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プロローグ
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「シェイラ、君との婚約は破棄させてもらう。容姿だけしか取り柄のない君は、次期公爵である俺には相応しくない」
ある日の昼下がり。
貴族の子息子女が通う王立学園の広大な敷地内にある庭で、一人の青年が声を張り上げた。
数ある庭の中でも校舎から遠く、景観も美しいというわけではないため、普段はほとんど人が寄りつかない、知る人ぞ知る場所だ。
今日もこの場にいるのはたった三名。
青年以外の二人は口を閉ざしているため、辺りは静寂に包まれており、青年の声はまるでその場を支配するように響き渡った。
「……婚約破棄、ですか?」
しばしの沈黙の後、青年に名指しされた令嬢シェイラは戸惑うように問いかける。
それに対し、次期公爵という高い身分を持つ青年は、彼女を諭すように再び口を開いた。
「ああ、その通りだ。子爵令嬢である君にとっては俺との結婚は玉の輿だろう。なにしろ四階級も上位の貴族になれるのだからな。その夢を壊して悪いな。だが、俺はこの二年で気付いたのだ。シェイラ、君はただ見目が良いだけで中身のない女だってことをな」
「……そんな。ギルバート様、本当に婚約を破棄するとおっしゃられるのですか?」
今しがた中身がないと評されたシェイラは、その輝かんばかりの美貌を翳らせて、悲しげに目を伏せる。
銀色の髪に透き通るような水色の瞳をしたシェイラは、どこか神秘的で儚げな印象の令嬢だ。
その彼女が念押しのようにギルバートに婚約破棄を確認する姿は、もしここに観客でもいればなんと哀れで痛々しいことかと多くの人々の同情を誘ったに違いない。
「もちろんだとも。今この時をもって、君は俺の婚約者ではなくなる。そして彼女、カトリーヌが俺の新しい婚約者だ。侯爵令嬢という身分に加え、美しさと明るく積極的な人柄を兼ね備えたカトリーヌこそが俺の婚約者に相応しい」
だが、ギルバートは同情するどころか、愉快そうな表情を顔に浮かべ、彼の隣にいる人物へ視線を向けた。
そこにいるのは、ギルバートの新しい婚約者だ。
カトリーヌと呼ばれた令嬢は、ギルバートにしなだれかかるように身を寄せており、その距離感は二人の親密さを如実に物語っていた。
「うふふ。ごめんなさいね、シェイラ様。決してあなたから婚約者を奪うつもりはなかったのよ? でもギルバート様と愛し合ってしまったの。あなたも先程ご覧になったでしょう? わたくし達がいかに愛し合っているかを」
華やいだ声を上げ、勝ち誇ったような顔をしたカトリーヌは、自慢げに告げる。
そう、シェイラはこの会話が始まる直前、目撃していた。
自身の婚約者であるギルバートとカトリーヌが熱い抱擁と口づけを交わしている姿を。
だから、ギルバートが本気で婚約破棄を切り出したのであろうことは端から察していた。
にも関わらず、「本当に?」と問いかけたのは、あくまで言葉でしっかり確認がしたかったからだ。
「……ええ、分かっております。お二人の邪魔をするつもりはありません。私は身を引き、ギルバート様との婚約破棄を受け入れます」
シェイラはさも悲しげに瞳を揺らし、振り絞るように最後の言葉を紡いだ。
その姿は、婚約者の心変わりによって捨てられた哀れな令嬢そのものだ。
カトリーヌはその姿を目にし、にんまりと口元に弧を描いた。
自分より身分の低い下級貴族のシェイラが、上級貴族の中でも最も身分の高い公爵子息と婚約しているのがカトリーヌはずっと面白くなかった。
ギルバートは身分だけでなく見目も麗しく、社交界で人気を誇る存在だ。
普通は公爵子息となれば、同等の家柄である公爵家や侯爵家から婚約者は選ばれる。
それなのにその美貌でギルバートの婚約者の座を射止め、周囲から羨まれているシェイラが心底気に食わなかった。
だからそんなシェイラからギルバートを奪い、こうして親密さを見せつけている今この瞬間はカトリーヌの気分を最高に高揚させていた。
優越感が心を占領し、隠そうとしても隠しきれない笑みが浮かぶ。
だが、実はほくそ笑んでいるのはカトリーヌだけではなかった。
……ふふっ。上手くいったわね。二年もかかったけれど、ようやく婚約破棄に辿り着いたわ。
突然の婚約破棄に心を傷めているはずのシェイラもまた、心の中で笑っていたのだ。
婚約者を奪われたのは予定通り。
シェイラにとって待ち望んだ瞬間だったのだ。
……玉の輿だと周りからは羨ましがられるけれど、身の丈に合わない結婚なんて私は絶対に嫌。不幸なだけだわ。私は身の丈に合った平穏な生活を望むの。
婚約破棄をしっかり言葉で確認したことで本望を遂げたシェイラは悲しみに暮れるふりをして、その場を去ろうとする。
しかし、そこで思わぬことが起きた。
「その婚約破棄、バッケルン公爵家とアイゼヘルム子爵家が後から揉めないように僕が証人になってあげるよ」
当事者である三名しかいないはずのその場に、予期せぬ人物が現れたからだ。
さらりと揺れる金髪、吸い寄せられるようなコバルトブルーの瞳をした端正な顔立ちの青年だ。
そこにいるだけで見る者を惹きつける圧倒的な存在感を放つ。
「お、王太子殿下……⁉︎」
「なぜこちらに……⁉︎」
ギルバートとカトリーヌは驚きと共につぶやいた。
シェイラも予想外の出来事に目を見開く。
そんな三名を前にし、王太子フェリクスは婚約破棄というシリアスな場面とは場違いの、楽しそうな笑顔を浮かべるのだった。
ある日の昼下がり。
貴族の子息子女が通う王立学園の広大な敷地内にある庭で、一人の青年が声を張り上げた。
数ある庭の中でも校舎から遠く、景観も美しいというわけではないため、普段はほとんど人が寄りつかない、知る人ぞ知る場所だ。
今日もこの場にいるのはたった三名。
青年以外の二人は口を閉ざしているため、辺りは静寂に包まれており、青年の声はまるでその場を支配するように響き渡った。
「……婚約破棄、ですか?」
しばしの沈黙の後、青年に名指しされた令嬢シェイラは戸惑うように問いかける。
それに対し、次期公爵という高い身分を持つ青年は、彼女を諭すように再び口を開いた。
「ああ、その通りだ。子爵令嬢である君にとっては俺との結婚は玉の輿だろう。なにしろ四階級も上位の貴族になれるのだからな。その夢を壊して悪いな。だが、俺はこの二年で気付いたのだ。シェイラ、君はただ見目が良いだけで中身のない女だってことをな」
「……そんな。ギルバート様、本当に婚約を破棄するとおっしゃられるのですか?」
今しがた中身がないと評されたシェイラは、その輝かんばかりの美貌を翳らせて、悲しげに目を伏せる。
銀色の髪に透き通るような水色の瞳をしたシェイラは、どこか神秘的で儚げな印象の令嬢だ。
その彼女が念押しのようにギルバートに婚約破棄を確認する姿は、もしここに観客でもいればなんと哀れで痛々しいことかと多くの人々の同情を誘ったに違いない。
「もちろんだとも。今この時をもって、君は俺の婚約者ではなくなる。そして彼女、カトリーヌが俺の新しい婚約者だ。侯爵令嬢という身分に加え、美しさと明るく積極的な人柄を兼ね備えたカトリーヌこそが俺の婚約者に相応しい」
だが、ギルバートは同情するどころか、愉快そうな表情を顔に浮かべ、彼の隣にいる人物へ視線を向けた。
そこにいるのは、ギルバートの新しい婚約者だ。
カトリーヌと呼ばれた令嬢は、ギルバートにしなだれかかるように身を寄せており、その距離感は二人の親密さを如実に物語っていた。
「うふふ。ごめんなさいね、シェイラ様。決してあなたから婚約者を奪うつもりはなかったのよ? でもギルバート様と愛し合ってしまったの。あなたも先程ご覧になったでしょう? わたくし達がいかに愛し合っているかを」
華やいだ声を上げ、勝ち誇ったような顔をしたカトリーヌは、自慢げに告げる。
そう、シェイラはこの会話が始まる直前、目撃していた。
自身の婚約者であるギルバートとカトリーヌが熱い抱擁と口づけを交わしている姿を。
だから、ギルバートが本気で婚約破棄を切り出したのであろうことは端から察していた。
にも関わらず、「本当に?」と問いかけたのは、あくまで言葉でしっかり確認がしたかったからだ。
「……ええ、分かっております。お二人の邪魔をするつもりはありません。私は身を引き、ギルバート様との婚約破棄を受け入れます」
シェイラはさも悲しげに瞳を揺らし、振り絞るように最後の言葉を紡いだ。
その姿は、婚約者の心変わりによって捨てられた哀れな令嬢そのものだ。
カトリーヌはその姿を目にし、にんまりと口元に弧を描いた。
自分より身分の低い下級貴族のシェイラが、上級貴族の中でも最も身分の高い公爵子息と婚約しているのがカトリーヌはずっと面白くなかった。
ギルバートは身分だけでなく見目も麗しく、社交界で人気を誇る存在だ。
普通は公爵子息となれば、同等の家柄である公爵家や侯爵家から婚約者は選ばれる。
それなのにその美貌でギルバートの婚約者の座を射止め、周囲から羨まれているシェイラが心底気に食わなかった。
だからそんなシェイラからギルバートを奪い、こうして親密さを見せつけている今この瞬間はカトリーヌの気分を最高に高揚させていた。
優越感が心を占領し、隠そうとしても隠しきれない笑みが浮かぶ。
だが、実はほくそ笑んでいるのはカトリーヌだけではなかった。
……ふふっ。上手くいったわね。二年もかかったけれど、ようやく婚約破棄に辿り着いたわ。
突然の婚約破棄に心を傷めているはずのシェイラもまた、心の中で笑っていたのだ。
婚約者を奪われたのは予定通り。
シェイラにとって待ち望んだ瞬間だったのだ。
……玉の輿だと周りからは羨ましがられるけれど、身の丈に合わない結婚なんて私は絶対に嫌。不幸なだけだわ。私は身の丈に合った平穏な生活を望むの。
婚約破棄をしっかり言葉で確認したことで本望を遂げたシェイラは悲しみに暮れるふりをして、その場を去ろうとする。
しかし、そこで思わぬことが起きた。
「その婚約破棄、バッケルン公爵家とアイゼヘルム子爵家が後から揉めないように僕が証人になってあげるよ」
当事者である三名しかいないはずのその場に、予期せぬ人物が現れたからだ。
さらりと揺れる金髪、吸い寄せられるようなコバルトブルーの瞳をした端正な顔立ちの青年だ。
そこにいるだけで見る者を惹きつける圧倒的な存在感を放つ。
「お、王太子殿下……⁉︎」
「なぜこちらに……⁉︎」
ギルバートとカトリーヌは驚きと共につぶやいた。
シェイラも予想外の出来事に目を見開く。
そんな三名を前にし、王太子フェリクスは婚約破棄というシリアスな場面とは場違いの、楽しそうな笑顔を浮かべるのだった。
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