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#3. 決意

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慌ただしい年末年始になると、世の中は次々と新しい話題で盛り上がる。

すっかり私のスキャンダルはなりを潜めて、人々の記憶から忘れさられていく。

しかし、ネット社会の現代において、一度露出したものは二度と消すことはできない。

私にはデジタルタトゥーが残ったのだ。



年が明けてしばらく経つと、家の周りの報道陣もいなくなり、ようやく私は少し外に出られるようになった。

帽子にマスク、サングラスと変装しても、誰かに見られているのではないか、噂されているのではないかと思ってしまい、人目が怖かった。

社長と皆川さんとも話をし、私はスポンサーやテレビ局など関係者に直接謝罪に伺った後、しばらく休業してはどうかと提案された。

復帰めどの立たない休業で、実質引退に近いものかもしれない。

私を事務所に置いておくことで、また真梨花のように温情だ、エコ贔屓だと言う人がいるかもしれないと感じた私は、2人にこのまま事務所を去ることを告げた。

これまでお世話になった2人には本当に申し訳ないが、私がいることで、これ以上事務所に迷惑をかけたくはなかった。

「ここまで育てて頂いたのに申し訳ありません」

「亜希‥‥。今後どうするんだ?」

「まだ考えていません。でも今の家も事務所が用意してくださったものなので、どこかに引っ越して身を潜めようと思います」

正直、身寄りのない私には行き場はなくノープランだった。

「すみませんが、次を見つけるまでの間だけ住ませてもらえると助かります。3月中には出て行きますから」

「それはもちろん構わないが」

「ありがとうございます。お2人には本当にお世話になりました。そしてご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」 

深々と頭を下げる。

社長室を出ると、ちょうど廊下には真梨花が待っていた。

真梨花の姿を認めると、身体中に緊張が走る。

「あれぇ?亜希さんまだやめてなかったんですかぁ?」

「‥‥今日が最後。挨拶に来ただけ」

「そうなんですかぁ。もう本当に社長も皆川さんも亜希さんのせいで大変だったんですよぉ。ねぇー?皆川さん?」

「‥‥あぁ」

「あ、そうだぁ!あのね、亜希さん。皆川さんは今後私のマネージャーになるんですよぉ。早く開放してあげてくださいね?」

その言葉に私は皆川さんを勢いよく振り返る。

皆川さんはバツが悪そうな顔だった。

「とりあえず今日は亜希を家まで送っていくから。真梨花、また連絡を入れるからあんまり夜遊びをするんじゃないよ」

「はぁ~い!」

勝ち誇った顔と嬉々とした声を私に向けると、真梨花は弾むような足取りでその場を去って行った。

車に乗り込むと、私は皆川さんに声をかける。

「真梨花さんのマネージャーになるんですね」

「上の決定だからね」

「そうですね」

長年一緒にやってきた信頼するマネージャーまでも真梨花に取られるのかと思うと、居た堪れない気持ちになった。

なにもかもを奪われて、めちゃくちゃにされた。

(でも証拠がないし、今や真梨花が事務所を支える女優だ。私がいまさら何を言ったところでもう遅い‥‥)

言いたいことはあるのに言葉をぐっと飲み込むしかなくて悔しい。

事務所を辞めた私はもうこれから女優でもなんでもない。

大好きな「演じること」がもうできないのが、なによりも辛かった。



マンションの駐車場に到着する。

私は改めて皆川さんに視線を向け、深く深く感謝を込めてお辞儀をした。

「長年ありがとうございました。私に女優という道を教えてくれて嬉しかった。皆川さんは私をもっと有名にして国民的女優にしたいって言ってくれてたのに、それに応えることができなくてごめんなさい。お世話になりました」

これ以上は泣いてしまいそうで、私はそれだけ伝えると皆川さんを見ずに、マンションの中へと足早に入っていった。

背中に何か言いたげな皆川さんの視線を感じながら。



家に帰ってくると、ソファーに身を沈めて、今後のことを考える。

明日からの予定は全くの白紙だ。

女優・神奈月亜希から、秋月環菜に戻って生きていかなければいけない。

とりあえず、人目につかずに落ち着いて住める場所を探すことが最優先だろう。

そのあとはどうやって生きていこうかと考えを巡らせていると、スマホからバイブ音が聞こえた。

手にとって確認すると、それはとても意外な人物からのメールだった。


“Hi, Kanna! It’s been a while. How have you been?(はい、環菜!久しぶり! 最近どうしてるの?) “


英語で書かれたそのメッセージは大学生の頃に留学していた先で友人になったカタリーナからだった。

私は女優の道に進む前の大学2年の時にカナダに1年間留学していて、カタリーナは同じくチェコからの留学生だった。

同い年の私たちはすぐ意気投合し、カナダでの1年間を共に過ごした。

それぞれの国に帰国後はたまにメールで連絡を取り合うくらいになっていたが、今でも縁が続いている。

懐かしい友達からの連絡に、張り詰めていた心が温かくなる。

“Hi. Thank you for the message! Actually, nothing is going well….I feel like my heart is going to break.I'm suffering...(連絡ありがとう!実は何もかもうまくいかないの。もう心が折れそうだよ。とっても辛い‥‥)”

溜め込んでいた想いが膨れ上がり、旧友からの連絡で緩んだ私は思わずポロッと弱音を吐いた。

いつも負けん気が強い私を知っているカタリーナは、私に何か起こっていることを察したのだろう。

メッセージを送ったあと、すぐに電話がかかってきた。

“Kanna! Are you okay!?What happened to you?(環菜、あなた大丈夫!?何があったの?)”

私はスキャンダルには触れずに、トラブルに巻き込まれて仕事を辞めることになったことなどの事実を話した。

“It's over.  I'm so tired of everything…(もう終わりなの。何もかもに疲れちゃった‥‥)”

そう私が最後に溢すと、カタリーナは真剣な声で私を諭すように口を開く。

“It must have been hard for you.I don't know what happened exactly , but all I can say is that I'll always be on your side.(それは大変だったね。正確に何があったのかは知らないけど、ただ一つ言えるのは、私はいつも環菜の味方だよっていうことだけよ)

“Catalina….(カタリーナ)”

カタリーナの励ましが胸に染みる。

利害関係なく、心から私のことを思って言ってくれる言葉は大きく私の心に響いた。

そこで、カタリーナはふと思いついたように明るい声を上げた。

“You said you have to look for new place, right? Why don’t you come over to my place in Prague? (新しく住むところ探さなきゃって言ってたよね?それならプラハの私のところに来ない?)”

話を聞くと、カタリーナが住むプラハの家には、今は部屋に空きがあって居候できるらしい。

確かに私は日本で仕事もないし、住む家も決まっていないうえに、明日以降の予定は完全に白紙で身軽な身の上だ。

しかも海外であれば、日本にいるよりは人目も気にならないから都合は良かった。

プラハなら、ニューヨークやロンドン、パリといった日本人観光客がすごく多い都市というわけでもないから住みやすいだろう。

なによりカタリーナに久しぶりに会いたかった。

私の心はグラリと揺れる。

でも‥‥

“If I go to Prague, it’s like I escape from things I hate of and I'll feel like a loser….(もしプラハに行ったら、それってなんだか嫌なことから逃げたみたい。自分が負け犬みたいで‥‥)”

“Running away is not a loser at all.That's what it takes to protect your heart.(逃げることは負けじゃないわ。心を守るために必要なことよ)”


負けず嫌いな私は、つい意固地になって、逃げたら負けだと感じていた。

だけど、カタリーナの言葉で肩の力が抜けていく。

(カタリーナの言うとおりかもしれない。このまま人の目を気にしてビクビク怯えて生きるくらいなら、異国で人生をやり直してみようか‥‥?)

今の私にはもう失うものはない。

ならば、とりあえず行ってみても良いのではないかと思ってきた。

私は決意を固めると、カタリーナにその旨を伝える。

彼女はとても嬉しそうな声を上げると、「いつでも大丈夫!待ってる!」と言って電話を切った。



それから数週間後の3月下旬ーー。

日本で諸々の手続きを済ませ、私は今、羽田空港で搭乗予定のフライトを待っている。

これからプラハへと旅立つのだ。

帽子を深くかぶり、マスクで顔を隠しながら、できるだけ人目のつかないところに身を隠す。

久しぶりにこんなに人の多いところに来て、私の心臓の鼓動は早い。

ただこれは別の緊張のせいでもあるのだろう。

そう、未知の世界である異国の地での新しい生活への期待と不安だ。

女優・神奈月亜希ではなく、秋月環菜としてのプラハでの人生が始まろうとしていたーー。
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