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31. 新しい関係になるために
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「話? もちろんいいけど、どうかした?」
私が真剣な話をしようとしているのを感じ取ったのか、航さんは体ごと向き直り、私を見つめる。
先を促され、私は口を開いた。
「結婚、のことです。航さんは以前、前向きに考えて欲しいって私に言ってくれましたよね? その後同棲を始めて半年経ちますけど、航さんの気持ちは今も同じですか? あれから特にその話をしてなかったなと思って、念のため確認なんですけど」
「もちろん今も同じ。その話をしなかったのは志穂に変なプレッシャーを感じて欲しくなかったからだしね。……志穂の方から切り出してくるってことは何か心境に変化でもあった?」
「はい。その、上手く伝えられるか分からないですけど、聞いてくれますか?」
「志穂はいつも通り、思っていることをそのまま率直に話してくれればいいよ」
航さんは私を励ますように頭をポンポンと撫でてくれる。
いつもそうだ。
付き合うことになった時も、トラウマを告白した時も。
航さんは私のつたない話にきちんと耳を傾けてくれて、受け止めてくれるのだ。
こういう所がすごく好きだし、尊敬する。
そんな航さんだから私はこれからも一緒にいたいし、そのために不安や懸念も含めてすべてを包み隠さず相談したいと思うのだ。
「以前は全く結婚願望がなかったんですけど、航さんも知っての通り、同期の結婚式に出席して、結婚が身近なものに感じてきました。そんなふうに意識に変化が生じ始めてた頃に同棲をスタートして、確かにこの半年で結婚して一緒に生活するイメージは湧きやすくなってきていました。でも、なぜか踏ん切りがつかなくて……」
「うん。そんな感じかなとは思ってた。それで?」
「今日降谷部長と槙野さんと飲みに行って既婚者二人から結婚の決め手とか、結婚ってどういうものかとか色々聞いたんです。で、私なりに思うところがあって」
「そうなんだ。例えばどんなことを?」
「私、結婚ってなんだかすごく一大事というか、劇的なことだと思ってたんです。だから結婚しよう!って思うのも、こう、なんかドーンと衝撃的なことがあって決めるものなのかなと。でもお二人は結婚は今の延長だし、一緒に生活を共にしていくことだから、居心地の良さとか考え方が合うとか、この人と一緒にいたいなっていう感情で良いっておっしゃってて……」
そこで一度言葉を切り、私は航さんを見る。
航さんも真剣な眼差しで私を見つめ返してくれた。
「それでさっき思ったんです。その感情なら私はいつも感じていることだなって。私は航さんとずっと一緒にいたいし、失いたくないです! つまり、私も航さんと結婚したいという気持ちがあることに気が付きました……!」
「志穂……」
私の告白に、航さんは嬉しそうに顔を綻ばせた。
そのままギュッと抱きしめられ、航さんの腕の中に閉じ込められる。
その抱擁の心地良さにそのまま包まれていたいところだが、残念ながら話はまだ途中だ。
私は航さんの胸を押して少し距離を取り、再び航さんの顔を見つめる。
「それで、ここからが本題なんですけど……」
「えっ? ここからが本題?」
航さんは驚いたように目を瞬き、不思議そうに私の言葉を繰り返した。
その問いに同意を示すよう頷き、私は一呼吸おいてから再び口火を切る。
「実は同時にもう一つ気付いたんです。……私、怖いんです。結婚したら「恋人」から「夫婦」に関係性が変わることが……」
「……怖い? それはなんで?」
「だって私は過去に恋人になってセックスを求められるようになって、それがデキなかったから関係が壊れた経験があるから……。夫婦になってそれと似たようなことが起こったらって無意識に思っちゃってるみたいなんです」
「志穂……。志穂が不安に思う気持ちも分からなくはないけど、でも俺と志穂はすでにハフレ&ソフレから恋人に関係を変えて、その過去を乗り越えただろう? 今度も同じように考えられない?」
航さんは私の不安を聞いて、優しく頭を撫でてくれながら諭すように声をかけてくれる。
以前の私なら、セックスを求められるのが嫌で彼氏を作らなかったように、不安があるならその事態を避ける選択をしたことだろう。
関係を変えない、それが一番の回避策だから。
でも今の私はもう以前の私じゃない。
……航さんがいてくれるから。一緒に不安を受け止めて、解決策を探し、乗り越えてくれる人がいるもの!
