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28. 付き合うということ(Side千尋)
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「あれ?瀬戸さんじゃないですか。お久しぶりです」
実家に帰るという彼女のメッセージを受け、居ても立っても居られず彼女の実家に追いかけて来てしまった。
玄関先で出迎えてくれたのは、ご両親ではなく、なぜか今はここは住んでいないはずの彼女のお兄さん。
直接会うのは二度目だ。
「……詩織さんがこちらに来てませんか?」
「ああ、来てますよ。詩織を迎えに来てくださったんですか?妹がご面倒おかけしてすみません。ここじゃなんですし、とりあえず中へどうぞ」
案内されたのはリビングだ。
そこに彼女の姿はない。
彼女どころかご両親の姿もなく、どうやらお兄さん一人のようだ。
「悠さんはこちらには住んでおられないんですよね?今日は帰省ですか?」
「ええ、彼女と一緒に来て、さっきまで両親も交えて結婚式の打合せしてたんです。そこに詩織が帰って来て。で、彼女と詩織の2人でカフェにランチに行ってしまって、両親も出掛けてしまい、今は僕一人です」
「詩織さん、出掛けたんですか。悠さんの彼女と……」
お兄さんの彼女といえば、大塚フードウェイのレセプションで会ったあの女性だろう。
あの時の彼女の苦しそうな表情を思い出す。
……詩織ちゃんは2人きりでカフェなんて大丈夫だろうか?
お兄さんの彼女に対してどういう感情を抱えていたのかを知っているだけに心配になる。
「たぶん駅前のカフェに行ってると思うんで、そのうち帰ってきますよ。なので良かったらそれまでここでお待ちください」
そう言われると断ることもできず、礼を述べながら、出されたお茶に口をつけた。
心情的にはそのカフェに駆け込みたいところだが。
「ところで、せっかく瀬戸さんとお話する機会に恵まれたんで、詩織とのこと伺ってもいいですか?詩織は全然話してくれなくて」
「ええ、まぁ、どうぞ?」
「いつから付き合ってるんです?」
「3ヶ月前くらいからでしょうか」
「ここ最近の詩織はなんか肩の力が抜けたというか、張り詰めていた空気がなくなったというか、ともかく前より明るくなったなと思ってたんですけど、瀬戸さんのおかげだったんですね!」
お兄さんはこの前偶然会った時に彼女の雰囲気が変わっていることに驚いたそうだ。
昔から兄である自分にしか心を開いていないようで、交友関係もほぼなく、心配していたという。
「だから瀬戸さんには感謝してます。これで僕も安心してシスコン卒業できますよ。はは」
爽やかに笑うお兄さんからは、長年本当に妹を心配してきたことが伺えた。
恋愛感情ではないが彼女に対して深い愛情はあるのだろう。
その後も会話は続き、彼女のことだけでなく、健一郎のことや仕事のことへも話題は及んだ。
こうしてしっかり面と向かってお兄さんと話すのは初めてだったが、さすが彼女の兄で、健一郎の幼なじみだ。
話してみるととても好感がもてる人だった。
彼女と話をするために迎えに来たのに、いつの間にやらすっかりお兄さんと話し込んで打ち解けてしまっている。
ふと腕時計を見ると、時刻は午後2時になろうとしていた。
お昼過ぎにはここへ来たから1時間半近く話し込んでいたらしい。
その時、玄関のドアが開く音がした。
続いて「ただいま戻りました~!」という明るい声が響いてくる。
「あ、2人とも帰ってきたみたいですね。玄関まで行きましょうか」
「そうですね」
お兄さんに続き、リビングから玄関に向かうと、玄関先には2人の女性の姿があった。
彼女は俺を見て目を丸くしている。
なんでここに?という気持ちが顔にはっきり現れていた。
彼女の顔には驚きの色しかない。
苦しそうな様子もなく、お兄さんの彼女とも仲の良さそうな感じが見受けられ、ホッとした。
「おかえり。詩織ちゃんと話がしたくて実家で待たせてもらってた」
そう声をかけると、彼女は少し逡巡する様子を見せたあと、なにかを決心したように俺の瞳をまっすぐ見据える。
その瞳の強さにドキッとした。
「……私も話したいです。2階の私の部屋に行きましょう」
そう言われて、彼女に続き2階へ上がる。
彼女の部屋は引っ越しの時に荷物を運ぶために以前少し入ったことがある。
物が運び出された部屋はスッキリしていて、ベッドや机などの家具だけが残った状態だった。
部屋の扉が閉まるなり、俺は背後から彼女の体に腕を回して引き寄せる。
朝いなくなった時から、消えていなくなってしまいそうで心配だった。
「……ごめんね。昨夜のこと気にしてる?それで実家帰っちゃったの?昨夜も言ったけど詩織ちゃんは気にしなくていいよ。俺が急ぎすぎただけだから」
「……違うんです。千尋さんは悪くないんです」
「まだ心の準備ができてなかったんでしょ?俺が性急だったと思う」
「いえ、そういうわけじゃなくって……。あの、少し私の話を聞いてくれますか?」
彼女は俺から体を離すと、正面から俺と向き合い、真剣な目で見つめてくる。
「とりあえず座りましょ?」と促され、座るところがベッドしかなかったので、2人でベッドに腰をかけた。
彼女から話を聞いて欲しいと言われたけど、何の話なのだろうか。
嫌な予感がしてたまらない。
「……話って?」
「実は私、ずっと不安だったんです」
「不安?」
思いがけない言葉に瞬時に頭の中で俺は心当たりを探る。
キスも慣れてないから練習したいと言っていた彼女だ。
セックスも慣れてないから不安だとかそういう話だろうか。
それなら全然そんなこと不安に思わなくていいのにと返そうとしたところ、次の彼女の言葉でどうやらそうではないらしいことに気づく。
「……誕生日パーティーがあって千尋さんが出掛けた日、帰ってきた時に千尋さんから女性モノの香水の香りがしました。そのあと、千尋さんがシャワー浴びている間に届いたメッセージも目にしてしまったんです。……勝手に盗み見る形になってすみません」
言われて記憶を探り、瑠美のことだと思い当たる。
確かにあの日どうしようもないメッセージが立て続けに送られてきていた。
“体の相性は最高”とか“私なら満足させてあげられる”とか露骨な内容だった気がする。
……え、あれを詩織ちゃんが見た?
驚いて俺は彼女を凝視する。
少し俯きながら節目がちに話す彼女からは表情が読み取れない。
……そりゃ、あんな内容見たら不安になるよ。てか、もしかしてまだ関係があると誤解されてる!?
「確かに誕生日パーティーで偶然会ったけど、それ以降は一切会ってないし、連絡ももう完全に拒否したよ。今後接触することもない。だからもし誤解してるなら、それはないから信じて欲しい」
誤解されたらたまらないと、急いで俺はハッキリと否定する。
それに対して彼女は一つ頷いただけで、さらに話を続けた。
「出張から帰った日も、また違う女性の香水の香りがしました。どこかに行ってたのか聞いてもなんとなく誤魔化された感じがして……」
母のことだ。
確かに誤魔化したという彼女の言い分は正しい。
母のことを知られたくなくて口をつぐんだのは事実だった。
なんて説明しようか、考えあぐねていたところ、さらに彼女は口を開く。
「その女性がこの前千尋さんがいない時に家に来ました。合鍵をお持ちのようで、千尋さんとはすごく深い関係だっておっしゃってました……」
「…………は? 家に来た?」
そんなこと彼女からも母からも聞いていない。
予想外の出来事に俺は愕然とする。
しかも彼女の話しぶりだと、その女性が俺の母だとは知らないようだ。
母のことだ、わざと言わなかったのだろう。
「なに言われたの?」
「たぶん要約すると、千尋さんは一人の女性で縛れるような人じゃないし、一人の女性で満足できるはずがないから自由にさせてあげてね……ってことだと思います」
……なんだそれ。ふざけんな。
聞いていて、ものすごく母に腹が立った。
断りもなく勝手に家に来て、彼女に会って、深い関係なことを匂わせ、言いたい放題してくれたわけだ。
見ず知らずの知らない女性からいきなりそんなことを言われたら彼女が戸惑うのも不安になるのも当たり前だ。
いくら肉親とはいえ、これは許せない。
……詩織ちゃんも言ってくれれば良かったのに。なんで黙ってたんだろう?
その疑問に答えるように、彼女は話を続ける。
「……そういうことが続いて、内心すごく不安でした。それにその女性たちの言葉はその通りだなとは思ったんです。私は恋愛関係の経験が圧倒的に不足してるし、千尋さんを満足させてあげられる自信なんてありません……。だから昨日怖くなったんです」
「詩織ちゃん……。なんで言ってくれなかったの?不安になったって言ってくれれば良かったのに」
「私は今まで一方通行の恋しかしたことがなくって、相手に伝えるという考えが思い浮かばなかったんです。でもさっき響子さんから、付き合うっていうのは話し合ってすり合わせしながら2人で関係を作っていくものだよって言われて。それで初めて話してみようって思ったんです」
彼女の言葉を聞いて、俺もまたあることに気づいた。
彼女が一方通行の恋しかしたことがないというならば、俺は女性経験は多いが本気の相手と付き合ったことがない。
いつも上辺だけの、自分の素を見せない付き合いばかりだった。
つまり、俺たちは2人とも「付き合う」ということに対して初心者なのだ。
母のことや過去の女性関係を隠そうとしていたが、長く付き合っていきたいなら包み隠さず俺も話すべきだったのではないだろうか。
そう思い至り、俺もこれまで話していなかったことを打ち明ける覚悟を決める。
「詩織ちゃん、話してくれてありがとう。……俺の話も聞いてくれる?」
「はい」
「その家に来たって女性………俺の母なんだ」
「えっ?お母さんですか?」
彼女は信じられないと言わんばかり目を剥いている。
まぁ確かにあの母は実年齢よりだいぶ若く見えるから驚くのもしょうがないのかもしれないと、俺は苦笑いだ。
「シングルマザーでさ、俺を育ててくれたのには感謝してるんだけど、昔から男関係が派手でね。そんな母を見て育ったから、女の子のこと心から信じられなくて。どうせすぐ心変わりするんだろうって冷めた気持ちがずっとあった」
「千尋さん……」
「会ったから分かるかもだけど、母はちょっと面倒な人でさ。詩織ちゃんに母の存在を知られたくないなとは正直思った。だから出張後に聞かれた時に誤魔化したんだよね」
「そうだったんですか」
彼女は納得したように頷く。
微妙な親子関係を察したのか俺を気遣うような色が瞳には浮かんでいた。
「まぁそんな育ち方をしたからというのもなんだけど、詩織ちゃんに出会うまでは俺も女性関係は派手だったと思う。さっき言ってたメッセージの子もその時に関係があったことはある。それは事実だから否定しない」
「はい」
「でも今は詩織ちゃんだけにしか興味ないよ。詩織ちゃんに経験が足りないから満足できないなんて感じたことない。むしろ詩織ちゃんしか欲しくない。だから不安になんて思わないでくれる?」
「本当に?物足りないのに我慢とかしてないですか……?」
「詩織ちゃんを抱きたいっていう欲求に対する我慢なら多少してるけど、物足りなさに対する我慢ではないよ?」
ストレートにそう言うと、彼女はテレたような少し俯いた。
髪から覗く耳がほんのり赤く染まっている。
言いたいことを言い合った俺たちの間にはさっきまでの微妙な空気はもうない。
あるのは、お互いへの理解が深まったことによる信頼感だ。
「あのさ、さっき昨夜は心の準備ができてなかったってわけじゃないって言ってたよね……?」
「はい……」
「それなら、抱いていい?詩織ちゃんの心も体も全部愛したい」
「……私も千尋さんのこともっと愛したい、です」
……ヤバイ、可愛すぎる!
