13 / 25
♯12 (Side蒼太)
しおりを挟む
俺、並木蒼太が高岸由美に出会ったのは、半年付き合った彼女と別れた翌週のことだった。
姉夫婦に連れて行ってもらって以来、1人でも飲みに来るようになったダイニングバーのカウンターで彼女はお酒を煽るように飲んでいた。
チラッと横目でその様子を見て、彼女も何かヤケ酒したいような出来事でもあったのだろうと思った。
モテる自覚のある俺は、女性に声をかけると面倒ごとに巻き込まれかねないので、もちろん声などかけない。
静かに1人でワインを飲んでいたのだが、この店のオーナーである洋一さんが彼女に話しかけ、そして俺に話を振ってきたのだ。
まさか話を振られるとは思っておらず、思わずビクッとしてしまった。
「推し?」
洋一さんから質問され、俺は首を傾げる。
「そう。こちらのお客さんと話してて、何か嫌なことあったのか聞いたら、推しがいるかって聞かれてさ」
洋一さんの視線に促され、俺は2つ隣の椅子に座る彼女に視線を向けると目があった。
二重の大きな目が印象的な愛嬌のある顔立ちの女性だった。
薄化粧で髪もシンプルなボブだから学生に見えなくもないが、仕事帰りと思われる服装だからおそらく歳は同じくらいか少し下だろう。
彼女は俺をまじましと観察するように見てくるが、不思議と嫌な気分にならない視線だった。
それにしても、嫌なことと推しがどう関係しているのか意味が分からない。
俺は率直にそう返すと、彼女は堰を切ったように話し始めた。
「え、聞いてくれますー!?あのですね、私には推しがいるんですけど、その話をするとみんな呆れちゃうんですよ。全然分かってくれなくって!今日も合コンだったんですけどね、私が推しの話したら、最初はニコニコしてたくせに最後には引かれちゃったんですよ!もう悲しくって!私はただ私の大好きな推しについて語りたいだけなのに!」
その勢いに若干圧倒される。
まさに「ぶちまける」という表現がぴったりな話っぷりだった。
さらに、洋一さんに推しについて聞かれると、今度は一転してうっとりとした表情を浮かべて滑らかに語り出す。
「聞いてくれます?私の推しはですね、私の会社の先輩なんです。女性の先輩で、それはそれはものすごく美しくて、もう女神なんですよ!しかも見た目の美しさだけじゃなくって、仕事もできるし、仕事への姿勢も真摯で素敵で!近くで一緒に仕事してるだけでも、もう本当に幸せなんですーー!目の保養で、心の栄養なんですーー!!」
すごいテンションで目をキラキラさせて話す彼女に、俺はどんどん興味が湧いてきた。
なんて変わった面白い子なんだろうと思ったのだ。
俺に対して全く媚びてこないのも良かった。
俺は彼女の語る推しについて興味のままに質問を重ねると、彼女は水を得た魚のごとく、ペラペラと流暢な話っぷりだ。
ついには、俺のことを「イケメンさん」と呼んだきた時には、思わず吹き出してしまった。
彼女の様子を見て、俺と同じように洋一さんも面白そうに笑っている。
洋一さんは俺と彼女にそれぞれの名前を紹介させると、テーブル席のお客さんに呼ばれて去って行った。
由美ちゃんとの会話が楽しかった俺は、そのあともそのまま話し続ける。
よくここに飲みに来るのかと聞かれ、飲みたい気分だったと曖昧に答えると、「私もぶっちゃけたんだから話してよ」と言われた。
いつもなら、それでもサラッと流すのだが、なぜかその時はそれもそうだなと納得し、彼女に振られて別れたことを漏らした。
もしかしたら俺も誰かに話したい気分だったのかもしれない。
あの由美ちゃんのアッパレな語りっぷりを聞いた後だと余計にだし、気分がまぎれたのでありがたかった。
あんなに推しに一生懸命になれるのは正直羨ましいと思うし、そんな情熱が俺にも欲しいと思ったと俺が溢すと、由美ちゃんは目を瞬き、嬉しそうな表情をした。
そして由美ちゃんは今度はその推しの人物像を語り出す。
その話を聞いてると、俺はなぜか自分の姉を思い出した。
姉を思い出すと自動的に振られた原因も芋づる式に脳裏に蘇り、「別れた原因が姉だった」と由美ちゃんにポロッと言ってしまった。
(今日の俺は口が軽すぎる‥‥。こんなこと人に言うつもりなんてなかったのにな。由美ちゃんの饒舌さにつられてるな)
案の定、由美ちゃんは俺が思わず溢した言葉を聞き留め、驚いた表情を浮かべている。
そしてどういうことかと問いかけてきた。
(もうこの際だからぶちまけてみるか。どうせ姉のことを知らない相手だし、お互い酔っ払ってるし、この子なら話を聞いてから言い寄ってくることもならないだろうし)
ある種開き直った俺は、普段は人に話さないことをぶっちゃける。
別れた彼女に「シスコンだからついていけない」と振られたこと、そして歴代の彼女にも同じ理由で振られることを。
