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#30. 私の帰る場所

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眠っていた私は、こめかみに柔らかい感触を感じて、ゆっくりと目を覚ます。

カーテンからは朝の日差しが差し込んでいる。

「ごめん、起こした?」

そう言われて声の方を見上げると、スーツをびしっと着こなし出勤するための身支度を終えた智くんが、ちょうど部屋を出ようとしているところだった。

あの柔らかい感触は、智くんが出勤する前に私にキスをしてくれたようだ。

「僕はもう出るけど環菜はもう少し寝てれば?昨夜は無理させたかもしれないから」

そう言われて昨夜の情交を思い出し、恥ずかしくなって顔を赤くする。

智くんは微笑みながら軽く私の頭を撫でると、「いってきます」と一言残してそのまま家を出て行った。

そんな背中を見送りながら、私はもう目が冴えてしまって身体をベッドから起こした。

(昨夜は‥‥すごかった。何も考えられないくらいドロドロにされてしまったし。全力のお詫びの威力を思い知りました‥‥!)



昨日の私は最初怒っていたのだ。

人伝に智くんの日本帰還の話を知り、そんな大事なことを教えてもらえなかったことに怒りが湧いてきて、それと同時に悲しくなった。

私は自分の未来を考える時、もう智くんを含んで考えるようになっている。

それなのに智くんはそうじゃないの?と思ったのだ。

日本帰還なんて生活が変わるのだから、結婚して夫婦になった私に一番に話してくれてもいいことなのに。

だから、帰ってくるなり早々に問い詰めてやると思い、家で智くんを待ち構えていた。

幸いにも昨日は早く帰ってきた智くんを、リビングに入ってくるやいなや逃げられないように壁際まで追い詰め、尋問するように問いかけたのだ。

智くんから溢れた言葉は意外なものだった。

「言わなかったのではなく、言えなかった」というのだ。

しかもそれが「離れると私が去ってしまうかもと思うと不安だった」と珍しく智くんから弱音が漏れた。

いつもニコニコと余裕の笑みを浮かべ、冷静沈着、用意周到な智くんでも不安を感じることがあるのだと思うと、なんだかより愛しく思った。

だけど次に漏れた「邪魔になって負担になる」とか「結婚は僕が迫っただけだし」という言葉には腹が立った。

(全然私の気持ちわかってない‥‥!いつも怖いくらい何でもお見通しなのに!)

そこで、いつも智くんにされるように、私はあえて智くんの真似をして順序立てて懇切丁寧に説明してあげることにした。

そこまでは私の想定通りの流れで、智くんの理解と納得を引き出せた。

それに今後は夫婦として何でも話し合っていこうという合意にも至ったのだ。

まぁ話もひと段落したし、ゆっくり夕食でも食べながら今後について話し合おうと思った矢先。

服の中に手が入ってきたかと思うと、くるりと身体を反転させられ、私が壁際に追い詰められる形になっていた。

「自分が悪かったからお詫びする」と言い出した智くんは、ニッコリ笑う。

思わぬ展開に呆気に取られていると、ブラのホックを外され、溢れ出した柔らかな膨らみをやわやわと揉まれる。

壁に押し付けられながら唇を奪われ、その激しさに頭の芯がぼーっとした。

胸に触れる手と反対側の手はスカートをたくし上げて太ももを撫でながら徐々に上へと進んでくる。

「んんっ‥‥あぁっっ‥‥」

一番敏感な部分に達した頃には、もう私は何も考えられないくらいとろけていて、甘い声を上げるだけだった。

「僕からのお詫びだから、環菜はただ感じていればいいよ」

お詫びだと言いながら、いつも以上に執拗に丁寧に繰り返される愛撫におかしくなりそうだった。

力が抜けて智くんに支えられるように立っている状態の中、さらなる快楽が襲ってきて、耐えきれずに果ててしまう。

「僕の反省が伝わった?勝手に不安になって環菜を悲しませて悪かったって本当に思ってるよ。僕は環菜の帰る場所として、離れていても環菜のことを思ってるし、応援してるよ。‥‥愛してるよ環菜」

「んっ‥‥智くん‥‥。私も愛してる」

服を脱ぎ捨て、立ったまま汗ばむ肌で抱きしめあい、気持ちを確認しあって、本当に満たされた気分だった。

だけどその後も「まだお詫びが足りない」と言い張る智くんに場所を変え、体勢を変え、何度もお詫びを捧げられて、気付けば夜中ベッドの上だった。

せっかく作った夕食は食べ逃してしまったのだ。



そんな濃厚な昨夜の行為を思い出し、身悶えているとスマホのバイブ音が鳴り響く。

着信相手を確認すると皆川さんからだった。

「もしもし環菜?急だけど今日午後予定が入ったから出て来られる?ドラマの打合せで環菜にも参加して欲しいってNetfield社が言ってるんだよ」

「もちろん大丈夫だよ」

「じゃあ後で時間と場所をメッセージするよ。いよいよ撮影も近づいてきたね。僕もなんだか緊張するよ」

「今から緊張していてもしょうがないよ!私ができるのは全力で頑張るだけ」

「いつも思うけど、環菜は意外と肝が据わってるよね。マネージャーとしては頼もしくて助かるけど」

そう言って通話を終えると、私は昨夜の甘い記憶からなんとか抜け出し、シャワーを浴びて、昨夜の夕食のつもりだった食事を朝食として食べる。

身支度を整えると、家を出る前にドラマの台本に再度目を通して軽く練習すると、その台本をバッグに入れて家を出た。

今回私が出演するドラマは、Netfieldオリジナルドラマで、アメリカとプラハを舞台にしたラブコメディだ。

主人公はロスで働いていたアメリカ人女性で、以前旅行で訪れて以来いつか住みたいと思っていたプラハで職を手に入れ、移住を実現する。

だけど、アメリカとチェコの生活の違いに悩み、さらにプラハで出会ったアメリカ人とチェコ人の2人の男性の間で揺れ、悩み成長していくというお話だ。

私は主人公がプラハで出会う日本人女性で、同じくプラハで日本との生活の違いに悩んでいたことから主人公と仲良くなり支え合う友人役だ。

主人公の恋模様と対比するように、友人役である私は別れた恋人をずっと想い続けていて、男性との出会いに消極的だという設定だ。

実際の私も外国人としてプラハに住んでいるので、等身大で演じて欲しいと言われている。


『やぁ、環菜!予定が合って良かったよ!今日主人公を演じるアマンダがプラハに到着してね。君たちは一緒のシーンも多いから撮影前に紹介しておこうと思ってね』

ホテルの一室では、ドラマのプロデューサー、ディレクター、主演女優アマンダ、そして私と皆川さんが一同に介してソファーに座っている。

アマンダはプラハでの撮影を控え、少し早めにこちらへ来たのだという。

本作はプラハでのシーンが大半で、その撮影を終えると今度はアメリカでのシーン撮影というスケジュールの予定だ。

『はじめまして、アマンダよ。環菜、よろしくね』

『こちらこそ、よろしくお願いします。共演できて光栄です』

主演女優のアマンダと固く握手を交わした。

アマンダは私より年上の20代後半で、これまで主にハリウッド映画に出演して活躍してきたそうだ。

助演として賞を受賞したこともあるしっかりとしたキャリアの持ち主だ。

主演は初めてなうえに、Netfieldのドラマ出演も初で、アマンダにとっても新たな挑戦なのだという。

私は事前に彼女の出演作も観ておいたので、そのことについて話を聞いたりして盛り上がり、帰る頃にはすっかり意気投合していた。

これなら友人役としても上手くやれそうだと思うと安心した。

それから数週間後には、プラハでの撮影が始まり出した。

スタッフが事前に撮影許可を取った場所で、各シーンを撮っていく。

映像映えする観光スポットでの撮影が多く、そういったところは人の邪魔にならないように、早朝や夜間などの時間帯にしかなかなか撮影許可が降りない。

撮影期間中は、そんな不規則なスケジュールに合わせて動いていた。

そして、撮影開始からまもなくすると、智くんの日本帰国の日がやってきた。




「じゃあ先に日本に行ってるね。離れることになるけど、遠くからでも環菜を応援してるから」

「うん‥‥」

「不規則なスケジュールだから体調には気をつけて。絶対に無理はなしいこと。いい?」

「うん‥‥」

「しばらくは僕も日本で忙しくなると思うけど、何かあったら必ず連絡入れてね。分かった?」

「うん‥‥」

私たちは今、ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港にいる。

チェックインを済ませた智くんは、これからセキュリティエリアに入るため、お別れの挨拶をしているのだ。

離ればなれになることは分かっていたし覚悟していたことだけど、いざ空港でその時が訪れると胸が引き裂かれるようだった。

寂しくて寂しくてたまらない。

離れて暮らすのは約半年の予定だから、秋には会えるのに、半年が長く感じてしょうがないのだ。

英語のアナウンスが空港内に流れ、智くんが乗るフライトがまもなく搭乗案内が始まるので、早めに搭乗口に来て欲しい旨を伝えている。

ギリギリまで私といれるようにここにいてくれたのだが、もうタイムリミットのようだ。

「‥‥そんな目で見つめないでよ。離れ難いから。離れても大丈夫って言ったのは環菜でしょ?」

「そうだけど、やっぱりいざ離れる時になると寂しいね‥‥」

「大丈夫。待ってるから。僕のいるところが環菜の帰る場所なんでしょ?」

「うん。智くんが私の帰る場所‥‥!」

私はギュッと智くんに抱きつくと、智くんもきつく抱きしめ返してくれる。

(ここが私の、私だけの帰る場所。だから、精一杯頑張って戻ってくるからね!)

包まれた温かさに身を委ね、数ヶ月分をチャージするように智くんを心と身体に焼き付ける。

「‥‥うん!チャージ完了!」

涙が浮かんでいた目をこすると、私は笑顔を浮かべる。

私たちは最後に触れるだけの優しいキスを長めに交わすと、目を合わせて微笑み合った。

その瞳には不安や怯えはなく、お互いを信頼し応援する気持ちがこもっていて、夫婦として絆を感じ合えた。



智くんが帰国してからの私の日々は、寂しい思いをする暇もないくらい目まぐるしく忙しいものだった。

ドラマの撮影はもちろんのこと、ドラマのプロモーションの一環としてアメリカ雑誌の取材、テレビ出演なども入った。

プラハとアメリカを行き来する必要もあり、体力的にもハードだった。

それに全編英語の演技は初めてだったので、セリフ覚えもいつもより時間がかかるし、英語での感情の込め方は日本語とは違うからそこで行き詰まったりもして毎日が勉強でもあった。

撮影の合間に、アマンダからアドバイスをもらったり、プロデューサーやディレクターにも意見を伺ったりと、努力を重ねる。

撮影中はたまにCEOのジェームズさんもふらりと観に来てくれていた。

この期間、たまの休日にはカタリーナと食事に行き、今まで言えなかったことをすべて包み隠さず告白した。

日本で女優をしていたこと、スキャンダルにまきこまれたこと、智くんと偽装婚約をしていたこと、そして本物の恋人となり結婚し、また女優を再会したこと。

カタリーナは智くんとの話に納得したようで、どうりで突然同居しだしたわけねと頷いた。

『でも初めて2人が一緒にいるところを見た時には、本当の恋人のように見えたから、最初は怪しんでたけど安心したんだけどなぁ』

『それは私が婚約者っぽく見えるように演技してたからだよ』

『ううん。あれは演技とかじゃなく、なんていうか相性の良さをオーラで感じたというか。ともかく、私の目から見ると、2人は結ばれるべくして結ばれた気がするけどね!』

『うん、今はとっても幸せだよ。あの時、私をプラハに呼んでくれてありがとう。逃げても負けじゃないって言われて救われたの。智くんと出会えたのもカタリーナのおかげだと思ってる』

『ふふっ。幸せなら良かったわ!環菜の女優としての活躍も楽しみにしてる。今撮影してるドラマが配信されたら教えてね!』

昔からの友人として変わらず接してくれるカタリーナには感謝の気持ちでいっぱいだ。

耐え続けることだけが道じゃない、逃げる道もある、そしてその道は日本にだけ存在するのではなく、海外にも存在するのだと視点を変えてくれたのはカタリーナなのだから。

慌ただしく忙しい日々を送っていると6ヶ月はあっという間に過ぎ去っていった。

そして今私は羽田空港に舞い降りた。

「久しぶりの日本だね、環菜。環菜はスキャンダルの後から帰ってないし、1年半ぶりくらいなんじゃない?」

「うん。本当に久しぶりだなぁ」

帽子に眼鏡、マスクをして変装しながら、皆川さんと出口に向かって歩く。

あのスキャンダルからもうすぐ2年になるが、あれから一度も日本に帰っていなかった私はまだ日本人からの目が怖く、念には念を入れて変装をしていた。

またあの悪意のこもった目で見られるのではないかと想像してしまい、未だに身がこわばってしまうのを止められない。

人の視線を避けるように俯きつつ、到着口から出ると、「環菜!」と愛しい声が耳に入った。

到着を待つ人の中に智くんがいたのだ。

平日の昼間だから仕事中のはずだし、搭乗フライトは伝えてあったが迎えに来てくれるとは聞いてなくてビックリする。

「ああ、桜庭さんが迎えに来てくださってるんだね。久しぶりに会うんだから、お邪魔だろうし僕は先に帰るよ。しばらくゆっくりして!また連絡する」

皆川さんは智くんの姿を認めると、そう言って智くんに一礼した後、足早に去って行ってしまった。

残された私のもとに智くんは近寄ってくると、私からスーツケースを奪い、私の手を引いて歩き出す。

「と、智くん?どこ行くの?」

「いいから。ちょっとこっちおいで」

ズンズン歩き出す智くんの背を慌てて追いかけると、ほとんど人通りのない閑散としたところに辿り着いた。

そこで智くんは足を止め、スーツケースを離す。

死角になる壁際に私を立たせると、私の頭を自分の胸に押し付けるようにして抱きしめてきた。


「人目があるところは避けた方がいいかと思って我慢してた。‥‥環菜、おかえり」

「智くん‥‥。今帰りました。‥‥ただいま」

私も智くんの背に手を回してきつく抱きしめ返す。

私たちは離れていた期間を埋めるかのように、身体の隙間なくぴったりとくっつき、お互いの存在を確かめ合った。

その温かなぬくもりに、「ああ、私の帰る場所に戻ってきた」と実感する。

嬉しくて涙が出そうだった。

「智くん今日仕事は?」

「環菜が帰ってくる日なんだから、そんな時くらい休み取るに決まってるでしょ」

「迎えに来てくれてありがとう!嬉しい!」

「車で来てるからさっさと帰ろう。ハグだけじゃ足りないよね?半年分を埋め合わないとね」

「‥‥!」

ニッコリと王子様スマイルを浮かべる智くんに、いつの日かのお詫びを思い出し身体が熱くなる。

人の目を恐れてこわばっていた私はもうどこにもいなくなっていたーー。
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