13 / 47
11.夜のオフィス(Side百合)
しおりを挟む
「百合さん、おはようございます!いよいよ今日は新商品について情報解禁ですね!」
朝出社すると、由美ちゃんがワクワクした表情を浮かべながら話し掛けてきた。
そう、今日は1週間後に発売となる新商品について、プレスリリースを発信し、情報発信を行うことになっている。
プレスリリースとは、会社の公式発信として、マスコミに向けてお知らせをするものだ。
今回の場合、マスコミに「◯日からこんな新商品を発売するよ。商品の特長はこれで、こんなこだわりが詰まってるよ」という感じのことを知らせる。
マスコミがそのプレスリリースを見て、興味を持てば問い合わせが入るし、TVや雑誌・新聞などで取り上げたいとなれば内容に合わせた取材対応が発生することとなる。
今回の新商品のプレスリリースは由美ちゃんが作成して私が確認した。
由美ちゃんにとっては思い入れがあるようで、朝からテンションが高いのだ。
「ぜひ反響があって欲しい!」と願う一方で、反響が大きいと対応に手を割かなければならず通常業務が滞り大変になるので、「あんまり反響が大きくなると困る!」っていう矛盾した気持ちが生まれるのは広報あるあるだったりする。
私と由美ちゃんは、午後1時の情報解禁に向けて午前中は最終確認を行い、早めにお昼を済ませた。
そして予定通り、1時にプレスリリースを配信した。
「マスコミへのメール、FAX終わりました。ホームページへの掲載も完了です!」
「こっちも各種SNSでの告知終わったよ」
とりあえず作業はひと段落だ。
由美ちゃんと私はふぅと一息つく。
ただ、まだこれだけではない。
「じゃあ私はこれからお付き合いのあるマスコミの方にお電話入れて、プレスリリースを読んでもらえるようプッシュします」
「よろしくね。私は問い合わせや取材依頼に備えて電話の近くで待機しとくね」
由美ちゃんと私は役割分担をして、それぞれ動き出した。
Turururu、Turururu、Turururu‥‥
情報解禁からしばらく経つと、広報部の電話が忙しく鳴り始める。
今回の新商品は反応が良いようで、マスコミからの問い合わせが入ってきた。
私は他の仕事も進めながら、電話が鳴るたびに手を止めて対応し、それを繰り返す。
度々手を止めることになるため、なかなか仕事が進まない。
そんな時に今度は取材依頼が入った。
しかも明日テレビ放送のニュース番組で紹介したいので、今日中に新商品を撮影させて欲しいという突発案件だった。
視聴率の高い有名番組のため、うちの会社にとっても紹介されるとメリットが大きい。
断るという選択肢はなく、急いで撮影内容を調整して諸々準備をした。
「由美ちゃん、ごめん。テレビの取材で新商品持ってテレビ局に急いで行くことになっちゃった。席外すから電話対応お願いして大丈夫?」
「もちろんです!ちょうどマスコミの方へのプッシュ電話は終わったんで、これ以降は問い合わせの方対応します」
「じゃあ行ってくるね。取材対応が何時に終わる分からないから、帰社が遅かったら私のことは待たずに帰っていいからね」
「分かりました!お気をつけて!」
結局、突発案件により、今日やろうと思っていた他の仕事は完全にストップすることとなってしまった。
テレビ局での取材対応を終え、会社に戻ってきたのは午後8時だった。
定時を過ぎ、オフィス内の人数はかなり少なくなっていた。
由美ちゃんも無事帰れたようだ。
「あら、並木さんお帰り。取材対応どうだった?」
仕事を切り上げそろそろ帰ろうとしている様子の安西部長から声をかけられた。
「無事終わりました。担当ディレクターさんが商品にすごく興味も持ってくださって、色んなカットで撮影することになったんで時間かかっちゃいました。明日放送される予定です」
「そう、お疲れ様。この後はまだ残るの?」
「はい、今日中に進めようと思っていた案件が全く手付かずで‥‥。今週中にやっておかないとスケジュール的に苦しくなるので、もう少し残ってやっていきたいと思います」
「確かに今日やっとかないと厳しいものね。他の人が手伝える案件でもないし。でも無理しすぎないでちょうだいね。今日は金曜日だし、週末はゆっくり休んでね。申し訳ないけど、私は今日はこれで失礼させてもらうわね」
「ご心配ありがとうございます。お疲れ様でした」
安西部長がオフィスを去ると、私はさっきコンビニで買ってきた軽食をデスクで食べた。
お昼ごはんも早かったので、さすがに8時を回ると小腹が空いていた。
お腹を満たすと、パソコンを立ち上げ、途中になっていた仕事に取り掛かる。
集中していると、いつの間にか午後10時を過ぎていた。
