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#26. 彼女の真実(Side智行)

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「新谷、悪いけど今の写真もう1回見せて!」

「え?あぁいいけど、お前が女優に興味持つなんて珍しいな」

スマホで見せられた写真をひったくるように受け取り、改めてその写真を食い入るように見る。

スマホに映し出された写真には、清楚で癒し系の容姿端麗な女性がにっこりと微笑んでいた。

「この子、なんていう女優?名前は?」

「神奈月亜希だよ。ほら、前に話しただろう?俺が応援してた女優なんだけど、スキャンダル起こしたって。こんな清純派なのにショックだって嘆いてたやつ。覚えてない?ああ、お前はちょうど婚約者できたーって時だったから全く興味なさそうに聞き流してたもんなぁ」

「神奈月亜希‥‥」

その見慣れた顔を写真で見ながら、耳慣れない名前を復唱する。

やっと彼女が頑なに隠していたことの糸口を見つけたと思った。


◇◇◇

国際会議で日本に来てから、様々な国から集まる各国要人との折衝、交流、情報収集に追われ、休む間もないくらい忙しい日々を送っていた。

会議中はもちろん、夜のレセプションパーティーも多く、朝から晩まで大忙しだ。

だが、僕にとってはこの忙しさが逆にありがたかった。

なぜなら、仕事に忙殺されていないと、僕の前から突然消えてしまった環菜のことを思い出してしまうからだ。

あの日家に帰って環菜がいなくなっていたのに気づいた時、今すぐにでも探しに行きたいと思ったが、翌日から日本へ行くことが決まっていて状況的にどうしても無理だった。

だから、乱れる感情を必死に押さえつけ、いつも通りの笑顔を作り、ここまで仕事に励んできた。

なんで突然いなくなった?
なんで気持ちだけ伝えた?
なんで消える前に抱かれた?

隙を作ると突如湧いてくるのは疑問だらけ。

同時に何も言わずに突然去った環菜に少し腹立たしさも感じる。

こんな混乱を内心抱えているのを隠すため、いつも以上に完璧で隙のない笑顔を浮かべて、各国の腹黒い狸たちとやり合った。


そんな日々を送っていたある日のことだ。

夜にレセプションもなく予定がなかったので、外務省の同期・新谷と飲みに行くことになったのだ。

電話では話していたが、一緒に飲むのは久しぶりのことだった。

「いや~、どこの国の政治家もなかなか一筋縄ではいかない人ばかりだな。相変わらず腹の探り合いにヒヤヒヤするわ」

「政治家なんてそんなもんだよ。こちらも痛い腹を探られないように注意しないとね」


生ビールを飲み交わしながら、国際会議のことについてお互い情報共有をする。

ついでに外務省の共通の知人について、今誰がどこにいる等、人事についても話をした。

「お前もそろそろチェコは終わりじゃない?日本に呼び戻される可能性高いと思うぞ。しばらく日本にいて、たぶんまたすぐヨーロッパのどっかだろうけどな」

「そういう新谷は、そろそろまたアフリカの方かもな」

外交官はこうやって日本と海外を飛び回る働き方のため、婚期を逃しがちだ。

同年代は結婚して子供もいる人が多くなってきているが、新谷も僕も31歳にしてまだ独身だった。

「そういえば、お前の婚約者は?一緒に来てないの?」

「‥‥来てない。プラハにいるよ」

今一番触れられたくない話題だったが仕方ない。 

適当に嘘を交えつつ、切り抜けるように受け流す。

「いいなぁ。俺も可愛い彼女が欲しい。合コンとかには学生時代の友達に誘われてたまに行くけどサッパリだわ。俺って面食いだからさ」

そう嘆く新谷は確かに女性の容姿を気にするタイプだった。

本人曰く、顔が好きじゃないと、女性として意識できないのだそうだ。

(まぁ分からないでもないけど。環菜も容姿端麗だし、そこに全く惹かれなかったかと言われれば嘘になるだろうしな。もちろん外見だけで好きになったわけではないけど)