俺自身はシスコンだなんて自覚がないだけに、なぜそう言われるのかすら分からないという不満まで述べた。
思い当たる節はないのかと聞かれ、俺はつい先日別れた彼女のことを思い出す。
彼女とは友達に誘われた合コンで出会って、そのあと告白されて付き合った。
俺は社会人になってから彼女がいなかったので、数年ぶりの彼女だった。
というのも、仕事が充実していたし特に欲しいと思わなかったのだ。
それに実を言うと、姉が心配で、姉が落ち着くまではいいかと思っていた部分もある。
2つ年上の姉は、高校3年間付き合った彼氏を、高校卒業間近で亡くした過去があり、それ以来不安定だったのだ。
一見普通なのだが、逃げるように途切れることなく男と付き合って、出会いと別れを繰り返していた。
それに姉は自分の気持ちを溜め込むタイプだから、俺が気にかけてやらないと壊れてしまいそうで心配だったのだ。
そんな姉にも転機が訪れ、半年前に今の旦那である亮祐さんにプロポーズされたのだ。
これで姉も落ち着くだろうとホッとして肩の荷がおりた俺は、そんな頃に告白してくれた子と付き合うことにしたのだった。
彼女のことは普通に可愛いなと思っていたし、好きだったと思うのだが、結局は以前の彼女と同じくシスコンを理由に振られた。
姉と電話したり、食事に行く頻度が多すぎるらしい。
姉と約束していた日に誘われたら、先の約束である姉を優先したところ不機嫌になられたこともあった。
これは一度姉に会わせたら面識ができるし納得してもらえるのではと思い、3人で会ったら、逆にそれ以来姉の話題を出すのを嫌がられるようになった。
最後に言われたのは、「お姉さんを大切にしすぎ」とか、「あんな綺麗なお姉さんと比べられてるようで嫌だ」というものだった。
そんな記憶を呼び起こしながら、由美ちゃんに思い当たりを話すと、彼女より姉を優先したことがシスコンと言われる原因じゃないかと言ってきた。
そして自分も、推しとの約束を友達より優先してブーブー言われたことがあると経験談を語り出す。
そんなに推しとの約束が大切なのかと聞いてみれば、胸を張って自信満々にこう言うのだ。
「もちろん!推しとの至福の時間を逃す私ではないのですよ!!」
これにはまた声を出して笑ってしまった。
本当にいちいち発言が面白い子である。
女の子と話していてこんなふうに屈託なく笑ったのはいつぶりだろうか。
だいたいの女の子が仲良くなると告白してくるから俺には女友達というものがいない。
最初から恋愛を見据えて話しかけてくる子ばかりで、駆け引きのような会話になることが多い。
だからこそ、こんな一切の駆け引きのない会話は新鮮で、何も考えずに話せて楽しかった。
(由美ちゃんは貴重な子だな。こんなふうに他愛もない話をしながらまた飲みたいな)
俺と由美ちゃんはその後は席を隣に移動して話し続けていたのだが、しばらくすると最初にお酒を煽っていたのが効いてきたのか、由美ちゃんはカウンターに突っ伏して眠ってしまった。
「あちゃ~。由美ちゃん寝ちゃったなぁ」
洋一さんがカウンターに戻ってくると由美ちゃんを見ながら俺に声をかけてくる。
「そうなんですよ。たぶんヤケ酒してたのが効いたんでしょうね」
「だろうなぁ。なんか最初に会った時の百合ちゃんを思い出すよ。百合ちゃんも亮祐が最初にここに連れて来た時、酔っ払ってカウンターで眠っちゃったんだよなぁ」
「姉がですか?初めて聞きました」
「百合ちゃん的には醜態だったらしく、秘密にしたそうだったしな」
「その秘密を俺に話しちゃていいんですか、洋一さん?」
「ははっ。まぁもう時効だろう。2人も結婚したことだしな」
洋一さんは全く悪びれることなくカラッと笑っている。
笑い終えると、今度は心配そうな視線を由美ちゃんに向けた。
「百合ちゃんの時は亮祐という連れがいたからいいけど、この子はどうすっかなぁ。1人だろ?」
「俺がタクシーで送って行きますよ。居合わせたのも何かの縁だろうし」
「頼めるか?蒼太くんなら大丈夫だと思うけど、送り狼にはなるなよ?」
「ははっ。大丈夫ですよ。ご安心ください」
そんな気はまったくもってない。
むしろこんなふうに話せる貴重な相手を、みすみす恋愛相手になんてしたくないと思った。
タクシーで由美ちゃんの家まで送っていくつもりだったのだが、結論から言うと俺は由美ちゃんを近くのラブホに連れて行くことになった。
なぜなら全く起きなかったのだ。
初対面の相手を前に、勝手に鞄を漁るのも気が引けた。
まぁ俺が手を出さなければ良いだけのことだしと軽く考え、手頃なところに入ったのだ。
ラブホのでっかいベッドの上に由美ちゃんを寝かせ、俺はシャワーを浴びる。
シャワーを浴びて戻ってきても由美ちゃんは全く目を覚ます気配はなかった。
俺も結構な量のお酒を飲んでいたから睡魔が襲ってきて、バスローブに身を包むと、広いベッドの中に潜り込む。