このフロアにはもう誰もおらず、私が最後のようだった。
(他のフロアはどうだろう?さすがにこの時間だともう誰もいないかな)
うちの会社はホワイト企業で健康経営に取り組んでいることもあり、みんな帰りは結構早いのだ。
特に今日は金曜日。
予定が入っている社員も多いのだろう。
私もこの時間まで残業することは稀である。
パソコンから目を離し、乾いた目を潤すためパチパチと瞬きをする。
腕を上にぐーっと伸ばし肩の疲れもほぐす。
ちょっとボーッとしながら、「マッサージ行きたいなぁ」と思っていたら、突然セキュリティが解除される音とともにガチャっとドアが開く音がした。
予期せぬドアの音に思わずビクッと身体が震える。
ドアの方に視線を送ると、なんと亮祐常務がそこに佇んでいた。
驚いたように少し目を見開いている。
「お疲れ様です。どうされたんですか?」
「さっきまでアメリカとのテレビ会議をしてて。時差があるからこの時間になったんだけど、俺が最後かなと思って、各階のフロアを見回ってたんだ。まさかまだ残ってる社員がいると思わなくて驚いたよ。並木さんはどうしたの?」
「私は日中に突発的な取材対応が発生しまして、もともと予定していた仕事が終わらなくて残っています」
「あぁ、今日情報解禁した新商品の反響が大きくて広報部は大変だったらしいね。お疲れ様。まだ残る?ちなみに、もう他のフロアは誰もいなかったから並木さんと俺が最後です」
そういわれて、さっきまでやっていた仕事を思い出す。
(あともうちょっとやってしまいたい‥‥!明日は土曜日だし遅くなっても大丈夫だしな)
「今キリが悪いので、もう少し残ってやってしまいたいと思ってます」
「何時目処の予定?」
「10時30分までには終わらせる予定です」
「それなら一緒に会社を出よう。俺もまだ片付けることがあるから」
「え、でも‥‥。私のことは気になさらずで大丈夫ですよ。常務はもうお帰りになられても‥‥」
なんだか気を遣って頂いてるような気がして申し訳ない気持ちになる。
そんな私の様子は無視し、常務は「もう会話は終わり」と言わんばかりにそれ以上は口を開かず、そのまま役員フロアの方へ消えて行ってしまった。
仕方なく、私も仕事を再開する。
そろそろキリがつきそうだと思った頃、ドアが開く音がした。
今度は帰り支度を済ませた常務がいて、そのままこちらにやってくる。
そして私の隣の席に座った。
急に近くに来られて、思わず心臓がドキッと飛び跳ねる。
「どう?キリつきそう?」
「あ、はい。あとメールを一本送れば終了です」
「じゃあ、頑張った並木さんに。はい、これどうぞ」
そう言いながら、缶のホットココアを手渡された。
お礼を言って受け取る。
たぶん今買ったばっかりで、まだ温かい。
なんだか頑張りを認めてもらえたような気がして、嬉しくて自然と笑みが漏れる。
「疲れた時はさ、甘いものが飲みたくならない?俺はこういう残業で遅くなった時は、コーヒーよりココアがつい飲みたくなるんだよね」
「わかる気がします。私もチョコレートをつい摘んでしまいます」
「あぁ、チョコレートもいいね」
常務は自分の分の缶ココアの蓋を開け、口をつけて飲み始める。
それと同時に、ふぅと息を吐くと、自然な動作でネクタイを緩めだした。
その仕草があまりにも色っぽくて、つい目が釘付けになってしまう。
オフモードに切り替わる感じが、見てはいけないものを見てしまった気分だ。
夜中のオフィスに今2人きりだという事実が急に思い出され、唐突に意識してしまう。
ドキドキドキドキと脈が早まるのを感じた。
いただいた缶ココアの蓋を開けてゴクリと飲み干し、急いで緊張を誤魔化した。
甘いココアが身体に染み渡り、疲れを癒してくれるようだ。
隣に座る常務をできるだけ意識に入れないようにしながら、私は最後のメールを一本送り終える。
「すみません、お待たせしました!私も終わりましたので、もう会社を出れます」
時刻は午後10時20分。
予定より早くキリをつけることができた。
私は立ち上がると、オフィス内の電気を消灯する。
オフィスの電気は最後に警備室で全部消灯してもらえるが、節電のために社員自らもこまめに消すようにしている。
薄暗く静かなオフィスは、昼間の雰囲気とは異なり別世界にいるようだ。
特に常務と2人きりということ自体が非日常だから余計にだ。
私が消灯している間に、常務は出口の方へ移動していて、エレベーターの近くにある窓から外を眺めていた。
窓から見える高層ビル群の夜景が煌めき、その光が常務を照らしていて、端正な顔立ちがいつも以上に浮き彫りになっている。
一度落ち着いたはずの心臓がまたドキドキと騒ぎ出す。
このドキドキは何だろう。
常務にドキドキしている?
