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#24. 消えた彼女(Side智行)

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日本での国際会議を明後日に控えたその日、僕が家に帰ったのは22時半頃だった。

これでも今日は早く帰宅できた方だ。

キッチンやリビングの電気は消えているが、部屋から灯りが漏れているので、環菜は自分の部屋にいるのだろう。

僕も自分の部屋に戻り、シャワーを浴びて、就寝の準備を整える。

そろそろ日本へ行くための荷造りもしないとなと考え始めたところで、部屋のドアがノックされる音がした。

こんな時間に環菜が訪ねてくるのは珍しい。

不思議に思いながらドアを開けると、寝支度を終えたであろう環菜が佇んでいた。

寝る前だというのに、わずかに薄く化粧をしているようだ。

それに、透け感のあるレースのネグリジェを身にまとっていて、カーディガンを羽織っているものの、肌の露出が多くて目のやり場に困る。

一体どうしたんだろうと思わずにはいられない雰囲気だった。

(こんな時間にこんな格好で男の部屋に訪ねてくるなんて、襲ってくださいって言ってるようなものなんだけどな。自覚ないのかな)

家にいる環菜はいつも僕に興味がない態度なのだから、あの旅行の時のようなことは起きないことは理解している。

だが、こんな姿を見せられたら、嫌でもあの夜の艶かしい環菜の痴態を思い出す。

また理性を試される生殺しみたいな状態だなと思った。

「遅くにごめんね。あの、実は智くんに話があって‥‥。今いい?」

「話?」

上目遣いで僕を見ながら、おずおずとそう切り出した環菜は、少し緊張している様子だ。

「じゃあリビングで話そうか」

「ううん、智くんの部屋がいい。入っていい?」

半ば無理やり中に入って来られて、ちょっと面食らう。

せっかく無自覚に煽ってくる環菜を共用スペースへ連れて行き、少しは落ち着こうと思ったのに台無しである。

しかも、部屋に入るなり、ベッドの上に乗り上げて正座するように座り出した。

(これは襲われても文句言えないと思うんだけど‥‥)

心の中でため息を吐き出しながら、ニコリと笑顔を作ると、環菜と反対側のベッドの端に腰をおろした。

「それで?話ってなに?どうかしたの?」

努めて冷静を装いながら問いかけると、環菜はビクッと身体を一瞬震わせ、僕に目を向けた。

その表情を見て、「おや?」っと思う。

いつも家にいる時に見せるものではなく、婚約者のフリをしている時のそれだったのだ。

「あの、こんなこと言うと、智くんは驚くかもしれないし、不快に思うかもしれないんだけど、聞いてくれる?」

「‥‥いいよ」

不穏な響きに身構えるが、環菜が次に口にした言葉は予想外のことだった。

「‥‥私のこと抱いて?婚約者役じゃなくて、ただの秋月環菜として」

「‥‥は?」

思わず素で変な声が出てしまった。

(今のは聞き間違いか?なんかとんでもないことを言われた気がするんだけど)

「智くんには申し訳ないんだけど、私、いつのまにか智くんのこと好きになってしまったの。自分に興味や好感を持たない相手だから必要とされたのに‥‥。こんなこと言われると、困るよね。ごめんね」 

「‥‥え、待って。環菜はフリとか関係なく、僕のことが好きってこと?でも家では興味ない感じだったよね?」

「そう見えるように演じてたの。だって智くんが求めてるのはただの婚約者役だから。もし好きだってことがバレたら、もう一緒にいられなくなると思って必死だった‥‥。ごめんね、好きになっちゃって‥‥」

環菜は本当に申し訳なく思っているのか、目尻に涙を溜めながら、うるんだ瞳で僕を見る。

だが、僕の心はむしろ環菜の表情とは真逆で、歓喜が湧き起こる。

(つまり、僕と環菜は同じ気持ちってことか。お互いにその気持ちを隠して、すれ違ってたんだな‥‥)

