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21. 思いがけない来訪者(Sideフェリクス)
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「最近シェイラ様とお会いになっていないようですが、よろしいのですか?」
「……ああ、うん。セイゲル語の授業の件も片がついたし、会う理由がなくなったからね」
「理由がなければ作り出すのがいつものフェリクス様では?」
王城内にある王太子用の執務室で、いつものように執務をこなす中、ふいにリオネルが問いかけてきた言葉に僕は苦笑いを浮かべる。
確かにリオネルの指摘する通りだ。
これまでの僕は自ら理由を作り出してシェイラと会う機会を作ってきた。
その様子を側で見ていたリオネルだからこそ疑問に思うのも無理はない。
「ここ最近のフェリクス様は、まるで数年前に戻られたみたいです。楽しげな顔をお見かけすることがなくなりました。退屈そうに日々を過ごしていらっしゃるように見えますね」
なかなか鋭い観察眼だ。
反応に困った僕は「そう?」と軽くはぐらかしながら、書類を捌くペンを動かす。
リオネルは僕がそれ以上何かを話すつもりがないのを察したのか、困ったように小さく溜息を吐くと口を閉ざして目線を書類へと戻した。
……本音を言えば僕だってシェイラに会いたいよ。だけどシェイラ本人が泣くほど嫌がっているんだからさすがに僕の気持ちを押し付けるわけにはいかないしね……。
あの日、学園会議の後、僕に抱きしめられたシェイラが大粒の涙を溢した時には本当に驚いた。
その前に王城で打合せをした際もどこか様子がおかしかったからずっと気になっていた。
体調が優れないと本人は口にしていたが、その時の口調がまるで以前に戻ったかのようでドキリとした。
他人行儀で慇懃な態度は、僕から距離を取りたいと物語るようで、せっかくデートを経て心を開いてくれたと思った矢先だったから戸惑った。
だが、学園会議で顔を合わせた時には、そのおかしな様子は鳴りを潜め、いつも通りのシェイラだった。
セイゲル語の授業についての報告も、しっかり準備してあり、シェイラの努力の跡が見えるようで引き込まれた。
イキイキとした表情で皆の前で報告する姿は、本当に魅力的でいつまでも見つめていられそうだった。
そんな会議の後にシェイラと二人で話がしたくて姿を探したわけだが、彼女は僕たちが最初に言葉を交わした場所――あの庭にいた。
この庭に来るのも実に久しぶりだ。
最初は息抜きの場所として、次第にシェイラを観察して楽しむ場所として、ここ数年よく足を運んでいたこの場所だが、シェイラと直接言葉を交わすようになったこの一年間はほぼ来ていない。
なぜなら、あの場所に行かなくても同じ効果をシェイラから得られるからだ。
つまりシェイラという存在自体が、僕が息抜きできる場所であり、楽しいと思う場所になっている。
「ああ、やっぱりここにいた。探したよ。生徒会長室にもいなかったから、ここかなぁとは思ったけどね」
シェイラの姿を認めるやいなや、切り株に座って一人で寛いでいる様子だったシェイラに僕はすぐに声を掛けた。
会議での様子を見る限りいつも通りだったが、やはり先日の急に距離を取るような態度になったことが気掛かりで、きちんと確認したかったのだ。
顔を覗き込むと、シェイラは恥じらうようにパッと目を逸らす。
うっすら頬に赤みが刺していて、僕に対して照れているように見えた。
……可愛い。抱きしめたい。
この時、こんな衝動に負けて僕は寒そうにしているシェイラを「温めてあげる」という口実で思わず抱きしめてしまった。
そんな唐突な言動がいけなかったのだろうか。
シェイラの柔らかい身体を腕の中に囲いながら、僕は会議での様子が素晴らしかったことを褒めた。
すると、次の瞬間、シェイラの澄んだ水色の瞳から涙が溢れ始めたのだ。
堰を切ったようにポロポロと瞼から筋を引いて涙がこぼれていく。
これには心臓が止まるかと思うほど驚いた。
嬉し涙というには無理がある表情を見て、「ああ嫌だったんだな」と悟ってしまった。