自然と環菜のことを考えてしまい、僕はその思考を打ち消すかのように、新谷に問いかける。

「前からそう言ってたけど、ちなみにどんな容姿の女性が好みなの?」

そういえば新谷の過去の彼女は話には聞くが見たことがなく、単純な興味で気軽な気持ちで聞いてみた。

すると新谷はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに目をキラッと輝かせると、ニンマリと笑う。

「お!桜庭が俺に興味を持ってくれるなんて嬉しいじゃないか!俺の好みはな、ここ数年だとこの子がドンピシャ!ほれ、これ写真」

そう言いながらスマホでなにやら検索して、ある写真を僕の方に提示するように掲げて見せる。

ビールを口に含みながら、そちらに視線を向けると、目に入ってきた写真に釘付けになった。

「な?可愛いだろ?」

新谷は自慢気にそう言うと、掲げていたスマホを自分の方へ戻し、そのままスクロールしてなにやらネットニュースをチェックしているようだ。

その写真の女性がよく知っている人だったことに驚き、僕は新谷からもう一度写真を見せてもらうと、この女性について尋ねた。

新谷は僕の食いつきように若干驚きつつ、色々と教えてくれる。

彼女は人気女優で、名前は神奈月亜希。

約1年前にスキャンダルを起こし、芸能界から消えるようにいなくなったそうだ。

清純派で売っていたのに、実は男遊びが激しかったらしく、ホテルで男と寝ている写真が週刊誌にすっぱ抜かれて大炎上したという。

「それに今回は炎上はしてないけど、昨日もネットニュースになってたんだ。どうやら日本の芸能界から消えた後、海外にいたらしくて、海外でも男漁りしてたんだってさ」

そう言いながら、新谷は昨日ニュースになっていたという記事を再度読んでいるようだ。

「ん?よく読んだら、これ海外ってチェコのプラハって書いてあるな。お前もしかしてどっかですれ違ってたりしてな。ははは」

新谷から得た情報で色々なことが繋がっていく。

つまり、環菜が隠していたのは、日本で神奈月亜希という名で女優活動をしていたことだ。

プラハに来た理由というのは、おそらく1年前に起きたというスキャンダルのせいだろう。

そしてプラハから去ったのは、昨日出たというニュースのせいだ。

居場所がバレたことをなんらかの方法で知ったからに違いない。

(環菜‥‥。だから急にいなくなったのか。もしかして僕に迷惑かけると思って‥‥?)

それにしても、そもそも女優ができなくなったきっかけというスキャンダルも、本人を知っている身からすると違和感しかない。

出会った頃の環菜は、演技とかではなく、本当に男慣れしていない様子だった。

いちいち身をこわばらせ、顔を赤くして反応するから可愛かったのをよく覚えている。

(それなのに男遊びが激しい?ホテルで男と寝てる写真?)

そこで、ふと以前環菜が話していたことを思い出す。

睡眠薬を飲まされて、眠らされて、全く記憶がないことがあったと。

(もしかして、全部仕組まれていたことだったんじゃ‥‥。環菜は誰かにはめられただけなんじゃないだろうか)