十分な広さがあるため、由美ちゃんに触れることもない。
(まぁ、ラブホに連れてきた理由や経緯は明日朝にでも説明すればいいか。それに由美ちゃんの連絡先も明日聞こう)
そう考えた俺は、そのまま睡魔に抗うことなく眠りについた。
そして翌朝に目を覚まして驚いた。
隣に寝ていたはずの由美ちゃんはいなくなっていて、もぬけのからだったのだ。
テーブルの上には1万円札だけが置いてあり、連絡先などは何も残してなかった。
つまり、俺は由美ちゃんの連絡先が分からないし、連絡を取ろうにも取れないわけだ。
ラブホに1人置き去りにされたのも初めてだった。
由美ちゃんが意外と冷静に立ち回ってあえて連絡先も何も残さずに立ち去ったのか、それともパニックで動転していたのかは分からないが、いずれにしても面白い行動をする子だなと、俺は小さく笑った。
由美という名前と、同じ会社の同性の先輩を推しとして崇めているということ以外、どこの誰か知らない相手だ。
だが、そんな由美ちゃんとは意外なところで、それからしばらくして再会することになるのだったーー。
姉夫婦に連れて行ってもらって以来、1人でも飲みに来るようになったダイニングバーのカウンターで彼女はお酒を煽るように飲んでいた。
チラッと横目でその様子を見て、彼女も何かヤケ酒したいような出来事でもあったのだろうと思った。
モテる自覚のある俺は、女性に声をかけると面倒ごとに巻き込まれかねないので、もちろん声などかけない。
静かに1人でワインを飲んでいたのだが、この店のオーナーである洋一さんが彼女に話しかけ、そして俺に話を振ってきたのだ。
まさか話を振られるとは思っておらず、思わずビクッとしてしまった。
「推し?」
洋一さんから質問され、俺は首を傾げる。
「そう。こちらのお客さんと話してて、何か嫌なことあったのか聞いたら、推しがいるかって聞かれてさ」
洋一さんの視線に促され、俺は2つ隣の椅子に座る彼女に視線を向けると目があった。
二重の大きな目が印象的な愛嬌のある顔立ちの女性だった。
薄化粧で髪もシンプルなボブだから学生に見えなくもないが、仕事帰りと思われる服装だからおそらく歳は同じくらいか少し下だろう。
彼女は俺をまじましと観察するように見てくるが、不思議と嫌な気分にならない視線だった。
それにしても、嫌なことと推しがどう関係しているのか意味が分からない。
俺は率直にそう返すと、彼女は堰を切ったように話し始めた。
「え、聞いてくれますー!?あのですね、私には推しがいるんですけど、その話をするとみんな呆れちゃうんですよ。全然分かってくれなくって!今日も合コンだったんですけどね、私が推しの話したら、最初はニコニコしてたくせに最後には引かれちゃったんですよ!もう悲しくって!私はただ私の大好きな推しについて語りたいだけなのに!」
その勢いに若干圧倒される。
まさに「ぶちまける」という表現がぴったりな話っぷりだった。
さらに、洋一さんに推しについて聞かれると、今度は一転してうっとりとした表情を浮かべて滑らかに語り出す。
「聞いてくれます?私の推しはですね、私の会社の先輩なんです。女性の先輩で、それはそれはものすごく美しくて、もう女神なんですよ!しかも見た目の美しさだけじゃなくって、仕事もできるし、仕事への姿勢も真摯で素敵で!近くで一緒に仕事してるだけでも、もう本当に幸せなんですーー!目の保養で、心の栄養なんですーー!!」
すごいテンションで目をキラキラさせて話す彼女に、俺はどんどん興味が湧いてきた。
なんて変わった面白い子なんだろうと思ったのだ。
俺に対して全く媚びてこないのも良かった。
俺は彼女の語る推しについて興味のままに質問を重ねると、彼女は水を得た魚のごとく、ペラペラと流暢な話っぷりだ。
ついには、俺のことを「イケメンさん」と呼んだきた時には、思わず吹き出してしまった。
彼女の様子を見て、俺と同じように洋一さんも面白そうに笑っている。
洋一さんは俺と彼女にそれぞれの名前を紹介させると、テーブル席のお客さんに呼ばれて去って行った。
由美ちゃんとの会話が楽しかった俺は、そのあともそのまま話し続ける。
よくここに飲みに来るのかと聞かれ、飲みたい気分だったと曖昧に答えると、「私もぶっちゃけたんだから話してよ」と言われた。
いつもなら、それでもサラッと流すのだが、なぜかその時はそれもそうだなと納得し、彼女に振られて別れたことを漏らした。
もしかしたら俺も誰かに話したい気分だったのかもしれない。
あの由美ちゃんのアッパレな語りっぷりを聞いた後だと余計にだし、気分がまぎれたのでありがたかった。
あんなに推しに一生懸命になれるのは正直羨ましいと思うし、そんな情熱が俺にも欲しいと思ったと俺が溢すと、由美ちゃんは目を瞬き、嬉しそうな表情をした。
そして由美ちゃんは今度はその推しの人物像を語り出す。