「謝らなくていいよ。僕も同じ気持ちだから」

「‥‥えっ?」

「僕も婚約者のフリとか関係なく、環菜を好きってことだよ」

「‥‥うそ!?」

「本当だよ。家ではよそよそしい環菜に何度悲しくなったことか。環菜の演技はある意味完璧だったよ」

あれが演技だったのなら、婚約者のフリをしている時のあの僕を好きで堪らないという態度の環菜が本当の姿だったということだ。

それに気づくとなんとも言えない喜びが胸を駆け巡る。

人と思いが通じ合うというのは、こんなに嬉しいものなのかと思った。


僕はベッドの上に座る環菜に近寄ると、すっぽり腕の中に閉じ込めて包み込むように抱きしめた。

環菜も背中に腕を回してギュッと抱きしめ返してくれる。

そこで、さっき環菜が「抱いて欲しい」とお願いしてきたことを思い出した。

「環菜‥‥」

抱きしめた身体を少し離して、環菜のぷっくりと柔らかい唇にキスをする。

そのまま貪るように唇を求めながら、ベッドの上に押し倒し、環菜を見下ろす体勢になる。

「んっ‥‥!ちょ、ちょっと待って‥‥」

「散々待ったよ。婚約者のフリしてる環菜じゃなく、環菜自身をずっと抱きたかった。悪いけど、もう待てないから」

「あ‥‥」

これ以上何も言えないように、唇で塞ぐと、もう環菜もそれ以上は何も言わず、僕たちはただお互いを求め合った。

あの旅行の時よりも、素直に反応して喘ぐ環菜にいちいち煽られ、理性はすっかり吹っ飛んでいた。

あの時も初めて感じる昂りに驚きながら行為に没頭したが、今日は気持ちの通じた相手と肌を重ねることの幸せを初めて実感した。

同じ行為でも、気持ちがあるだけで、こんなに愛しく感じて、こんなに溶けるような気持ち良さを感じるなんて。

(こんなのを知ったらもう手放せないな。まぁもう手放すつもりもないけど)


「‥‥あっ、はぁ、智くん‥‥!」

「環菜、愛してるよ」

「あ、あっ‥‥んんっ。私も愛してる‥‥!」


快感に喘ぎながら、僕の首に必死にしがみつく環菜が愛しくて愛しくてたまらなかった。

ギュッと抱きしめ、重なった肌の甘さに酔いしれる。

何度もお互いを求めながら、気持ちを確かめ合い、僕たちは甘い一夜を過ごしたのだった。




翌朝、目が覚めると、僕の横にはスヤスヤと眠る環菜がいた。

眠る顔はあどけない。

もっとこのままベッドの中で環菜を堪能していたいけど、そういうわけにもいない。

明日には日本へ立たなければならず、その準備に今日も忙しいのだ。

帰ったら荷物もまとめないといけない。

せっかく環菜と気持ちが通じ合ったばかりなのに、しばらく離れなければいけない状況を歯痒く感じた。

(早く仕事を終わらせて、帰ったらまた環菜を抱きしめて眠せてもらおう。しばらく会えないからチャージしとかないとね)

眠る環菜の髪を手ですいて、今までにない満たされた気持ちを感じながら、名残惜しくも出掛ける準備をして僕は家を出た。

「なんか桜庭さんご機嫌ですね!こんなに忙しいのに顔色がツヤツヤしてるし」

仕事をしていると、渡瀬にそんな言葉を投げかけられた。

その言葉に心当たりは大いにあるが、周囲に婚約者だと紹介している環菜と、本当の意味で心が通じ合ったとは今さら言えない。

というか、昨日は具体的に話さなかったけど、今後についてもすり合わせをしていなかったことに思い至る。

(環菜はどうしたいだろう。普通に恋人関係を望むのか、それともこのまま本当に婚約者になってくれるのか‥‥?)

僕としては、もう環菜以外の女性は考えられないから、婚約者でいて欲しい。

ビザの関係もあるだろうし、なんだったら早く籍を入れてしまいたいくらいだ。

そうすれば問題なく、一緒にいることができる。

ただ一つ懸念なのは、環菜が頑なに何かを隠そうとしていることだ。

日本で何の仕事をしていたのか、なぜプラハに来たのか、そのあたりをいつも誤魔化される。

でも今なら素直に話してくれるかもしれない。

今日帰ったら今後のことを話し合いながら、そのことについてもきちんと聞いてみようと思った。



日本へ渡航する前日ということもあり、今日はそれほど遅くならず20時過ぎには家に着いた。

「ただいま」

玄関でそう声をかけるが返事がない。

今日はカフェでの仕事はないと言っていたから家にいるはずなのに、おかしいなと思う。

中に進むと、キッチンやリビングも真っ暗だ。

環菜の部屋の電気もついておらず、人の気配がしない。

前に環菜が情緒不安定になった時のことを思い出し、嫌な予感がよぎる。

急いで環菜の部屋をノックするも、やはり返事がない。

(何かあったのか‥‥?またあの時のみたいに布団にくるまって震えているのかもしれない)

そう思い、返事を待たずドアを無理やり開け、中を見て驚いた。

驚愕で呆然と立ち尽くしてしまう。




そこに環菜はいなかった。

いや、環菜だけではない。

荷物もすべてなくなっていて、部屋は間抜もぬけの殻になっていたのだったーー。
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