「その神奈月亜希っていう女優、どこの芸能事務所所属の女優だったか知ってる?」

「えっと確か中堅のとこだったかな。って、いきなり何だよ」

怪訝そうに新谷は僕を見る。

僕がそんなことに興味を持ったことに違和感を感じているのだろう。

「プラハですれ違ってるもなにも、一緒に住んでるよ。彼女だよ、僕の婚約者」

「はぁ!?」

新谷が素っ頓狂な大きな声を上げる。

そのあまりの大きさに店内にいた人々の視線が一斉にこちらに集まった。

新谷はそれにハッとすると、「すみません。なんでもありません」と周囲に向かって軽く頭を下げ、その場を収める。

それから僕の方を改めてまじまじと見ると、どういうことかと尋ねてきた。

「日本で女優やってたのは知らなかったけど。聞いて色々納得いったよ」

「知らなかったって。そんなことありえるのか!?」

「隠してたんだろうね。僕も日本の女優に詳しくなかったし。で、本人を知ってる僕だから確信があるんだけど、その1年前のスキャンダル、十中八九、デマだよ」

「デマ!?だけど写真が掲載されてたんだせ?お前に見せるのはどうかと思うけど、ほら、これ」

そう言って過去の記事に載っている写真を僕に差し出してくる。

目元をモザイク処理で隠された男とホテルのベッドで寄り添うように寝ている様子の写真で、確かにそれは環菜だった。

それっぽく見えるし、本人から話を聞いていなければ僕も信じたかもしれない。

環菜が他の男と寄り添っているのを見るのはひどく苛立ちを感じた。

「確かに写真はそうだけど、たぶん睡眠薬で眠ってるところを撮られたんだと思う。本人が昔、薬を盛られて記憶がなかったことがあるって言ってたから。それに僕が知る彼女は、男遊びしてたとは思えない感じだよ。演技のことしか興味ないみたいな」

「なんだよそれ!じゃあ亜希ちゃんは芸能界を追われる必要なかったんじゃないか。イメージと違ってだまされたと思ってた自分が馬鹿みたいだし、申し訳なかったな。それでなんで事務所を聞くんだ?」

新谷はネットで環菜がかつて所属していた事務所を調べて教えてくれながら、そう聞いてきた。

僕には一つ心当たりがあったのだ。

先日プラハで会ったあの知的な雰囲気の日本人男性だ。

彼はおそらく環菜が女優をしていた時の事務所関係者だろう。

親しげな感じだったから担当マネージャーだったのかもしれない。

彼であれば、ネットニュースに出ている以上の詳しい情報を知っているはずだと思った。

誰の仕組んだことだったかまで分かれば、どう手を打つかを検討しやすい。

事務所に訪ねれば会えるだろう。

「思わぬ収穫だったよ。まさか新谷からこんな有益な情報を得られるとはなぁ」

「俺こそ驚きだったよ。お前のことだから何か企んでるんだろうけど、もし俺で役に立つことがあれば言ってくれよ。あと、今度絶対に亜希ちゃんに会わせて!」

「本人がいいって言ったらね」

にっこり笑ってそう返しておいた。

好みのタイプにドンピシャだと言うくらいだから、会わせたら新谷は鼻の下を伸ばしてデレデレしそうだと思った。



その数日後、国際会議は無事終了し、各国の要人たちは自分達の国へ帰国していった。

僕はもうしばらく日本に滞在して、外務省で会議の事後処理をすることになっている。

国際会議開催中に比べると、少し落ち着いたと言えるだろう。

仕事の合間をぬって時間を作り、僕は例の芸能事務所に訪れていた。

事前に電話を入れ、「神奈月亜希について話したいことがあるから、当時マネージャーだった人と会わせて欲しい」とアポを取っておいたのだ。

僕が外務省の人間であることを名乗ると、政府関係者には逆らわないようにしているのか、すんなりとアポを得ることができた。

事務所の受付でアポイントの旨を伝えると、しばらくして男性が現れる。

やはり思った通り、プラハで一度会った、情報を取り扱うことに長けたあの男性だった。

彼は僕を見ると驚いて目を丸くしている。

「あの、外務省の桜庭さんですか?」

「はい、そうです。以前はどうも。やはりあなたでしたね」

「やっぱりあの時の!外務省の方だったんですね、驚きました。とりあえず、ここではなんですから、こちらへどうぞ」

応接室へ案内され、僕たちは革張りの上等なソファーに腰をおろす。

しばらくすると女性がコーヒーを持ってきてテーブルに置いて部屋を出ると、彼と僕の2人だけとなった。

「突然すみません。改めて僕は桜庭と申します」

「皆川です。よろしくお願いします」

名刺を交換しながら挨拶を交わす。

お互いにコーヒーを一口飲むと、本題を切り出し始めた。

「皆川さんは、環菜、いえ、神奈月亜希さんの元マネージャーだということで合っていますか?」

「ええ、そうです。僕が亜希を街でスカウトして、これまで二人三脚でやってきました。プラハでお会いした時は、亜希が女優だったことをご存知ないようだったので、話すのを避けたのです」

「素晴らしいご判断だったと思いますよ。現に、あの時は僕は何も知りませんでしたから。神奈月亜希さんが起こしたというスキャンダルも」

そう言うと、スキャンダルという言葉に皆川さんは悔しそうに少し唇を噛んでいる。

その様子を見て、やはり彼も事実を知っているのではないかという疑惑が確信へと変わる。

「僕は本人を知っているから、そのスキャンダルの話を聞いて驚いたんです。男遊びをしているようには思えないので」

「失礼ですが、桜庭さんと亜希はどのような関係で‥‥?」

「恋人です」

婚約者を演じてもらっていた云々うんぬんは話さない方がいいだろうと考え、事実に基づき恋人という表現にすることにした。

「亜希に恋人が‥‥!プラハで幸せなようで良かった‥‥!」

「ただですね、やっぱりスキャンダルが尾を引いているんでしょうね。彼女が急にプラハから姿を消したんです。最近出た記事のせいだと思ってます」

「姿を消した‥‥」

恋人ができたことに喜んでいたのから一転し、皆川さんは肩を落としながら意気消沈した。

「だからですね、僕はそもそもの原因であるスキャンダルの方をなんとかすべきだと考えているんですよ。あれ、嵌められたんですよね?睡眠薬を盛られて」

「ご、ご存知なんですか!?」

「ということは、皆川さんも何かご存知なんですよね?」

一瞬狼狽えた彼だったが、もう話すしかないと決意したのか、スキャンダルが起こった当時のこと、そしてあれを仕込んだのが同じ事務所の女優だということを暴露した。

しかも彼は今その女優のマネージャーだという。

「ただ、僕はもう事務所を退社しようかと考えてて。亜希には断られたんですけど、やっぱり亜希を国民的女優にすることが僕の夢なんですよ。これ以上、才能がないうえに努力もなにもしない真梨花のために働くのは耐えられないんです」

自分が見つけた原石を、これまで磨いてきた彼は環菜を有名にしたいという想いが強いようだ。

それも環菜にその才能があり、それに見合った努力をする人間だからなのだろう。

「事務所を辞めてどうされるんですか?」

「実はプラハで思いがけない出会いがあったんですよ。亜希にとっても大きなチャンスになる話なんです。だからもう一度亜希を説得してみようと思っています」

そう言って彼はプラハで起こった出来事を僕にも教えてくれた。

確かにそれは環菜にとって女優としてまた飛躍するチャンスになるだろう。

「では、こういうのはどうですか?僕も皆川さんが環菜のマネージャーをまたできるように彼女を説得するのを手伝います。その代わり、千葉真梨花を反省させるのに手を貸してくれません?」

「真梨花に反省させる‥‥?」

「ええ、自分がしたことに対するそれ相応の報いを受けてもらわないとね。大人ですからそれくらい当たり前でしょう」

僕はにっこりと笑顔を向けると、皆川さんは慄くように一瞬ビクリと肩を揺らしたのだったーー。



それから数日後。

ラグジュアリーホテルの最上階にある夜景が美しく見えるバーのカウンターに、僕は女性と並んで座りお酒を飲んでいた。

女性はシナを作りながら、上目遣いで甘えるように僕を見つめてくる。

時折、腕や太ももに触れてきて、熱のこもった瞳で誘ってくる様子も見受けられた。

内心では嫌悪感しかないが、そんなことは1ミリも顔に出さず、隙のない笑顔で応え続けている。

相手は、あの千葉真梨花だった。


「桜庭さんは、外交官だから今は日本だけどまた海外に行かれるんですよねぇ?」

「そうだよ。海外が長いから君みたいな可愛い子が女優をやってるなんて知らなかった。君みたいな女性を妻にできたらなって思うよ」

「やだぁ、可愛いだなんて嬉しい~!」

千葉真梨花はわざとらしく照れるように身体をクネクネとくねらせている。

「外交官の奥さんって海外でどんな暮らししてるんですかぁ?」

「家のことは召使いに全部任せられるし、自分は毎日ドレス着てパーティーに参加したり、スパやエステで自分を磨いたり、色んな国に旅行に行って美味しい食事を堪能したりしている人が多いかな」