その話を聞いてると、俺はなぜか自分の姉を思い出した。
姉を思い出すと自動的に振られた原因も芋づる式に脳裏に蘇り、「別れた原因が姉だった」と由美ちゃんにポロッと言ってしまった。
(今日の俺は口が軽すぎる‥‥。こんなこと人に言うつもりなんてなかったのにな。由美ちゃんの饒舌さにつられてるな)
案の定、由美ちゃんは俺が思わず溢した言葉を聞き留め、驚いた表情を浮かべている。
そしてどういうことかと問いかけてきた。
(もうこの際だからぶちまけてみるか。どうせ姉のことを知らない相手だし、お互い酔っ払ってるし、この子なら話を聞いてから言い寄ってくることもならないだろうし)
ある種開き直った俺は、普段は人に話さないことをぶっちゃける。
別れた彼女に「シスコンだからついていけない」と振られたこと、そして歴代の彼女にも同じ理由で振られることを。
俺自身はシスコンだなんて自覚がないだけに、なぜそう言われるのかすら分からないという不満まで述べた。
思い当たる節はないのかと聞かれ、俺はつい先日別れた彼女のことを思い出す。
彼女とは友達に誘われた合コンで出会って、そのあと告白されて付き合った。
俺は社会人になってから彼女がいなかったので、数年ぶりの彼女だった。
というのも、仕事が充実していたし特に欲しいと思わなかったのだ。
それに実を言うと、姉が心配で、姉が落ち着くまではいいかと思っていた部分もある。
2つ年上の姉は、高校3年間付き合った彼氏を、高校卒業間近で亡くした過去があり、それ以来不安定だったのだ。
一見普通なのだが、逃げるように途切れることなく男と付き合って、出会いと別れを繰り返していた。
それに姉は自分の気持ちを溜め込むタイプだから、俺が気にかけてやらないと壊れてしまいそうで心配だったのだ。
そんな姉にも転機が訪れ、半年前に今の旦那である亮祐さんにプロポーズされたのだ。
これで姉も落ち着くだろうとホッとして肩の荷がおりた俺は、そんな頃に告白してくれた子と付き合うことにしたのだった。
彼女のことは普通に可愛いなと思っていたし、好きだったと思うのだが、結局は以前の彼女と同じくシスコンを理由に振られた。
姉と電話したり、食事に行く頻度が多すぎるらしい。
姉と約束していた日に誘われたら、先の約束である姉を優先したところ不機嫌になられたこともあった。
これは一度姉に会わせたら面識ができるし納得してもらえるのではと思い、3人で会ったら、逆にそれ以来姉の話題を出すのを嫌がられるようになった。
最後に言われたのは、「お姉さんを大切にしすぎ」とか、「あんな綺麗なお姉さんと比べられてるようで嫌だ」というものだった。
そんな記憶を呼び起こしながら、由美ちゃんに思い当たりを話すと、彼女より姉を優先したことがシスコンと言われる原因じゃないかと言ってきた。
そして自分も、推しとの約束を友達より優先してブーブー言われたことがあると経験談を語り出す。
そんなに推しとの約束が大切なのかと聞いてみれば、胸を張って自信満々にこう言うのだ。
「もちろん!推しとの至福の時間を逃す私ではないのですよ!!」
これにはまた声を出して笑ってしまった。
本当にいちいち発言が面白い子である。
女の子と話していてこんなふうに屈託なく笑ったのはいつぶりだろうか。
だいたいの女の子が仲良くなると告白してくるから俺には女友達というものがいない。
最初から恋愛を見据えて話しかけてくる子ばかりで、駆け引きのような会話になることが多い。
だからこそ、こんな一切の駆け引きのない会話は新鮮で、何も考えずに話せて楽しかった。
(由美ちゃんは貴重な子だな。こんなふうに他愛もない話をしながらまた飲みたいな)
俺と由美ちゃんはその後は席を隣に移動して話し続けていたのだが、しばらくすると最初にお酒を煽っていたのが効いてきたのか、由美ちゃんはカウンターに突っ伏して眠ってしまった。
「あちゃ~。由美ちゃん寝ちゃったなぁ」
洋一さんがカウンターに戻ってくると由美ちゃんを見ながら俺に声をかけてくる。
「そうなんですよ。たぶんヤケ酒してたのが効いたんでしょうね」
「だろうなぁ。なんか最初に会った時の百合ちゃんを思い出すよ。百合ちゃんも亮祐が最初にここに連れて来た時、酔っ払ってカウンターで眠っちゃったんだよなぁ」
「姉がですか?初めて聞きました」
「百合ちゃん的には醜態だったらしく、秘密にしたそうだったしな」
「その秘密を俺に話しちゃていいんですか、洋一さん?」
「ははっ。まぁもう時効だろう。2人も結婚したことだしな」
洋一さんは全く悪びれることなくカラッと笑っている。
笑い終えると、今度は心配そうな視線を由美ちゃんに向けた。
「百合ちゃんの時は亮祐という連れがいたからいいけど、この子はどうすっかなぁ。1人だろ?」
「俺がタクシーで送って行きますよ。居合わせたのも何かの縁だろうし」