私は航さんの手を取りギュッと握る。
そして決意を込めたように告げた。
「はい! 私もそう思ってます! だから事前に関係性が変わることに伴う不安や懸念を解消できるようにしたいんです! 協力してもらえませんか?」
「それはもちろん。志穂が前向きなのはすごく嬉しいよ。……ただ、ちょっと待って。さっきまで不安だから無理みたいな流れだった気がするけど、どういう考えで協力して欲しいって考えに至ったのか聞いていい?」
「それは、今の私には航さんが側にいてくれるからです!」
本題を切り出した時以上に不思議そうな表情を浮かべる航さんに私は自分の気持ちをありのままに説明する。
相槌を打ちつつ、私の思考回路を紐解くように話を聞いていた航さんは「今回は良い方向に結論が着地したみたいだな」とポツリと漏らした。
その後、私たちはじっくり話し合うため、一度その場から立ち上がり各々準備をした。
航さんはキッチンで温かい飲み物を用意しに、私は仕事着からルームウェアに着替える。
そして再びリビングのソファーで向かい合った。
長い夜になりそうだが、幸いにも今日は金曜の夜だ。
ゆっくり話をするのには最適だった。
「それで、志穂は結婚して関係が変わることに伴う不安や懸念を解消したいって言ってたけど、何か具体的な考えがあるの?」
「実は降谷部長と槙野さんに聞いてみたんです。恋人から夫婦になるに伴って変わることについて。2つ教えてもらいました」
「2つ?」
「はい。子供と家族です」
「ああ、なるほど」
単語だけで言わんとすることが分かったのか航さんは納得の声を上げた。
その反応を見ながら私は自分の考えを付け加える。
「予め変化が起こることが分かっているこの2つをクリアにしておくだけでも気持ちは和らぐかなって思ってます」
同意を示して軽く頷いた航さんは、続いて言葉の受け取り方に相違がないか確認するよう口を開いた。
「家族というのは、結婚したら俺の両親や兄弟が志穂の義理の家族になるって話だと認識してるけどそれで合ってる?」
「はい、そうです……!」
「察するに義理の家族と上手く付き合うことができるのか不安ってこと?」
「その通りです。恋人は二人の気持ちがあれば成り立つ関係ですけど、夫婦はそうじゃないですよね? 二人だけの問題じゃなくなると思うんです」
「確かにね。志穂の言いたいことは分かった。じゃあ近いうちに俺の実家に連れて行って両親を紹介するよ。志穂が嫌でなければ俺も志穂の両親に挨拶に行きたい」
「えっ? 航さんのご実家に行くんですか⁉︎ 航さんもうちに来るんですか……⁉︎」
近いうちにとは言うが明日にでも行動に移しそうな勢いの航さんに面食らい、私は少々戸惑う。
そんな私の様子に小さく笑っている航さんは「想定内だから」とこともなげに言った。
「もともとそのつもりだったしね。同棲を始める時にお互いの両親に挨拶しようかって俺が提案したの覚えてない?」
「あ、そういえばそうだったかも……です」
「あの時は志穂が、自分の家は親の許可は必要ないからって言ってたしね。それなら俺が自分の親に志穂を紹介する行為はプレッシャーになるかなと思って控えたんだ」
「そうだったんですか」
「俺もいい年だし、社会人になってから両親に彼女を紹介したことないから、たぶんうちの両親は志穂に会えば、勝手に結婚を期待し出すと思うしね。でも俺と結婚したいって志穂が感じてくれてる今なら大丈夫かなって」
同棲を始める頃から親への紹介も考えていてくれた上に、私にプレッシャーをかけないよう気遣いをしてくれていたことを実感する。
……私が思っている以上に航さんは私のことを大切にしてくれてる。すごく嬉しい……!