「素敵ぃ~!」

話したことは、千葉真梨花が興味を持つであろうことをツラツラと述べただけの、まるっきりの嘘だった。

案の定、彼女は目をキラキラさせ、うっとりとした顔になる。

そして獲物を狙うような目で僕を見据える。

「桜庭さんは独身なんですよねぇ?それに私のことがタイプで真剣に結婚を考えたいから皆川さんに頼み込んで紹介してもらったって聞きました。皆川さんの知り合いにこんな素敵な人がいるなんて知らなかったですぅ!うふっ、実は私も桜庭さんにお会いして一目惚れしちゃいましたぁ!」

「本当に?それは嬉しいな」

「私、桜庭さんとなら海外にも一緒について行きますよぉ!女優は辞めて、外交官の妻になっちゃおっかなぁ~!」

ご満悦な笑みを浮かべて、僕の肩にしなだれかかってくる。

振り払いたい衝動に駆られながら、「そろそろだな」と時間を確認してぐっと耐えた。

「真梨花!」

その時、背後から彼女を呼ぶ若い男性の声が聞こえた。

千葉真梨花は後ろを振り返ると、顔を顰めて拒否するような素振りをしている。

「真梨花ちゃん、誰?」

「ぜーんぜん知らない、関係ない人ですぅ!桜庭さん、気にしないでぇ?」

千葉真梨花は見なかったことにするように、くるりと彼に背を向けると、また僕にしなだれかかってきた。

まぁなんとも図太い女だと腹の中で思う。

すると若い男性はカウンターの方へ近寄ってくると、千葉真梨花の横まで来て声を荒げる。

「おい、真梨花!誰だよ、その男!」

「のりくんには関係ないでしょ?もう帰ってくれるかしらぁ」

「お前、神奈月亜希の件を俺にだけ罪を擦りつけて逃げる気かよ!」

「ちょ、ちょっと‥‥!」

ここで初めて千葉真梨花は狼狽える。

頭に血が昇っている若い男は、周囲の目も気にせずさらに続ける。

「俺のところに弁護士が来たんだよ!睡眠薬を飲ませて運んでるところの証拠映像があるって!ホテルとマンションの監視カメラに映ってたらしくて、俺の顔がバッチリ分かるものなんだよ。お前の顔は識別がつかないからって、俺だけ訴えるって言うし。全部お前の指示でお前も一緒にいたのに、狡いだろ!」

「し、知らないわよぉ!」

「ふざけんな!逆に俺はこういう時のために、お前から指示をされた時のメッセージを保管してあるんだよ。1人だけ逃げれると思うな!外交官捕まえてセレブ婚で海外に逃げるつもりなんだろ?絶対させないからな!」

「ちょっと、証拠って何のことよ!」

ラグジュアリーホテルとは場違いな言い合いに、周囲の目を集めていることにも気付かない馬鹿2人はさらに言い合っている。

もうこれで十分かと判断した僕は、スマホを操作して合図をする。

すると突然、パシャパシャとカメラのフラッシュが光り、千葉真梨花と若い男性が写真におさめられた。

「えっ!?ちょっと何ぃ!?」

「なんだ!?」

困惑する2人に、僕はニッコリと笑顔を浮かべ、優しい口調で話しかける。

「あぁ、驚いてしまわれましたか?さっきのフラッシュは週刊誌の記者さんが撮ったみたいですね」

「週刊誌の記者‥‥?」

「ええ。あなた達が神奈月亜希さんに薬を盛って運んでいるところの証拠映像を見てもらったら、今回のことに協力してくださったんですよ」

そういって記者を見やれば、バツが悪そうにしながら頷く。

あの記者はプラハにまで来て環菜を撮り、記事にした人だという。

皆川さんが以前に会っていて名刺交換をしていたことで人物を特定することができた。

名刺の住所を訪れ、「証拠映像があるからこそ、デタラメ記事を上げたと名誉毀損で訴える」と言ってちょっと微笑んでやれば協力してくれたのだ。

フリーの記者である彼は裁判沙汰は避けたかったのだろう。

「え?どういうことぉ?桜庭さん??」

「千葉真梨花さんが関わった決定的な証拠だけが見つからなかったもので困ってたんですけど、彼が持っていたようですね。助かりました」

千葉真梨花は映像にハッキリ映っておらず関わった明確な証拠がなかった。

だが、男の方はなにかの証拠を持っていることを弁護士に匂わせたのだ。

だから男の方に「あの女は全部罪を擦りつけて外交官の男と海外に消えるつもりのようだ」と吹き込んで、ここへ来させたのだった。

「え?え?桜庭さんは私のことがタイプで妻にしたいって思ってたんじゃないんですかぁ?どうしちゃったのぉ!?」

舌ったらずな甘えた口調で僕にすがりついてくるように手を伸ばしてくる。

当然もう我慢する必要もないので、すげなく振り払う。

さっきまでの甘い空気から一転した僕の態度に千葉真梨花は驚愕した表情を浮かべた。

「僕はあなたなんて全く興味も関心もありません。不愉快なくらいですね」

「う、うそでしょ‥‥?」

「あなた達2人には証拠もちゃんとあることですし、正式に弁護士を通して訴えさせて頂きます。ここまでの会話もすべて録音してますので。あと、近日中にそこの記者さんが週刊誌の記事にもしてくれるでしょうね。記事のタイトルは、【月9女優、犯罪に手を染めていた!同じ事務所の後輩女優を悪辣な手で餌食に】とかですかね」

「うそ、うそ、うそ‥‥!」

「マ、マジかよ‥‥!」

千葉真梨花は大きく狼狽えてガタガタと震え出す。

その隣で手を貸した若い男も呆然と立ち尽くす。

あの証拠映像は、マンションとホテルの監視カメラを綿密に調べたら出てきたのだ。

皆川さんから環菜の住んでいたマンションを教えてもらい、さらに犯行があったと思われる日に環菜が参加していたと思われる打ち上げの情報ももらって、そこからホテルを割り出した。

こういう調査は、僕が懇意にしている調査会社にお願いしたし、監視カメラ映像などは付き合いのある公安警察に特別に手を貸してもらったりした。

新谷も何か力になりたいと信頼できる敏腕弁護士を紹介してくれた。

つまり僕の使える人脈をフル活用して探ってみただけのことである。

犯罪に手を染めた相手にはきっちりとその報いとして訴えさせてもらい、環菜のイメージ回復のために週刊誌にはこの件の真実を記事化してもらう。

それが自分がしたことに対するそれ相応の報いというやつだ。

「桜庭さんはなんでこんなことをぉ?全然関係ないでしょぉ‥‥?」

うるうると目を潤ませて、最後の足掻きなのかまだ僕に擦り寄ってくる千葉真梨花に、冷ややかな笑顔を浮かべながら軽蔑の視線で見下ろす。

「ああ、言ってませんでしたっけ?僕は神奈月亜希の婚約者なんで」

「‥‥は?」

「彼女が受けた苦しみの報いはちゃんと受けていただかないとね」

「‥‥うそぉ‥‥」 

その瞬間、千葉真梨花から血の気が引き、崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。

「では、そういうことで。裁判所からは近いうちに訴状が届くと思いますので。あと、そこの記者さんも、記事の執筆よろしくお願いしますね?」

「「「‥‥‥」」」

千葉真梨花、若い男、記者のそれぞれに順番に笑顔を向けると、全員凍りついたように黙りこくってしまった。

それを了承と解釈し、僕はそのままホテルをあとにした。

日本での予定をすべて終えた僕は、当初の予定通り、そのまま空港へ向かう。

行き先は、プラハではなく、フランスのストラスブールだ。

きっと環菜はそこにいるだろうという確信が僕にはあった。

(もう終わった。環菜はもう隠れる必要も逃げる必要もない。だから迎えに行こう)

スーツの内ポケットから、カサッと紙のかさばるような音がする。

服の上からその紙に触れ、ストラスブールにいるであろう環菜に会ったらまず何を話そうかと僕は考え始めたーー。
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