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22. 亡き母の想い

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 ……ああ、ダメだわ。悶々とする……。

間近に迫った卒業パーティーで着用するドレスが子爵邸に届き、自室で試着を行っている私は沈んだ表情を顔に滲ませていた。

無心でいようとする努力も虚しく、ふとした時に脳裏でフェリクス様とカトリーヌ様の仲睦まじい姿がよぎり、ジリジリと胸を焦がす。

対処に困る自分の感情にすっかり振り回されていた。

「お嬢様、なんですか、その浮かない顔は。せっかく新調した美しいドレスが台無しですよ?」

「……ええ、そうね」

「それにしてもこのドレスは素晴らしい出来ですね。淡いブルーの色合いとふんだんに使われた繊細なレースが柔らかでお嬢様にとてもお似合いだと思います。パートナーが旦那様なのがもったいないですね。きっと卒業パーティー後、今まで以上に多くの縁談が舞い込みますよ」

私にドレスを着付けてくれているエバは、仕立ての良さに感心しきりで、さっきからあらゆる角度でドレスを眺めている。

そんな素敵なドレスが似合うと褒めてもらえるのは嬉しいが、卒業パーティー後の労苦を思うと心穏やかではいられない。

パーティーには父をパートナーに伴い出席するつもりのため、婚約者や恋人がいないことを対外的に示すことになる。

となると、エバの指摘するようにパーティー後に縁談が来るだろうし、本格的に話が進むことになるだろう。

婚約破棄以降はのらりくらりと逃げて来たが、成人を迎えてしまえばそれがもう許されないことは目に見えている。

祖母が本気で張り切り出すに違いない。

想う人がいるのに他の人と結婚しなければいけないのは非常につらい。

かといってその想う人との未来が描けるわけでもなく、どうしようもなかった。

「……私、久々に城下町へお買い物に行きたいわ。ほら、ドレスに合う装飾品があるかもしれないし。試着が終わったら少し出てくるわね?」

「そういうことでしたら私も同行いたしますよ。お嬢様お一人で外を歩かせるわけにはまいりませんので」

気分が晴れず悶々としていた私は、部屋にいても気持ちが塞がるだけだと思い、気分転換をすることにした。

外の空気に触れれば多少は気も紛れるだろう。

エバがついてくるのは想定内だ。

 ……そうだわ。あそこに行ってみようかしら。

私はドレスの試着を終えると、外出用のワンピースに着替え直し、エバとともに東の城下町へ向かった。

◇◇◇

「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

店内に入ると、小綺麗な制服に身を包んだ店員が笑顔で迎えてくれる。

以前来た時は貸切で非常に静かだったが、今日は数人のお客様がすでにいて、店内で店員と商談をしたりしている。

「いえ、特に決めていないので、少し見て回りたいのだけれどよろしいかしら?」

「もちろんでございます。ご用命があればお声掛けください」

出迎えてくれた店員から離れ、私はエバと店内にあるショーケースの方へ向かった。

ざっと見た感じこの前来た時よりもさらに商品数が増えている気がする。

さすがだなぁと感心していると、エバが足を止め探るような目を私に向けて来た。

「ここはマクシム商会、ですね。お嬢様もしかして知って……」

「アイゼヘルム子爵令嬢、ご無沙汰しております。当マクシム商会への再度のご来店誠にありがとうございます」

エバが口を開いたちょうどその時、私たちの元へ一人の男性が歩み寄って来たことでエバの声は遮られた。

「マクシム商会長、お久しぶりです」

「ア、アイザック坊ちゃま……!」

男性に向けて放たれた私とエバの声が重なる。

エバは商会長を見て目を丸くし、親しげな呼び名を口にした。

母が実家から連れて来たメイドであるエバは、商会長を知っているようだ。

マクシム商会長が母の元恋人であることは以前からほぼ間違いないとは思っていたが、エバの反応で私はその確信を深めた。

「エバさん、数十年ぶりですね。もう坊ちゃまはやめてください。私も良い歳ですので」

「歳を重ねようとも私の中であなたはいつまでもアイザック坊ちゃまですよ。……それにしても驚きましたね。お嬢様、アイザック坊ちゃまと面識がおありなんですか? それに……」