春樹の面影を重ねてドキドキしている?
自分でもどっちか分からなくて混乱し、感情が乱れる。
常務と出会ってからこんなことばかりだ。
私が近付いていくと気配に気づいたのか、常務が窓から目線を上げてこちらに向けた。
「遅くなったけど、並木さんはお腹空いてない?金曜日だし、良かったら軽く飲んで行かない?」
「えっ‥‥」
思いもよらない言葉をかけられた。
確かに常務はお酒を飲むのが好きだと言っていたけど、まさか誘われるとは思わなかった。
金曜日の夜だし飲みたい気分なのだろうか。
でも‥‥私は今混乱状態にあって、普通でいられるとはとても思えない。
こんな時にこれ以上常務と一緒にいて、変なところを見られたくないと咄嗟に感じた。
「あの、大変光栄なお誘いなんですが、今日はちょっと疲れて‥‥。なので真っ直ぐ帰ります。申し訳ありません」
「そう、残念。今日は疲れただろうからゆっくり休んで」
「はい、ありがとうございます」
本当に残念そうな顔色を浮かべる常務を見て、一瞬断ったことを後悔しそうになった。
きっと忙しい日々を送られていて、飲みに行く機会も少ないのだろう。
私の勝手な事情で断ってしまい、こんな残念そうな顔をさせてしまって申し訳なかったなと思った。
その時、ちょうどエレベーターがやってきて、私たちは中に乗り込む。
そして警備室に立ち寄り、退社の旨を伝え、エントランスに到着した。
「俺はここからタクシーだけど、並木さんは?遅いし送っていこうか?」
常務に送ってもらうなんてとんでもない。
私なんかとは比べものにならないくらい忙しい人だし、絶対疲れているはずだ。
少しでも身体を休めて欲しい。
「いえ!まだ電車もありますので私は大丈夫です!お気遣いありがとうございます。では、こちらで失礼します。お疲れ様でした」
「お疲れ様。気をつけて」
私は笑顔で挨拶をしてお辞儀をすると、背を向けて駅へと歩き出した。
1人になると、ついまた考えてしまう。
私はなんでこんなにドキドキするの?なんで感情を乱しているの?と。
ーーまだその答えは見つからなかった。
朝出社すると、由美ちゃんがワクワクした表情を浮かべながら話し掛けてきた。
そう、今日は1週間後に発売となる新商品について、プレスリリースを発信し、情報発信を行うことになっている。
プレスリリースとは、会社の公式発信として、マスコミに向けてお知らせをするものだ。
今回の場合、マスコミに「◯日からこんな新商品を発売するよ。商品の特長はこれで、こんなこだわりが詰まってるよ」という感じのことを知らせる。
マスコミがそのプレスリリースを見て、興味を持てば問い合わせが入るし、TVや雑誌・新聞などで取り上げたいとなれば内容に合わせた取材対応が発生することとなる。
今回の新商品のプレスリリースは由美ちゃんが作成して私が確認した。
由美ちゃんにとっては思い入れがあるようで、朝からテンションが高いのだ。
「ぜひ反響があって欲しい!」と願う一方で、反響が大きいと対応に手を割かなければならず通常業務が滞り大変になるので、「あんまり反響が大きくなると困る!」っていう矛盾した気持ちが生まれるのは広報あるあるだったりする。
私と由美ちゃんは、午後1時の情報解禁に向けて午前中は最終確認を行い、早めにお昼を済ませた。
そして予定通り、1時にプレスリリースを配信した。
「マスコミへのメール、FAX終わりました。ホームページへの掲載も完了です!」
「こっちも各種SNSでの告知終わったよ」
とりあえず作業はひと段落だ。
由美ちゃんと私はふぅと一息つく。
ただ、まだこれだけではない。
「じゃあ私はこれからお付き合いのあるマスコミの方にお電話入れて、プレスリリースを読んでもらえるようプッシュします」
「よろしくね。私は問い合わせや取材依頼に備えて電話の近くで待機しとくね」
由美ちゃんと私は役割分担をして、それぞれ動き出した。
Turururu、Turururu、Turururu‥‥
情報解禁からしばらく経つと、広報部の電話が忙しく鳴り始める。
今回の新商品は反応が良いようで、マスコミからの問い合わせが入ってきた。
私は他の仕事も進めながら、電話が鳴るたびに手を止めて対応し、それを繰り返す。
度々手を止めることになるため、なかなか仕事が進まない。
そんな時に今度は取材依頼が入った。
しかも明日テレビ放送のニュース番組で紹介したいので、今日中に新商品を撮影させて欲しいという突発案件だった。
視聴率の高い有名番組のため、うちの会社にとっても紹介されるとメリットが大きい。
断るという選択肢はなく、急いで撮影内容を調整して諸々準備をした。
「由美ちゃん、ごめん。テレビの取材で新商品持ってテレビ局に急いで行くことになっちゃった。席外すから電話対応お願いして大丈夫?」
「もちろんです!ちょうどマスコミの方へのプッシュ電話は終わったんで、これ以降は問い合わせの方対応します」
「じゃあ行ってくるね。取材対応が何時に終わる分からないから、帰社が遅かったら私のことは待たずに帰っていいからね」
「分かりました!お気をつけて!」
結局、突発案件により、今日やろうと思っていた他の仕事は完全にストップすることとなってしまった。
テレビ局での取材対応を終え、会社に戻ってきたのは午後8時だった。
定時を過ぎ、オフィス内の人数はかなり少なくなっていた。
由美ちゃんも無事帰れたようだ。
「あら、並木さんお帰り。取材対応どうだった?」
仕事を切り上げそろそろ帰ろうとしている様子の安西部長から声をかけられた。
「無事終わりました。担当ディレクターさんが商品にすごく興味も持ってくださって、色んなカットで撮影することになったんで時間かかっちゃいました。明日放送される予定です」
「そう、お疲れ様。この後はまだ残るの?」
「はい、今日中に進めようと思っていた案件が全く手付かずで‥‥。今週中にやっておかないとスケジュール的に苦しくなるので、もう少し残ってやっていきたいと思います」
「確かに今日やっとかないと厳しいものね。他の人が手伝える案件でもないし。でも無理しすぎないでちょうだいね。今日は金曜日だし、週末はゆっくり休んでね。申し訳ないけど、私は今日はこれで失礼させてもらうわね」
「ご心配ありがとうございます。お疲れ様でした」
安西部長がオフィスを去ると、私はさっきコンビニで買ってきた軽食をデスクで食べた。
お昼ごはんも早かったので、さすがに8時を回ると小腹が空いていた。
お腹を満たすと、パソコンを立ち上げ、途中になっていた仕事に取り掛かる。
集中していると、いつの間にか午後10時を過ぎていた。
このフロアにはもう誰もおらず、私が最後のようだった。
(他のフロアはどうだろう?さすがにこの時間だともう誰もいないかな)
うちの会社はホワイト企業で健康経営に取り組んでいることもあり、みんな帰りは結構早いのだ。
特に今日は金曜日。
予定が入っている社員も多いのだろう。
私もこの時間まで残業することは稀である。
パソコンから目を離し、乾いた目を潤すためパチパチと瞬きをする。
腕を上にぐーっと伸ばし肩の疲れもほぐす。
ちょっとボーッとしながら、「マッサージ行きたいなぁ」と思っていたら、突然セキュリティが解除される音とともにガチャっとドアが開く音がした。
予期せぬドアの音に思わずビクッと身体が震える。
ドアの方に視線を送ると、なんと亮祐常務がそこに佇んでいた。
驚いたように少し目を見開いている。
「お疲れ様です。どうされたんですか?」
「さっきまでアメリカとのテレビ会議をしてて。時差があるからこの時間になったんだけど、俺が最後かなと思って、各階のフロアを見回ってたんだ。まさかまだ残ってる社員がいると思わなくて驚いたよ。並木さんはどうしたの?」
「私は日中に突発的な取材対応が発生しまして、もともと予定していた仕事が終わらなくて残っています」
「あぁ、今日情報解禁した新商品の反響が大きくて広報部は大変だったらしいね。お疲れ様。まだ残る?ちなみに、もう他のフロアは誰もいなかったから並木さんと俺が最後です」
そういわれて、さっきまでやっていた仕事を思い出す。
(あともうちょっとやってしまいたい‥‥!明日は土曜日だし遅くなっても大丈夫だしな)
「今キリが悪いので、もう少し残ってやってしまいたいと思ってます」
「何時目処の予定?」
「10時30分までには終わらせる予定です」
「それなら一緒に会社を出よう。俺もまだ片付けることがあるから」
「え、でも‥‥。私のことは気になさらずで大丈夫ですよ。常務はもうお帰りになられても‥‥」
なんだか気を遣って頂いてるような気がして申し訳ない気持ちになる。
そんな私の様子は無視し、常務は「もう会話は終わり」と言わんばかりにそれ以上は口を開かず、そのまま役員フロアの方へ消えて行ってしまった。
仕方なく、私も仕事を再開する。
そろそろキリがつきそうだと思った頃、ドアが開く音がした。
今度は帰り支度を済ませた常務がいて、そのままこちらにやってくる。
そして私の隣の席に座った。
急に近くに来られて、思わず心臓がドキッと飛び跳ねる。
「どう?キリつきそう?」
「あ、はい。あとメールを一本送れば終了です」
「じゃあ、頑張った並木さんに。はい、これどうぞ」
そう言いながら、缶のホットココアを手渡された。
お礼を言って受け取る。
たぶん今買ったばっかりで、まだ温かい。
なんだか頑張りを認めてもらえたような気がして、嬉しくて自然と笑みが漏れる。
「疲れた時はさ、甘いものが飲みたくならない?俺はこういう残業で遅くなった時は、コーヒーよりココアがつい飲みたくなるんだよね」
「わかる気がします。私もチョコレートをつい摘んでしまいます」
「あぁ、チョコレートもいいね」
常務は自分の分の缶ココアの蓋を開け、口をつけて飲み始める。
それと同時に、ふぅと息を吐くと、自然な動作でネクタイを緩めだした。
その仕草があまりにも色っぽくて、つい目が釘付けになってしまう。
オフモードに切り替わる感じが、見てはいけないものを見てしまった気分だ。
夜中のオフィスに今2人きりだという事実が急に思い出され、唐突に意識してしまう。
ドキドキドキドキと脈が早まるのを感じた。
いただいた缶ココアの蓋を開けてゴクリと飲み干し、急いで緊張を誤魔化した。
甘いココアが身体に染み渡り、疲れを癒してくれるようだ。
隣に座る常務をできるだけ意識に入れないようにしながら、私は最後のメールを一本送り終える。
「すみません、お待たせしました!私も終わりましたので、もう会社を出れます」
時刻は午後10時20分。
予定より早くキリをつけることができた。
私は立ち上がると、オフィス内の電気を消灯する。
オフィスの電気は最後に警備室で全部消灯してもらえるが、節電のために社員自らもこまめに消すようにしている。
薄暗く静かなオフィスは、昼間の雰囲気とは異なり別世界にいるようだ。
特に常務と2人きりということ自体が非日常だから余計にだ。
私が消灯している間に、常務は出口の方へ移動していて、エレベーターの近くにある窓から外を眺めていた。
窓から見える高層ビル群の夜景が煌めき、その光が常務を照らしていて、端正な顔立ちがいつも以上に浮き彫りになっている。
一度落ち着いたはずの心臓がまたドキドキと騒ぎ出す。
このドキドキは何だろう。
常務にドキドキしている?
春樹の面影を重ねてドキドキしている?
自分でもどっちか分からなくて混乱し、感情が乱れる。
常務と出会ってからこんなことばかりだ。
私が近付いていくと気配に気づいたのか、常務が窓から目線を上げてこちらに向けた。
「遅くなったけど、並木さんはお腹空いてない?金曜日だし、良かったら軽く飲んで行かない?」
「えっ‥‥」
思いもよらない言葉をかけられた。
確かに常務はお酒を飲むのが好きだと言っていたけど、まさか誘われるとは思わなかった。
金曜日の夜だし飲みたい気分なのだろうか。
でも‥‥私は今混乱状態にあって、普通でいられるとはとても思えない。
こんな時にこれ以上常務と一緒にいて、変なところを見られたくないと咄嗟に感じた。
「あの、大変光栄なお誘いなんですが、今日はちょっと疲れて‥‥。なので真っ直ぐ帰ります。申し訳ありません」
「そう、残念。今日は疲れただろうからゆっくり休んで」
「はい、ありがとうございます」
本当に残念そうな顔色を浮かべる常務を見て、一瞬断ったことを後悔しそうになった。
きっと忙しい日々を送られていて、飲みに行く機会も少ないのだろう。
私の勝手な事情で断ってしまい、こんな残念そうな顔をさせてしまって申し訳なかったなと思った。
その時、ちょうどエレベーターがやってきて、私たちは中に乗り込む。
そして警備室に立ち寄り、退社の旨を伝え、エントランスに到着した。
「俺はここからタクシーだけど、並木さんは?遅いし送っていこうか?」
常務に送ってもらうなんてとんでもない。
私なんかとは比べものにならないくらい忙しい人だし、絶対疲れているはずだ。
少しでも身体を休めて欲しい。
「いえ!まだ電車もありますので私は大丈夫です!お気遣いありがとうございます。では、こちらで失礼します。お疲れ様でした」
「お疲れ様。気をつけて」
私は笑顔で挨拶をしてお辞儀をすると、背を向けて駅へと歩き出した。
1人になると、ついまた考えてしまう。
私はなんでこんなにドキドキするの?なんで感情を乱しているの?と。
ーーまだその答えは見つからなかった。
10
あなたにおすすめの小説
甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・
希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!?
『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』
小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。
ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。
しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。
彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!?
過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。
*導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。
<表紙イラスト>
男女:わかめサロンパス様
背景:アート宇都宮様
取引先のエリート社員は憧れの小説家だった
七転び八起き
恋愛
ある夜、傷心の主人公・神谷美鈴がバーで出会った男は、どこか憧れの小説家"翠川雅人"に面影が似ている人だった。
その男と一夜の関係を結んだが、彼は取引先のマネージャーの橘で、憧れの小説家の翠川雅人だと知り、美鈴も本格的に小説家になろうとする。
恋と創作で揺れ動く二人が行き着いた先にあるものは──
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
甘い束縛
はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。
※小説家なろうサイト様にも載せています。
君がたとえあいつの秘書でも離さない
花里 美佐
恋愛
クリスマスイブのホテルで偶然出会い、趣味が合ったことから強く惹かれあった古川遥(27)と堂本匠(31)。
のちに再会すると、実はライバル会社の御曹司と秘書という関係だった。
逆風を覚悟の上、惹かれ合うふたりは隠れて交際を開始する。
それは戻れない茨の道に踏み出したも同然だった。
遥に想いを寄せていた彼女の上司は、仕事も巻き込み匠を追い詰めていく。
氷の上司に、好きがバレたら終わりや
naomikoryo
恋愛
──地方から本社に異動してきた29歳独身OL・舞子。
お調子者で明るく、ちょっとおせっかいな彼女の前に現れたのは、
“氷のように冷たい”と社内で噂される40歳のイケメン上司・本庄誠。
最初は「怖い」としか思えなかったはずのその人が、
実は誰よりもまっすぐで、優しくて、不器用な人だと知ったとき――
舞子の中で、恋が芽生えはじめる。
でも、彼には誰も知らない過去があった。
そして舞子は、自分の恋心を隠しながら、ゆっくりとその心の氷を溶かしていく。
◆恋って、“バレたら終わり”なんやろか?
◆それとも、“言わな、始まらへん”んやろか?
そんな揺れる想いを抱えながら、仕事も恋も全力投球。
笑って、泣いて、つまずいて――それでも、前を向く彼女の姿に、きっとあなたも自分を重ねたくなる。
関西出身のヒロイン×無口な年上上司の、20話で完結するライト文芸ラブストーリー。
仕事に恋に揺れるすべてのOLさんたちへ。
「この恋、うちのことかも」と思わず呟きたくなる、等身大の恋を、ぜひ読んでみてください。
【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる