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16. 小さな違和感
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「マルグリット様、18歳のお誕生日おめでとうございます!」
冬でも色鮮やかな花々が美しく咲き誇る公爵家の温室で、今日はマルグリット様のお誕生日を祝うお茶会が催されていた。
招待を受け初めて訪れたフェルベルネ公爵家は、王城から程近い王都の一等地に建っており、子爵邸とは比べ物にならぬほどの大きな邸宅だった。
建物を一目見ただけで、権威と資金力が桁違いであることは容易に窺い知れ、さすが筆頭公爵家だと唸らされる。
案内された温室もこれまたスゴイものだった。
天井が高く開放感のある広々とした空間であり、その温室内には手をかけて育てられた美しい花々が咲き誇っている。
邸宅内にこれほどの温室があることにも驚かされるが、冬でも花々を楽しめる状態を維持するには相当なお金が投入されていることだろう。
この温室の維持費だけで、アイゼヘルム子爵家の邸宅がもう一つ購入できるのではないかと思えてくる。
やはり家格の差というのは、暮らしぶりに大きな違いをもたらすのだなと改めて実感した。
身分違いの結婚は苦労するという母の言葉は実に正しい。
やはり身の丈に合った結婚が一番だ。
「シェイラ、今日はわざわざ来てくれてありがとう。とても嬉しいわ。面識がない方も多くて気疲れしているのではない? 少しこちらにいらっしゃい」
主催者として出席している令嬢達のもとを回っていたマルグリット様は、最後に私のテーブルへとやって来た。
気遣うように声を掛けてくれた上に、温室の隣に用意された休憩室へと案内してくれる。
マルグリット様の言う通り、辺境伯家以上の令嬢が中心である他の出席者は私にとって初対面の方が多く、とても緊張が続いていたので正直その心遣いがとてもありがたかった。
「本当はシェイラと二人で気楽なお茶会を楽しみたかったのだけど、フェルベルネ公爵家の娘としてはこういう社交もこなさなくてはならないのよ。上辺だけのお付き合いや腹の探り合いは疲れるわ」
他に人がいない休憩室に入った途端、マルグリット様は不本意さを顔に滲ませながらため息を吐いた。
先程までの優雅で気品あふれる姿が取り払われ、感情をまっすぐ現すとても人間らしい姿に早変わりする。
「公爵令嬢も大変なのですね」
「ええ、そうなのよ。身分が高いっていうだけで注目されるし、嫉みや恨みを受けることもあるし、隙あらば失墜させようと画策する者もいるし、取り入ろうとしてくる者もいるし……とにかく気が抜けないわ」
切実な響きを宿す声に、マルグリット様の苦悩が窺える。
身分が高いというのも良いことばかりではなく、私には想像もできない苦労があるようだ。
「ところで、先日久々に夜会に出席したのだけど、その際に面白いことを耳にしたのよ。ねえ、シェイラ? あなたあの男とデートしたんですって?」
「………!」
「どうして教えてくれなかったのよぉ。以前はあの男から逃げようとしていたのに、何か心境の変化でもあったのかしら? その辺りぜひシェイラの口から聞きたいわ」
疲れた様子だったかと思えば、マルグリット様はすっかり元気を取り戻したようだ。
今度はイキイキとした表情に様変わりしている。
まるでリオネル様のことを話題にしている時のように、実に楽しげに目を輝かせていた。
「いえ、あの、フェリクス様と城下町へ出掛けたのは事実ですけれど、デートではなくただの視察です……! セイゲル語の授業の件で、マクシム商会を見に行っただけです」
「あら、そうなの? 夜会では二人がナチュールパークを仲睦まじく散策していたって噂になっていたわよ? それにあの男も否定していなかったけど?」
異性避けに最適なため、昔から夜会などではお互いの存在を利用し合っているらしいマルグリット様とフェリクス様は、その夜会でもパートナーとして一緒に出席していたそうだ。
その際、マルグリット様が隣にいるにも関わらず、勇敢にもフェリクス様に噂の真意を直接聞きに来る令嬢がいたのだという。
フェリクス様はただにこやかに笑みを返すだけで明確に否定はせず、それゆえ無言の肯定だとその場にいた者は認識したらしい。
「あの男ったらやけに機嫌が良くて、隣にいてとても気持ち悪かったわ。いつもの張り付いた笑顔も胡散臭くて寒気を感じていたけれど、あの男の上機嫌なにこにこした顔はそれ以上に薄ら寒かったわね」
相変わらずマルグリット様がフェリクス様を評する時の言葉は辛辣だ。
その時の様子を思い出したのか、嫌そうに顔まで顰めている。
「ああ、それからもう一つ気になったことがあったのだったわ。シェイラの元婚約者ってバッケルン公爵子息だったわよね?」
「……はい。そうです」
続いてマルグリット様の口から飛び出した人物の名前を聞いて、嫌な予感がよぎる。
先日王城で顔を合わせた時に妙に馴れ馴れしく頬に触れられて不快だったことは記憶に新しい。
「その夜会は侯爵家以上の貴族が参加条件だったから彼もその場に新しい婚約者と出席していたのよ。だけど、随分と険悪な雰囲気だったわ。バッケルン公爵子息がシェイラとやり直したがっているという噂も囁かれていたわよ? あなたにもその気があると口にする者もいたのだけど……本当なの?」
「えっ、そんな噂があるのですか……!?」
私の知らぬところでずいぶんと勝手な噂が広まっているようだ。
あれほど相思相愛の様子だったギルバート様とカトリーヌ様が険悪な雰囲気だったということにも驚きである。
……確かに先日もギルバート様はカトリーヌ様への不満を口にしていたけれど、マルグリット様から見ても険悪だと感じるくらいに関係が悪化しているなんて。
さすがにそう簡単に婚約を解消するようなことはないと思うが、また私の意思とは裏腹になにかしら巻き込まれそうな予感がして身震いがする。
「その様子ならシェイラにその気は全くなさそうね。もし万が一バッケルン公爵子息から妙なちょっかいを掛けられたらわたくしに遠慮なく言いなさいね? そういう時にこそ普段は煩わしい筆頭公爵家という威光を使わなければね」
「マルグリット様……! ありがとうございます!」
なんて心強い言葉だろうか。
持つべきものは頼りになる同性の友だ。
「それにしても自分から婚約破棄をしておいて、やり直したいだなんて勝手なことよね。まあ、新たな婚約者があれではそう思うのも仕方がないけれど」
「あれ、ですか? カトリーヌ様のことですよね?」
「ええ、そうよ。カトリーヌとかいう女、夜会でも随分と厚顔無恥な振る舞いをしていたわよ。婚約者と共に参加している場であるにも関わらず、あの男に執心な様子であからさまに言い寄っていたもの」
「そう、なんですか……」
その話を聞いてなんだか胸がザワリとした。
なぜかは分からない。
ただ、なんとなく胸がモヤモヤするような感じがした。
……カトリーヌ様はギルバート様に心変わりを促すほど女性として魅力的な方だもの。フェリクス様もそんな方にアプローチされれば心が動くに違いないわね。
積極的に迫るような女性が嫌いと聞いていたフェリクス様だったけど、この数ヶ月間の経験からそれは誤情報だったと私は思っている。
全く不快に感じている様子はなかったし、むしろどことなく嬉しそうだった。
自ら私の色仕掛けを上回るようなことをやり返されたくらいだ。
……そんなフェリクス様がカトリーヌ様から積極的に言い寄られたら、嫌がるどころかきっと嬉しいと思うはずだわ。
私に好意を持ってくださっていたのかもしれないが、それも簡単に心変わりするだろう。
実際にギルバート様がそうだった。
それに家柄が良く可憐なカトリーヌ様は私と比べるまでもなくフェリクス様により相応しい方だ。
実質的な婚約者であるマルグリット様との実際の関係を知っているからこそ、いつか本当のお相手をフェリクス様が選ぶ必要性も分かっている私は、尚更そう思う。
……嫌われなければいけない私にとっては願ってもない展開じゃない。もっと喜んで然るべきなのに……なぜこんなに心がモヤモヤするの? なんだかおかしいわ。
「マルグリット様、そろそろ温室へお戻りください。皆様がお探しになっています」
どうにも不可解な自分の心を持て余していると、ちょうどその時キャシーが休憩室へやって来てマルグリット様へ声を掛けた。
「あら、本当? どうやらシェイラとのお喋りが楽しくて思った以上に長居してしまったわね。シェイラ、そろそろ戻りましょうか? 話し足りないけど、それはまた学園の生徒会長室でね」
「はい。その時はリオネル様のお話をいたしましょう」
「もう、シェイラってば。ふふ、そうね」
マルグリット様と私はその場を立ち上がり、温室のお茶会へと足を向ける。
お茶会に戻った私を待ち受けていたのは、親交の薄い方々との会話という気を張る時間だ。
それにより、先程感じた不可解さはすっかり意識の外に追い出されていた。
だが、この心に燻った小さな違和感は、数日後に大きく芽吹くことになる。
◇◇◇
「お久しぶりですね、シェイラ様。今日の場所は応接室ではなくサロンとのことです。ご案内させて頂きますね。どうぞこちらへ」
セイゲル語の授業の打合せで王城を訪れた私を、衛兵が笑顔で迎えてくれた。
これまで何度か打合せを重ねていて、こうして王城に来ることもあったため、何人かの門番や衛兵とは顔見知りになってきているのだ。
授業の件はもう最終段階に入っている。
来年からの開講に向けて、授業内容や使う教材、教える教師の調整はほぼ終わっており、今は細かい最終確認をしている状態だ。
定期的に行っていたフェリクス様との打合せも残すところあと1~2回だろう。
これでようやくフェリクス様と顔を合わせる必要性はなくなる。
関わり合いたくない私にとって待ち望んだ時がまもなくやってくるのだ。
だというのに、それを考えた瞬間、なぜだか胸がチクリとした。
……あれ? 今なんだか変な感じがしたわ。この前も胸に違和感があったような……?
もしや何かの病気だろうか。
でもそこで別の可能性にも思い至る。
……フェリクス様に会うのはこの前の視察以来だわ。もしかして私、多少緊張しているのかしら? うん、きっとそうね。
あの日の復路での出来事を思えば、私の心に動揺が走るのも無理はない。
あの日の私はおかしかったのだから。
「最近寒い日が続きますね。王城内は暖かいので大丈夫だと思いますが、お風邪など召されぬようお気をつけくださいね」
「お気遣いありがとうございます。冬は寒さで体内の血の巡りが悪くなると言いますので、健康状態には気をつけねばとちょうど思っていたところです」
「それがよろしいですね」
自身の心の動きに結論を出てスッキリした私は、廊下を歩きながら和やかに衛兵の方と言葉を交わす。
「……ん? あれはフェリクス殿下?」
だが、先導してくれていた彼がふいに少し先の方へ目を凝らし、不思議そうな声を出した。
釣られてそちらに視線を向けると、人好きのする笑顔を浮かべたフェリクス様が誰かと話をしているところだった。
「それと……ストラーテン侯爵令嬢?」
衛兵の方のつぶやきにが耳に届いた時には、ちょうど私も同じことに気が付いていた。
フェリクス様の腕に絡み付くカトリーヌ様の姿が目に飛び込んできたのだ。
なにやら親しげに会話を交わす二人は、そのまますぐ近くにあった応接室へと入って行く。
パタンと扉が閉まり、その場には誰もいなくなった。
「今日はサロンで打合せと伺っておりましたが……急用なのでしょう。フェリクス殿下はすぐに参られると思いますので、シェイラ様は予定通りサロンでお待ちください」
「え、ええ。分かりました」
「実はストラーテン侯爵令嬢はお父上の侯爵様に伴ってここのところ毎日王城へお見えになっているのですよ。フェリクス殿下にご執心ともっぱらの噂です。私ども衛兵も勝手に王城をふらふら歩き回られるのには少々困っておりまして。今回のようにフェリクス殿下のご予定を妨げるのはさすがに目に余ります。きちんとお約束があられるシェイラ様にご迷惑おかけし申し訳ありません」
サロンへ案内された私は、衛兵の方からの愚痴混じりの謝罪を受け、なんと言っていいか分からず曖昧に微笑んだ。
それに正直なところ、まともに返事を返す余裕がなかった。
激しい胸の痛みと動揺が胸中を駆け巡り、人知れず混乱に陥っていたからだ。
……なに? どうしたというの? なんでこんなにも胸が締め付けられるの……?
衛兵の方が去り、サロンの中で一人になった私は自問自答を繰り返す。
考えても分からないことだらけだが、一つだけ確かなことがあった。
それはフェリクス様とカトリーヌ様の仲睦まじい姿を目撃したことが引き金だったということだ。
……二人の姿を見てショックを受けている……? ま、まさかね? だってフェリクス様と関わり合いにならないためには最高の状況だわ。カトリーヌ様に好意が向けば、私に構う必要はもうないはずだもの。
分からない。
本当に自分の心が不可解で手に余る。
それから数分後。
衛兵の方の予想通り、フェリクス様はすぐにサロンへと姿を現した。
調整事で実働してもらってるからと今日はリオネル様も一緒だった。
それ以外はいつもと変わらない。
フェリクス様はカトリーヌ様との逢瀬を匂わせることもなく、いつもと全く変わりのない様子で、いつも通りに打合せを進めて行く。
唯一いつもと違うのは、心ここに在らずの状態である私自身だった。
冬でも色鮮やかな花々が美しく咲き誇る公爵家の温室で、今日はマルグリット様のお誕生日を祝うお茶会が催されていた。
招待を受け初めて訪れたフェルベルネ公爵家は、王城から程近い王都の一等地に建っており、子爵邸とは比べ物にならぬほどの大きな邸宅だった。
建物を一目見ただけで、権威と資金力が桁違いであることは容易に窺い知れ、さすが筆頭公爵家だと唸らされる。
案内された温室もこれまたスゴイものだった。
天井が高く開放感のある広々とした空間であり、その温室内には手をかけて育てられた美しい花々が咲き誇っている。
邸宅内にこれほどの温室があることにも驚かされるが、冬でも花々を楽しめる状態を維持するには相当なお金が投入されていることだろう。
この温室の維持費だけで、アイゼヘルム子爵家の邸宅がもう一つ購入できるのではないかと思えてくる。
やはり家格の差というのは、暮らしぶりに大きな違いをもたらすのだなと改めて実感した。
身分違いの結婚は苦労するという母の言葉は実に正しい。
やはり身の丈に合った結婚が一番だ。
「シェイラ、今日はわざわざ来てくれてありがとう。とても嬉しいわ。面識がない方も多くて気疲れしているのではない? 少しこちらにいらっしゃい」
主催者として出席している令嬢達のもとを回っていたマルグリット様は、最後に私のテーブルへとやって来た。
気遣うように声を掛けてくれた上に、温室の隣に用意された休憩室へと案内してくれる。
マルグリット様の言う通り、辺境伯家以上の令嬢が中心である他の出席者は私にとって初対面の方が多く、とても緊張が続いていたので正直その心遣いがとてもありがたかった。
「本当はシェイラと二人で気楽なお茶会を楽しみたかったのだけど、フェルベルネ公爵家の娘としてはこういう社交もこなさなくてはならないのよ。上辺だけのお付き合いや腹の探り合いは疲れるわ」
他に人がいない休憩室に入った途端、マルグリット様は不本意さを顔に滲ませながらため息を吐いた。
先程までの優雅で気品あふれる姿が取り払われ、感情をまっすぐ現すとても人間らしい姿に早変わりする。
「公爵令嬢も大変なのですね」
「ええ、そうなのよ。身分が高いっていうだけで注目されるし、嫉みや恨みを受けることもあるし、隙あらば失墜させようと画策する者もいるし、取り入ろうとしてくる者もいるし……とにかく気が抜けないわ」
切実な響きを宿す声に、マルグリット様の苦悩が窺える。
身分が高いというのも良いことばかりではなく、私には想像もできない苦労があるようだ。
「ところで、先日久々に夜会に出席したのだけど、その際に面白いことを耳にしたのよ。ねえ、シェイラ? あなたあの男とデートしたんですって?」
「………!」
「どうして教えてくれなかったのよぉ。以前はあの男から逃げようとしていたのに、何か心境の変化でもあったのかしら? その辺りぜひシェイラの口から聞きたいわ」
疲れた様子だったかと思えば、マルグリット様はすっかり元気を取り戻したようだ。
今度はイキイキとした表情に様変わりしている。
まるでリオネル様のことを話題にしている時のように、実に楽しげに目を輝かせていた。
「いえ、あの、フェリクス様と城下町へ出掛けたのは事実ですけれど、デートではなくただの視察です……! セイゲル語の授業の件で、マクシム商会を見に行っただけです」
「あら、そうなの? 夜会では二人がナチュールパークを仲睦まじく散策していたって噂になっていたわよ? それにあの男も否定していなかったけど?」
異性避けに最適なため、昔から夜会などではお互いの存在を利用し合っているらしいマルグリット様とフェリクス様は、その夜会でもパートナーとして一緒に出席していたそうだ。
その際、マルグリット様が隣にいるにも関わらず、勇敢にもフェリクス様に噂の真意を直接聞きに来る令嬢がいたのだという。
フェリクス様はただにこやかに笑みを返すだけで明確に否定はせず、それゆえ無言の肯定だとその場にいた者は認識したらしい。
「あの男ったらやけに機嫌が良くて、隣にいてとても気持ち悪かったわ。いつもの張り付いた笑顔も胡散臭くて寒気を感じていたけれど、あの男の上機嫌なにこにこした顔はそれ以上に薄ら寒かったわね」
相変わらずマルグリット様がフェリクス様を評する時の言葉は辛辣だ。
その時の様子を思い出したのか、嫌そうに顔まで顰めている。
「ああ、それからもう一つ気になったことがあったのだったわ。シェイラの元婚約者ってバッケルン公爵子息だったわよね?」
「……はい。そうです」
続いてマルグリット様の口から飛び出した人物の名前を聞いて、嫌な予感がよぎる。
先日王城で顔を合わせた時に妙に馴れ馴れしく頬に触れられて不快だったことは記憶に新しい。
「その夜会は侯爵家以上の貴族が参加条件だったから彼もその場に新しい婚約者と出席していたのよ。だけど、随分と険悪な雰囲気だったわ。バッケルン公爵子息がシェイラとやり直したがっているという噂も囁かれていたわよ? あなたにもその気があると口にする者もいたのだけど……本当なの?」
「えっ、そんな噂があるのですか……!?」
私の知らぬところでずいぶんと勝手な噂が広まっているようだ。
あれほど相思相愛の様子だったギルバート様とカトリーヌ様が険悪な雰囲気だったということにも驚きである。
……確かに先日もギルバート様はカトリーヌ様への不満を口にしていたけれど、マルグリット様から見ても険悪だと感じるくらいに関係が悪化しているなんて。
さすがにそう簡単に婚約を解消するようなことはないと思うが、また私の意思とは裏腹になにかしら巻き込まれそうな予感がして身震いがする。
「その様子ならシェイラにその気は全くなさそうね。もし万が一バッケルン公爵子息から妙なちょっかいを掛けられたらわたくしに遠慮なく言いなさいね? そういう時にこそ普段は煩わしい筆頭公爵家という威光を使わなければね」
「マルグリット様……! ありがとうございます!」
なんて心強い言葉だろうか。
持つべきものは頼りになる同性の友だ。
「それにしても自分から婚約破棄をしておいて、やり直したいだなんて勝手なことよね。まあ、新たな婚約者があれではそう思うのも仕方がないけれど」
「あれ、ですか? カトリーヌ様のことですよね?」
「ええ、そうよ。カトリーヌとかいう女、夜会でも随分と厚顔無恥な振る舞いをしていたわよ。婚約者と共に参加している場であるにも関わらず、あの男に執心な様子であからさまに言い寄っていたもの」
「そう、なんですか……」
その話を聞いてなんだか胸がザワリとした。
なぜかは分からない。
ただ、なんとなく胸がモヤモヤするような感じがした。
……カトリーヌ様はギルバート様に心変わりを促すほど女性として魅力的な方だもの。フェリクス様もそんな方にアプローチされれば心が動くに違いないわね。
積極的に迫るような女性が嫌いと聞いていたフェリクス様だったけど、この数ヶ月間の経験からそれは誤情報だったと私は思っている。
全く不快に感じている様子はなかったし、むしろどことなく嬉しそうだった。
自ら私の色仕掛けを上回るようなことをやり返されたくらいだ。
……そんなフェリクス様がカトリーヌ様から積極的に言い寄られたら、嫌がるどころかきっと嬉しいと思うはずだわ。
私に好意を持ってくださっていたのかもしれないが、それも簡単に心変わりするだろう。
実際にギルバート様がそうだった。
それに家柄が良く可憐なカトリーヌ様は私と比べるまでもなくフェリクス様により相応しい方だ。
実質的な婚約者であるマルグリット様との実際の関係を知っているからこそ、いつか本当のお相手をフェリクス様が選ぶ必要性も分かっている私は、尚更そう思う。
……嫌われなければいけない私にとっては願ってもない展開じゃない。もっと喜んで然るべきなのに……なぜこんなに心がモヤモヤするの? なんだかおかしいわ。
「マルグリット様、そろそろ温室へお戻りください。皆様がお探しになっています」
どうにも不可解な自分の心を持て余していると、ちょうどその時キャシーが休憩室へやって来てマルグリット様へ声を掛けた。
「あら、本当? どうやらシェイラとのお喋りが楽しくて思った以上に長居してしまったわね。シェイラ、そろそろ戻りましょうか? 話し足りないけど、それはまた学園の生徒会長室でね」
「はい。その時はリオネル様のお話をいたしましょう」
「もう、シェイラってば。ふふ、そうね」
マルグリット様と私はその場を立ち上がり、温室のお茶会へと足を向ける。
お茶会に戻った私を待ち受けていたのは、親交の薄い方々との会話という気を張る時間だ。
それにより、先程感じた不可解さはすっかり意識の外に追い出されていた。
だが、この心に燻った小さな違和感は、数日後に大きく芽吹くことになる。
◇◇◇
「お久しぶりですね、シェイラ様。今日の場所は応接室ではなくサロンとのことです。ご案内させて頂きますね。どうぞこちらへ」
セイゲル語の授業の打合せで王城を訪れた私を、衛兵が笑顔で迎えてくれた。
これまで何度か打合せを重ねていて、こうして王城に来ることもあったため、何人かの門番や衛兵とは顔見知りになってきているのだ。
授業の件はもう最終段階に入っている。
来年からの開講に向けて、授業内容や使う教材、教える教師の調整はほぼ終わっており、今は細かい最終確認をしている状態だ。
定期的に行っていたフェリクス様との打合せも残すところあと1~2回だろう。
これでようやくフェリクス様と顔を合わせる必要性はなくなる。
関わり合いたくない私にとって待ち望んだ時がまもなくやってくるのだ。
だというのに、それを考えた瞬間、なぜだか胸がチクリとした。
……あれ? 今なんだか変な感じがしたわ。この前も胸に違和感があったような……?
もしや何かの病気だろうか。
でもそこで別の可能性にも思い至る。
……フェリクス様に会うのはこの前の視察以来だわ。もしかして私、多少緊張しているのかしら? うん、きっとそうね。
あの日の復路での出来事を思えば、私の心に動揺が走るのも無理はない。
あの日の私はおかしかったのだから。
「最近寒い日が続きますね。王城内は暖かいので大丈夫だと思いますが、お風邪など召されぬようお気をつけくださいね」
「お気遣いありがとうございます。冬は寒さで体内の血の巡りが悪くなると言いますので、健康状態には気をつけねばとちょうど思っていたところです」
「それがよろしいですね」
自身の心の動きに結論を出てスッキリした私は、廊下を歩きながら和やかに衛兵の方と言葉を交わす。
「……ん? あれはフェリクス殿下?」
だが、先導してくれていた彼がふいに少し先の方へ目を凝らし、不思議そうな声を出した。
釣られてそちらに視線を向けると、人好きのする笑顔を浮かべたフェリクス様が誰かと話をしているところだった。
「それと……ストラーテン侯爵令嬢?」
衛兵の方のつぶやきにが耳に届いた時には、ちょうど私も同じことに気が付いていた。
フェリクス様の腕に絡み付くカトリーヌ様の姿が目に飛び込んできたのだ。
なにやら親しげに会話を交わす二人は、そのまますぐ近くにあった応接室へと入って行く。
パタンと扉が閉まり、その場には誰もいなくなった。
「今日はサロンで打合せと伺っておりましたが……急用なのでしょう。フェリクス殿下はすぐに参られると思いますので、シェイラ様は予定通りサロンでお待ちください」
「え、ええ。分かりました」
「実はストラーテン侯爵令嬢はお父上の侯爵様に伴ってここのところ毎日王城へお見えになっているのですよ。フェリクス殿下にご執心ともっぱらの噂です。私ども衛兵も勝手に王城をふらふら歩き回られるのには少々困っておりまして。今回のようにフェリクス殿下のご予定を妨げるのはさすがに目に余ります。きちんとお約束があられるシェイラ様にご迷惑おかけし申し訳ありません」
サロンへ案内された私は、衛兵の方からの愚痴混じりの謝罪を受け、なんと言っていいか分からず曖昧に微笑んだ。
それに正直なところ、まともに返事を返す余裕がなかった。
激しい胸の痛みと動揺が胸中を駆け巡り、人知れず混乱に陥っていたからだ。
……なに? どうしたというの? なんでこんなにも胸が締め付けられるの……?
衛兵の方が去り、サロンの中で一人になった私は自問自答を繰り返す。
考えても分からないことだらけだが、一つだけ確かなことがあった。
それはフェリクス様とカトリーヌ様の仲睦まじい姿を目撃したことが引き金だったということだ。
……二人の姿を見てショックを受けている……? ま、まさかね? だってフェリクス様と関わり合いにならないためには最高の状況だわ。カトリーヌ様に好意が向けば、私に構う必要はもうないはずだもの。
分からない。
本当に自分の心が不可解で手に余る。
それから数分後。
衛兵の方の予想通り、フェリクス様はすぐにサロンへと姿を現した。
調整事で実働してもらってるからと今日はリオネル様も一緒だった。
それ以外はいつもと変わらない。
フェリクス様はカトリーヌ様との逢瀬を匂わせることもなく、いつもと全く変わりのない様子で、いつも通りに打合せを進めて行く。
唯一いつもと違うのは、心ここに在らずの状態である私自身だった。
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オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。
母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。
婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。
そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。
どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。
死ぬ寸前のセシリアは思う。
「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。
目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。
セシリアは決意する。
「自分の幸せは自分でつかみ取る!」
幸せになるために奔走するセシリア。
だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。
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