「店内で立ち話もなんですし、場所を移しましょう。普段商談用に使用している応接室へご案内しますよ」

エバからの問いに答えようとしたところで、商会長がスッと言葉を挟み私たちを三階へ案内してくれる。

確かに少々私的すぎる話のため、場所を変えた方が良さそうだ。

通された応接室でソファーに腰を下ろすと、まず私はエバに向かって商会長とはフェリクス様と視察に来た時に会ったという経緯を説明した。

「それにマクシム商会長と母の関係も知っているわ。……マクシム商会長、あなたは私の母とは幼馴染であり、結婚を約束した恋人だったのですね?」

この前フェリクス様と来た時には聞けなかった問いを、私は商会長本人へ投げかけた。

商会長から聞いて欲しそうな雰囲気を感じたからだ。

私の問いに商会長は大きく頷き、懐かしい過去を思い返すようなしみじみとした表情を浮かべる。

「ええ、その通りです。先日貴女あなたに初めてお会いした時は本当に驚きました。オリミナにとてもよく似てらしたので」

「お嬢様は本当にオリミナ様の生き写しのようですからね。アイザック坊ちゃまもさぞ驚かれたことでしょうね」

「エバさんが側にいると余計にオリミナだと錯覚しそうですね」

「坊ちゃま、いくら似ているとはいえ、お嬢様にお手出しは許しませんよ」

「はは。そんな命知らずなことはいたしませんよ。……あの方を敵に回したくはありませんからね」

商会長とエバは昔馴染みらしい軽口で応酬を繰り広げている。

昔はこんな感じのやりとりを母も交えてよくしていたのだろうなぁと思わせる光景だった。

「あの、もしよろしければ昔の母のことを聞かせてもらえませんか? 私は子爵夫人としての母しか知りませんので」

「私は構いませんが。エバさん、よろしいですか?」

「よろしいですよ。お嬢様ももう成人ですからね。お母様の昔の恋を知っても教育上良くないということもないでしょう。では積もる話もあるでしょうから私は席を外させてもらいます。お二人でゆっくりお話になってくださいな」

そう言ってエバは応接室を出て行き、その場は私と商会長だけになる。

商会長は昔を懐かしむようにポツリポツリと母との思い出を話してくれた。

幼馴染だった二人は、物心ついた時から遊びも勉強もいつも一緒だったそうだ。

どちらも商家の生まれだったため、接客や買付の方法など家業に関する学びも切磋琢磨し合っていたらしい。

母はその美貌から店の看板娘として大変な人気を誇り、売り上げにも大きな貢献をしていたという。

「――そんなオリミナを見初めたのが貴女のお父上です。それは私たちの別離を意味していました。……こんなことを貴女に言うのもなんですが、私は当時相当に荒れましてね。商会の跡取りに過ぎないただの平民では抗う力もありませんでした」

「……母も不本意な結婚に苦しんだと思います。本当はマクシム商会長との結婚を夢見ていたはずです。よく母が口にしていたんです。身分違いの結婚は不幸なだけ、身の丈に合った結婚をしなさいと」

「そうですか。私は結局結婚はせず今も独身ですが、その代わり仕事の方は成功を収められたと自負しております。オリミナと話していたセイゲルの品々を仕入れてこの国で売りたいという野望も実現できました。オリミナが早逝したため見せてやれなかったことは悔やまれますが、代わりに彼女の娘である貴女が来店してくださって嬉しく思っていますよ」

