃんに告白しないの?」
「急にどうした?」
「いや、暁君ほどの人ならお兄ちゃんもころっと落ちるんじゃないかな、と思って」
「それはないだろ。あいつは完璧にヘテロだから」
「そうかな」
「何?俺と別れたいの?」
「違うよ。ただ思っただけ」
彼には悪いけど、ほっとした。例え、お兄ちゃんであっても彼の隣にいる権利は誰にも渡したくなかったから。お兄ちゃんは何よりも私を選んでくれるのに、私は選べない。お兄ちゃんには申し訳ないと思っている。
そんなお兄ちゃんに負い目を感じていたのもあって、国立の大学も受けないで、入学するのは、お兄ちゃんと、彼と同じ大学にすることにした。距離を取るはずだったが、しょうがない。そもそも彼が、私を追ってくる筈なくて、私が距離を取ればそれで解決する話なのだ。それが、駄目だったら他に好きな人が出来たとでも言って別れればいい。思えば私から距離を取らなくたってお兄ちゃんが私の所に彼を連れて来なけさえすれば、学科が違うから会う機会だってそうない筈。
「急に呼び出してどうした?」
彼と別れたいと告白してからのお兄ちゃんの行動は早かった。絶交しない代わりに土下座させると息巻いて彼を呼び出したのだ。これからする行動には勇気がいたからもうすこし猶予期間が欲しかったのに。
「もしかして、結婚の話でも聞いたか?それで、大学に入ったら俺と優衣で同棲」
「お前、優衣と別れろ」
「は?」
「優衣と別れろって言ってんだ」
「何言ってんだよ。まさか優衣じゃなくてお前がマリッジブルーか?俺と優衣は上手くいってる」
「上手くいってるわけねぇだろ。優衣は別れたいって言ってる」
「……優衣、嘘だろ」
この時、薄ら笑いをしていた彼が初めて目尻を上げた。低い声。私に嘘だと言え、と脅迫しているような。
彼がこんな態度を私に見せるのは初めてだ。彼は私が思っていた以上に私の価値を高く見積もっていてくれたのかもしれない。……嬉しい。私と別れるのが嫌だと態度で示してくれて。私も別れたくないよ。でも、これ以上は耐えられない。
「おい、優衣を脅すな。優衣はさ、俺に黙って他の大学に行こうとするくらいお前と別れたがってんだ」
「優衣、急にどうした?上手く言っていた筈だろ」
「だから、優衣を脅すな」
彼は、まるっきりお兄ちゃんを無視して、私だけを見つめた。まるでお兄ちゃんなんて視界に入ってない様子で。痺れを切らしたお兄ちゃんが、彼に突っかかる。
「おい」
「お前は黙ってろ!」
彼から聞いたこともない怒声が上がった。彼がお兄ちゃんを殴り、部屋の端へと吹き飛ばす。私は、初めて見た彼の怒りに怖くて動けなかった。
「……なんで?」
あの、お兄ちゃんを愛している彼がお兄ちゃんを殴るなんて。
「優衣。優衣はまだ俺のことが好きだろ?……まさか、他に好きな男が出来たのか。……許さない」
「……どうしてお兄ちゃんに酷いことするの」
「また、由樹か。優衣はいつもいつもお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん。いい加減、ブラコンも卒業しなよ。本当に邪魔なやつ」
私は混乱していた。彼が愛しているはずのお兄ちゃんは呻き声を上げ床に転がっているのに、彼はそれに見向きませずに私を強く抱きしめる。
なんで。
それじゃ、私の事しか眼中にないみたいで。
まるでお兄ちゃんが邪魔者みたいで。
「なんで、暁君が好きなのはお兄ちゃんの筈でしょ」
受け入れられない現実に、私は彼の最大の秘密をポロリと漏らしてしまった。
「は?」
運悪く、お兄ちゃんはそれを拾い上げ、殴られて腫れた頰をさすりながら訝しげな顔をした。
まずい。言ってしまった。彼とお兄ちゃんの関係が修復不可能になってしまう。
「あ、あの」
「そんな事どうでもいい」
私だけが慌てて、彼は私を離そうとしない。
「優衣、それどういう事だ?」
「お兄ちゃ……暁君が本当に好きなのはお兄ちゃんで」
「それは有り得ない」
「違うの。お兄ちゃんは知らないだけで。私はお兄ちゃんと暁君を繋ぎ止めるだけの道具に過ぎなくて」
「だからあり得ないよ。優衣。だって、そいつは散々俺にシスコンを止めろって迫ってきたし、彼女作れって女の子を紹介してくるし、今だから言うけど、俺、そいつにとっくの昔に振られてんだよ。俺と優衣の好みは双子だし似てるからな。俺も会って速攻告って振られたんだよ。そいつに」
「え?ふられたって。どうして。暁君はお兄ちゃんが好きな筈なのにどうして」
知らない事ばかりだった。お兄ちゃんが彼を好きだった。だが、彼が告白を断った。だって彼は。
「うーん?これはもしかして優衣の勘違いか?確かに俺と暁は仲良いけど、こいつが俺を好きなのは絶対にないし、側から見ても暁が優衣にぞっこんなのは見てわかるから大丈夫だぞ。あー、くそ、もしかして俺殴られ損?」
お兄ちゃんは頭が良いからこそ間違った推測をした。安易に私が彼がお兄ちゃんに恋していると勘違いしていると。お兄ちゃんは話しながら納得したみたいで、怒りはすっかり収まっている。
「ちが」
「そうだ」
私は混乱に陥っていた。彼はお兄ちゃんちゃんが好きな筈だ。
「優衣」
「んっ」
「おい、俺の目の前で優衣のキスシーンを見せるな」
「じゃあ、出てけ」
「お前が出てけ。ちょっ、あ、優衣は置いてけ!馬鹿やろー!」
彼は私の手を引いてずんずんと玄関に向かって歩く。
「待って。お兄ちゃん誤解してる」
私はガッチリと掴まれた腕を解こうともせず、ただそう言うだけで、気がつけば彼の車に乗せられていた。
「あいつは間違ってない。俺は、別に由樹のことなんて好きじゃない。いや、友人としては気に入ってるけどそれ以上の感情は全くない」
彼は、つい最近免許を取った筈なのに、慣れた手つきで運転しながら口早に述べた。
「そんなの嘘。どうしてそんな嘘」
「可愛かったんだ。優衣が健気で。それに、俺は由樹に勝ちたかった。優衣の中で特別になりたかった。それには、由樹が邪魔だった。優衣が俺のことを好きなのは分かってたし後は由樹を嫌いになってもらうだけだったのに。やっぱり双子だからか。俺がどんな手を使っても優衣は由樹を嫌いになるなんて考えもしなかった。普通、好きな男の好きな奴なんて憎いに決まってるだろう。それなのに、くそっ」
「待って。分かんない」
「だからさ、今までのは全部嘘なんだよ。俺が愛しているのは優衣だけ。俺は優衣の特別になりたい。由樹から話を聞いてたときから気になってた。初めてだよ。一目惚れなんて。絶対手に入れてやると思ったさ。それで、それには、嘘が必要だった。それだけ」
「だって私を抱く時、いつもお兄ちゃんの名前を」
「それは、泣いてる優衣が可愛かったから」
「だって、暁君はずっとお兄ちゃんが好きだって……それにこの前嬉しそうにキスしてた」
「それはただのフリ。嬉しそうにしてたのは、本当に嬉しかったから。これで優衣が由樹のこと憎んでくれるかなって。まあ、無意味だったけど。大変だったんだよ。由樹にも気付かれないように、優衣に丁度覗き見出来るようなタイミングを探すの。こんだけ努力してもまだ、優衣の一番になれないの?だいたい、真昼が俺を好きだって分かってて俺たちの交際宣言に呼んだのも計算だよ。ああやって真昼が取り乱せば、いくらシスコンの由樹でも俺たちを認めざるを得ない。それに、優衣もあの時真昼に対して何かしら思っただろ。俺はそれが欲しかった。優衣の特別になるには好きだなんて感情じゃ足りない。憎悪と執着と優越感の混じった雁字搦めの愛がなきゃ俺は満たされない」
「そんなの」
「俺はさ、優衣の全てを手に入れたいんだよ。だから、由樹が好きだなんて嘘をついた。……逃げようだなんて、思わないでよ。その前に犯して、妊娠でもして縛り付けてやる。優衣は俺のものだ」
血走った目で彼は私にキスをした。論より証拠。混乱していた私は長いキスの中、力抜いて彼を受け入れた。初めて目を開けたままだった。目に映るのは彼の恍惚とした顔だけ。彼のこんな表情見たことがなくて。でも、なんだかそれで信じられるような気がした。
三年近くつかれてきた嘘は一つのキスで真実を語る。
怒っていいはずだ。この酷い男に。今まで散々私を苦しめて、酷い嘘をつく彼に。それなのに、彼が私を歪めてまでも愛されようとした事実に私の全身の細胞が喜んでいる。
全部、私に愛されるため。
まだ納得できない部分もあったけど、それを聞いたら彼への愛しさがこみ上げてきた。なんてちょろい女。しょうがないじゃないか。私は彼を愛している。愛した男に愛されたいなんて言われて嬉しくない筈がない。
「お兄ちゃんはね、私と暁君だったら私を選ぶんだって」
「クソ忌々しい」
「お兄ちゃんの悪口言わないで。……でもね、私それを聞いとき申し訳なかった。私は、どうやっても暁君を選んじゃうから。ねえ、もう嘘つかないで。私、全部暁君のものだよ。暁君が特別だよ。そりゃ、暁君が嘘をつく前はこんなにすぐに言い切れるか分かんなかったけど、いまは言い切れる。誰よりも大切な人。だから、もう嘘つくのはやめてね。私を、私だけを愛してね。浮気は駄目だよ。許さない。そんなことしたら、……離婚してやるから」
その翌日、朝帰りした私たちは不眠で私を待っていたお兄ちゃんに謝った。私が酷い勘違いをしていた。だから、別れないと。お兄ちゃんに事の真相は話さない。そんなことしたら絶対に別れろと言ってくるから。お兄ちゃんは誤解したまんまでいい。これで、私たちのハッピーエンドなのだ。
「いってらっしゃい」
大学に向かう彼にいってらっしゃいのキス。私はお腹の子のために休学しているから、昼の間彼とはお別れ。
「優衣、愛してるよ」
「うん」
彼は愛おしそうに私を撫でた。
「優衣に学歴なんていらない。俺の城で俺だけを待って入ればそれだけで」
私は、彼を愛している。
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