涙溢れて、恋開く。

美並ナナ

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22. 蜜月に昔の影(Side千尋)

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 ……あー、詩織ちゃんが可愛い。可愛すぎる。


コレは最近の俺の心の叫びだ。

彼女と一緒に住むようになって数週間が経った。

この期間で何度このセリフを呟いただろうか。

もはや数えきれない。

2人での生活は順調だ。

最初は家族以外と一緒に暮らすということに少し戸惑っている様子だった彼女もだいぶ慣れてきたようだ。

実家でも家事はしていたようで、その点は初めから特に困っている感じはなかった。

一番彼女が慣れるのに時間を要したのが、寝室が一緒だということだ。

人と同じベッドで一緒に寝るという経験がなかったらしく、ものすごく寝心地が悪そうにモソモソしていた。

その感じが可愛くて可愛くて。

「人と一緒に寝る時はベッドに入ったらまずハグするんだよ」と言えば、素直に毎回教えたとおりに彼女は俺にハグしてくる。

ちょっと悪戯するつもりで冗談っぽく言ったのに信じ込んで従う姿がこれまた可愛い。

もちろん訂正なんてしない。

俺にとってご褒美でしかないからだ。


ある時には彼女の方から、キスのやり方を教えて欲しいと言ってきた。

自分はほとんど経験がなくて不慣れだから、ちゃんと出来るようになりたいという。

「それに千尋さんに喜んで欲しいから」なんて恥ずかしそうに最後付け足して言うもんだから、たまらない。

彼女は俺を悶え殺す気だろうかと思ったくらいだ。


「うーん、やり方か。そう言われると難しいね」

「息は止めてるんですか?息継ぎはいつしたらいいですか?」

「普通に鼻で呼吸するか、唇が離れた時に口で息吸う感じだと思うよ?」

「鼻で呼吸、口で息を吸う……」

まるで勉強する時のように俺が言ったことを反復している姿が可笑しくて、可愛い。

素直で生真面目な性格が現れている。


「やってみる?」

「はい、お願いします」


これまで決して少なくない数の女の子とキスをしたけど、こんな可愛いねだられ方は初めてだ。

ソファーで隣に座る彼女の肩を抱き寄せ、片手で頬に手を添える。

そのまま顔を寄せて彼女の唇に口づけた。

長めに唇を重ねたところ、一生懸命に鼻から息をしようとしているようだ。

唇を離すと、はぁと少し苦しそうに彼女の口からは息が漏れた。

その息づかいがそこはかとなく色っぽい。

「息、できた?」

「たぶんできたと思います。なんとなく感覚がつかめた気がするんで、もう一回してくれますか?」

「うん、もちろん」


今度は少し短めのキスをついばむように繰り返す。

彼女は次第に俺の呼吸やリズムに合わせるように順応していく。


「……詩織ちゃん、口開いて舌出して」


そう言うと、おずおずとしながら彼女はチロリと赤い舌を出した。

唇から覗くその舌に、俺は自身の舌先で触れて遊ぶように舐めたり吸ったり刺激を加える。

驚いてうっすら目を開けた彼女の瞳と視線が絡み合った。


「大丈夫、力入れないで」

「……ん」


思わずというふうに漏れる声に、ますます煽られる。

彼女の反応はいちいち俺を刺激するから困る。


「……もうちょっと、していい?」

「はい……してください」


頷いたのを視界に入れ、今度は開いた口の中に舌を差し込んだ。

口の中を弄るように舌を動かし、彼女の舌と絡める。

柔らかくて温かい彼女の舌の感触が気持ちいい。


「……んっ」


少し苦しそうなくぐもった声が聞こえ、ようやく俺は顔を離した。

彼女の顔を覗き込めば、お風呂上がりのように少し頬に赤みが差し、のぼせたような表情だ。

このまま押し倒してしまいたい欲求をグッと耐え、問いかける。


「ごめん、やりすぎた?大丈夫?」

「大丈夫です。ちょっとビックリしましたけど、勉強になりました。早く慣れますね」

「……慣れたいからって他の人としないでね?」

「ふふっ、そんなことしません」


へにゃりと柔らかく笑う彼女が可愛すぎる。

俺としかしないと当たり前のように言ってくれることも嬉しかった。


 ……あー、詩織ちゃんが可愛い。可愛すぎる。


俺はまた例のセリフを心の中で叫ぶ。

可愛すぎて、大切にしたすぎて、キス以上は安易に手を出せない。

忍耐強さが日に日に鍛えられているようだ。

でもそんな我慢も相手が彼女なら別に嫌じゃないから不思議だ。

これは交際初期だからだろうか。

いや、時間が経っても変わらない気がする。

数ヶ月後も、数年後でも「可愛い、可愛い」と言いながら彼女を愛でて甘やかしている自分の姿がいとも簡単に想像できる。


一緒に暮らし始めて、彼女への想いは加速する一方だ。

まさに蜜月という感じの時間を享受し、俺は心底満たされるのを実感していた。



そんなある日のことだ。

仕事中に同業他社の社長から電話がかかってきた。

以前から付き合いのある、俺より少し年上の男性だ。

以前はよく一緒に飲みに行ったりしていたが、しばらくは連絡をとっていなかった。

「瀬戸くん、久しぶり。元気にしてる?業績は順調みたいだね」

瀧口たきぐちさん、ご無沙汰してます。はい、おかげさまでなんとかやってますよ」

「それは結構、結構。そんなノリに乗ってる瀬戸くんにさ、今度俺の誕生日パーティーやるから来て欲しいんだけど、来れる?」

「誕生日ですか。おめでとうございます。パーティーはいつですか?」

「今週金曜の夜。六本木でやるから瀬戸くんも仕事終わりに寄ってよ」


話しながら横目でパソコンを覗き込みその日のスケジュールを確認する。

特に会社の予定などもなく、日程的には問題はなかった。

あまり気は進まなかったが、瀧口さんは同業他社の先輩社長ということもあり関係性は維持しておきたい。

六本木だから仕事終わりに寄ってと言われると断りづらいのもあった。


「そうですね、分かりました。日時や場所をご連絡頂ければぜひ伺わせて頂きます」

「瀬戸くんが来てくれると盛り上がるから助かるよ。じゃ後でメールするから、よろしくね」


詳細はすぐに送られてきた。

場所は会社のすぐ近くにあるバーだ。

そこを貸し切りにして催されるらしい。


 ……派手なパーティーっぽいな。以前はこういう誘いは女の子を口説いてお持ち帰りするのに最適だったけど、今となっては面倒なだけだなぁ。


パーティーに行く時間があれば、家で詩織ちゃんと過ごしたい。

それが今の俺の偽らざる本音だったが、今回は行かざるを得ないだろう。


詩織ちゃんにも金曜の夜は予定が入ったから遅くなると伝え、その日俺は重い腰を上げてパーティーへ足を運んだ。

パーティー会場であるお店は薄暗く、シックで落ち着いた雰囲気のバーだった。

広々とした空間にソファーがたくさん置かれていて、多くの着飾った男女が思い思いに過ごしている。

見たところ、そこそこ顔の知れている芸能人やスポーツ選手もチラホラ来ているようだった。

クラブほど大音量ではないものの、店内のBGMが大きめなのもあり、身を寄せ合うように会話している。

 ……お祝いだけ言って早めに帰ろ。顔を出せばそれで義理は果たせるだろうし。


さっそくまずは主催者である瀧口さんを探し挨拶をする。


「おー、瀬戸くん!来てくれてホント嬉しいよ」

「瀧口さん、おめでとうございます。これ、誕生日プレゼントです」

「悪いね、ありがとう。今日は可愛い子、いっぱい来てくれてるから瀬戸くんも楽しんでってよ」

「……ええ、はい」

苦笑いする俺には気づかなかった瀧口さんは、近くにいる女の子たちを呼び寄せる。

完璧武装というように隙なく化粧を施した数人の女の子たちが集まってきた。

「瀧口さ~ん、このイケメンどなたですかぁ?」

「瀬戸くんはモンエクの会社の社長さんだよ」

「え~!あのモンエクの~!すごぉーい!」


女優やモデルの卵だという女の子たちは、媚びるような視線を一斉に向けてくる。

さっさと帰ろうと思っていたのに囲まれてしまって身動きが取りづらくなってしまった。

瀧口さんは瀧口さんで、俺に女の子たちを紹介すると「あとは楽しんで」と耳打ちしてすぐに消えてしまった。


「瀬戸さんっておいくつなんですかぁ~?」

「……31ですね」

「社長さんなのに若~い!それに芸能人みたいにカッコいいですね。うちの事務所にいる俳優やアイドルよりイケメン~!」


以前の俺ならこんな会話にも愛想よく笑って、可愛いと相手を褒め、ムードを作っていたことだろう。

今思うとそんなゲーム感覚で女の子を口説くことの何が楽しかったのか自分でもよく分からない。


「なんか千尋くん雰囲気変わった?」

会話という名の身の上調査が交わされる中、ふと女の子のうちの一人が俺をじっと見つめながらそう切り出した。

その物言いは初対面のソレではない。


「え~瑠美るみは瀬戸さんと知り合いなのー?」

「そうだよ。ねぇ、千尋くん?何度も一緒に楽しい夜を過ごしたもんね?最近連絡くれなくて寂しかったよ」


瑠美と呼ばれた子に視線を向けると、確かに見覚えがあった。

何かのパーティーで出会ってその日中にホテルに行き、その後も何度か関係を持った子だった。

顔は覚えていたけど、名前まで正直うろ覚えだ。

 ……そういえば、詩織ちゃんと出会って詩織ちゃんのことが頭から離れない時期にこの子から連絡来て断った記憶があるな。


瑠美という子のあからさまな匂わせ&牽制発言で、他の女の子たちは狙いを俺から他へ移すことにしたらしい。

一人、また一人と、その場から去っていく。

俺もこの流れにのって席を立とうと目論んだ時、一人残っていた瑠美が俺の腕を掴んで引き止めた。

「忙しいって言ってたけど、もう大丈夫?それならまた一緒に楽しい夜を過ごしたいな!」


そのまま腕を絡めてきて、上目遣いで見つめられる。

ダメ押しのように豊満な胸を押しつけられた。

甘い香水の匂いが纏わりついてきて、無意識に顔を顰めてしまう。


「悪いけど、もう連絡しないから忘れてくれる?彼女以外に興味ないから」

「え、どういうこと?」

「言葉通りだよ」


話しながら腕も振り払って立ち上がる。

瀧口さんには挨拶したし、しばらく滞在したからこれで義理は果たせたと判断して帰ることにした。


 ……今後もこういうことありそうだな。自分の過去の行いのせいだから自業自得ではあるけど。


女の子から迫られてこんなに面倒くさいと感じるとは思わなかった。

過去の自分がいかにだらしなかったのか、軽薄な男だったのか思い知るようだ。

穢れを知らない一途で純粋な彼女には知られたくない自分の一面だなと俺はため息を吐いた。
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