心の内を曝け出して伝え合い心の通じた彼女の可愛さはいつも以上だ。
このままベッドに押し倒してしまいたい。
でもここは彼女の実家で、下の階にはお兄さんカップルもいるし、アレの手持ちもない。
「俺たちの家に帰ろうか?」
「そうですね……!」
ふにゃりと笑った彼女の手を取り立ち上がる。
一刻も早くこの場を去り、彼女と家に帰りたくてしょうがなかった。
実家に帰るという彼女のメッセージを受け、居ても立っても居られず彼女の実家に追いかけて来てしまった。
玄関先で出迎えてくれたのは、ご両親ではなく、なぜか今はここは住んでいないはずの彼女のお兄さん。
直接会うのは二度目だ。
「……詩織さんがこちらに来てませんか?」
「ああ、来てますよ。詩織を迎えに来てくださったんですか?妹がご面倒おかけしてすみません。ここじゃなんですし、とりあえず中へどうぞ」
案内されたのはリビングだ。
そこに彼女の姿はない。
彼女どころかご両親の姿もなく、どうやらお兄さん一人のようだ。
「悠さんはこちらには住んでおられないんですよね?今日は帰省ですか?」
「ええ、彼女と一緒に来て、さっきまで両親も交えて結婚式の打合せしてたんです。そこに詩織が帰って来て。で、彼女と詩織の2人でカフェにランチに行ってしまって、両親も出掛けてしまい、今は僕一人です」
「詩織さん、出掛けたんですか。悠さんの彼女と……」
お兄さんの彼女といえば、大塚フードウェイのレセプションで会ったあの女性だろう。
あの時の彼女の苦しそうな表情を思い出す。
……詩織ちゃんは2人きりでカフェなんて大丈夫だろうか?
お兄さんの彼女に対してどういう感情を抱えていたのかを知っているだけに心配になる。
「たぶん駅前のカフェに行ってると思うんで、そのうち帰ってきますよ。なので良かったらそれまでここでお待ちください」
そう言われると断ることもできず、礼を述べながら、出されたお茶に口をつけた。
心情的にはそのカフェに駆け込みたいところだが。
「ところで、せっかく瀬戸さんとお話する機会に恵まれたんで、詩織とのこと伺ってもいいですか?詩織は全然話してくれなくて」
「ええ、まぁ、どうぞ?」
「いつから付き合ってるんです?」
「3ヶ月前くらいからでしょうか」
「ここ最近の詩織はなんか肩の力が抜けたというか、張り詰めていた空気がなくなったというか、ともかく前より明るくなったなと思ってたんですけど、瀬戸さんのおかげだったんですね!」
お兄さんはこの前偶然会った時に彼女の雰囲気が変わっていることに驚いたそうだ。
昔から兄である自分にしか心を開いていないようで、交友関係もほぼなく、心配していたという。
「だから瀬戸さんには感謝してます。これで僕も安心してシスコン卒業できますよ。はは」
爽やかに笑うお兄さんからは、長年本当に妹を心配してきたことが伺えた。
恋愛感情ではないが彼女に対して深い愛情はあるのだろう。
その後も会話は続き、彼女のことだけでなく、健一郎のことや仕事のことへも話題は及んだ。
こうしてしっかり面と向かってお兄さんと話すのは初めてだったが、さすが彼女の兄で、健一郎の幼なじみだ。
話してみるととても好感がもてる人だった。
彼女と話をするために迎えに来たのに、いつの間にやらすっかりお兄さんと話し込んで打ち解けてしまっている。
ふと腕時計を見ると、時刻は午後2時になろうとしていた。
お昼過ぎにはここへ来たから1時間半近く話し込んでいたらしい。
その時、玄関のドアが開く音がした。
続いて「ただいま戻りました~!」という明るい声が響いてくる。
「あ、2人とも帰ってきたみたいですね。玄関まで行きましょうか」
「そうですね」
お兄さんに続き、リビングから玄関に向かうと、玄関先には2人の女性の姿があった。
彼女は俺を見て目を丸くしている。
なんでここに?という気持ちが顔にはっきり現れていた。
彼女の顔には驚きの色しかない。
苦しそうな様子もなく、お兄さんの彼女とも仲の良さそうな感じが見受けられ、ホッとした。
「おかえり。詩織ちゃんと話がしたくて実家で待たせてもらってた」
そう声をかけると、彼女は少し逡巡する様子を見せたあと、なにかを決心したように俺の瞳をまっすぐ見据える。
その瞳の強さにドキッとした。
「……私も話したいです。2階の私の部屋に行きましょう」
そう言われて、彼女に続き2階へ上がる。
彼女の部屋は引っ越しの時に荷物を運ぶために以前少し入ったことがある。
物が運び出された部屋はスッキリしていて、ベッドや机などの家具だけが残った状態だった。
部屋の扉が閉まるなり、俺は背後から彼女の体に腕を回して引き寄せる。
朝いなくなった時から、消えていなくなってしまいそうで心配だった。
「……ごめんね。昨夜のこと気にしてる?それで実家帰っちゃったの?昨夜も言ったけど詩織ちゃんは気にしなくていいよ。俺が急ぎすぎただけだから」
「……違うんです。千尋さんは悪くないんです」
「まだ心の準備ができてなかったんでしょ?俺が性急だったと思う」
「いえ、そういうわけじゃなくって……。あの、少し私の話を聞いてくれますか?」
彼女は俺から体を離すと、正面から俺と向き合い、真剣な目で見つめてくる。
「とりあえず座りましょ?」と促され、座るところがベッドしかなかったので、2人でベッドに腰をかけた。
彼女から話を聞いて欲しいと言われたけど、何の話なのだろうか。
嫌な予感がしてたまらない。
「……話って?」
「実は私、ずっと不安だったんです」
「不安?」
思いがけない言葉に瞬時に頭の中で俺は心当たりを探る。
キスも慣れてないから練習したいと言っていた彼女だ。
セックスも慣れてないから不安だとかそういう話だろうか。
それなら全然そんなこと不安に思わなくていいのにと返そうとしたところ、次の彼女の言葉でどうやらそうではないらしいことに気づく。
「……誕生日パーティーがあって千尋さんが出掛けた日、帰ってきた時に千尋さんから女性モノの香水の香りがしました。そのあと、千尋さんがシャワー浴びている間に届いたメッセージも目にしてしまったんです。……勝手に盗み見る形になってすみません」
言われて記憶を探り、瑠美のことだと思い当たる。
確かにあの日どうしようもないメッセージが立て続けに送られてきていた。
“体の相性は最高”とか“私なら満足させてあげられる”とか露骨な内容だった気がする。
……え、あれを詩織ちゃんが見た?
驚いて俺は彼女を凝視する。
少し俯きながら節目がちに話す彼女からは表情が読み取れない。
……そりゃ、あんな内容見たら不安になるよ。てか、もしかしてまだ関係があると誤解されてる!?
「確かに誕生日パーティーで偶然会ったけど、それ以降は一切会ってないし、連絡ももう完全に拒否したよ。今後接触することもない。だからもし誤解してるなら、それはないから信じて欲しい」
誤解されたらたまらないと、急いで俺はハッキリと否定する。
それに対して彼女は一つ頷いただけで、さらに話を続けた。
「出張から帰った日も、また違う女性の香水の香りがしました。どこかに行ってたのか聞いてもなんとなく誤魔化された感じがして……」
母のことだ。
確かに誤魔化したという彼女の言い分は正しい。
母のことを知られたくなくて口をつぐんだのは事実だった。
なんて説明しようか、考えあぐねていたところ、さらに彼女は口を開く。
「その女性がこの前千尋さんがいない時に家に来ました。合鍵をお持ちのようで、千尋さんとはすごく深い関係だっておっしゃってました……」
「…………は? 家に来た?」
そんなこと彼女からも母からも聞いていない。
予想外の出来事に俺は愕然とする。
しかも彼女の話しぶりだと、その女性が俺の母だとは知らないようだ。
母のことだ、わざと言わなかったのだろう。
「なに言われたの?」
「たぶん要約すると、千尋さんは一人の女性で縛れるような人じゃないし、一人の女性で満足できるはずがないから自由にさせてあげてね……ってことだと思います」
……なんだそれ。ふざけんな。
聞いていて、ものすごく母に腹が立った。
断りもなく勝手に家に来て、彼女に会って、深い関係なことを匂わせ、言いたい放題してくれたわけだ。
見ず知らずの知らない女性からいきなりそんなことを言われたら彼女が戸惑うのも不安になるのも当たり前だ。
いくら肉親とはいえ、これは許せない。
……詩織ちゃんも言ってくれれば良かったのに。なんで黙ってたんだろう?
その疑問に答えるように、彼女は話を続ける。
「……そういうことが続いて、内心すごく不安でした。それにその女性たちの言葉はその通りだなとは思ったんです。私は恋愛関係の経験が圧倒的に不足してるし、千尋さんを満足させてあげられる自信なんてありません……。だから昨日怖くなったんです」
「詩織ちゃん……。なんで言ってくれなかったの?不安になったって言ってくれれば良かったのに」
「私は今まで一方通行の恋しかしたことがなくって、相手に伝えるという考えが思い浮かばなかったんです。でもさっき響子さんから、付き合うっていうのは話し合ってすり合わせしながら2人で関係を作っていくものだよって言われて。それで初めて話してみようって思ったんです」
彼女の言葉を聞いて、俺もまたあることに気づいた。
彼女が一方通行の恋しかしたことがないというならば、俺は女性経験は多いが本気の相手と付き合ったことがない。
いつも上辺だけの、自分の素を見せない付き合いばかりだった。
つまり、俺たちは2人とも「付き合う」ということに対して初心者なのだ。
母のことや過去の女性関係を隠そうとしていたが、長く付き合っていきたいなら包み隠さず俺も話すべきだったのではないだろうか。
そう思い至り、俺もこれまで話していなかったことを打ち明ける覚悟を決める。
「詩織ちゃん、話してくれてありがとう。……俺の話も聞いてくれる?」
「はい」
「その家に来たって女性………俺の母なんだ」
「えっ?お母さんですか?」
彼女は信じられないと言わんばかり目を剥いている。
まぁ確かにあの母は実年齢よりだいぶ若く見えるから驚くのもしょうがないのかもしれないと、俺は苦笑いだ。
「シングルマザーでさ、俺を育ててくれたのには感謝してるんだけど、昔から男関係が派手でね。そんな母を見て育ったから、女の子のこと心から信じられなくて。どうせすぐ心変わりするんだろうって冷めた気持ちがずっとあった」
「千尋さん……」
「会ったから分かるかもだけど、母はちょっと面倒な人でさ。詩織ちゃんに母の存在を知られたくないなとは正直思った。だから出張後に聞かれた時に誤魔化したんだよね」
「そうだったんですか」
彼女は納得したように頷く。
微妙な親子関係を察したのか俺を気遣うような色が瞳には浮かんでいた。
「まぁそんな育ち方をしたからというのもなんだけど、詩織ちゃんに出会うまでは俺も女性関係は派手だったと思う。さっき言ってたメッセージの子もその時に関係があったことはある。それは事実だから否定しない」
「はい」
「でも今は詩織ちゃんだけにしか興味ないよ。詩織ちゃんに経験が足りないから満足できないなんて感じたことない。むしろ詩織ちゃんしか欲しくない。だから不安になんて思わないでくれる?」
「本当に?物足りないのに我慢とかしてないですか……?」
「詩織ちゃんを抱きたいっていう欲求に対する我慢なら多少してるけど、物足りなさに対する我慢ではないよ?」
ストレートにそう言うと、彼女はテレたような少し俯いた。
髪から覗く耳がほんのり赤く染まっている。
言いたいことを言い合った俺たちの間にはさっきまでの微妙な空気はもうない。
あるのは、お互いへの理解が深まったことによる信頼感だ。
「あのさ、さっき昨夜は心の準備ができてなかったってわけじゃないって言ってたよね……?」
「はい……」
「それなら、抱いていい?詩織ちゃんの心も体も全部愛したい」
「……私も千尋さんのこともっと愛したい、です」
……ヤバイ、可愛すぎる!
心の内を曝け出して伝え合い心の通じた彼女の可愛さはいつも以上だ。
このままベッドに押し倒してしまいたい。
でもここは彼女の実家で、下の階にはお兄さんカップルもいるし、アレの手持ちもない。
「俺たちの家に帰ろうか?」
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