現に泣くほど僕に触れるのが嫌だったのかと問えば、シェイラは言葉を詰まらせた。
そして結局何も口にせず、唇をキュッと引き結んだだけだった。
……ああ、やっぱり心を許してくれなかった頃のシェイラに戻ったみたいだ。
ずっとシェイラが僕に嫌われようとして色々仕掛けてきていたのは知っていた。
だけど、まさか泣くほど苦しんでいるのだとは思わなかった。
いや、思いたくなかっただけだ。
それを認めてしまえばシェイラと関われなくなってしまうのだから。
「誤解だ」「違う」などなにか一言でも否定する言葉をくれないかと期待したが、シェイラは黙ってただ涙を流すだけだった。
その表情は何かに耐えるような苦しげなもので、それほど自分がシェイラに無理をさせていたのだと実感した。
そんな出来事があったのだから、たとえシェイラに会いたくても会いに行けるはずがない。
それはシェイラを苦しめる行為なわけで、苦しめるのは僕の本意ではないからだ。
……どう足掻いてもシェイラの心は手に入らないんだな。
その事実には打ちのめされた。
無敵王子と呼ばれることもある僕は、生まれながらにして多くのことに恵まれ、これまでなんでも労せず手に入れることができた。
王族という立場ゆえに大抵の物は得られるし、集中して鍛錬を積めば剣の腕も人並み以上になれたし、大概のものはサッと本に目を通せば理解できたのだ。
さほど努力せずとも何でも手に入れてきた自負があるが、本当に欲しいものが手に入らないとは皮肉なものだ。
……これからどうすればいいんだろう……? 僕が近づけば近づくほど苦しめてしまうのなら、諦めるしかない?
でも諦め方が分からない。
人は欲しいと思ったものが手に入らなかった時、どうやって気持ちの折り合いをつけるのだろうか。
シェイラへの想いに整理がつくとは思えないし、放っておいたら消えるとも思えない。
他の誰かに心変わりするなんてことこそ絶対ないだろう。
……じゃあ一体どうしたら……?
ただでさえここ数週間シェイラの顔を見れなくて心が荒んでいるというのに、答えの出ない問いに頭がおかしくなりそうだ。
書類に視線を落としながら、つい盛大な溜息を吐いてしまった。
じとっとした眼差しのリオネルの目がこちらに向く。
その時だ。
いきなり執務室の扉がバンとうるさく開け放たれ、予想外の人物が中に飛び込んできた。
僕の執務室に来ることなど初めてではないだろうか。
ウェーブのかかった豊かな髪を振り乱し、その人物は脇目も振らず僕のデスクまで来ると、ドンっと机に手をついた。
「ちょっとどうなっているのか説明してくださるかしら?」
「マルグリット、ノックもなしに入ってくるなんて無作法じゃないか」
「あら? 以前同じことをどなたかがされていたと記憶していますが? わたくしは真似しただけですわよ?」
ハンッと鼻で笑いながらマルグリットは挑戦的な目を投げかけてくる。
確かに以前僕がノックなしに生徒会長へ押し掛けたことがあったが、それも随分と前の話だ。
それを今になって持ち出してくるとは、やはりマルグリットは底意地が悪い。
……それにしても何の用だ? マルグリットがわざわざ王城の執務室まで訪ねてくるなんて。
なにかしら重要な用件があるのだろうことは態度から察せられた。
なにしろこの部屋の中にリオネルがいるというのに、そちらをチラリとも見ようとしない。
そのことからマルグリットの本気度が窺える。
真っ直ぐに僕を見据える目が不満と怒りを帯びていた。
「それでマルグリットは僕に何の用かな? 何を説明して欲しいの?」
「シェイラのことですわ」
マルグリットが放ったただその一言で僕の意識が一瞬にして切り替わる。
先程まで適当にあしらう気満々だったのに、一転して真剣な目でマルグリットを見つめ返した。
「わたくしは怒っているの。あなたがわたくしのお友達を悲しませるのだもの」
「僕がシェイラを悲しませてる……? 何の話?」
「ストラーテン侯爵令嬢と随分仲良くしているようですわね? あちらこちらで噂になってますわよ」
「……ああ、そのことね。別に仲良くはしてないけど。一方的に纏わりつかれているだけ」
「でもいつものあなたならそういう女は軽くあしらって以後関わり合いにならないでしょう? それなのにストラーテン侯爵令嬢へは随分甘い対応ですこと。王城への日参を許し、噂になるなど脇が甘いのではなくて?」
やや痛いところを突かれ、ぐっと言葉に詰まる。
脇が甘いのは否定できない。
噂になってしまったのは僕にも瑕疵がある。
あまりに煩わしくて投げやりになっていたゆえのことであるのは否めない。
だが、別に対応を甘くしているわけではない。
それはこちらにも言い分がある。
「好き勝手言ってくれるね。こちらにも理由があるんだよ。わざとそうしてるってわけ」
「ワザとですって? 一体どんな理由があるのかぜひお聞かせ願いたいわね。シェイラを悲しませるに値する内容なのかしら?」
「まあマルグリットに知られたところで困らないから教えてあげるよ。端的に言うと様子見だ。どうやらカトリーヌ嬢はシェイラに対して相当歪んだ感情を抱えているようでね。諜報部に探らせたところ、よからぬ者と接触の兆しがあることが分かったんだよ。だから監視しつつ油断させて尻尾を掴もうとしてる」
「つまりシェイラを守るため、だと?」
「そういうこと」
マルグリットは僕の言葉を吟味するように黙り込んでなにやら考えを巡らせている。
どうやらこちらの言い分は伝わったようだ。
だが、逆にこちらからも聞きたいことがある。
「さっきからマルグリットは僕がシェイラを悲しませているって発言してるけど、それどういう意味? ……シェイラに拒絶されて落ち込んでるのは僕の方なんだけど」
「えっ? シェイラに拒絶されたですって?」
「そうだよ。泣くほど僕のことが嫌いみたい」
思わずポロリと泣き言を漏らせば、マルグリットは信じられないと目を見開いた。
そして今度は馬鹿にするような目を向けてくる。
「あなたがこんなに女心に鈍い頭の弱い方だとは思わなかったわ。無敵王子などと呼ばれているくせに肝心なことには気付かないのですわね」
「……ひどい言いようだね。僕が何に気付いていないって?」
「シェイラの気持ちですわ。なぜ分かりませんの? シェイラはあなたのことを想っているのですわよ!」
「………………え?」
マルグリットの口から放たれた衝撃的な台詞に僕は目を見張る。
驚きすぎて王太子らしからぬあまりにも間抜けな声が漏れてしまった。
そんな僕の様子に構うことなく、勢いづいたマルグリットはさらに言い加える。
「先程わたくしに聞きましたわよね? シェイラがなぜ悲しんでいるのかって。そんなの分かりきったことではございませんこと? 好きな殿方とストラーテン侯爵令嬢が仲睦まじくしているのを噂で聞いたり、実際に目にして、悲しんでいるのですわよ」
「な……。というか今実際に目にしたって言った?」
「ええ。シェイラによるとお二人が応接室へ消えて行くのを目の前で目撃したらしいですわよ。本当に脇の甘いことですこと」
もしかして王城に打合せに来た時のことだろうか。
……だからあの日シェイラの様子がおかしかった? 僕とカトリーヌ嬢の姿を見て動揺して……?
本当にシェイラも僕を想ってくれているというのが事実なら嬉しすぎてたまらない。
だが、まだ手放しには喜べない。
「でもシェイラは泣くほど僕が嫌いなんだよ? だからこれ以上シェイラを苦しめないために、あえて距離を置くようにしてるくらいだし……」
「なぜシェイラが泣いたのかはわたくしにも正確には分かりませんわ。でも推測することくらいは可能ですのよ」
「推測?」
「ええ。それこそカトリーヌ嬢との仲を嫉妬して苦しさから涙が出たですとか。あとはあなたに好意を抱いたこと自体に悩んでいる様子でしたから感情が乱れただけかもしれませんわよ?」
「そんな、まさか……」
「そもそもその時シェイラからハッキリ嫌いだと言われたんですの? あなたの勘違いの可能性が濃厚だと思いますわよ」
僕には理解できなかったシェイラの心情を淡々とマルグリットは紐解いていく。
最後に誤解ではないかと言われた時には隠しきれない歓喜が訪れた。
……じゃあ僕が今まで通りシェイラに近づいても苦しめることはない? シェイラを諦めなくていいってこと?