結局、話し合いの末、お互いの両親へ挨拶に行く方向で話がまとまり、具体的な日程は後日調整することになった。
航さんのご両親と上手く付き合えるのか、結婚を反対されないか、という不安は解消したわけではなく依然として残る。
ただ、航さんは「大丈夫」と自信を持って言い切るし、そもそもこんな素敵な人を産み育てた方々なのだと思えば、私の不安は萎んでいく。
ずいぶん気持ちが前向きになった。
そこで私はホットコーヒーをコクリと一口飲むと、もう一つの不安を解消するべく話を次に進める。
「……あの、続けてもう一つの方のことなんですけど」
「子供?」
「はい。航さんは子供についてはどう思ってますか?」
「欲しいと思ってるよ。でも今すぐにってわけじゃない。志穂が仕事頑張りたいって思ってるのは知ってるから」
「私もいつかは欲しいなという思いはあります。ただ……」
言葉にして航さんの意向を聞き、自分と同じ思いだということが分かって少しホッとしつつ、一方でまだ懸念も胸の内にあり私は口ごもった。
やっぱり私は”もしも”を考えてしまうのだ。
「……もしデキなかったらって懸念してる?」
私が言葉を詰まらせていると、その心の内を見透かしたように航さんがその後の言葉を引き取った。
まさに図星だった。
セックスができなかったことと、子供ができないことはまた違うのは分かっているが、どうしても”デキない”という事態が起こることに私は過敏になっている。
「デキなかった時はそれはそれで俺はいいと思ってる。その場合は二人で生きていけばいいし。俺は子供が欲しいから志穂と結婚したいわけじゃなく、志穂とこれからも一緒にいたいから結婚したいから」
「航さん……」
「つまり、仮に子供がデキなかったとしても、それが理由で関係が壊れることはないよ。とはいえ、数年したら気持ちが変わるんじゃないかって志穂は不安に思うかもしれない。もちろんその可能性はあると思う。でもその時はその時でまた二人でこうして話し合うのはどう? それでも志穂は不安に思う?」
……ああ、もう、ホントに航さんはすごい。
私が行き当たりそうな不安を見越して、先の先まで想定した答えをくれる。
しかも絶対とは言い切らず、その時は二人で話し合おうと言ってくれる、そんなところがとても好きで堪らない。
……結婚したら恋人から夫婦に関係が変わることが不安だなんて、なんだかそう思ってるのがバカらしくなってきたかも。こんなにも私のことを分かってくれて、大切にしてくれて、歩み寄ってくれる人なんだもん。航さんとなら何だってきっと大丈夫……!!
ものすごく航さんを愛しく思う気持ちが胸に押し寄せてきて、今にも溢れ出してしまいそうだ。
我慢できず、私は思わず目の前にいる航さんにギュッと抱きついた。
気持ちをぶつけるように、自分よりも大きなその体にしがみつき、キツくキツく抱きしめる。
「航さん。私、航さんのこと好きです! すっごくすっごく大好きです!」
「……志穂? いきなりどうしたの?」
真面目な話をしていたら、急に私が抱きついてきて「好き」を連呼し出したから、航さんは驚いてキョトンとしている。
でも私の気持ちの昂りは止まることを知らず、この想いを伝えたくてしょうがない。
「私、関係が変わるのが怖いとか、もうどうでも良くなってきました……! だって航さんだから。今話をしていて航さんとならどんな関係になっても、どんなことが起こっても大丈夫って実感しました!」
抱きついたまま顔を上げ、この想いを届けたい一心で航さんをしっかりと見つめる。
航さんも私を見ていて、航さんの瞳の中には私が映っていた。
「いつも私のペースに合わせて、私に負担がかからないようにって気遣ってくれて本当にありがとうございます。今まで待たせてしまってすみません。私、もう心の準備は整いました。……なので、航さん、私と結婚してください!」
募りに募った気持ちを思いのままに吐き出したら、いつの間にか私は逆プロポーズをしていた。
一瞬目を見開いた航さんは、次の瞬間には肩を震わし、耐えかねたように笑い出した。
笑いながらギュッと私の体を抱きしめる。
「ふっ、志穂はいつも直球ストレートで、俺の想像を軽々越えたことを口にするよね。まさか逆プロポーズされるとは……!」
「だって気持ちが溢れちゃって……!」
「志穂のそういうところ好きだよ。俺が言葉を尽くして話し合うようになったのは志穂の影響が大きいと思う。だからこそ、俺もちゃんと言葉で伝えたい」
そう言うなり航さんは手を私の頬に添え、私の顔を覗き込んだ。
そしてスッと笑いを引っ込め、真剣な表情に様変わりする。
「志穂、俺はこれからも志穂と一緒に人生を歩んでいきたいと思ってる。長い人生、たぶん楽しいことばっかりではないとは思う。でも、お互い過去に色々あって問題を抱えていたのを一緒に乗り越えたように、志穂となら今後もそうやって一緒に乗り越えていけると思えるよ。……だから、俺と結婚してくれる?」
「航さん……! はい! もちろんです!」
私からの逆プロポーズへの答えは、言葉を尽くしたプロポーズで返され、私は感極まって何度も何度も大きく頷いた。
目頭が熱くなり、じわりと涙が滲む。
そんな私の様子に航さんは目元を緩め、目尻に溜まった涙を指先でぬぐってくれた。
こうして私たちは、とことん話し合ったことで絆を深め、同時に「恋人」から「夫婦」へと新しい関係を築いていく決意を固めたのだった。
私が真剣な話をしようとしているのを感じ取ったのか、航さんは体ごと向き直り、私を見つめる。
先を促され、私は口を開いた。
「結婚、のことです。航さんは以前、前向きに考えて欲しいって私に言ってくれましたよね? その後同棲を始めて半年経ちますけど、航さんの気持ちは今も同じですか? あれから特にその話をしてなかったなと思って、念のため確認なんですけど」
「もちろん今も同じ。その話をしなかったのは志穂に変なプレッシャーを感じて欲しくなかったからだしね。……志穂の方から切り出してくるってことは何か心境に変化でもあった?」
「はい。その、上手く伝えられるか分からないですけど、聞いてくれますか?」
「志穂はいつも通り、思っていることをそのまま率直に話してくれればいいよ」
航さんは私を励ますように頭をポンポンと撫でてくれる。
いつもそうだ。
付き合うことになった時も、トラウマを告白した時も。
航さんは私のつたない話にきちんと耳を傾けてくれて、受け止めてくれるのだ。
こういう所がすごく好きだし、尊敬する。
そんな航さんだから私はこれからも一緒にいたいし、そのために不安や懸念も含めてすべてを包み隠さず相談したいと思うのだ。
「以前は全く結婚願望がなかったんですけど、航さんも知っての通り、同期の結婚式に出席して、結婚が身近なものに感じてきました。そんなふうに意識に変化が生じ始めてた頃に同棲をスタートして、確かにこの半年で結婚して一緒に生活するイメージは湧きやすくなってきていました。でも、なぜか踏ん切りがつかなくて……」
「うん。そんな感じかなとは思ってた。それで?」
「今日降谷部長と槙野さんと飲みに行って既婚者二人から結婚の決め手とか、結婚ってどういうものかとか色々聞いたんです。で、私なりに思うところがあって」
「そうなんだ。例えばどんなことを?」
「私、結婚ってなんだかすごく一大事というか、劇的なことだと思ってたんです。だから結婚しよう!って思うのも、こう、なんかドーンと衝撃的なことがあって決めるものなのかなと。でもお二人は結婚は今の延長だし、一緒に生活を共にしていくことだから、居心地の良さとか考え方が合うとか、この人と一緒にいたいなっていう感情で良いっておっしゃってて……」
そこで一度言葉を切り、私は航さんを見る。
航さんも真剣な眼差しで私を見つめ返してくれた。
「それでさっき思ったんです。その感情なら私はいつも感じていることだなって。私は航さんとずっと一緒にいたいし、失いたくないです! つまり、私も航さんと結婚したいという気持ちがあることに気が付きました……!」
「志穂……」
私の告白に、航さんは嬉しそうに顔を綻ばせた。
そのままギュッと抱きしめられ、航さんの腕の中に閉じ込められる。
その抱擁の心地良さにそのまま包まれていたいところだが、残念ながら話はまだ途中だ。
私は航さんの胸を押して少し距離を取り、再び航さんの顔を見つめる。
「それで、ここからが本題なんですけど……」
「えっ? ここからが本題?」
航さんは驚いたように目を瞬き、不思議そうに私の言葉を繰り返した。
その問いに同意を示すよう頷き、私は一呼吸おいてから再び口火を切る。
「実は同時にもう一つ気付いたんです。……私、怖いんです。結婚したら「恋人」から「夫婦」に関係性が変わることが……」
「……怖い? それはなんで?」
「だって私は過去に恋人になってセックスを求められるようになって、それがデキなかったから関係が壊れた経験があるから……。夫婦になってそれと似たようなことが起こったらって無意識に思っちゃってるみたいなんです」
「志穂……。志穂が不安に思う気持ちも分からなくはないけど、でも俺と志穂はすでにハフレ&ソフレから恋人に関係を変えて、その過去を乗り越えただろう? 今度も同じように考えられない?」
航さんは私の不安を聞いて、優しく頭を撫でてくれながら諭すように声をかけてくれる。
以前の私なら、セックスを求められるのが嫌で彼氏を作らなかったように、不安があるならその事態を避ける選択をしたことだろう。
関係を変えない、それが一番の回避策だから。
でも今の私はもう以前の私じゃない。
……航さんがいてくれるから。一緒に不安を受け止めて、解決策を探し、乗り越えてくれる人がいるもの!
私は航さんの手を取りギュッと握る。
そして決意を込めたように告げた。
「はい! 私もそう思ってます! だから事前に関係性が変わることに伴う不安や懸念を解消できるようにしたいんです! 協力してもらえませんか?」
「それはもちろん。志穂が前向きなのはすごく嬉しいよ。……ただ、ちょっと待って。さっきまで不安だから無理みたいな流れだった気がするけど、どういう考えで協力して欲しいって考えに至ったのか聞いていい?」
「それは、今の私には航さんが側にいてくれるからです!」
本題を切り出した時以上に不思議そうな表情を浮かべる航さんに私は自分の気持ちをありのままに説明する。
相槌を打ちつつ、私の思考回路を紐解くように話を聞いていた航さんは「今回は良い方向に結論が着地したみたいだな」とポツリと漏らした。
その後、私たちはじっくり話し合うため、一度その場から立ち上がり各々準備をした。
航さんはキッチンで温かい飲み物を用意しに、私は仕事着からルームウェアに着替える。
そして再びリビングのソファーで向かい合った。
長い夜になりそうだが、幸いにも今日は金曜の夜だ。
ゆっくり話をするのには最適だった。
「それで、志穂は結婚して関係が変わることに伴う不安や懸念を解消したいって言ってたけど、何か具体的な考えがあるの?」
「実は降谷部長と槙野さんに聞いてみたんです。恋人から夫婦になるに伴って変わることについて。2つ教えてもらいました」
「2つ?」
「はい。子供と家族です」
「ああ、なるほど」
単語だけで言わんとすることが分かったのか航さんは納得の声を上げた。
その反応を見ながら私は自分の考えを付け加える。
「予め変化が起こることが分かっているこの2つをクリアにしておくだけでも気持ちは和らぐかなって思ってます」
同意を示して軽く頷いた航さんは、続いて言葉の受け取り方に相違がないか確認するよう口を開いた。
「家族というのは、結婚したら俺の両親や兄弟が志穂の義理の家族になるって話だと認識してるけどそれで合ってる?」
「はい、そうです……!」
「察するに義理の家族と上手く付き合うことができるのか不安ってこと?」
「その通りです。恋人は二人の気持ちがあれば成り立つ関係ですけど、夫婦はそうじゃないですよね? 二人だけの問題じゃなくなると思うんです」
「確かにね。志穂の言いたいことは分かった。じゃあ近いうちに俺の実家に連れて行って両親を紹介するよ。志穂が嫌でなければ俺も志穂の両親に挨拶に行きたい」
「えっ? 航さんのご実家に行くんですか⁉︎ 航さんもうちに来るんですか……⁉︎」
近いうちにとは言うが明日にでも行動に移しそうな勢いの航さんに面食らい、私は少々戸惑う。
そんな私の様子に小さく笑っている航さんは「想定内だから」とこともなげに言った。
「もともとそのつもりだったしね。同棲を始める時にお互いの両親に挨拶しようかって俺が提案したの覚えてない?」
「あ、そういえばそうだったかも……です」
「あの時は志穂が、自分の家は親の許可は必要ないからって言ってたしね。それなら俺が自分の親に志穂を紹介する行為はプレッシャーになるかなと思って控えたんだ」
「そうだったんですか」
「俺もいい年だし、社会人になってから両親に彼女を紹介したことないから、たぶんうちの両親は志穂に会えば、勝手に結婚を期待し出すと思うしね。でも俺と結婚したいって志穂が感じてくれてる今なら大丈夫かなって」
同棲を始める頃から親への紹介も考えていてくれた上に、私にプレッシャーをかけないよう気遣いをしてくれていたことを実感する。
……私が思っている以上に航さんは私のことを大切にしてくれてる。すごく嬉しい……!
結局、話し合いの末、お互いの両親へ挨拶に行く方向で話がまとまり、具体的な日程は後日調整することになった。
航さんのご両親と上手く付き合えるのか、結婚を反対されないか、という不安は解消したわけではなく依然として残る。
ただ、航さんは「大丈夫」と自信を持って言い切るし、そもそもこんな素敵な人を産み育てた方々なのだと思えば、私の不安は萎んでいく。
ずいぶん気持ちが前向きになった。
そこで私はホットコーヒーをコクリと一口飲むと、もう一つの不安を解消するべく話を次に進める。
「……あの、続けてもう一つの方のことなんですけど」
「子供?」
「はい。航さんは子供についてはどう思ってますか?」
「欲しいと思ってるよ。でも今すぐにってわけじゃない。志穂が仕事頑張りたいって思ってるのは知ってるから」
「私もいつかは欲しいなという思いはあります。ただ……」
言葉にして航さんの意向を聞き、自分と同じ思いだということが分かって少しホッとしつつ、一方でまだ懸念も胸の内にあり私は口ごもった。
やっぱり私は”もしも”を考えてしまうのだ。
「……もしデキなかったらって懸念してる?」
私が言葉を詰まらせていると、その心の内を見透かしたように航さんがその後の言葉を引き取った。
まさに図星だった。
セックスができなかったことと、子供ができないことはまた違うのは分かっているが、どうしても”デキない”という事態が起こることに私は過敏になっている。
「デキなかった時はそれはそれで俺はいいと思ってる。その場合は二人で生きていけばいいし。俺は子供が欲しいから志穂と結婚したいわけじゃなく、志穂とこれからも一緒にいたいから結婚したいから」
「航さん……」
「つまり、仮に子供がデキなかったとしても、それが理由で関係が壊れることはないよ。とはいえ、数年したら気持ちが変わるんじゃないかって志穂は不安に思うかもしれない。もちろんその可能性はあると思う。でもその時はその時でまた二人でこうして話し合うのはどう? それでも志穂は不安に思う?」
……ああ、もう、ホントに航さんはすごい。
私が行き当たりそうな不安を見越して、先の先まで想定した答えをくれる。
しかも絶対とは言い切らず、その時は二人で話し合おうと言ってくれる、そんなところがとても好きで堪らない。
……結婚したら恋人から夫婦に関係が変わることが不安だなんて、なんだかそう思ってるのがバカらしくなってきたかも。こんなにも私のことを分かってくれて、大切にしてくれて、歩み寄ってくれる人なんだもん。航さんとなら何だってきっと大丈夫……!!
ものすごく航さんを愛しく思う気持ちが胸に押し寄せてきて、今にも溢れ出してしまいそうだ。
我慢できず、私は思わず目の前にいる航さんにギュッと抱きついた。
気持ちをぶつけるように、自分よりも大きなその体にしがみつき、キツくキツく抱きしめる。
「航さん。私、航さんのこと好きです! すっごくすっごく大好きです!」
「……志穂? いきなりどうしたの?」
真面目な話をしていたら、急に私が抱きついてきて「好き」を連呼し出したから、航さんは驚いてキョトンとしている。
でも私の気持ちの昂りは止まることを知らず、この想いを伝えたくてしょうがない。
「私、関係が変わるのが怖いとか、もうどうでも良くなってきました……! だって航さんだから。今話をしていて航さんとならどんな関係になっても、どんなことが起こっても大丈夫って実感しました!」
抱きついたまま顔を上げ、この想いを届けたい一心で航さんをしっかりと見つめる。
航さんも私を見ていて、航さんの瞳の中には私が映っていた。
「いつも私のペースに合わせて、私に負担がかからないようにって気遣ってくれて本当にありがとうございます。今まで待たせてしまってすみません。私、もう心の準備は整いました。……なので、航さん、私と結婚してください!」
募りに募った気持ちを思いのままに吐き出したら、いつの間にか私は逆プロポーズをしていた。
一瞬目を見開いた航さんは、次の瞬間には肩を震わし、耐えかねたように笑い出した。
笑いながらギュッと私の体を抱きしめる。
「ふっ、志穂はいつも直球ストレートで、俺の想像を軽々越えたことを口にするよね。まさか逆プロポーズされるとは……!」
「だって気持ちが溢れちゃって……!」
「志穂のそういうところ好きだよ。俺が言葉を尽くして話し合うようになったのは志穂の影響が大きいと思う。だからこそ、俺もちゃんと言葉で伝えたい」
そう言うなり航さんは手を私の頬に添え、私の顔を覗き込んだ。
そしてスッと笑いを引っ込め、真剣な表情に様変わりする。
「志穂、俺はこれからも志穂と一緒に人生を歩んでいきたいと思ってる。長い人生、たぶん楽しいことばっかりではないとは思う。でも、お互い過去に色々あって問題を抱えていたのを一緒に乗り越えたように、志穂となら今後もそうやって一緒に乗り越えていけると思えるよ。……だから、俺と結婚してくれる?」
「航さん……! はい! もちろんです!」
私からの逆プロポーズへの答えは、言葉を尽くしたプロポーズで返され、私は感極まって何度も何度も大きく頷いた。
目頭が熱くなり、じわりと涙が滲む。
そんな私の様子に航さんは目元を緩め、目尻に溜まった涙を指先でぬぐってくれた。
こうして私たちは、とことん話し合ったことで絆を深め、同時に「恋人」から「夫婦」へと新しい関係を築いていく決意を固めたのだった。
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そんな切ない気持ちを抱えていた。
プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。
書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。
突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。
残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……
恋に異例はつきもので ~会社一の鬼部長は初心でキュートな部下を溺愛したい~
泉南佳那
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