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04. 退屈な日常の終わり(Sideフェリクス)

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「ご機嫌ですね、フェリクス様。私に生徒会とのやりとりを任せて、またあの場所に一人で行かれていたのですよね?」

予鈴を受け、王立学園内にある王族用の部屋へ戻って来るやいなや、僕は室内にいた側近のリオネルからジロリと鋭い視線を投げかけられた。

その瞳は責めるというよりは、どこか呆れたような色味を帯びている。

「まあね。でも今日話し合う予定だった議題はすべて終えていたし、任せたと言っても事後処理くらいだよね? そういうのはリオネルの得意分野だから。頼れる側近がいて助かるよ」

「……いくら学園内は安全とはいえ、王太子であるフェリクス様がお一人でフラフラ出歩かれるのはお控え頂きたいのですが」

「まあまあ。僕にもたまには息抜きが必要なんだよ。王城では馬車馬の如く政務に励んでいるんだから大目に見てよ」

そう言って僕はリオネルの小言を軽くあしらう。

絵に描いたような真面目で几帳面な男であるリオネルは、同い年だというのに何かと口煩い。

学友として、そして側近として、長年一緒にいるからこそもう慣れたものだ。

いちいちすべての小言に付き合っていたらキリがないことを知っているのでするりと受け流す。

リオネルも「やれやれ」といった感じで力なく笑った。

「それにしても、そんなにご機嫌ということは、例のご令嬢とお会いできたのですか?」

「そうなんだよ。運良く彼女もあそこに来ていて、久しぶりに話せた。あ~本当、彼女は面白いね。興味が尽きないよ」

僕は先程まで言葉を交わしていた彼女を思い出し、口角に笑みを浮かべる。

彼女――シェイラ・アイゼヘルムは、変わり映えのしない僕の退屈な日常に楽しみをもたらしてくれた人だ。

彼女の存在を知ってからというものの、僕の日常には変化が訪れたのだ。


◇◇◇

初めて彼女の存在を知ったのは、今から約二年前くらい、僕が王立学園を卒業し、成人王族として政務を担い始めた頃のことだ。

王立学園二年の半ばから卒業間際まで、約一年半ほどセイゲル共和国へ留学をしていた僕は、久しぶりに学園に訪れていた。

王族として学園の管理業務を担当することになったからだ。

貴族の子息子女が通う王立学園は、エーデワルド王国を支える優秀な人材を育むため、王族が運営費を出資している。

そのことは一般的に知られている事実だが、管理に王族が関わっていることを知る者は少ないだろう。

表向きは王族が任命した学園長が運営管理をしているからだ。

だが、気位の高い貴族達が集まるとあって、学園長が手に負えない揉め事や厄介ごとがそれなりに起こる。

そこで定期的に学園長や生徒会と会議を行って対処や予防に努めているのだ。

その日もリオネルと共に学園に赴き、学園長と面会して現状の聴き取りを行っていた。

そしてそれを終えると、僕は少し息抜きをしようと思い立ち、学園内にあるお気に入りスポットへ一人で足を運んだ。

森の中にひっそりある目立たない庭は、めったに人が来ないため、在学時から僕がよく利用していた場所だ。

王太子である僕は、常に人から注目される立場のため、普段から一挙手一投足に気を配る生活をしている。

この国の次期国王として周囲から認められるよう、物心ついた頃から無闇に敵を作らないように笑顔を作り、隙のない言動を心掛け、公平公正、折目正しく過ごしてきた。

その甲斐あって、僕は貴族達からは王太子として一目置かるようになり、加えて幸いにも恵まれた僕の容姿や能力が知れ渡ると、「無敵王子」と囁かれるようにまでなった。

こうした評価を背負うことになると、ますます気が抜けなくなるもので、今ではもう条件反射のように皆が望む王太子の姿を演じられる。

特段楽しくもないのに笑う、退屈な日々だ。

たまに本当の自分が分からなくなる。

そんな気持ちに苛まれた僕が、学園在学時に見つけたのが、あの息抜きの場所だった。

そしてそこで巡り会ったのだ、彼女と。

学園長との面会の後で久しぶりに訪れた庭には、予想外に先客がいた。

チラリと人の姿が目に入った時、言い表しようのない不快感とともに僕は心底ガッカリした。

誰でも利用できる場所であることは重々理解しているため、それが理不尽な感情だとは分かっている。

ただ神聖な場所を穢されたような気がしたのだ。

先客である令嬢は、本を読んでいるらしくこちらには気付いていない。

気付かれると何かと面倒なので、とにかく僕はさっさとその場を去ることにした。

だが、その時ふと聞こえてきたのだ。

下手くそなセイゲル語が。

お世辞にも上手とは言えないたどたどしい言葉は、どうやらその令嬢の口から紡がれているようだった。

 ……へぇ、貴族令嬢がセイゲル語を学んでいるなんて珍しい。

我が国ではそもそも外国語を習得しようとする貴族は稀だ。

なぜなら我が国の言語が近隣諸国では主流であるため、学ぶ必要がないからだ。

加えて、貴族が他国へ行く機会など外交以外ではまずない。

セイゲル共和国は商業が発展しているため珍しい品も多く取り扱っているが、それらも欲しければ御用商人に頼めば取り寄せてくれる。

それゆえに、将来外交に携わりたいと考える貴族令息ならまだしも、令嬢がセイゲル語を学んでいることが不思議だった。

にわかに興味が沸いた僕は、思わず足を止めて令嬢の様子に意識を向ける。

よくよく見れば、その令嬢は驚くほど容姿が整っていた。

神秘的で儚げな印象を与える美貌で、森の中の庭にいると、まるで森の妖精のようだ。

王太子という立場柄、美しい令嬢は見慣れており、今更容姿だけで僕が女性に惹かれることはない。

ただ、こんな場所で令嬢が一人でセイゲル語を勉強しているという状況には非常に興味を惹かれた。

それからというものの、政務で学園に来るたびに僕は毎回その庭に立ち寄るようになった。

彼女は頻繁にこの場所へ来ているようで、僕が訪れる時のほとんどに姿を見せた。

彼女がすでに先にいることもあれば、後から来ることもある。

話し掛けるつもりはなかったので、彼女に気付かれないように僕は木の上で過ごすようになった。

そこから彼女の様子を見ているだけなのだが、それが実に面白い。

最初は単語をたどたどしくつぶやいていたセイゲル語は、次第に簡単な文章になり、二年経つ頃には流暢な独り言になっていた。

人の成長過程というものを間近で見させてもらったわけだが、とても興味深かった。

それに彼女の独り言の内容も愉快だ。

『あーもうお腹いっぱい! ローストビーフは本当に最高ね。いくらでも食べられるわ!』

『お父様には困ったものだわ。もう少し当主の自覚を持ってしっかりしてもらいたいものね』

『夜会に出席しなければいけないなんて……本当に憂鬱。仮病でも使おうかしら』

誰にも聞かれてないと思っているゆえに率直で何気ない感想や愚痴が飛び出す。

王族である僕の前ではみんなかしこまって話すから、このような取り繕っていない言葉を耳にするのは新鮮だった。

この頃には彼女がアイゼヘルム子爵家のシェイラ嬢だということは認識していた。

社交界にはめったに姿を見せないものの、その美貌でバッケルン公爵子息を虜にしデビュタント直後に婚約者となった幸運な令嬢として有名だったからだ。

無口で大人しい控えめな令嬢だと知られている。

だが、この独り言を聞いていれば、決して噂通りの性格ではないことが窺えた。

 ……もしかすると彼女も僕のように周囲の目を気にして、周囲の望む姿を演じているのかもね。

そう思えば彼女に親近感や共感を抱くとともに人柄にも興味が沸き、ますます彼女から目が離せなくなった。

それでも依然として声は掛けなかった。

人のいない場所で二人きりとなる状況は、婚約者のいる彼女のためにはならないだろうという判断だ。

だが、それが崩れる時がやってくる。

それは初めて彼女と巡り会った日から約二年が経ったある昼下がりのことだった。

王立学園の卒業パーティーを数週間後に控え、僕は生徒会との打合せで学園を訪れていた。

例の如く、打合せ後は庭に向かったのだが、この日はいつもと違うことが起きた。

そこにいたのが彼女だけではなかったのだ。

正確に言うならば、自分の婚約者と他の令嬢が口づけを交わしている場面に彼女が遭遇していた。

その上なんと婚約者から一方的に婚約破棄を告げられているではないか。

なんとなく後々揉め事に発展しそうな匂いを嗅ぎつけた僕は、意を決してその場に第三者として仲裁に入ることにした。

彼女がギルバートと婚約破棄するのなら、もうそういった彼女の外聞や体面を気にする必要もない。

僕が彼女と二人きりになろうが誰も文句を言う者はいないのだ。

だから仲裁を終えた後、さっそく彼女と会話を試みた。

王族である僕を前にして、彼女は丁寧な口調と態度で、まるでお手本のような型通りの応対をしてくる。

だが、僕は気がついた。

彼女が僕を冷めた目で見つめていることを。

こんな目を女性から向けられるのは初めてだ。

しかも話をしている際も、言葉は丁寧だが、「早くここからいなくなって欲しい」という心の声が聞こえてきそうだった。

どうやら僕は彼女に全く歓迎されていないらしい。

 ……やっぱり彼女は面白い。実際に接してみてますます興味を惹かれるなんてね。

楽しすぎて、自然と笑顔が浮かんだ。

それにしても彼女は今しがた婚約破棄をされたばかりなのに、あまり堪えていなさそうであった。

悲しみに顔を曇らせてはいるが、どことなく表情をワザと作っているように見える。

 ……もしかして婚約破棄は彼女の狙い通りだったのかも? ふふ、本当面白い。興味が尽きないよ。

その日は次の予定の関係でゆっくり話すことはできなかったが、僕は彼女との接触をこれで最後にするつもりは毛頭なかった。

だから卒業パーティーが終わり、彼女の身辺も少し落ち着いたであろう今日、再度あの場所へ会いに行ったのだ。


◇◇◇

「それで今日はアイゼヘルム子爵令嬢とゆっくり話すことはできたんですか?」

ふいにリオネルから問いかけられ、彼女との出会いを回想していた僕は意識を引き戻される。

事務的な確認のような口調で尋ねてくるリオネルに僕は小さく笑いながら答えた。

「話すことはできたんだけど、どうも彼女に嫌われてるみたいなんだよね。距離を置こうとされてるみたい」

「嫌う? フェリクス様をですか? そんな女性がいるのですね。驚きです」

「本当面白いんだって、彼女。会うたびに興味を惹かれる貴重な女性だと思うよ」

思い出すだけで楽しくなってくる。

あの頑なに丁寧な態度を崩させるにはどうしたらいいだろうか。

もっと色んな表情の彼女を見てみたい。

「おそらくもうあの場所には来ないだろうね。僕とは出くわしたくないみたいだし」

「ではもうお会いになることはないのですね」

「まさか! せっかく彼女に婚約者がいなくなって誰の目も気にしなくて良くなったんだから、僕が会いに行けばいいだけさ」

「ということは……また私に仕事を押し付けて消えるつもりですね?」

「人聞きが悪いなぁ。事後処理を任せてるだけじゃないか。さあて、学園での次の会議はいつかな?」

リオネルが呆れたように軽くため息を吐くのを横目で見つつ、僕は窓の外の景色を眺めた。

部屋の窓からは立ち並ぶ校舎が見える。

この校舎のどこかで授業を受けているだろう彼女に思いを馳せる。

次に会った時はどんな顔を見せてくれるだろうか。

今から楽しみで仕方ない。

変わり映えのしない退屈な日常はこうして終わりを迎えたのだった。

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