先程まで悩んでいたことに解決の糸口が示され、途端に目の前が明るく開けた気がする。
それをもたらしたのがマルグリットという点が癪ではあるが、感謝せざるを得ない。
「あら、少しは見れる顔になったではありませんこと。その調子でわたくしのお友達であるシェイラを悲しませないようにお願いしますわね」
「ああ、分かったよ。助言に感謝する」
「少々わたくしも興奮しておりましたようで、勢い余ってシェイラの気持ちを暴露してしまいましたわ。……なのでその点はわたくしが話したことは秘密ですわよ? 推測の部分もありますからご自分できちんとシェイラから気持ちを聞いてくださいな」
どうやらマルグリットは多少喋りすぎたと反省しているらしい。
今回は喝を入れてもらったことに感謝して秘密は守ることにしよう。
シェイラ本人の口から気持ちが聞きたいのは僕も同じなのだから。
「リオネル、悪いんだけど僕は出てくる。戻ってから残りの執務は必ずやるから残しておいて。あとマルグリットのことよろしくね」
今すぐシェイラに会いたい気持ちに駆られた僕は席を立ち上がる。
マルグリットへは謝礼も兼ねてリオネルとの時間を贈ることにした。
「お待ちください、フェリクス様。今しがた諜報部から連絡が入りました。……“動きあり”とのことです」
だが、浮かれ気味だった気持ちがリオネルから告げられたこの一言で一気に引き締まる。
僕は諜報部からの連絡内容を確認すると、シェイラのもとへ急ぐべく執務室を飛び出した。
「……ああ、うん。セイゲル語の授業の件も片がついたし、会う理由がなくなったからね」
「理由がなければ作り出すのがいつものフェリクス様では?」
王城内にある王太子用の執務室で、いつものように執務をこなす中、ふいにリオネルが問いかけてきた言葉に僕は苦笑いを浮かべる。
確かにリオネルの指摘する通りだ。
これまでの僕は自ら理由を作り出してシェイラと会う機会を作ってきた。
その様子を側で見ていたリオネルだからこそ疑問に思うのも無理はない。
「ここ最近のフェリクス様は、まるで数年前に戻られたみたいです。楽しげな顔をお見かけすることがなくなりました。退屈そうに日々を過ごしていらっしゃるように見えますね」
なかなか鋭い観察眼だ。
反応に困った僕は「そう?」と軽くはぐらかしながら、書類を捌くペンを動かす。
リオネルは僕がそれ以上何かを話すつもりがないのを察したのか、困ったように小さく溜息を吐くと口を閉ざして目線を書類へと戻した。
……本音を言えば僕だってシェイラに会いたいよ。だけどシェイラ本人が泣くほど嫌がっているんだからさすがに僕の気持ちを押し付けるわけにはいかないしね……。
あの日、学園会議の後、僕に抱きしめられたシェイラが大粒の涙を溢した時には本当に驚いた。
その前に王城で打合せをした際もどこか様子がおかしかったからずっと気になっていた。
体調が優れないと本人は口にしていたが、その時の口調がまるで以前に戻ったかのようでドキリとした。
他人行儀で慇懃な態度は、僕から距離を取りたいと物語るようで、せっかくデートを経て心を開いてくれたと思った矢先だったから戸惑った。
だが、学園会議で顔を合わせた時には、そのおかしな様子は鳴りを潜め、いつも通りのシェイラだった。
セイゲル語の授業についての報告も、しっかり準備してあり、シェイラの努力の跡が見えるようで引き込まれた。
イキイキとした表情で皆の前で報告する姿は、本当に魅力的でいつまでも見つめていられそうだった。
そんな会議の後にシェイラと二人で話がしたくて姿を探したわけだが、彼女は僕たちが最初に言葉を交わした場所――あの庭にいた。