商会長の顔に悲壮感はない。

恋人との別離という辛い経験をバネに信念に向かって突き進んできた商会長の精神力の強さを感じた。

 ……私もこんな精神力の強さが欲しいわ。そうすれば今こんなに悶々と悩んでいないのに。

話しながらつい今の自分の不甲斐なさに思い至り、無意識に視線が下がる。

普段から商人として老若男女様々な階級の人々に接している商会長はそんな私の様子に目敏く気付いた。

「何かお悩みですか?」

「……いえ、大したことでは」

「違ったら申し訳ありませんが、もしかしてフェリクス殿下とのご関係でお悩みだったりしませんか?」

「………!!」

図星を突かれて驚いた私は思わずパッと顔を上げ、商会長の顔をマジマジと見てしまう。

フェリクス様のことは一言も口にしていないのになぜ言い当てられたのだろうか。

「すみません、驚かせてしまいましたね。貴女が気に入っていると前にお話になっていたサンキャッチャー、贈り主はフェリクス殿下ですよね? 実はあれは私が殿下におすすめした物なのですよ」

「そ、そうだったんですか」

「贈り物の件もそうですし、視察に来られた時の雰囲気などから、お二人は親しい間柄なのだろうなとは察しておりました。特に殿下の方が貴女にご執心のようにお見受けしますね。殿下から熱心に口説かれて困っているのですか?」

「いえ、そういうことでは……」

言葉を濁しつつも、私はなんだか商会長に話を聞いてもらいたい気分になってくる。

年上で人生経験が豊富な大人であり、なおかつ母の元恋人という点で信頼できると感じたのだ。

「……その、実は恐れ多いのですが、私はフェリクス様を想っていることに最近自覚したのです。でもフェリクス様は王族で、私とは身分が違います。未来がないのです。なのでこの気持ちを今後どうしていけば良いのか分からなくて悩んでいました」

「なるほど、身分差に悩まれているのですね」

「はい。母も平民から子爵家へ嫁入りして大変な苦労をしていました。その実体験から身の丈に合った結婚の重要性をいつも語っていたんです。母の姿を知っているだけに、私にはフェリクス様へ自分の想いを伝える勇気も覚悟もなく……」

「オリミナの教えを非常に重く受け止めてらっしゃるのですね。ただ、今お話を聞いた限り、抜けている要素があるように感じました。……少々お待ちくださいね」

そう言っておもむろに席を立った商会長は、一度応接室を出て行くと、一通の手紙を手に再び戻って来た。

そしてその手紙を私へと差し出す。

「……これは?」

「オリミナから私へ宛てた手紙です。彼女の結婚後、貴女が生まれた頃に一度だけ送られてきました。良かったらご覧ください」

手紙の持ち主である本人から勧められ、私はゆっくりと便箋に目を落とした。

見慣れた母の筆跡が並んでいる。

懐かしい気持ちになりながら一つずつ文字を目で追い始めた。

――――――――――――――――
アイザックへ

 元気にしている? あなたのことだからきっと周りに心配されるくらい仕事に励んでいるのでしょうね。あなたがいればきっとマクシム商会はエーデワルド王国一の商会になるわ。私にはその姿が思い描けるもの。頑張るのはいいけど、くれぐれも身体には気をつけて。

 今日手紙を書いたのはね、どうしてもあなたに報告したいことがあったからなの。私、子供を産んだのよ。女の子なんだけど、ものすごく可愛いの。将来美人になること間違いなしだわ。

 あなたとの結婚が叶わず、失意のもとアイゼヘルム子爵家に嫁いだわけだけど、正直言ってこれまで辛い日々だったわ。平民と貴族では常識が違うことが多くてお義母様からは毎日叱られてばかり。社交界でも元平民ということで馬鹿にされることだってあるの。何度も何度も枕を涙で濡らしたわ。

 でもね、娘が産まれて一変したの。娘のためならどんな苦労も乗り越えられる、そんな気力が湧いてくるのよ。驚きだわ。

 私はね、自分の経験から身分の違う結婚は不幸なだけだと思っているの。身の丈にあった結婚がやっぱり一番よ。娘にもそう言って聞かせるつもり。愛する娘には私のような苦労を背負って欲しくないから。

 ただ、愛する人の存在があればきっとどんな苦労も乗り越えられるとも感じているの。他ならぬ娘がそう私に教えてくれたわ。私はあなたと結婚できなかったけれど、今は娘がいるから強くいられるのよ。

 ごめんなさい、長々と綴ってしまったわね。何が言いたかったかというと、娘が産まれた今、私はとっても幸せよってことが伝えたかったの。たぶんあなたは私のことを心配してくれていると思ったから。いつかもっともっと長い年月が経ってお互いお爺さんお婆さんになった頃にでも二人で人生を振り返りたいわね。その時までお互い頑張りましょうね。 

オリミナ
――――――――――――――――

「………っ」

最後まで手紙を読み終わり、私は胸が震え言葉を詰まらせた。

文面の至る所から母が私に向ける愛が伝わってきて熱いものが込み上げてくる。

「なぜ私がこの手紙を貴女にお見せしたのか分かりましたか? ……オリミナは確かに嫁入り先の子爵家で大変な苦労をしたのでしょう。ですが、娘である貴女がいたから幸せだったのですよ。愛する存在がいれば様々な困難にも立ち向かえるのですよ。彼女の娘なのですから、貴女もきっと同じなのではないですか?」

目頭を熱くする私に商会長は優しい眼差しを向けて、母の気持ちを代弁するようにそう言った。

苦労ばかりで母は不幸だったのだと長年思い込んでいた私にとっては目が覚めるような驚きだった。

 ……私も母のように愛する人が側にいれば強くいられるのかしら。困難も乗り越えられるかしら……?

手紙で母の本当の想いを知ったことで、フェリクス様へ気持ちを伝える勇気も覚悟もなかった私に、少しずつ変化が生まれ始める。

このままでは卒業パーティー後に本格的にどこかの家と縁談が進められてしまう。

その前に、勇気を出して想う人に気持ちだけでも伝えるべきではないだろうか。

「手紙を見せてくださりありがとうございました。私は母を少し誤解していたようです。それが分かって本当に良かったと思っています。改めて感謝申し上げます」

商会長に改めてお礼を伝えると、その後私は一度気持ちを整理しようと思い、外の空気を吸うため一人でお店の外に出た。

といってもお店から離れるわけではなく、大通りに面した店先で佇んでいるだけだ。

エバは私と入れ替わりで商会長と昔話に花を咲かせている。

 ……来た時にはまさかこんな事実を知ることになるとは思わなかったわ。気分転換に城下町へ出て来て本当に良かった。

今の私はマクシム商会へ来た時よりも、随分と心は軽やかになっていた。

晴れ晴れとした気持ちだ。

その時、お店の前の大通りを歩いていた女性が突然その場にうずくまったのが目に入った。

具合が悪いのか手で口元を押さえている。

「大丈夫ですか?」

女性に連れがおらず一人であったため、私は思わず近寄ってハンカチを差し出した。

ハンカチを受け取り、私の手を借りながら、「大丈夫です」と言って立ち上がった女性は、まだ具合が思わしくないのか私の方へフラリとよろける。

その拍子に何かがお腹の辺りに押し当てられる感触がした。

そして突然女性の声色が変わる。

「……シェイラ・アイゼヘルムね。これが何か分かる? ナイフだよ。刺されたくなかったら静かにあたいについてきな。言っておくけど大声を出した瞬間にブスッとやるから」

耳元で囁かれた声はドスのきいた威圧感のあるものだった。

このお腹に当たる感触の正体はナイフらしい。

どうやら私は脅されてるようだと遅ればせながら理解が追いつく。

チラリと周囲に視線を動かすと、周囲の人々は今の事態に全く気付いていない。

女性が絶妙な立ち位置でナイフをあてているせいで、ただ具合の悪い人を介抱しているようにしか見えないのだろう。

 ……名前を知っているということは最初から狙いは私ということ? 計画的な犯行のようね……。

残念ながら対抗できるような良い策も思い付かず、私は大人しくコクリと頷くしかなかったのだった。
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