追い出されたら、何かと上手くいきまして

雪塚 ゆず

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5巻

5-3

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 ◆ ◆ ◆


 魔法学の授業以降、何やらスミレはシオンを警戒していた。
 というより、あからさまな嫉妬だった。
 シオンがアレクに近づくたびに、スミレはむぅっとうなって、アレクにしがみつく。
 しかし、シオンはそれが可愛らしい嫉妬だと気づいているようで、特に気にすることもない。
 ちなみに双子とスミレは、割とガチで喧嘩していた。
 喧嘩のたびに、双子による器物破損という被害が生じる。
 とうとうブチギレた学園長が二人に拳骨げんこつをかまし、「大人気ないわ!!」と怒鳴ったところまでがオチである。



 そうこうしているうちに時は流れ、スミレが滞在して五日目の夕方。
 放課後、掃除当番のシオンが教室を掃除していた。
 そこに、スミレが一人で入ってくる。

「あれ? スミレちゃん? 従者さんはどうしたの……」
「私の! お兄様です!」
「えっ、あ、うん」
「あなたにお兄様は渡しません!」
「え、ええ?」

 プクーッと頬を膨らませ、突然そう宣言したスミレに、シオンは苦笑した。

「本気なんですからね!」
「べ、別に、スミレちゃんからアレク君を取ったりしないよ……」
「お兄様のこと好きなくせに!!」
「うぇっ」

 自分の恋心が見抜かれていたことに赤面し、シオンは俯いた。
 アレクは鈍感なので、シオンの気持ちには未だに気づいていない。もっとも、何かと妨害してくる双子のせいでもあるのだが。

「お兄様はっ、私と一緒に帰るんです!」
「えっ、アレク君、どこかに行っちゃうの?」

 スミレの口から飛び出した言葉に、シオンは焦りを見せた。
 そういえば言っていなかったなと、スミレはシオンに説明する。

「私がここに来たのは、お兄様と一緒にグラフィールへ戻るためです!」
「アレク君、グラフィールにいたの?」
「いいえ!」
「?」
「多分、来たことはありません!」
「??」
「初めてです!」
「???」

 いくつもの疑問符が浮かび、シオンはスミレに尋ねた。

「その、アレク君とは本当に兄妹なの?」
「血は繋がってませんが、妹です!」
「どうしてそう思ったの?」
「直感です」
「?」
「人を好きになるのに、理由はいらないでしょう? それと同じです」

 なんだかよくわからないなぁと、シオンは自分の頬をかいた。

「それに、お兄様は、絶対に私を妹と認めます」
「なんでそう言い切れるの?」
「未来を見ましたから」
「未来?」
「未来予知です!」

 ますます理解できず、首を傾げるシオン。

「私はお兄様が心配なんです。お兄様が大切なんです。だから一緒にいたい」
「そっか」
「……シオンさんは、お兄様のどこを好きになったんですか?」
「えっ」

 ユリーカ以外から、初めてそんなことを聞かれた。
 顔を赤らめたシオンだったが、ゆっくりと思い出してみる。

「その……最初は、一目惚れだったの。だけど知っていくうちに、どんどん好きになった。優しいところが好き。常にかっこいいわけじゃないんだけど……たまに見せてくれる、頼れるところが好き。私を呼んでくれる声が好き。私は、アレク君が好きなの」
「……例えば、お兄様がシオンさんを嫌いになったとして。それでもまだ、好きでいられますか?」

 その質問に、どう答えるべきかシオンは考えあぐねた。
 そのような状況があるとは思えないから。

「想像でいいんです」

 スミレは、答えを促すように詰め寄る。

「うーん……わからないかも。でも、やっぱり好きだなぁ。私のことを嫌いになったなら、近づかないようにする。私ね、アレク君には幸せになってほしいの」
「本当ですか?」
「凄く悲しいけど……私は、アレク君の笑顔が好きだから」

 答えになっているかどうかはわからないが、素直に言葉にしたつもりだ。
 すると、スミレはふっと笑った。

「あなたは正直ですね。本当のことを言ってくれて嬉しいです」
「本当だってわかるの?」
「わかります。その表情を見れば」
「あれ? そ、そんなにわかりやすいかな」

 シオンは気恥ずかしくなり、ぐにぐにと頬をこねてみる。

「これから、どうしましょう……」
「? スミレちゃん?」

 スミレの表情がくもり、何か言いかけたその時だった。

「っぅ……」
「え!?」

 バタリ、とスミレが倒れた。
 あまりに急なことだった。慌ててシオンが駆け寄るも、スミレの反応はない。

「ど、どうしよう!? とりあえず保健室!?」

 シオンは、スミレを保健室へ運んだ。



「ぅ……」
「スミレ? 気がついた?」
「あっ」

 スミレは、勢いよく飛び起きた。
 そしてすぐそばにいたアレクを見て、ほっとしたように胸をろす。

「お兄様」
「スミレ。君、どうしたの? 従者の人が注射をしていたけど、もしかして持病があるの?」

 シオンからスミレが倒れたと聞き、アレクは急いで保健室にやってきた。
 ベッドに横たわり、苦しそうに眠っていたスミレ。しかし従者が注射を打つと、症状は落ち着いたようだった。

「実は私、魔力暴走体質なんです」
「魔力暴走体質?」

 聞き慣れない言葉に、アレクが首を傾げる。

「私の中では、魔力が常に異常なスピードで渦巻うずまいています。魔力量が私の許容量を超えているんです。それを注射で抑えています。私もよくわかりませんけど……注射がなければ、頻繁に魔力が暴走してしまいます」
「大変だね……」
「確かに、面倒ですね。それに、注射を打たれた後は体がだるいですし」

 慣れた様子で伸びをするスミレだったが、先ほどの辛そうな表情を思い出すと、アレクまで苦しくなってくる。

「スミレ……君こそ、ここで暮らせばいいんじゃない?」
「え?」
「今さ、この国にいるのは楽しい? 僕は楽しいよ! 君も英雄学園に通えばいいんじゃない?」

 アレクの誘いに、スミレはパッと明るい表情を浮かべる。
 しかし何かを思い出したように、首を横に振った。

「いいです。私は、いいです」
「そっか……」
「お兄様。私と一緒に……」
「ごめんね。僕はここを離れるつもりはないよ」
「そうですか」

 その時、シオンがやってきた。

「スミレちゃん! 目が覚めたんだね!」
「あ……」

 シオンの手には、水桶とタオル。きっとスミレのために準備したものだ。
 シオンはベッド横の小さなテーブルに水桶を置き、スミレの額に手を当てる。

「熱はもう下がったんだね。でも、ゆっくりしてね」
「……」
「シオン。ありがとね」
「全然。むしろ、何かしていないと落ち着かなくて」

 スミレは、アレクとシオンの会話をぼんやり聞いていた。
 二人は、本当に仲が良い。嫉妬していたのが、馬鹿らしくなるくらい。
 シオンの恋がすぐ成就じょうじゅしそうには見えないが、良い関係だ。
 そこに、スミレの入り込む隙はない。

「もう少し寝たらどうかな?」

 シオンが控えめに、けれど優しく言う。

「……ありがとうございます。なら、お言葉に甘えて」

 スミレはベッドに潜り込んだ。とてもあたたかくて、ガラにもなくにやけてしまった。
 シオンに対して、不思議と嫉妬の感情は湧いてこない。
 今は、ただ世話を焼かれることが、純粋に嬉しかった。


 ◆ ◆ ◆


 スミレが滞在して六日目。
 そろそろスミレに慣れたクラスメイト達は、興味本位でスミレに話しかけることはなくなった。
 もうアレクの横にいることが日常になりつつあったし、アレクもそれに違和感がなくなっていた。
 昼食の時間、アレクと食事をしていたスミレに、ライアンがサンドイッチを差し出す。

「これ、美味うまいぞ!」
「バカ。邪魔しちゃダメでしょ」
「え」
「いいですよ。いただきます」

 ユリーカが慌てて止めるが、スミレはライアンからサンドイッチを受け取った。それからスミレは、上機嫌でシオンに話しかける。

「シオンさん。これ食べてください」
「んぇ?」
「お菓子です。さっき買ったんですよ!」
「いいの? じゃあいただきます」

 仲睦なかむつまじいスミレとシオンのやりとりを見て、アレクは嬉しそうに微笑んだ。

「……なんかこうして見ると、家族みたいね~」

 アレク、スミレ、シオンに向かって、ユリーカがからかうように言う。
 シオンは恥ずかしげに目を逸らしたが、スミレは「ふふ」と笑った。

「家族ですか……いいですね。ね? お兄様」
「? うん!」

 スミレは、随分ずいぶんとシオンに心を許しているようだった。ついこの前まで、スミレはシオンに対してもっとツンツンしていたのに。
 二人の間に何があったのか、ユリーカにはわからなかったが、とにかく微笑ましい。

「さ、悪いから行くわよ」
「えぇ! 俺も!?」
「部外者よ? 水を差すもんじゃないわ」
「マジかぁ」

 ユリーカは、ライアンをずるずる引きずっていく。
 しかしそれからほどなくして、空気を読まない人物、ガディとエルルが現れた。

「おい」
「兄様、姉様」

 双子にとって、シオンとスミレは警戒対象である。
 まずシオン。シオンはアレクに好意を寄せている。
 アレクは、トリティカーナ王国の第三王女シルファと婚約しているが、この先どうなるかはまだわからない。シオンの行動次第では、彼女と結ばれる可能性もゼロではない。
 双子は、とにかく可愛い弟を取られたくないのである。
 次にスミレ。急に現れた、妹を名乗る不審者。
 まず無理である。論外だ。
 何やら複雑な事情があるようだし、その瞳の色が気にかかる。薄い紫色をしたスミレの瞳は、アレクの瞳のように澄んではいない。
 双子の登場に、臨戦態勢となっていたスミレにアレクが声をかける。

「とりあえず、スミレ。その手は下ろそうか」
「はっ……すみませんお兄様。つい」

 スミレの手には、からになった弁当箱が握られていた。どうやら、それを投げつけるつもりだったらしい。

「おい」

 ガディも、思わずといった様子でツッコミを入れる。

「戦争か? 戦争するか?」
「よろしい。カードで勝負よ」

 挑発するように言うガディとエルルに、シオンが意外そうな表情で口を開いた。

「穏便ですね」
「学園長に怒られるからな」

 最強の双子も、これ以上、学園長の拳骨は食らいたくないらしい。
 その後、カードの勝負はかなり白熱したのだった。


 ◆ ◆ ◆


 その日の夜。
 スミレは、あたたかなベッドに潜り込んだ。隣にアレクがいることにも、すっかり慣れた。
 しかし、この慣れを恐ろしいとも感じる。
 英雄学園での暮らしは、ひどく居心地が良かった。
 息をするのが楽すぎるのだ。
 グラフィールの王宮とは、何もかもが違う。

「お兄様……」
「どうしたの? スミレ」

 アレクは、スミレが兄と呼んでも否定することはない。肯定することもないけれど、優しく名前を呼んでくれる。
 シオンがアレクを好きになった理由も、わかる気がした。
 スミレは最初からアレクを好きだけれど、その感情がますます大きくなっている。
 嫌だ。離れたくない。ずっとそばにいたい。

「お兄様。お兄様」
「どうしたのさ」

 甘えるように、アレクに縋る。
 優しいその手は、小さく見えるけれど、スミレよりずっと大きい。
 この手に、一生縋っていたい。

「お兄様。嫌です。帰りたくない」
「スミレ?」
「私、ここにいたいです」

 それを聞いて、アレクは「なら」と続ける。

「ずっと、ここにいたらいいよ」
「……」

 ずっとここにいられたら、どれだけいいだろう。スミレは、言葉に詰まってしまった。



 黙り込んでしまったスミレに、アレクは優しく話しかける。

「どうしたの? 帰りたくないなら、ずっといていいんだよ。それとも、帰らなくちゃいけない理由があるの?」
「……言えない、です。でも、帰りたくない。帰りたくない……」

 ただ、帰りたくないとだけ繰り返すスミレ。
 彼女が背負っているものは、何なのだろうか。

「僕が王様を説得しようか?」
「できっこありません。絶対に。あの王は……ディラン王は」
「だけど、帰りたくないって」
「言ってみただけです。ちゃんと、帰りますから」

 服のすそをぎゅっと強く握られる。
 スミレの体温をすぐそばに感じ、暑いくらいだった。

「お兄様はここにいると、幸せになれない。そう思っていました。だって私達は、生きづらすぎるもの。この色は、生きづらい」

 スミレは自分の目を指先でそっとなぞり、アレクを覗き込む。
 互いに、自分以外で初めて出会った、紫色を持つ人間。
 スミレの瞳は紫というには薄いが、それでもまず見られない色だ。

「……でも、違いました。お兄様は本当に、幸せなんですね。優しいお兄様やお姉様、それにお友達……シオンさんがいる」
「うん。幸せだよ」
「安心しました。ずっと心配だったけど、大丈夫そうです」

 スミレの声は、震えていた。それに、悲しげな表情を浮かべている。

「スミレ?」
「おやすみなさい、お兄様。良い夢が見られるといいですね」

 スミレは、アレクの服からそっと手を離す。
「スミレ」ともう一度名前を呼んでみたが、彼女が反応することはなかった。
 やがてアレクも、まどろみ始める。
 ――良い夢が見られるといいですね。
 眠りに落ちる寸前、スミレの言葉がよみがえる。しかし、そうはいかなかったようだ。


 ◆ ◆ ◆


『私は何者なんでしょうか……』

 紫色の髪をした女性が、誰かにそう尋ねた。
 相手の顔ははっきり見えないが、その人物を知っているような気がする。

『君は君だよ。私は、君のことが大好きさ』
『それは――だからですか?』

 女性の言葉は、掠れていてしっかり聞き取れない。
 尋ねられた相手は、それを否定した。

『違う。私は、君だから好きなんだ』
『……嘘つきですね。だったら、どうしてそんな顔をするんですか』



「――覗き見とは、趣味が悪いんじゃないかい?」

 アレクは、ハッと我に返った。
 先ほどまで見ていた光景は、いつの間にか消えている。

「ええと、ごめんなさい」

 たまに夢を見る時に出てくる、もや
 先日、ディザスターというドラゴンが学園を襲い、危機におちいった際にも、アレクの前に靄が現れた。
 そしてアレクが助けを求めた結果、完全に靄は晴れた。
 そこに立っていたのは、真っ白な男だった。しかしその瞳の色だけは、虹色に輝き、今でも鮮烈せんれつな印象が残っている。
 今、アレクの前に立っていたのはその真っ白な男だった。

「もう覗き見しないでよ。見られたくなんてないんだ」
「でも。見たくて見たわけじゃないよ」
「……ふぅん? まあ、いいけど」
「ねぇ。いい加減、君が誰か教えてよ。なんて呼べばいい?」

 その者はしばらく悩んだ後、答えた。

「適当に呼んでくれていいんだけど、それも難しいよね。オウって呼んでよ」
「オウって……王様?」
「そう。かっこいいでしょう。響きが気に入ってる」

 茶化ちゃかすような言い方だったが、アレクはそれに従うことにした。

「それで……オウ。僕は、たまにこうして君の夢を見るけどさ。それは、君が僕を呼んでるの?」
「そういうわけじゃない。それに、君は私が誰かもわかってないだろう?」
「うん」
「気になるかい?」
「とっても」
「内緒だけどね」
「言うと思ったよ」

 アレクは、とりあえず座ることにした。
 地面があるのかさえも定かではない空間だったが、一応座ることはできた。

「さて。君の近くにいる少女だが……彼女は、相当複雑だ」
「複雑って、どういうこと?」

 アレクの質問にははっきり答えず、オウは不機嫌そうに言った。

「気味が悪い。私達を馬鹿にしているとしか思えない」
「え」
「でも、君はあれを大事にしている。あーあ。本当に、残念だよ」

 まるで腹立たしいと言わんばかりに、ねたように続ける。
 アレクは、オウの意図が掴めなかった。

「あれを助けたいと思うか」
「う、うん。もちろんだよ」
「ならさ……早く起きたほうがいい。ここから出ていきなよ」

 なぜだろう、いつもより冷たい気がする。
 先ほどアレクが覗き見た、あの光景も関係しているのだろうか。

「最後に聞いていい?」

 アレクの問いかけに、オウは仕方なさそうに答える。

「……いいよ」
「君はあの時、幸せだった?」

 先ほど見た人物。顔ははっきりわからなかったが、おそらくオウだと思う。
 会話の内容はさておき、幸せそうな柔らかい雰囲気をしていた。

「……君には、幸せに見えたかい?」

 オウの言葉は、どこか皮肉めいたものに聞こえた。
 アレクが答える前に、くんっと何かに引っ張られるような感覚がして、目を覚ます。

「……朝かな」

 その時、違和感を覚えた。横にあるはずの体温がない。
 布団をめくってみると、スミレがいなくなっていた。


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