この庭に来るのも実に久しぶりだ。
最初は息抜きの場所として、次第にシェイラを観察して楽しむ場所として、ここ数年よく足を運んでいたこの場所だが、シェイラと直接言葉を交わすようになったこの一年間はほぼ来ていない。
なぜなら、あの場所に行かなくても同じ効果をシェイラから得られるからだ。
つまりシェイラという存在自体が、僕が息抜きできる場所であり、楽しいと思う場所になっている。
「ああ、やっぱりここにいた。探したよ。生徒会長室にもいなかったから、ここかなぁとは思ったけどね」
シェイラの姿を認めるやいなや、切り株に座って一人で寛いでいる様子だったシェイラに僕はすぐに声を掛けた。
会議での様子を見る限りいつも通りだったが、やはり先日の急に距離を取るような態度になったことが気掛かりで、きちんと確認したかったのだ。
顔を覗き込むと、シェイラは恥じらうようにパッと目を逸らす。
うっすら頬に赤みが刺していて、僕に対して照れているように見えた。
……可愛い。抱きしめたい。
この時、こんな衝動に負けて僕は寒そうにしているシェイラを「温めてあげる」という口実で思わず抱きしめてしまった。
そんな唐突な言動がいけなかったのだろうか。
シェイラの柔らかい身体を腕の中に囲いながら、僕は会議での様子が素晴らしかったことを褒めた。
すると、次の瞬間、シェイラの澄んだ水色の瞳から涙が溢れ始めたのだ。
堰を切ったようにポロポロと瞼から筋を引いて涙がこぼれていく。
これには心臓が止まるかと思うほど驚いた。
嬉し涙というには無理がある表情を見て、「ああ嫌だったんだな」と悟ってしまった。
現に泣くほど僕に触れるのが嫌だったのかと問えば、シェイラは言葉を詰まらせた。
そして結局何も口にせず、唇をキュッと引き結んだだけだった。
……ああ、やっぱり心を許してくれなかった頃のシェイラに戻ったみたいだ。
ずっとシェイラが僕に嫌われようとして色々仕掛けてきていたのは知っていた。
だけど、まさか泣くほど苦しんでいるのだとは思わなかった。
いや、思いたくなかっただけだ。
それを認めてしまえばシェイラと関われなくなってしまうのだから。
「誤解だ」「違う」などなにか一言でも否定する言葉をくれないかと期待したが、シェイラは黙ってただ涙を流すだけだった。
その表情は何かに耐えるような苦しげなもので、それほど自分がシェイラに無理をさせていたのだと実感した。
そんな出来事があったのだから、たとえシェイラに会いたくても会いに行けるはずがない。
それはシェイラを苦しめる行為なわけで、苦しめるのは僕の本意ではないからだ。
……どう足掻いてもシェイラの心は手に入らないんだな。
その事実には打ちのめされた。
無敵王子と呼ばれることもある僕は、生まれながらにして多くのことに恵まれ、これまでなんでも労せず手に入れることができた。
王族という立場ゆえに大抵の物は得られるし、集中して鍛錬を積めば剣の腕も人並み以上になれたし、大概のものはサッと本に目を通せば理解できたのだ。
さほど努力せずとも何でも手に入れてきた自負があるが、本当に欲しいものが手に入らないとは皮肉なものだ。
……これからどうすればいいんだろう……? 僕が近づけば近づくほど苦しめてしまうのなら、諦めるしかない?
でも諦め方が分からない。
人は欲しいと思ったものが手に入らなかった時、どうやって気持ちの折り合いをつけるのだろうか。
シェイラへの想いに整理がつくとは思えないし、放っておいたら消えるとも思えない。
他の誰かに心変わりするなんてことこそ絶対ないだろう。
……じゃあ一体どうしたら……?
ただでさえここ数週間シェイラの顔を見れなくて心が荒んでいるというのに、答えの出ない問いに頭がおかしくなりそうだ。
書類に視線を落としながら、つい盛大な溜息を吐いてしまった。
じとっとした眼差しのリオネルの目がこちらに向く。
その時だ。
いきなり執務室の扉がバンとうるさく開け放たれ、予想外の人物が中に飛び込んできた。
僕の執務室に来ることなど初めてではないだろうか。
ウェーブのかかった豊かな髪を振り乱し、その人物は脇目も振らず僕のデスクまで来ると、ドンっと机に手をついた。
「ちょっとどうなっているのか説明してくださるかしら?」
「マルグリット、ノックもなしに入ってくるなんて無作法じゃないか」
「あら? 以前同じことをどなたかがされていたと記憶していますが? わたくしは真似しただけですわよ?」
ハンッと鼻で笑いながらマルグリットは挑戦的な目を投げかけてくる。
確かに以前僕がノックなしに生徒会長へ押し掛けたことがあったが、それも随分と前の話だ。
それを今になって持ち出してくるとは、やはりマルグリットは底意地が悪い。
……それにしても何の用だ? マルグリットがわざわざ王城の執務室まで訪ねてくるなんて。
なにかしら重要な用件があるのだろうことは態度から察せられた。
なにしろこの部屋の中にリオネルがいるというのに、そちらをチラリとも見ようとしない。
そのことからマルグリットの本気度が窺える。
真っ直ぐに僕を見据える目が不満と怒りを帯びていた。
「それでマルグリットは僕に何の用かな? 何を説明して欲しいの?」
「シェイラのことですわ」
マルグリットが放ったただその一言で僕の意識が一瞬にして切り替わる。
先程まで適当にあしらう気満々だったのに、一転して真剣な目でマルグリットを見つめ返した。
「わたくしは怒っているの。あなたがわたくしのお友達を悲しませるのだもの」
「僕がシェイラを悲しませてる……? 何の話?」
「ストラーテン侯爵令嬢と随分仲良くしているようですわね? あちらこちらで噂になってますわよ」
「……ああ、そのことね。別に仲良くはしてないけど。一方的に纏わりつかれているだけ」
「でもいつものあなたならそういう女は軽くあしらって以後関わり合いにならないでしょう? それなのにストラーテン侯爵令嬢へは随分甘い対応ですこと。王城への日参を許し、噂になるなど脇が甘いのではなくて?」
やや痛いところを突かれ、ぐっと言葉に詰まる。
脇が甘いのは否定できない。
噂になってしまったのは僕にも瑕疵がある。
あまりに煩わしくて投げやりになっていたゆえのことであるのは否めない。
だが、別に対応を甘くしているわけではない。
それはこちらにも言い分がある。
「好き勝手言ってくれるね。こちらにも理由があるんだよ。わざとそうしてるってわけ」
「ワザとですって? 一体どんな理由があるのかぜひお聞かせ願いたいわね。シェイラを悲しませるに値する内容なのかしら?」
「まあマルグリットに知られたところで困らないから教えてあげるよ。端的に言うと様子見だ。どうやらカトリーヌ嬢はシェイラに対して相当歪んだ感情を抱えているようでね。諜報部に探らせたところ、よからぬ者と接触の兆しがあることが分かったんだよ。だから監視しつつ油断させて尻尾を掴もうとしてる」
「つまりシェイラを守るため、だと?」
「そういうこと」
マルグリットは僕の言葉を吟味するように黙り込んでなにやら考えを巡らせている。
どうやらこちらの言い分は伝わったようだ。
だが、逆にこちらからも聞きたいことがある。
「さっきからマルグリットは僕がシェイラを悲しませているって発言してるけど、それどういう意味? ……シェイラに拒絶されて落ち込んでるのは僕の方なんだけど」
「えっ? シェイラに拒絶されたですって?」
「そうだよ。泣くほど僕のことが嫌いみたい」
思わずポロリと泣き言を漏らせば、マルグリットは信じられないと目を見開いた。
そして今度は馬鹿にするような目を向けてくる。
「あなたがこんなに女心に鈍い頭の弱い方だとは思わなかったわ。無敵王子などと呼ばれているくせに肝心なことには気付かないのですわね」
「……ひどい言いようだね。僕が何に気付いていないって?」
「シェイラの気持ちですわ。なぜ分かりませんの? シェイラはあなたのことを想っているのですわよ!」
「………………え?」
マルグリットの口から放たれた衝撃的な台詞に僕は目を見張る。
驚きすぎて王太子らしからぬあまりにも間抜けな声が漏れてしまった。
そんな僕の様子に構うことなく、勢いづいたマルグリットはさらに言い加える。
「先程わたくしに聞きましたわよね? シェイラがなぜ悲しんでいるのかって。そんなの分かりきったことではございませんこと? 好きな殿方とストラーテン侯爵令嬢が仲睦まじくしているのを噂で聞いたり、実際に目にして、悲しんでいるのですわよ」
「な……。というか今実際に目にしたって言った?」
「ええ。シェイラによるとお二人が応接室へ消えて行くのを目の前で目撃したらしいですわよ。本当に脇の甘いことですこと」
もしかして王城に打合せに来た時のことだろうか。
……だからあの日シェイラの様子がおかしかった? 僕とカトリーヌ嬢の姿を見て動揺して……?
本当にシェイラも僕を想ってくれているというのが事実なら嬉しすぎてたまらない。
だが、まだ手放しには喜べない。
「でもシェイラは泣くほど僕が嫌いなんだよ? だからこれ以上シェイラを苦しめないために、あえて距離を置くようにしてるくらいだし……」
「なぜシェイラが泣いたのかはわたくしにも正確には分かりませんわ。でも推測することくらいは可能ですのよ」
「推測?」
「ええ。それこそカトリーヌ嬢との仲を嫉妬して苦しさから涙が出たですとか。あとはあなたに好意を抱いたこと自体に悩んでいる様子でしたから感情が乱れただけかもしれませんわよ?」
「そんな、まさか……」
「そもそもその時シェイラからハッキリ嫌いだと言われたんですの? あなたの勘違いの可能性が濃厚だと思いますわよ」
僕には理解できなかったシェイラの心情を淡々とマルグリットは紐解いていく。
最後に誤解ではないかと言われた時には隠しきれない歓喜が訪れた。
……じゃあ僕が今まで通りシェイラに近づいても苦しめることはない? シェイラを諦めなくていいってこと?
先程まで悩んでいたことに解決の糸口が示され、途端に目の前が明るく開けた気がする。
それをもたらしたのがマルグリットという点が癪ではあるが、感謝せざるを得ない。
「あら、少しは見れる顔になったではありませんこと。その調子でわたくしのお友達であるシェイラを悲しませないようにお願いしますわね」
「ああ、分かったよ。助言に感謝する」
「少々わたくしも興奮しておりましたようで、勢い余ってシェイラの気持ちを暴露してしまいましたわ。……なのでその点はわたくしが話したことは秘密ですわよ? 推測の部分もありますからご自分できちんとシェイラから気持ちを聞いてくださいな」
どうやらマルグリットは多少喋りすぎたと反省しているらしい。
今回は喝を入れてもらったことに感謝して秘密は守ることにしよう。
シェイラ本人の口から気持ちが聞きたいのは僕も同じなのだから。
「リオネル、悪いんだけど僕は出てくる。戻ってから残りの執務は必ずやるから残しておいて。あとマルグリットのことよろしくね」
今すぐシェイラに会いたい気持ちに駆られた僕は席を立ち上がる。
マルグリットへは謝礼も兼ねてリオネルとの時間を贈ることにした。
「お待ちください、フェリクス様。今しがた諜報部から連絡が入りました。……“動きあり”とのことです」
だが、浮かれ気味だった気持ちがリオネルから告げられたこの一言で一気に引き締まる。
僕は諜報部からの連絡内容を確認すると、シェイラのもとへ急ぐべく執務室を飛び出した。
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