「頼めるか?蒼太くんなら大丈夫だと思うけど、送り狼にはなるなよ?」
「ははっ。大丈夫ですよ。ご安心ください」
そんな気はまったくもってない。
むしろこんなふうに話せる貴重な相手を、みすみす恋愛相手になんてしたくないと思った。
タクシーで由美ちゃんの家まで送っていくつもりだったのだが、結論から言うと俺は由美ちゃんを近くのラブホに連れて行くことになった。
なぜなら全く起きなかったのだ。
初対面の相手を前に、勝手に鞄を漁るのも気が引けた。
まぁ俺が手を出さなければ良いだけのことだしと軽く考え、手頃なところに入ったのだ。
ラブホのでっかいベッドの上に由美ちゃんを寝かせ、俺はシャワーを浴びる。
シャワーを浴びて戻ってきても由美ちゃんは全く目を覚ます気配はなかった。
俺も結構な量のお酒を飲んでいたから睡魔が襲ってきて、バスローブに身を包むと、広いベッドの中に潜り込む。
十分な広さがあるため、由美ちゃんに触れることもない。
(まぁ、ラブホに連れてきた理由や経緯は明日朝にでも説明すればいいか。それに由美ちゃんの連絡先も明日聞こう)
そう考えた俺は、そのまま睡魔に抗うことなく眠りについた。
そして翌朝に目を覚まして驚いた。
隣に寝ていたはずの由美ちゃんはいなくなっていて、もぬけのからだったのだ。
テーブルの上には1万円札だけが置いてあり、連絡先などは何も残してなかった。
つまり、俺は由美ちゃんの連絡先が分からないし、連絡を取ろうにも取れないわけだ。
ラブホに1人置き去りにされたのも初めてだった。
由美ちゃんが意外と冷静に立ち回ってあえて連絡先も何も残さずに立ち去ったのか、それともパニックで動転していたのかは分からないが、いずれにしても面白い行動をする子だなと、俺は小さく笑った。
由美という名前と、同じ会社の同性の先輩を推しとして崇めているということ以外、どこの誰か知らない相手だ。
だが、そんな由美ちゃんとは意外なところで、それからしばらくして再会することになるのだったーー。
10
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説
契約結婚のはずが、幼馴染の御曹司は溺愛婚をお望みです
紬 祥子(まつやちかこ)
恋愛
旧題:幼なじみと契約結婚しましたが、いつの間にか溺愛婚になっています。
夢破れて帰ってきた故郷で、再会した彼との契約婚の日々。
★第17回恋愛小説大賞(2024年)にて、奨励賞を受賞いたしました!★
☆改題&加筆修正ののち、単行本として刊行されることになりました!☆
※作品のレンタル開始に伴い、旧題で掲載していた本文は2025年2月13日に非公開となりました。
お楽しみくださっていた方々には申し訳ありませんが、何卒ご了承くださいませ。

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜
四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」
度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。
事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。
しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。
楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。
その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。
ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。
その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。
敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。
それから、3年が経ったある日。
日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。
「私は若佐先生の事を何も知らない」
このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。
目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。
❄︎
※他サイトにも掲載しています。

【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜
鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。
誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。
幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。
ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。
一人の客人をもてなしたのだ。
その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。
【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。
彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。
そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。
そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。
やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。
ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、
「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。
学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。
☆第2部完結しました☆
モブだけど推しの幸せを全力サポートしたい!
のあはむら
恋愛
大好きな乙女ゲーム「プリンスオブハート」に転生した私。でも転生したのはヒロインじゃなくて、ヒロインの友達ポジション!推しキャラであるツンデレ王子・ディラン様を攻略できるはずだったのに、私はただの脇役…。ヒロインに転生できなかったショックで一度は落ち込むけど、ここでめげてどうする!せめて推しが幸せになるよう、ヒロインを全力でサポートしようと決意。
しかし、肝心のヒロインが天然すぎてシナリオが崩壊寸前!?仕方なく私が攻略対象たちと接触して修正を試みるけど、なぜか推しキャラのディラン様が「お前、面白いな」と興味津々で近寄ってくる。いやいや、ヒロインに集中してくれないと困るんですが!?
ドタバタ転生ラブコメ、開幕!
※他のサイトでも掲載しています。
不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない
かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」
婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。
もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。
ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。
想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。
記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…?
不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。
12/11追記
書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。
たくさんお読みいただきありがとうございました!

転生令嬢、シスコンになる ~お姉様を悪役令嬢になんかさせません!~
浅海 景
恋愛
物心ついた時から前世の記憶を持つ平民の子供、アネットは平凡な生活を送っていた。だが侯爵家に引き取られ母親違いの姉クロエと出会いアネットの人生は一変する。
(え、天使?!妖精?!もしかしてこの超絶美少女が私のお姉様に?!)
その容姿や雰囲気にクロエを「推し」認定したアネットは、クロエの冷たい態度も意に介さず推しへの好意を隠さない。やがてクロエの背景を知ったアネットは、悪役令嬢のような振る舞いのクロエを素敵な令嬢として育て上げようとアネットは心に誓う。
お姉様至上主義の転生令嬢、そんな妹に絆されたクーデレ完璧令嬢の成長物語。
恋愛要素は後半あたりから出てきます。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる